『ガムランの禍』
ヨウコがキッチンに入ってくると、片づけ物をしていたハルノに話しかける。
「ハルちゃん、サエキさんと喧嘩でもしたの?」
「ううん 」
「でも、なんだか元気がないよ。どうかしたの?」
ハルノ、気まずそうにヨウコを見る。
「いいから話してみなさいって」
「……ヨウコさん達、私のいない間にキースを起こしちゃったでしょ。ガムランに叱られたの」
「ガムさんに? でも、ハルちゃんはいなかったんだから仕方ないじゃない 」
「目を離した私が悪いって言われたわ 」
「そうだったんだ。ハルちゃんに迷惑かけちゃったね 」
ハルノ、首を振る。
「違うのよ。叱られたから落ち込んでるんじゃないの。私だってキースが戻って来てくれてすごく嬉しいのよ。自分がヨウコさんたちを見張ってる立場なのが嫌なんだ。せっかくこっちに来られたのに、スパイみたいな気分でいなきゃならないなんて、もうたくさん」
「お目付け役なんてそんなもんじゃないの? サエキさんはずいぶん器用にこなしてたわよね。最後には解任されちゃったけどさ」
ヨウコ、ハルノの顔を見て笑う。
「考えてみればハルちゃんってローハンやマサムネさんと同型なんだもんね」
「どういう意味?」
「いい人すぎるって意味よ」
ハルノ、赤くなる。
「私、あの人たちほど性格よくないよ」
「そんな事ないって。ハルちゃんはもう家族の一員なんだから、悩んでないでなんでも相談してくれればいいのよ。ガムさんには適当なこと言っとけばいいじゃない」
「そうはいかないわよ。あの人には誤魔化しなんて効かないわ。サエキさんはガムランのお気に入りだから、何やっても許してもらえちゃうだけなの」
「どうしてそんなに気に入られてるの?」
「知らないわ。『会社』でもいろんな憶測は流れてるんだけどね」
「憶測?」
「サエキさんがガムランの弱点を握ってるんじゃないか、とかね。昔は愛人説もあったらしいけど、さすがに信じてる人はいないわね。サエキさんは女にしか興味がないってみんな知ってるから」
「ガムさんに弱点なんてあるの?」
「本人は自分が怖いのは奥さんだけだって言ってるわ」
「本当は奥さんなんていないんでしょ?」
「つまり、弱点なんてないのよ。都市伝説みたいなのはあるけどね」
「都市伝説って?」
「『ガムラン殺し』とか『ガムランの禍』とかって呼ばれてるコマンドがあるらしいのよ。普通はコンピュータが暴走したときに備えて、緊急停止用のコマンドが設定されてるんだけどね、ガムランの場合、誰もそれを知らないの」
「どうして?」
「作られてから150年の間に忘れられたんでしょうね。コマンドを知ってる人間も数人しかいなかったはずよ。もう残ってるとは思えないんだけど、反ガムラン団体はいまだに探してるらしいわ」
「パスワードみたいなものなんでしょ? 順番に試していけばいつかは見つかるんじゃないの?」
「そんな怪しいことやってちゃ、すぐに勘付かれるわよ。更生施設に送られちゃうわ」
「ふうん」
ハルノ、真剣な顔になる。
「……やっぱりこれしか方法はないかな」
「なにが?」
「私、この任務から降ろしてもらう」
「ええ?」
ハルノ、笑う。
「今からガムランと話してくるわ。ガムランがごねたらヨウコさんに交渉を手伝ってもらってもいい? あの人、ヨウコさんが苦手みたいだから」
ハルノ、部屋から出て行こうとして振り返る。
「そうか、ガムランの弱点が一つだけあったわ」
「なに?」
「ヨウコさんよ」
ハルノ、笑って部屋から出て行く。
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家の外の丘の斜面にヨウコとキースが並んで座っている。
「僕が寝てる間に、ずいぶんと世の中がきれいになったね」
「大掃除したのよ。まだまだごみだらけだけど、少しはましになったでしょ?」
「ヨウコさんは僕を救っただけじゃなくて、世界も救おうとしてるんだね」
「あなたも手伝ってくれる? 私だけじゃたいしたことはできないのよ。食糧難とか温暖化とか話が大きくなってくると、私やローハンにはどこから手をつけていいのかさっぱりわからないの。うっかり間違えると、バランスを崩してもっとひどいことになっちゃいそうでさ。キースの頭脳を貸してもらえないかな」
「ヨウコさん、僕はこの時代に介入できないようにプログラムされてるんだ」
「……好き放題やってなかったっけ?」
「世界の動向を変えない程度ならいいんだけどね。あれが精一杯の反抗だな」
「そっか。じゃあ仕方ないね」
「うん。役に立てなくてごめんね」
「気にしないで。私たちのできる範囲でやってくわ。でも、これって私の『二つ目の願い』なのよね。自分で叶えろ、ってことなのかしら? 納得いかないなあ」
「ヨウコさん、半年の間にずいぶん変わっちゃったんだね。『サイバースペース』の中を自由に動き回ってるなんて驚いたよ」
「もう慣れちゃったせいか、自分じゃたいして変わったように感じないわ。……あなたとネットの中で会ったのって起こしてあげた時だけじゃない? そっちに行くから一緒に散歩でもしようよ。私の見てるもの、見せてあげる」
次の瞬間、なだらかな金色の丘の続く風景の中で、ヨウコとキースが隣り合って立っている。
「ふうん、ヨウコさんには自分の姿が自分自身に見えてるんだね」
「キースは『俳優キース』に見えるよ。ローハンがね、頭の中の『饅頭』が、ネット内の情報を私にも理解できる形に翻訳してくれるんだって言ってた。翻訳されてる割には、わけのわからないものが多いんだけどね」
キース、空を見上げる。
「そこにピンクと黄色のスイカが浮いてるんだけど……」
「ね、わけがわかんないでしょ?」
「あれは何かのファイルの断片だな。僕にだってわかんないよ」
キース、ヨウコの後ろにとぐろを巻くように座っている『ポウナム』を振り返る。
「それ、すごいね。僕が目覚めたときにもヨウコさんの後ろにいただろ?」
「『ポウナム』っていうの。どんどん大きくなるのよ。私が組んだプログラムだって言うんだけど、自分じゃ覚えはないのよね。ほかにもいろんなのがいて、私の手伝いをしてくれるんだ。ローハンは『ヨウコの使い魔』って呼んでるわ」
キースの横を大きなハチのような虫が通り過ぎる。
「あれもそうだね。最近ずっと僕の周りをうろうろしてるんだ」
「あなたが以前にハッキングされたことがあったでしょ? 二度とそんな事がないように見張りをしてもらってるの。私を狙ってた犯人も捕まったし、もうその心配はなさそうだけどね」
ヨウコ、キースの顔を見て目を見開く。
「キース、どうしたの?」
「なに?」
「だって、凄く悲しそうな顔してるよ」
「僕が?」
「そういえば声だって違うわ。なんだか沈んだ声で……そうか、わかった。ここにいれば私にもあなたの感情が見えるんだ。『饅頭』が翻訳してくれてるんだわ」
キース、ヨウコに背を向ける。
「ヨウコさん、もう戻ろうよ」
ヨウコとキース、再び現実世界の丘の斜面に座っている。
「……ねえ、大丈夫なの?」
「あれからいろんなモノを失くしちゃった気がするんだ。思い出す度に辛くなる」
「私はいつもキースのそばにいるよ。たいした助けにはならないかもしれないけど……それでもそばにいるから」
キース、ヨウコの右手を見る。
「その指輪、してくれてるんだね」
「うん。気に入ってるんだ。キースの指輪もちゃんと持ってるよ。返した方がいいのかな?」
「僕の指輪? どうしてヨウコさんが持ってるの?」
「マメが手紙と一緒に持ってきてくれたわよ」
「そうか。別れ際にマメに指示したんだな。記憶がないってのは不便なもんだね。あの指輪はヨウコさんが持ってて。僕は使わないから」
「……そうだよね」
キース、うつむいたヨウコの顔を覗き込む。
「ヨウコさん? どうかしたの?」
「ううん。家に入ろうよ。寒くなってきちゃった」
ヨウコ、キースの方を見ないまま、家に向かって歩き始める。




