失われたもの
どこまでも金色の丘が続く風景の中 草の上に座っているヨウコの前に、ぼんやりした表情のキースが立っている。
「ヨウコさん? ヨウコさんなの?」
ヨウコ、キースの顔を見て笑う。
「いつまでも寝てるんだもん。起こしに来てあげたのよ」
「ここは……この景色はヨウコさんが僕に見せてるんだね? どうやって?」
「きれいでしょ? ここ、お気に入りの場所なんだ。あなたが寝てる間に、私にもいろいろあったのよ。まだ半分眠ってるみたいね。目が覚めるまで一緒にいてあげる」
キース、ヨウコの隣に座りこむ。
「僕を起こしたのはヨウコさん?」
「そうよ。そうは言っても『雪ダルマ』がほとんどやってくれたんだけどね」
「雪……ダルマ?」
「『笑ってるエノキダケを食べた口のない雪ダルマ』よ。でもね、本当は口があったんだ。裏側についてたなんて驚くでしょ?」
キース、ヨウコを見て首を傾げる。
「……言語処理ユニットに異常があるみたいだ」
ヨウコ、笑う。
「あなたはおかしくないよ。後でゆっくり説明してあげるわ。ほら、さっさと起きなさい。さっきからコーヒーを三杯も飲んじゃったわ」
キース、ヨウコを見る。
「僕の身体、まだあるの?」
「サエキさんが保管してくれてるよ」
「そうか。ローハンもサエキさんもそこにいる?」
「うん、みんな、あなたに会うのを楽しみにしてる。一度戻って様子を見てくるわ。すぐに戻ってくるから待っててね」
「ヨウコさん」
「何?」
「僕が完全に目覚めるまで一人にしておいてくれる? まだ不安定なんだ。外部の影響は受けないほうがいい」
ヨウコ、微笑む。
「わかったわ。じゃあ、あっちで待ってるからね」
*****************************************
目を閉じてソファにもたれているヨウコの隣で、ローハンと眠そうな顔をしたサエキが話している。
「サエキさん、俺はヨウコとキースの仲を認めるつもりだからね。子供の事もあるしさ」
「いまさら俺が止めるわけないだろ?」
「そりゃ、そうか。でも、あの二人の関係ってなんだか不思議だよね。なんなんだろう?」
「この時代の言葉で不倫って言うんだよ」
ヨウコ、ソファの上で目を開ける。
「ちょっとそこ、人が聞いてないと思って何の話? 真ん中の前方後円墳みたいなのはほとんど起動し終わったわよ。回りのごちゃごちゃ数珠繋ぎになってるのがまだだけど」
「いつもながら不思議な説明をするなあ」
「だって、346年先のコンピュータなんて、どうやって説明すればいいのかわかんないじゃない」
サエキが怪訝な顔をする。
「あれ、キースの本体は鏡餅じゃなかったのか?」
「あっち側からは鏡餅には見えないのよ」
「あいつ、どんな具合だ?」
「なんだかぼーっとしてるわ。急に起こされてショックだったんじゃないかしら。しばらく一人でいたほうがいいんだって」
「ガムが気づいたよ。さっき俺に連絡が来た。とっても驚いたフリをしておいたけどね」
「なんて言ってた?」
「起こしちゃったものは仕方ないなあ、だってさ」
「それだけなの?」
「これからはヨウコちゃんにキースを任せるそうだ。あいつに暴走されたほうが、ヨウコちゃんに暴走されるよりもましだと判断したんだろうな」
「ありがとう、って伝えておいて」
「ガムのお許しが出たから、あっちに戻ってキースの身体を取ってくるよ。すぐ戻る」
サエキ、立ち上がると部屋から出て行く。
*****************************************
数時間後 ソファの上に横たわっているキースの人型端末が目を開く。ヨウコが心配そうに覗き込む。
「気分はどう?」
「うん、動かしてみるよ」
サエキが声をかける。
「冷蔵庫で保存してあったからな。まだ無理するなよ」
ヨウコ、驚いた顔をする。
「ええ? 冷蔵庫?」
「だって、腐ったら困るだろ?」
ゆっくりと上体を起こすキースにローハンが話しかける。
「お帰り、キース。久しぶりだね」
「半年も寝てたのか。身体が重いよ」
サエキが厳しい顔でキースを見る。
「危うくインターフェイスの交換をされるところだったんだぞ。ヨウコちゃんに感謝しろ。馬鹿なことしやがって」
「僕は失業したんですか?」
「ガムがまた働いてもらうって言ってたよ。マメの奴、ちっとも役に立たんからな」
「そうだと思った。でも、二、三日、休みをもらいますよ」
キース、一同の顔を見渡す。
「また会えて嬉しいよ」
ヨウコがおずおずとキースに話しかける。
「あの、あなたが別れ際に私とした約束だけど……」
「……僕、ヨウコさんと何か約束したの?」
ヨウコ、眉をひそめる。
「覚えて……ないの?」
「24世紀に侵入した直後からの記憶が全くないんだよ。それじゃ、僕は終了される前にヨウコさんと話したんだね」
サエキが驚いた顔をする。
「そうなのか? 向こうで何があったのか聞こうと思ってたのに。お前、『守護天使』に会ったって言ってたんだぞ」
「『天使』? 僕がですか?」
「再起動のショックで記憶が飛んじゃったのかなあ? ほかに問題はない?」
キース、首を傾げる。
「どうでしょうね。僕は再起動することを前提に作られていないんです。ほかにも問題が出てくるかもしれませんね」
「考えてみりゃ、素人だけで無理やり起こすなんて、かなり無謀なことしたからな。なにがどうなってるかわかんないし、一度診て貰えよ」
「そうします」
ローハンがキースの顔を覗き込む。
「キース、ヨウコに好きだって言ったのは覚えてる?」
「いや、ヨウコさんを探しに行ったところまでしか記憶がないんだ。告白なんてしないつもりだったのに、気が変わったのかな?」
「でも、ヨウコのことは好きなんだろ?」
キース、首を振る。
「ヨウコさんを好きだったのは覚えてるんだけど、どうも感情が伴わなくって」
困惑した顔でサエキが尋ねる。
「……どういうこと?」
「恋愛感情というのがわからなくなりました」
「ええ?」
「細やかな感情を失くしてしまったようなんです。ほかにもいろいろと思い出せない事があって……」
「感情なんてデリケートなものだからなあ。これも再起動の影響かな?」
「きっとそうだと思います。僕にとってヨウコさんは大切な存在ですが、恋しているのとは違いますね」
ヨウコ、笑う。
「そっか。まあその方がややこしくなくていいよね。私、人妻だし、正直、困ったなあって思ってたんだ。問題が一つ片付いたってわけだ」
ローハン、驚いてヨウコを見る。
「ヨウコ?」
ヨウコ、キースに笑いかける。
「あなたにまた会えて嬉しいよ。あの時は私を守ってくれようとしたんだね。本当にありがとう」
「ヨウコさんこそ、僕を起こしてくれてありがとう」
「今度は私があなたを守ってあげるから。あの時は何もできなかったけど、今は違うよ」
ローハンが笑う。
「それよりもヨウコを怒らせないように気をつけろよ」
ローハン、自分で自分の耳をひっぱる。
「いたた……。やめろよ、ヨウコ。言ってる傍からこうなんだから」
「横から余計なこと言うんだもん」
「ねえ、ヨウコがキースとした約束ってなんだったの?」
「ううん、覚えてないならいいんだ。せっかくみんな揃ったんだから、お茶を入れてくるよ」
ヨウコ、部屋から出て行く。後からついてきたローハンが後ろから話しかける。
「あんな事言っちゃって、ヨウコはあいつが好きなんだろ? どうして好きだって言わないんだよ?」
「別れ際の記憶がないんだから、キースは私の恋心が封印されたままだと思ってるんでしょ? それなら、このまま友達でいた方がいいじゃない」
「でも、ヨウコ、すごく悲しそうな顔してる」
「……また昔と同じようにみんなで過ごせるんだから、これでいいよ」
立ち止まってうつむいたヨウコを、ローハンが後ろから抱き寄せる。




