じいさん出てきなさい
納屋の屋根の上で、ペンキの刷毛を持ったヨウコが、トタン屋根に何かを書いている。ローハンが下から声をかける。
「ヨウコ、あんまり端に寄ると落っこちるよ。妊婦さんなんだから無理しちゃダメだよ」
「大丈夫よ。もうすぐ終わるから」
「下手くそだなあ。その『N』はもうちょっと左側に寄せたほうがいいんじゃないのかな? それじゃ屋根の幅に入りきらないよ」
「ええ? 何でそこから見えるのよ?」
「衛星から見てるんだよ」
「やだなあ」
家から出てきたサエキが、不思議そうに屋根の上のヨウコを見上げる。
「ヨウコちゃん、あんなところで何をしてるの?」
「メッセージを書いてるんだよ」
「メッセージ?」
「『OLD MAN, I NEED YOU NOW! (じいさん、今すぐ出てきなさい)』だって。偉そうだろ」
「何で屋根の上に書くんだ?『じいさん』はUFOじゃないんだぞ」
「ほかに連絡方法、思いつかないんだってさ。……でも、こんな事したって来ないよね」
「ああ、おそらく『じいさん』、ヨウコちゃんに何が起こってるのか全て把握してるだろうからな。姿を現さないって事は、こんな願い事を受けるつもりはないんだよ。……ヨウコちゃん、妊婦なんだし、お前が代わりに書いてやったらどうなんだ」
ローハン、笑う。
「いいんだよ。だってヨウコ、凄く楽しそうだろ? 少しでも希望があれば、ヨウコはいくらだって頑張れるんだよ」
ヨウコが屋根の上からローハンに声をかける。
「ローハン、降りるからはしごを押さえててくれる?」
「うん、ゆっくり降りておいで」
ヨウコ、はしごを降り始める。
「ヨウコ、はしごの上り下りが苦手じゃなかったっけ?」
「昔、一度落っこちたからね。でも、今なら落ちてもあなたが受け止めてくれるでしょ?」
「そんなに俺を信頼してもいいの?」
ヨウコ、笑うとはしごの中段から飛び降りる。ローハン、はしごから手を離してヨウコを受け止める。
「ほらね」
「何やってるんだよ? ヨウコは妊婦さんだろ?」
「あ、忘れてた」
「ダメじゃないか。ちゃんと自覚もってくれなきゃ困るよ。赤ちゃんに何かあったらどうするの?」
サエキがうなずく。
「よく言ったぞ、ローハン。たまには夫らしくびしっと叱ってやれ」
「ごめんごめん、でも、あなたといれば何が起こっても大丈夫って気分になっちゃうのよね」
ヨウコ、笑ってローハンを抱きしめる。
「ローハン、大好き」
ローハン、赤くなって口ごもる。
「……あ、ありがとう」
サエキが呆れた顔をする。
「どうしてそこでお礼が出てきちゃうんだろうなあ? ヨウコちゃんのペースに乗せられっぱなしじゃないか」
「ほんと単純よねえ。機械のくせにちっとも学ばないのよね」
「結婚して二年も経つのに、未だに『好き』って言われただけで照れるんだなあ」
「普段、なるべく言わないようにするのがコツなのよ。ありがたみが増すでしょ?」
ローハン、ムッとした顔でヨウコを睨む。
「なんだよ、夫に向かってその態度はないだろ」
「お、また夫の自覚がよみがえったぞ」
「ごめんね、ローハン。ちょっと言い過ぎたね」
「あ、謝ってくれるんならいいけどさ」
「今の男らしかったよ。びっくりしちゃった」
ローハン、嬉しそうな顔になる。
「ほんと?」
ヨウコがにやりとする。
「ほらね、どこまで単純なんだろ」
ローハン、助けを求めるようにサエキを見る。
「サエキさん、何とかしてよ」
「諦めろ。お前じゃヨウコちゃんには勝てないよ」
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居間でリュウが雑誌を眺めているところにサエキが入ってくる。
「まだ落ち込んでるのか? せっかくの休みだろ? アリサちゃんを誘って遊びに行ったらどうなんだ?」
「滅相もありません。あの方は恐れ多くもヨウコさんの従姉妹ですよ。私などがお誘いするわけには行きません」
サエキ、笑う。
「まあ、いくら似てるところがあるって言っても、やっぱりヨウコちゃんにはかなわないか」
「……何を……おっしゃっているのですか?」
「だって、お前、ヨウコちゃんが好きなんだろ?」
リュウ、驚いた顔でサエキを見る。
「そ、そんな罰当たりなことをおっしゃられては困ります。そのような事は断じてありません」
「そうか。お前がそう言うのならそれで構わないんだけどさ。俺、エンパスだから、わかっちゃったりするんだよなあ」
リュウ、慌てて立ち上がるとサエキに頭を下げる。
「……お、お慕いはしておりますが、決して邪な感情は持ったことはありません。本当です。なにとぞヨウコさんにはご内密に……」
「言いやしないよ。でも、邪ってどういう意味?」
真っ赤になったリュウを見て、サエキが笑う。
「すまん。お前を見てるとついついからかいたくなってな。お前がヨウコちゃんに忠実なのはわかってるよ。最近元気がないもんだから、みんな心配してるぞ。向こうに呼び出された日から、ずっと悩んでるだろ? 何かあったのか?」
「いえ、たいしたことではありません」
「言いたくないのならいいけどな。あまり一人で思い詰めるなよ」
部屋から出て行こうとするサエキに、リュウが声をかける。
「……あの、サエキさん」
「なんだ?」
「ヨウコさんのお腹にいるのはキースの子ではないのですか?」
「気づいてたのか?」
「ええ、ヨウコさんがトニーを訪ねた晩、お二人が愛し合うのを聞いてしまったんです」
「……そうか。ヨウコちゃんには言うなよ」
「わかっています。キースを失って、ヨウコさんはさぞお辛いでしょうね」
「ああ、悲しみが癒えるにはまだまだ時間がかかるだろうな」
「そうですか」
リュウ、寂しそうに笑う。サエキ、リュウの顔を不思議そうに見る。
「……今、何か吹っ切れた?」
「ええ、ありがとうございます。あやうく自分の使命を見失ってしまうところでした。私はヨウコさんの幸せのためにここにいるのでしたね」
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24世紀 サエキがガムランと並んで一面に広がる瓦礫の中に立っている。ガムランがだるそうにサエキに話しかける。
「なんでこんなものが見たいんだよ? 俺の爆死体に興味があるなんて悪趣味な奴だな」
「好奇心だよ。長年お前の本体だと信じこんでたモノが吹っ飛ばされたんだからな。嫌ならわざわざついてくることないだろ?」
ガムラン、ぼんやりと自分のひげに触れる。
「暇なんだ。付き合うよ」
サエキ、瓦礫の中を注意深く歩く。
「見事に粉々になったな」
「この臭い、気分が悪くならないか? 俺は苦手だよ。ほら、そこに27年前に増設したユニットが並んでたんだ。なぜか中にオレンジのゼリーみたいなのが入っててな、そこら中に飛び散ってべとべとしてる。かぶれるから触らないほうがいいぞ」
「これ、ほんとに替え玉だったのか? どうやってメンテの技術者を誤魔化した? お前の本体はどこにあるんだ?」
ガムラン、憂鬱な顔でサエキを睨む。
「俺はなあ、親友だと信じてた男に殺されかけた衝撃から立ち直ってるところなんだよ。今日ぐらいプライベートな質問は控えようとは思わんのか?」
サエキが顔を上げる。
「あれ? あそこに何かあるぞ」
サエキ、十メートルほど歩くと、瓦礫の間から手のひら大の金属板を拾い上げる。
「よくそんな遠くから見つけたな」
「この眼鏡、周囲と違う材質のモノがあると教えてくれるんだよ。何か書いてあるぞ」
サエキの顔色が変わる。
「おい、ガム。これは……」
ガムラン、呆れた顔でサエキを見つめる。
「やっぱりついてきて良かったよ。よりによってどうしてそんなの、見つけちゃうんだろうな」
「どういうことだよ? どうしてこんなモノがここにあるんだ。お前、まさか……」
ガムラン、ポケットから銃のようなものを取り出してサエキに向ける。
「その謎は後でゆっくり解いてくれ。思い出せたらの話だけどな」
「俺を……撃つのか? お前が?」
ガムラン、笑う。
「眠ってもらうだけだよ。サエキさんには、まだやってもらうことがたくさんあるからな」
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キッチン ローハンが料理しているところにサエキが入ってくる。
「おかえり。大丈夫なの? 倒れたって聞いたけど」
「ああ、検査してもらったけど、どこも異常はないってさ。爆破現場を見て気分が悪くなったみたいだな」
「わりと繊細なんだね」
「どういう意味だ? エンパスってのは繊細なんだよ」
「ふうん。あっちじゃヨウコのことはどうなってる? 何か進展はあったの?」
「いや、ヨウコちゃんの情報は相変わらず漏れ続けてるみたいだよ」
「ガムランは何をしてるのさ?」
「未だにどういう経路でもれたのかわからんそうだ。ネット上の情報は見つけしだい消してるんだがそれが精一杯なんだと。それよりもだな……」
「もしかして、また嫌なニュースだね?」
「わかるのか? じゃあ言うぞ。先ほど『会社』から『ヨウコ』の墓が見つかったと連絡があった」
「墓? 誰が見つけたの?」
「リークされた情報を手がかりに『ヨウコ』信者が見つけ出したそうだ。日本やイギリスにあった『ヨウコ』の墓は全部偽モノだったってわけだな」
「ヨウコの墓が残ってるの?」
「ここからそれほど遠くない丘の上にあったんだよ。発掘したら棺が出てきた。位置からしても信憑性が高いので『会社』ですぐに鑑定したんだ。中の遺体は本物だった」
「……仕方ないね。ヨウコもいつかは死んじゃうんだし」
「問題はそこじゃない。墓石にヨウコちゃんの死んだ日付が刻んであったんだ」
ローハン、サエキから目をそらす。
「そんなの聞きたくない」
「気持ちはわかるがそうも言ってられないんだよ。日付はな、来週の火曜日なんだ」




