ヨウコの大掃除
数日後 居間に入ってきたローハンがサエキに話しかける。
「サエキさん、ヨウコの事なんだけど……」
「どうしたの?」
「最近しょっちゅう出歩いてるんだよ」
サエキ、怪訝な顔をする。
「ええ? ヨウコちゃんならほとんど家にいるじゃないか」
「そうじゃなくて、ネットの中をうろうろしてるんだよ。少し前まで、俺がついてないとどこにも行けなかったのにさ」
「ああ、そういう意味か。ヨウコちゃん、すっかり人間を超えちゃったなあ。こないだの検査じゃ、あの『饅頭』が根っこ伸ばして育ってたぞ。あれはグロすぎて本人には見せられないよ」
「今のヨウコにはネットワークがジャングルみたいに見えてるんだ」
「『饅頭』がそう見せてるんだろ? すごいテクノロジーだよな」
「ヨウコ、ここんとこ様子が変なんだよ。この時代のネットは悪意や汚いもので溢れてるだろ? 普通にパソコン使ってれば見なくてすむモノも、ヨウコには全部見えちゃうんだ。俺たち、電源さえ入ってれば、オフラインのコンピュータにでも入り込めちゃうからね」
「ここには『天使』もガムラン達もいないからな。なんでも野放しだよ」
「ヨウコが心配なんだ。いつもあんな態度取ってるけど、本当は正義感が強いからさ、昨日の晩も泣いてたよ」
「目をつぶれないんだったら慣れるしかないだろうな。お前がいつも一緒にいてやらなきゃ駄目だぞ」
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24世紀 『会社』の一室でサエキとガムランが話している。
「ヨウコさんは新しい身体に馴染んだみたいだな」
「ああ、もう使いこなしてるよ。俺なんかよりもずっと機械との相性がいいみたいだ」
「『饅頭』が活動をはじめたようじゃないか」
「ありゃ、凄いな。サイバースペースに入り込んでるんだ」
「入り込む? ニンゲンがか?」
「ローハンが言うには『饅頭』がネット上の情報を、人間の五感にも理解できる形に翻訳してるんだそうだ。そりゃ、お前ら機械みたいにはいかないだろうが、それでも凄いよ」
「面白いな。『饅頭』を詳しく調べられないのが残念だ」
サエキ、笑う。
「救世主を解剖するわけにはいかんからな。ヨウコちゃんが殺されたのも『じいさん』のシナリオに入ってたんじゃないのか? ただの願い主ってわけじゃないのかもしれないな」
ガムラン、うんざりした様子でヒゲに触る。
「クソじじいめ、この俺を振り回しやがって。そのうち尻尾をつかんでやる」
「おいおい、『じいさん』を怒らせるような真似はしてくれるなよ」
ガムラン、サエキの顔を見てわざとらしい笑顔を浮かべる。
「そんなことするはずないだろ? 俺はお年寄りには親切なんだよ」
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数週間後 サエキ、ハルノ、ローハンの三人がテレビでニュースを見ている。
サエキがローハンを振り返る。
「この児童ポルノ関係者の摘発が続いてる件だけどさ、これ、ヨウコちゃんの仕業だろ? 人身売買グループが芋づる式に検挙されてるのもそうだな」
「ほかにもいろいろやってるよ。犯行予告とか自殺予告なんかも片っ端から通報してるしね」
ハルノが不安そうにローハンの顔を見る。
「このままやらせておいていいのかしら?」
「俺の力じゃヨウコは止められないよ。ついこの間まではジャングルをさまよってたくせに、今じゃ空を飛びまわってる。ヨウコはやることが雑だから、俺は後の掃除をして回ってるんだ。足がつくことはないと思うけどね」
「だけどさあ、これじゃ24世紀が介入してるとバレちゃうだろ? 介入はまずいよ」
「ヨウコはこの時代の人間だよ。頭の中の『饅頭』だって24世紀のものじゃないんだろ? 知らない顔してればいいよ」
ハルノが尋ねる。
「今のところ、苦情は出てないみたいだけど、上に報告するべきかしら?」
「ハルちゃんもサエキさんも知らなかったことにすればいいんだよ」
「ええ? そんないい加減なことでいいの?」
サエキが笑う。
「ハルちゃん、このポストのいいところはね、ガムランの目が届きにくいって事なんだ」
「そんな事言って、キースの件じゃガムランに叱られたんじゃないの? サエキさんが私の補佐役に回されただけで許してもらえたなんて、信じられないわ」
ローハンが懇願するようにハルノに話しかける。
「ハルちゃん、俺はヨウコを止めたくないんだよ。見て見ぬフリをしなくていいってわかって、やっと落ち着いてきたんだ。一日中やってたら身体がもたないから、ネットに入っていい時間も決めさせた。食事もできるようになって、やっと元のヨウコに戻ってきたところなんだよ」
「わかったわ。共犯者になった気がしないでもないけど、今の話は聞かなかったことにする。ローハン、ヨウコさんを頼んだわよ」
ヨウコが入ってくる。
「私がどうかしたの?」
「ああ、ヨウコちゃんが大掃除してる話を聞いてたんだ」
「大きなゴミでいっぱいなのよ。まだしばらくかかりそうね」
ヨウコ、テレビで流れている国際ニュースに目をやる。
「ああ! あいつらあの男を釈放する気だわ。やっと逮捕させたのに。少なくとも15人の子供の売買にかかわってるのよ」
「証拠不十分だったらしいな」
「これ、CNNの国際放送よね? いつ公式発表されたんだろ? 見落としてたわ」
ローハンがヨウコの顔を見る。
「ほかの国際放送局でも配信されてるよ。ずいぶんと扱いが大きいんだね」
「証拠が足りないって言うんだったら足らせてあげようじゃない。ちょっと行って来る」
ソファにもたれかかったヨウコにローハンが慌てて話しかける。
「ダメだってば。さっき戻ってきたところだろ? 今日はもう時間切れだよ」
「嫌よ。売られた子供がどうなったか知ってるの? あんな奴、野放しにしとくわけにはいかないでしょ?」
「でも、ヨウコの身体がもたないよ」
ローハン、ヨウコの肩に手をかけようとする。
「触らないで」
ローハン、向きを変えるとテーブルに置いてあったペンを手に取って自分の顔に文字を書く。不思議そうにハルノが尋ねる。
「何をやってるの?」
「俺がやってるんじゃないよ。ヨウコだよ」
サエキが呆れた顔をする。
「身体を乗っ取られたのか? 立場逆転だな。『バーカ』って書いてあるぞ。それ油性マーカーだし」
「子供が絡むと止めようがないんだよ。……あれ、おかしいな」
「どうした?」
「このニュースだよ。なんだか不自然なんだ。そうか、ヨウコを呼び寄せるための囮なんだな」
「どういうこと?」
「国防総省ご用達のハッカーがずらりと張ってるよ。なんで今まで気づかなかったんだろう」
「へえ、ネットを利用せずに組織したのか。たいしたもんだな」
「あ、『シンデレラ』さんがいる。話しかけてみよう」
「知り合い?」
「うん。コネチカットに住んでる初老のおじさんで、きつねうどんが好きなんだ。ヨウコを怒らせないうちに手を引くように言っとくよ」
「ご用達のハッカーがそんなバレバレでいいのか?」
「そりゃ、俺たちとは違うよ。あの人たち、ヨウコの事を大規模なハッカー集団だと思ってるんだ。捕まえたら賞金が出るんだよ」
「ハッカー集団か。ヨウコちゃんも立派な賞金首になっちまったわけだな」
「ヨウコなら大丈夫だとは思うけど、後をつけられないように俺が見張ってるよ」
ヨウコが目を開ける。
「ただいま」
「早かったな」
ヨウコ、顔をしかめて立ち上がる。
「あのニュース、罠だったみたいね。なんだか鬱陶しいのがたくさんいたわ。私が入り込んだのに気づきもしなかったけどね。気分が悪いからマザーボード、全部焼いてやった」
「また余計なことをするんだから」
ヨウコ、ローハンを睨む。
「あんたも焼き切るわよ。そこどいて」
ヨウコが部屋から出ていく。
「ヨウコちゃん、カリカリしてるな」
ローハン、ふくれて見せる。
「かわいくないなあ」
「そんな事、全く思ってないだろ。どうしてにやけてるんだよ? 少しは夫らしく厳しく叱ってやったらどうなんだ」
「はーい。じゃ、叱ってくるね」
ローハン、ヨウコの後を追って部屋を出る。
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ヨウコたちの寝室 ローハンがドアを開けるとベッドに座っていたヨウコが顔をあげる。
「ローハン、さっきは酷い事言ってごめんね。頭に血がのぼっちゃったの」
「ううん、いいんだよ。ねえ、ヨウコには俺がまだ必要なのかな?」
「何を馬鹿なこと言ってるのよ? 当たり前でしょ」
「ならいいんだけど。俺よりずっとパワフルになっちゃってさ。もうヨウコに追いつけなくなっちゃった」
「あなたがいなきゃ、こんな事怖くてできないよ。いつも傍にいてくれてありがとう。さっきも後ろで見守っててくれたでしょ」
ローハン、ヨウコの肩を抱く。
「ねえ、ヨウコ。昔、俺が『サイバースペース』の中で何かを待ってるって言ったの覚えてる?」
「うん。私が誘拐されたすぐ後だね。あなたはまだ待ち続けてるの?」
「ううん。さっき、やっとわかったんだ。俺があそこで待ってたのはね、ヨウコだったんだよ」
「はあ? だって、私がこんな事になるなんて、あの時には知らなかったんでしょ?」
「そうなんだけどね、でも間違いないよ。俺はずっとヨウコを待ってたんだ。ネットの中でヨウコが迷ってしまわないように、飛び方を教えてあげられるようにね」
「……私、最初から死ぬことになってたのかな?」
「『じいさん』にはすべてお見通しだったのかもね」
ヨウコ、ローハンを見上げる。
「ねえ、今日はもうどこにも行かないから、一緒にいてよ。最近あなたとゆっくり話してなかったね。子供たちもほったらかしにして悪いことしちゃった」
ローハン、笑ってヨウコを抱き寄せる。
「大丈夫だよ。二人ともおかあさんが人助けしてるってわかってるから。明日はお休みだからみんなでビーチに行こうよ」
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キッチン ヨウコとアリサが座ってコーヒーを飲んでいる。
「ヨウコ姉ちゃん、顔色ようなったな。最近また調子悪かったやろ?」
「心配かけてごめんね。急に新しいことが出来るようになったもんだから、慣れるのに時間がかかっちゃった」
「その身体、本物やないなんて全然わからんわ」
「凄いでしょ? もう自分でも違いがわかんないもん。前よりもずいぶん軽い感じがするけどね」
「赤ちゃんの様子はどうなん? 」
「元気に育ってるって。ローハンが行くたびに様子を見てきてくれるんだ。私が会いに行けないのは残念だけどね。順調なら十月までにはこっちに連れて来れそうだって」
「そうか。それやったらこっちにいるうちに会えるなあ。楽しみやわ」
アリサ、急に心配そうな顔になる。
「なあ、ウーフは帰ってこないん? もうずいぶん経つやろ? サエキさんは修理のためやって言うてたけど、直らんぐらい壊れてしもうたんやろか?」
「時間がかかってるだけよ。きっと元気で戻ってくるよ」
「それやったらええんやけどな。リュウもウーフもおらんようになってしもうて、寂しいなあ」
「ねえ、アリサ。 ワーホリが終わったら本当に帰国するつもりなの?」
「うちの親、姉ちゃんとこより厳しいからなあ。そろそろ結婚せんとおさまらへんねん」
「こっちで彼氏を作っちゃいなよ。私たちもアリサがいなくなったら寂しいよ」
アリサ、笑う。
「そうは言っても、こればっかりは簡単にはいかへんわ。姉ちゃんみたいに、ええ男が突然現れてくれたら嬉しいんやけどなあ」




