忌むべき存在
翌日 キッチンでヨウコとサエキがコーヒーを飲んでいる。
「ねえ、サエキさん。ローハンさ、ちょっと変わったよね?」
「気づいたか」
「そりゃ、これでも妻だからね。やっぱり私が撃たれたせいなのかな?」
「そうだろうな。あいつにとって一番大切な存在を守りきれなかったんだ。昔みたいに無邪気なままではいられないよな」
「辛かっただろうね」
「ああ、助かるってわかるまではヨウコちゃんから離れようとしなかったよ。休めと言っても聞かないんだ。あんな事があった後だから『命令』するのも気がひけてな。したいようにさせてやったよ」
「そうか……」
サエキ、暗い表情でヨウコを見る。
「これも言っておいたほうがいいだろうな」
「何かあったの?」
「ヨウコちゃんの意識が戻る前の話なんだけどね、あいつ、自分を破壊しかけたんだ」
「ええ? どういうこと? 私が助からないと思って後追い自殺したの?」
「違うよ。あの時、あいつ、リュウを止められなかっただろ? 自分がリュウの『命令』に逆らえなかったのがよほど悔しかったようなんだ」
「でも、それはローハンのせいじゃないでしょ?」
「通常、ロボットは権限のある人間の『命令』に従うようにプログラムされてるんだよ。人間以上の能力を持ってるわけだから、当然の対策なんだけどな。これはプログラムの基礎の基礎に組み込まれてるんだ。『ヨウコちゃんを一生愛する』プログラムがあっただろ? あれよりも更に深いところにあるんだよ」
「そうなんだ」
「ローハンはそれを無効にしようとした。もう誰の『命令』も聞かなくていいようにな」
「うまくいったの?」
「ああ、今じゃもう、俺やウサギの『命令』も聞かないよ。……ただ、かなり無茶をやったみたいで、途中で意識を失くしたんだ。幸い『会社』内での出来事だったったから、ウサギたちのチームが蘇生させた。ちょうどヒルダがいてくれて助かったよ」
「あの馬鹿女が?」
「そう言うなよ。あれでも超天才プログラマーなんだからさ。彼女がいなけりゃ、ヤバいところだったんだよ」
「おっぱいの件は感謝してないけど、ローハンを救ってくれたことには感謝しなきゃいけないみたいね」
「あいつが目覚めたときに散々チュウされてたからな。それでチャラにしとけよ」
「ええ? 妻が死にかけてると思って勝手なことしてくれたわね」
「目覚めてくれたのはよかったんだが、それ以来、あいつちょっと不安定なんだ」
「不安定? どんな風に?」
「どこがどうおかしいのか、ヒルダにもよくわかんないらしいんだけどな。ヨウコちゃんも注意して様子を見ておいてくれる?」
「わかったわ。突然壊れちゃったりしないよね?」
「それはないと思うけどな」
「ならいいんだけど……。ところで私を狙ってたのは誰だったの? ローハンは『会社』の関係者だって言ってたけど」
「ジェイコブってじいさんなんだ。上院議員もやっててな、『ヨウコ』に関して、すべてを知っている立場にいたんだ。人望の厚い男だったんだか、実は反政府組織の支援者だった。ガムラン爆破にも関与してたようだよ」
「私を殺してどうするつもりだったのかな?」
「人類をガムの支配から解放するんだって言ってたけどな。『ヨウコ』の『二つ目の願い』がなければ人類は別の道を歩んでたはずだ、って信じてる奴らもいるんだよ」
「……あの……」
ヨウコ、ためらう。
「どうした?」
「リュウは……捕まったの?」
「ああ、『穴』を抜けたところですぐに捕まったよ。前回24世紀に戻ったときに、ジェイコブの仲間に『ヨウコ』を殺すよう説得されたようなんだ。信仰心を利用されて、おかしなことを吹き込まれたんだろうな」
「でも、ローハンはリュウの『命令』を聞くように最初からプログラムされてたんでしょ? 」
「リュウというよりも『アンドリュウ。E・カウフマン』という名前を持った人間の『命令』を聞くようにプログラムされてたんだ。『アンドリュウ』って名前はリュウの本名じゃないんだよ。テロリストを抜けたときに、教団関係者を装っていたジェイコブの仲間が与えた名前だそうだ。その頃からヨウコちゃん暗殺にリュウを利用するつもりだったんだな」
「それなら最初からリュウを使えば簡単だったのに。どうしておかしな男や殺し屋なんて送りこんで来たのかしら」
「俺たちに精神的なプレッシャーをかけたかったようだな。ヨウコちゃんの自由を奪い、結果的にはキースまで追い込んじまった。奴らの狙い通りだったわけだな」
「そんなのひどいじゃない。どうしてよ? 私に恨みでもあるの?」
「奴らにとっちゃ『ヨウコ』は忌むべき邪悪な存在なんだよ」
ヨウコ、唖然とする。
「そんな……」
サエキ、笑う。
「気にすることなんてないさ。24世紀はこの時代に比べりゃまさに天国なんだ。すべてがヨウコちゃんの『二つ目の願い』のおかげなんだよ。みんな『ヨウコ』に感謝してるんだ。ヨウコちゃんは正しい事をしたんだから、胸を張って救世主を続けてくれればいい」
「うん、わかったよ。それでリュウはどうなったの?」
「すでに更生されて、まったく別の人間として暮らしてるそうだよ。今までのことはすべて忘れてな」
「そうか。あの子、今度こそ幸せになれるといいね」
「殺されたってのに怒ってないのか?」
「なぜか恨む気が起きないんだ。あの子にはあの子の理由があったんだと思う」
「そうだな。あいつからは殺意も憎しみも感じられなかったんだ。さもなきゃあんな事が起こる前に俺が気づいてたはずだからな。感じたのは……漠然とした悲しみ、ためらい、誇り、義務感、それと愛情。……あいつ、たぶん最後の最後まで迷ってたんだよ」
「愛情?」
サエキ、口ごもる。
「あー、あいつ、ヨウコちゃんを実の姉みたいに慕ってたからな」
「……うん」
ヨウコ、下を向く。
「……ヨウコちゃん、もうあいつのことは忘れちゃいな」
「そうするよ。リュウのこと、ルークやアリサには話してないんでしょ?」
「話せるはずないだろ? 俺たち以外に知ってるのはウーフだけだ。ルークにはリュウが突然24世紀に呼び戻されたって話してあるよ。ずいぶん寂しがってたけどな」
サエキ、笑顔を浮かべる。
「ところで新しい身体はどう? 『通信』以外の便利な機能もちょっとは使えるようになった?」
「ローハンに『ブラウザ』の使い方を教えてもらったわ。頭の中でネットサーフィンできるのは便利ね」
「21世紀じゃ、その『ブラウザ』は宝の持ち腐れだけどな」
「あと情報を放り込んでおくところがあるでしょ?」
「補助記憶装置か?」
「あれ、いいわよね。私、忘れっぽいから助かるわ」
「俺、あれがうまく使えないんだよな」
「ええ、あんなに簡単なのに? 『テクノロジー不適合』って意味がやっとわかったわ」
サエキ、むくれる。
「ヨウコちゃん、この間使い始めたところだろ? 初心者に馬鹿にされるなんて悔しいよなあ」




