アーヤとキースケ
キッチンに入ってきたローハンがヨウコに話しかける。
「キースのイタチ端末、どこに行ったの? 今朝から見かけないんだけど」
「『キースケ』ならアーヤと保育園に行ったわ」
「キースケ?」
「だってキースって呼ぶと紛らわしいんだもん。かわいいでしょ?」
「保育園になんて連れてっちゃっていいの?」
「だって、アーヤが離さないんだからしょうがないでしょ。最近、行きたがらないから助かったわ」
ヨウコ、宙に向かって話しかける。
「キース、『キースケ』は大丈夫? どうしてる?」
『バッグの中に隠れてる約束だからね。時々アーヤが覗きにくるんだ。園児に見つかったら八つ裂きにされるよ』
「大きいキースおじさんはいつ戻ってくるのよ? スケジュール、決まったの?」
『知りたい?』
「うん、知りたい」
『土曜日の昼過ぎに戻るよ。二日間しかいられないけどね』
「あれ、一ヶ月先じゃなかったの?」
『撮影の予定が狂ったんで、空きができたんだ』
ローハンが呆れたように笑う。
「狂ったんじゃなくて狂わせたんだろ? どこかのわがままな電子計算機がさ」
『うるさいな』
「図星だな。監督に告げ口してやろうか?」
ヨウコ、うっとりした表情になる。
「キースに会えるなんて嬉しいなあ」
「ヨウコ? 視線がおかしいよ」
「ハリウッドスターが私のために仕事をサボタージュしてくれたのよ。ちょっとは浸らせてよ」
「あーあ。じゃあ、俺、その日はトニーと釣りにでも行ってくるよ。しばらくいちゃいちゃしてるんだろ」
ヨウコ、厳しい視線でローハンを見る。
「トニーと何を釣りに行くのよ?」
「魚に決まってるだろ? ほかに何を釣るってんだよ?」
「あんた達ふたりが並んでたら、嫌でもほかのものが寄って来るわよ」
「ヨウコはキースに会うんだからそれでいいだろ? なんで俺の心配するわけ?」
「心配しないで欲しいの?」
「それも寂しいなあ」
キースが口を挟む。
『夫婦喧嘩するなら、僕の聞こえないところでやって欲しいな』
「ごめん、キース」
『ところでアーヤなんだけどね……』
「うん」
『僕の言ってる事がわかるみたいなんだ』
ローハンが怪訝な顔をする。
「あのイタチ、しゃべらないだろ?」
『うん、でも僕が話しかけると反応するんだ。超能力だな』
「あれ、超能力なんて存在しません、って言ってなかったっけ?」
『だって、クリスばあちゃんはどう考えてもエスパーだろ? サエキさんだって立派なエンパスじゃないか』
「なんだよ、それ?」
「アーヤって凄いのねえ」
「俺の血かなあ」
『君とは遺伝的には何の関係もないだろ? 似てるってだけでさ』
「わかってるけど、指摘されると寂しくなっちゃからやめてよ」
ヨウコがローハンの肩を抱く。
「アーヤは誰がなんと言おうとあなたの子だよ。ほら、おとうさん、そろそろアーヤと『キースケ』を迎えに行って来てよ」
「うん。『キースケ』だけ、どこかに捨ててくるよ」
「キースおじさんに意地悪したら、アーヤ、おとうさんのことを嫌いになっちゃうよ。ちゃんと連れて帰ってきなさいよ」
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キッチンでサエキがコーヒーを飲んでいるところに、ローハンが入ってくる。
「ああ、ローハンか。マサムネなんだけどな、もう一度試してみたいそうだ。週末にまた来るって言ってた」
「来たって無駄だと思うよ。あれじゃ俺にはプログラムは解除できない。本人に協力の意思がなきゃどうやったって無理だよ」
「俺には協力的に見えたけどな」
「でも、本心じゃヨウコの事を忘れたくないんだ。知らず知らずのうちに抵抗してるんだよ」
「参るなあ。あいつ、お前らと違って繊細でクソ真面目だからな。気の毒で見てられないよ」
「俺が同じ立場なら同じことしてただろうな。どんなに辛くてもヨウコの事を好きでいたいんだよ」
サエキ、ため息をつく。
「これ、ヨウコちゃんには言うなよ。顔には出さなくても、かなり気に病んでるみたいだからな」
「うん、わかってる。俺もできるだけの事はしてみるよ。ところでさ、ヨウコ、また俺の車に乗ってっただろ?」
「最近、気に入ってるみたいだな」
「困るんだよ。俺の車だとさ、手離しで運転しちゃうんだ。この間なんて目までつぶってたもんだから、居眠り運転だと思われて、検問のパトカーに追跡されたんだよ。警察のネットワークを大混乱させて逃げてきたよ」
「ヨウコちゃんって基本的に面倒くさがりなんだよな。お前の車なんだろ? 止められないの?」
「俺にヨウコが止められるわけがないとは思わない?」
「そうだな。今どこにいるの?」
「魚屋だよ」
「ええっ! 魚屋に行くときは知らせてって言ったのに」
サエキ、慌てて『通信』でヨウコに話しかける。
「ヨウコちゃん、聞こえる? イクラを買ってきて欲しいんだけど。……もう車、乗っちゃったって? いいだろ? 戻って買ってきてよ。今晩は俺がイクラ丼作ってやるからさ」
「ついでに、ハンドルから手を離すな、って伝えてくれる?」
ヨウコが『通信』で答える。
『ローハン、言いたいことがあれば自分で言いなさいよね』
キースが口を挟む。
『大丈夫だよ。僕が隣で見張ってるから』
「なんでキースが? ああ、『キースケ』も連れてったのか」
『だって、アーヤも一緒だもん』
『アーヤが離してくれないからね。キースおじさんが大好きなんだ』
ローハン、むくれる。
「俺の子なのになあ」
『ヤキモチ焼くことないでしょ? 子守をしてくれて助かってるのよ。キースケの言う事はよく聞くのよね』
『ねえ、ヨウコさん。そんなにローハンが妬くんだったらさ……』
『なに?』
『……僕の子も産んでよ』
『えええ!』
『ヨウコさん、対向車線を走っちゃ危ないよ』
『だって、まだチュウしかしてない相手に、そんな事言われたらびっくりするでしょ?』
サエキが驚いた声を出す。
「あれ、お前ら、何もしてないのか?」
『だって、この間、半日会っただけだもん。どうしろってのよ? キース、悪いけどさ、私の身体は作り物だからもう子供は産めないんだ』
『そんなの、なんとでもなるだろ?』
『え? なるのかな?』
サエキが口を挟む。
「あー、ヨウコちゃんは一応まだ妊娠中だし、子供の話は後でもいいだろ? じゃ、イクラを頼んだよ」
『そ、そうよね。わかったわ』
サエキ、『通信』を切ってローハンを見る。
「なんだ。キースの奴、父親になりたかったらしいぞ」
「それならなんの問題もないじゃないか」
「それじゃあ、そろそろ『キース・グレイ』の隠し子発覚と行くか」
ローハン、おかしそうに笑う。
「一番驚いちゃうのが両親だなんて、とんだ隠し子もあったもんだね」




