サエキ、連れ込まれる
サエキとヨウコが居間で話をしている。
「ヨウコちゃん、最近あまりネットに入り込んでないんじゃない?」
「うん、かなり片付いたから、昼間はのんびりすることにしたのよ。きちんと時間を守らないとローハンに叱られちゃうんだ。現実世界でやることもため込んじゃったしね。私はローハンやキースと違って一度に一ヶ所にしかいられないから不便なんだ」
「そりゃ、ヨウコちゃんは人間だからね。さすがにマルチタスクはこなせないだろ」
「ネットの中が私にはどんな風に見えてるのか気にならない?」
「気になるよ」
「じゃ、連れてってあげる」
「サイバースペースにか? 俺には無理だってば」
「サエキさんの脳みそに、私が見てるものを見せてあげればいいんでしょ? サエキさん、頭の中にいろんな便利グッズが入ってるのに全然活用してないのね」
「だから俺とは相性が悪いんだってば。うわ!」
次の瞬間、ヨウコとサエキ、果てしなく続く空間に浮かんでいる。
「さあ、どこに行こうか」
サエキ、ヨウコの腕にしがみついて恐々と周囲を見回す。
「強引だなあ。落とさないでくれよ。……あの意地の悪そうな虫はなんだよ? たくさんいるなあ」
「迷惑メールよ。ほっといても大丈夫、行った先で弾かれるから」
サエキ、不安そうに虫たちを見つめる。
「噛まれたりしない?」
「ここには私たちを攻撃してくるものなんていないよ。せいぜい締め出そうとするぐらいかな」
「ぽこぽこ浮いてる風船みたいなのはなに?」
「だれかのパソコンだな。家庭用の小さいやつ」
「そこにくっついてる腹の立つ顔した虫はウイルスだろ?」
「そのタイプ、最近増えてきたのよねえ」
サエキが笑う。
「なるほど、すべてヨウコちゃんの主観なんだな」
「そうよ。プログラム自体には善悪なんてないでしょ? 私が嫌いなものは憎たらしく見えるみたいよ」
「あれもほっとくのか?」
「つぶしてもキリがないもの。でもね、粗雑なウイルスでも、作った人間の悪意が染み出てるのがいるの。見てて気分が悪くなるぐらい。そんなときには作った奴を見つけ出して、散々脅かしてやるんだ。二度とキーボードに触れたくなくなるぐらいにね。気分いいわよ」
「どうやって脅かすの?」
「最近は日本のホラー映画を参考にしてるんだ。モニターに血みどろの女の顔を映して、話しかけてやるの。口ほどにもないわよ」
「だってそれ、怖いじゃないか」
サエキ、自分の顔に触れる。
「……あれ? 俺の眼鏡はどこ行った?」
「ここじゃ役にたたないんだから、必要ないでしょ? 私とデートの時ぐらい美形に戻りなさいよ」
「こんな一方的なデートがあるかよ。現実じゃないってわかってても落ち着かないよ」
緑色の猫のような大きな動物がサエキに近寄って来る。
「うわ、この緑の生き物なに?」
「それは『ポウ』よ」
「『ポウ』? そいつの名前か?」
「クリスばあちゃんが付けてくれたの。きれいな緑色だから『ポウナム』、マオリ語でグリーンストーンって意味なの」
「どうしてばあちゃんが? まさかこいつが見えるのか?」
「いるのがわかるみたいよ。『タニファ』だって言ってたわ」
サエキ、怯えた顔で『ポウナム』を見つめる。
「不気味だな。一体なんなの?」
「わかんない。いつも私の周りをうろうろしてるの。すごく役に立つのよ。最初よりもだいぶ大きくなったけど、まだまだ子猫なんじゃないかな? 見るたびにどこか違うんだ。昨日はもっとたくさん足があったんだけどな」
「……なんなんだろう? ローハンなら知ってるかもしれないな。後で聞いてみるよ」
サエキ、少し落ち着いてきた様子で辺りを見回す。
「あそこのでかい城みたいなのは何?」
「あれは中国の企業だな。サエキさん、ちょっとそのへんを飛んでみる?」
「動くと怖いよ。俺、高いところが苦手なんだ。実体じゃないとはいえ、ヨウコちゃんに抱きついちゃうのもまずいだろ?」
「それじゃ、私の首に手を回してくれる?」
ヨウコ、巨大な鳥に姿を変える。
「うわ、そういうのありなんだ」
「ここじゃ姿形なんてただのイメージだもん。なんでもありなのよ。それにこの方が早く飛べる気がするでしょ? もっと低いところを飛んだ方がいい?」
鳥ヨウコ、サエキを乗せてゆっくりと降下する。
「下に広がってるのは海?」
「あそこまで行ったことないの。つい最近見えるようになったんだけどね」
「あれもネットワークの一部なんだろ?」
「そうじゃない気がする。時々何か泳いでるのが見えるよ。深いところから上がってくるの」
サエキ、不安そうに下を眺める。
「そんな馬鹿な」
「ローハンにはあそこに海があるのがわからないのよ。わからないし、近づけもしないの。私の目を通せば見えるんだけど」
「上はどうなの? 上にも何かある?」
「上の方にも時々何かいるような気配がするわ。大きな影が横切っていくこともあるのよ。空気が薄くてそこまでは行けないんだけどね」
「空気?」
「私にはそういうふうに感じられるんだってば。そのうちもっとはっきりとわかるようになるんじゃないかな? 『サイバースペース』に上下があるのもおかしな話でしょ? きっと深い意味があるんだと思うけど、今はまだわかんないわ」
「上に何があるにせよ、海と同じでネットワークの一部じゃないんだな」
「うん、違うと思う。あとね、どこに繋がってるのかわかんない穴ぼこもたくさんあるのよ。落っこちたら嫌だから、近づかないようにしてるけど」
「それもヨウコちゃんにしか見えないんだろ? こんなところ一人でよく平気だな」
鳥ヨウコ、空に浮かんでいる小さな島に近づくとゆっくり旋回する。
「これは何? 塚みたいだな」
「ここはね、キースが眠っているところなんだ」
「キースが?」
「綺麗な花が咲いてるでしょ」
「うん」
「毎日、話しかけてるの。キースは寂しがりやだったから、一人で眠ってちゃ寂しいと思うんだ」
「……そうか。きっとあいつ、いい夢を見てるよ」
鳥ヨウコ、もう一度島の上を旋回すると進路を変える。
「さ、次はどこ行く? マメに挨拶でもする? 遊びに行くと喜ぶのよ」
「マメか? ヨウコちゃんにはあいつがどんな風に見えるの?」
「そうだな。この間はデスクから離れられない中年サラリーマンに見えたわね。仕事に追われて大変そうなんで、時々『口のない雪ダルマ』を手伝いに行かせてるの。マメが叱られちゃかわいそうだから、ガムさんには内緒にしといてね」
「はあ? なんだよ、『雪ダルマ』って?」
「『ポウ』の仲間だと思うんだけどさ。ほら、そこにいるよ」
サエキが振り返ると、すぐ横に形の歪んだ雪ダルマが浮かんでいる。
「うわあああ!」
「この子は計算が得意なのよ。おかげでスーパーのお買い得で悩まなくなったわ」
「こいつらは一体なんなんだよ?」
「だから、知らないって言ってるでしょ」
鳥ヨウコ、はっとして後ろを振り向く。
「ヤバい、見つかっちゃった!」
サエキ、青くなってあたりを見回す。
「ええ! 何に見つかったんだ?」
「ほら、あそこ」
ぶち模様の小柄な犬が空中を走ってくるのが見える。
「逃げるよ」
「どうしてここに犬がいるんだよ?」
「つかまって」
鳥ヨウコ、急上昇する。
「うわ!」
「『ポウ』、止めてきて」
『ポウナム』が向きを変え、犬に向かって突っ込んでいく。犬が身をひねってぎりぎりかわすと、ヨウコに向かって叫ぶ。
「うわ、危ないな。何するんだよ?」
「当たったってたいしたことないでしょ?」
「たいしたことない? こいつの破壊力はものすごいんだよ。俺を殺す気?」
「そんなの知らなかったんだもん」
「ヨウコ、待ってってば」
「やだ、待たない。時間、守ってないって怒るんでしょ? 今日はサエキさんを連れてきてあげたかったのよ。見逃してよ」
「怒んないってば。そんなスピードで飛んじゃ、サエキさん、目が回らない?」
サエキ、怪訝な顔で犬を見つめる。
「……ローハンなのか? あれ」
「わかったわよ。怒らないって約束してよ」
鳥ヨウコ、スピードを落として元のヨウコの姿に戻り、犬が追いついてくるのを待つ。
「ヨウコってば、さらに逃げ足が早くなったね」
サエキが犬に話しかける。
「俺たちにはお前が犬に見えてるって知ってる?」
犬、目を丸くする。
「ええ! どうして俺が犬なの?」
「きゃんきゃんと鬱陶しいからじゃないかな」
「ひどいなあ」
ヨウコ、犬の頭をなでる。
「でも、かわいいわんこだよ。よしよし」
「やめてよ。犬は犬だろ? そろそろルークを迎えに行く時間なんだけど覚えてるかな、って思って。俺が行ってこようか?」
「ああ、そうだった。行ってくれたら助かるよ。私、夕食当番だし」
「わかった。サエキさんはここは初めてなんだからもう戻れよ」
「尻尾、ぱたぱた振ってるよ。かわいいなあ」
犬、不満そうに尻尾を下げる。
「やめろってば」
「はいはい。サエキさん、戻るよ」
ヨウコが言い終わらないうちに、サエキとヨウコ、居間のソファに座っている。 サエキ、ソファにぐったりと沈み込む。
「なんだか疲れたよ」
「でも面白かったでしょ?」
「ヨウコちゃん、あんなところ、一人でうろうろしてて怖くないの?」
「慣れちゃったみたいよ。また連れてってほしい?」
「うん、是非。ヨウコちゃんと一緒なら安心みたいだからな」
ヨウコ、立ち上がるとテーブルの上のコーヒーマグを片付ける。
「ねえ、サエキさん、私ってまだ人間なのかな?」
「俺、最近人間の定義がよくわかんなくなってきたよ。でも、ヨウコちゃんはまだまだ人間だと思うな」
「そっか、ありがとう。ご飯、作ってくるよ」
ヨウコ、笑うと部屋から出て行く。
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同日の晩 サエキの部屋でローハンとサエキが話している。
「ヨウコちゃんにくっついてるあの緑色の生き物はなんなんだよ?」
「緑色って?」
「そうか、お前には緑には見えないんだよな。ヨウコちゃんが『ポウナム』って呼んでる奴だよ」
「ああ、あれか。あれはヨウコの『使い魔』だよ」
「使い魔?」
「俺が勝手にそう呼んでるんだけどね。あいつら、ヨウコが組んだプログラムなんだ。『サイバースペース』内でヨウコの手助けをしてるんだよ」
「ヨウコちゃんが組んだって?」
「本人は全然わかってないんだけどね。『饅頭』を通してああいう器用な事ができるみたいだよ」
「あの『雪ダルマ』もそうなのか」
「『雪ダルマ』は計算が得意な奴だろ? 俺、なるべくヨウコの目を通して見ないようにしてるんだ。あいつら不気味だから、まともに見ると夢に出てきちゃうんだよ」
「キースが眠ってるところにも連れてってくれたぞ。ヨウコちゃんに見えるって事は、何かが活動してるんだろ? あいつ、完全に停止してるんじゃなかったのか? 」
「キース本人はね。でも、キースの本体をメンテナンスするプログラムが生きてるんだよ」
「そういうことか」
「ヨウコ、まだキースが恋しいんだよ。俺にあいつの代わりが出来ればいいんだけど、それは無理な相談だからね」
「お前はお前なりにヨウコちゃんを愛してやればいいんだよ」
「俺って不器用だからなあ。もう俺じゃヨウコには物足りないんじゃないのかな」
「もしかして、お前、ヨウコちゃんがどれだけお前の事を愛してるのか知らないのか? お前との絆の方が、キースへの気持ちよりも遥かに強いんだよ」
「そうなの? 」
「やっぱりわかってなかったんだな。三年近く連れ添った夫婦だぞ。当たり前じゃないか」
ローハンの納得の行かない顔を見て、サエキが笑う。
「ヨウコちゃんはな、キースに恋してるんだよ」
「恋してるって? 」
「考えてみろよ。ヨウコちゃん、あいつのことなんてほとんど知らないんだよ。好きでたまらないし信頼もしてた。でも、あの二人にはお互いを理解し合うだけの時間はなかっただろ? お前が時間をかけて大切に築いてきたヨウコちゃんとの絆とは種類が違うんだよ」
「そうなんだ……」
「本当の愛情が芽生える前に、あいつ、いなくなっちゃったんだ」
ローハン、不安そうにサエキを見る。
「これからもずっとキースに恋してるのかな? 」
「あんな別れ方しちゃ、なおさら忘れられないだろうな。お前には辛いけどな」
「ううん、ヨウコにはあいつのこと、忘れないでいて欲しい。でも、楽しかった事だけを思い出してもらいたいんだ。ヨウコが悲しむのはもう見たくないんだよ」




