ヨウコ、撮影現場へ行く
翌朝 ヨウコの実家の玄関 ヨウコとキースを家族が見送っている。
「ローハン、三日間も私がいなくて大丈夫なの? 寂しくない?」
「なんだよ、子供達より俺の心配してるの?」
「だって、あんたの方が子供みたいなんだもん」
「俺は平気だよ。いつでもネットで会えるだろ? それよりも、忘れずに八つ橋を買ってきてよね。あんこの入ってるのと皮だけのやつ、両方だよ」
「ほら、やっぱり子供みたい」
母が寂しそうにキースに話しかける。
「キースちゃん、お仕事が終わったら戻ってきてくれるのかしら?」
「ご迷惑でなければそうしたいんですけど」
「迷惑なはずないじゃないの。絶対に戻ってきてね。寂しくなるわあ」
ローハン、むくれる。
「おかあさん、俺というかわいい婿がここにいるんだけど?」
「ヨウコはキースちゃんと旅行なんていいわねえ。とっても仲がよくって不倫を疑っちゃうぐらいよ」
「撮影現場を見せてもらいに行くだけよ。おかあさんはローハンと遊んであげてね」
ローハンがドアを開けて表を覗く。
「ほら、タクシーが着いたよ」
「じゃ、ルークもアーヤもタネもいい子にしててね」
ローハン、キースに声をかける。
「ヨウコの面倒、しっかりみろよ」
「任せといて。そっちこそタネを頼んだよ」
ローハン、ニヤリと笑う。
「タネはおとうさんが大好きだからね、『おじさん』なんていなくなっても全然平気だよ」
「ほら、そんな意地悪言っちゃだめでしょ? キースも落ち込まないでよ。タクシーが待ってるわよ」
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京都の撮影所の一室 キースとヨウコが部屋に通されると、スタッフの一人が近寄って来てキースに話しかける。
「グレイさん、早かったんですね。お迎えに出なくてすみません。そちらの方は……ええと、通訳は同伴しないと聞いてたんですが……」
「彼女は僕の友達のヨウコさんです。監督の許可はもらってますので、邪魔にならないところで見学させてやってください」
「そうなんですね。最初に簡単な打ち合わせがありますので、ヨウコさんはあちらに座ってお待ちいだだけますか?」
キース、ヨウコを部屋の隅の椅子に座らせると、かがみこんでキスをする。
「じゃ、ヨウコさん、後でね」
周囲にどよめきが走り、ヨウコが慌ててキースを押しのける。
「ちょ、ちょっと、血迷ったの? これってマズいでしょ?」
キース、おかしそうに笑う。
「このぐらい構わないだろ? でも、帽子とサングラスは絶対にはずすさないでよ。写真に撮られると面倒だからね。ほら、もう携帯で撮ってる人がいる」
キースが打ち合わせの席に着くと、ヨウコが『通信』でローハンに話しかける。
『ローハン、大笑いしないでよ。防犯カメラから覗いてるの?』
『みんなの反応が面白いんだもん。キースの隣の女の子、すごい顔でヨウコを見てるよ。いじめられないようにね』
『中学校じゃないんだから大丈夫よ。年増の一般人のくせに、って思われてるんだろなあ』
『あの子、オノミカコだね。キースと共演でハリウッドデビューするんだってさ』
『ふうん、ローハンってずいぶんと女優さんにくわしいんだね』
『ちょっと調べりゃわかる事だろ? なに妬いてるのさ?』
キースが会話に加わる。
『ヨウコさん、退屈?』
『ううん。仕事中のキースって表情豊かで面白いよ。ミカコさん、あなたに気があるんじゃない?』
『顔合わせのときから僕から目が離せないみたいだね。僕に惚れちゃう共演者は多いから、慣れてるよ』
『でも、プロの女優がそんなに簡単に恋に落ちちゃうものなのかしら?』
『共演中に相手の心理を分析するだろ。それから僕に惚れるように仕向けるんだ。今のところ成功率は80%以上かな。演技の勉強になるんだよ』
『口説くんじゃなくて?』
『違うよ。口説いたら付き合わなくっちゃならないだろ? 僕はぜんぜん気のないフリをしてるんだ』
『……あんた鬼だ。キースがそんな男だとは思わなかったわ』
『ヨウコさんに出会う前の話だよ。かなわぬ恋の辛さを我が身で知っちゃったからね』
ローハンが呆れたように笑う。
『そんな酷いことしてたから、罰が当たったんだよ』
『そうかもしれないな。……それにしてもこのミーティング、無駄だなあ。読み合せも打ち合わせも東京で済ませて、今日は撮影だけになるように手を回したんだよ。退屈だから文句言ってやろう』
『手を回したって……もしかして、最初から私を連れて来るつもりだったの?』
『うん、そうだよ。僕が思い付きで行動するわけないだろ?』
キースが立ち上がり、一同に向かって話しかける。しばらくして一同、席を立つ。
『今から撮影に入るって。今日は本業の方はわりと暇なんだ。ペルーで「会社」所属の研究者が鉄道の事故に巻き込まれたくらいかな。今、処理班が向かってる。怪我はしなかったようだから、特に問題ないだろうな』
『相変わらずマルチで仕事してるのね。私にはどうしても一度にひとつの事しかできないなあ』
キース、ヨウコの前に来ると手を差し出す。
「ヨウコさんは人間だからね。でも、その気になれば僕よりも処理速度は速いんだよ。自分じゃ『雪ダルマ』や『キリン』の仕業だと思ってるんだろうけどね。さ、行こう」
「いきなりこっち側で話しかけられるとびっくりするわ」
ヨウコ、キースの手をとって立ち上がる。
「まずは監督に紹介するよ。ヨウコさんが気になって撮影どころじゃないみたいだからね」
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同日の晩 ホテルの部屋にヨウコとキースが入ってくる。
「報道陣、うまくまいたわね。よくあんな抜け道知ってたね」
「俳優やって12年だからね。記者やパパラッチの行動パターンはよくわかってるよ。京都の町並みって綺麗だね。明日、時間があったら歩いてみようよ」
ヨウコ、部屋の中を見回す。
「素敵な部屋だね。こんな豪華な部屋、泊まったことないや」
「気に入った? 一番景色のいい部屋にしたんだよ」
ヨウコ、窓に近づいて外を眺める。
「ほんと、夜景がきれいだなあ。あっちが市内だね。京都なんて修学旅行以来初めてだわ」
キースが隣に立ってヨウコの肩を抱く。
「今日は面白かったなあ。みんなの顔、見ただろ?」
「ローハンと同じこと言うのね」
「僕が共演者以外の女性を連れて公の場に出たのはこれが初めてなんだ。知ってた?」
「ファンなんだから、そのぐらい知ってるわよ。私の存在は隠しておくのかと思ってたよ。『俳優キース』の表の顔とかかわるつもりなんてなかったんだけどな」
「『俳優キース』は初めての彼女を見せびらかしたいんだよ」
「がっかりする人がたくさんいるだろうね。ミカコみたいにさ」
「ミカコさん、気合はいってたなあ」
「すっごいチュウされてたわね。私みたいなのにキースと付き合えるんだったら自分にだって、って思ったんじゃない?」
「僕の正体を知らないうちが花だな。知ってて付き合えるのは、この世にヨウコさんしかいないよ」
「まるで私がおかしいみたいに……」
いきなりローハンが『通信』で割って入る。
『おかしいってば』
「……ローハン、八時以降はヨウコさんと二人きりにさせてくれよ」
『邪魔者扱いしなくてもそこまで野暮じゃないよ』
ヨウコ、むくれる。
「二人で勝手なこと言わないでよ」
『ごめん、ヨウコ。覗くつもりはなかったんだ。おかあさんが、明後日は何時に戻ってくるのって聞いてるからさ』
「ローハン、おかあさんに電話代わりにされてるの?」
『テレビガイドとか乗り換え案内とかいろんな事に使われてるよ。俺ってとても便利だから、我が家にも一台欲しいって言ってる』
ヨウコ、笑う。
「おかあさん、ローハンがロボットだって事になんの疑問もないのよね。アーヤができたときもおかしいとも思わなかったし。七時ごろに着くようにするって言っておいて。明々後日は子供たちをディズニーランドに連れていく約束なんでしょ?」
キースがヨウコの顔を見る。
「そうなの? 僕も行きたかったな」
『撮影はいつ終わるんだよ? 日本での撮影はちょっとだけだって言ってたよね?』
「こっちで撮るのは回想シーンだけだからね。京都の後は九州に飛ぶんだけど、スケジュール通りにいけば来週の半ばには戻れるかな?」
『じゃ、延期しようか』
ヨウコ、にやにやする。
「いい男を二人も連れてディズニーランドか。若い頃はディズニーランドのデートに秘かに憧れてたんだけど、叶わなかったな。付き合った男が誰も行きたがらないもんだから、私も意地張って行きたくないフリしてたのよね」
『ヨウコらしいな。今なら両親と子供三人ももれなくついてくるよ』
「私って幸せだなあ」
『おかあさんがキースちゃんが来るんだったら延期してもかまわないって言ってるよ。お城の前で一緒に写真を撮って欲しいって。できればほっぺにチュウもして欲しいらしいよ』
「おかあさんに、ありがとう、光栄です、って伝えてくれる?」
「もう、いい歳してわけわかんない。あの人、私と男の好みがまったく同じなのよね。トニーみたいだわ」
「タネはどうしてる?」
『みんなにかわいがられてご機嫌だよ。「知らないおじさん」がいなくても平気みたいだな』
「何を言ってるんだよ? 僕は『知らないおじさん』から『キースケ』に格上げになったんだよ。さては知らなかっただろ?」
ヨウコ、呆れた顔をする。
「そんなに得意そうに言わなくてもいいでしょ? 聞いてて悲しくなってきちゃったわ」




