ローハンの気持ち
サエキの部屋 ヨウコが開いているドアから中を覗く。
「サエキさん、いる?」
本を読んでいたサエキが顔を上げる。
「どうした、ヨウコちゃん?」
「『じいさん』に会いたいの。どうやったら会えるか知ってる?」
「どうして『じいさん』に? ……ああ、わかった。キースの事だな。まだ『三つ目の願い』が残ってるもんな」
「うん。『じいさん』に頼めばキースを返してもらえるかもしれないでしょ?」
「俺にはわかんないや。『じいさん』、自分の都合でしか現れないからなあ」
「やっぱりそうよね。もしも『会社』に現れたら、ヨウコに会いに来いって伝えてもらえるかな?」
「ああ、ガムに言っとくよ」
「ありがとう。……ねえ、ハルちゃん、まだこっちに来ないの?」
「うん。引継ぎが大変そうだったから、急がなくてもいいって言ったんだ。身辺整理にも時間が欲しいみたいでさ。……ハルちゃん、本当は21世紀になんて来たくないんじゃないのかなあ?」
「でも、ハルちゃん、早くサエキさんと一緒に住みたいって話してたわよ」
「俺にはそんなこと一言も言わないよ」
「照れくさいんじゃないの? 心配ないわよ。じゃ、『じいさん』の件、よろしくね」
サエキ、出て行くヨウコを憂鬱そうに見送る。
「ガムがそんな伝言、伝えてくれるとは思えないんだよなあ」
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居間 ローハンが猫じゃらしで仔猫と遊んでいるところにサエキが入ってくる。
「その猫、名前は付いたの?」
「うん。ソフィアって言うんだ。ヨウコの好きな女優さんの名前だよ」
「ソフィア・ケイラーか? こんなに不細工なのに?」
「志は高く持たなきゃってさ」
「ヨウコちゃんはどんな具合?」
「未だに泣いてないフリして泣いてるよ。ほんと、強がりなんだから」
「一緒にいてやらなくていいのか?」
「うん。時々は一人になりたいみたいなんだ」
サエキ、ソファに腰を下ろす。
「キースの奴、自分がどうなるか知ってたんだよ。立つ鳥跡を濁さずって言うだろ。仕事は全てキリのいいところで終わらせてあった。しばらく休暇を取るって関係者には連絡してあったみたいだよ」
「芸能ニュースじゃ謎の失踪の話題でもちきりだね」
「恋人と二人きりで過ごせる時間が欲しかったんだろうって話になってるな。……胸が痛むなあ」
「ヨウコがもうちょっと落ち着いたら、あいつの映画に連れてってやろうと思うんだ」
「そんなの見せちゃって大丈夫なのか?」
「うん。ヨウコはきっと見たがると思う。あいつがヨウコのために出演した映画だからね」
「そうか。……なあ、ローハン。お前に聞いておきたいことがあるんだ」
「なに?」
「お前はこの時代と24世紀を繋げる方法を知ってるんだろ? キースに力を貸してやったんじゃないのか?」
「うん。思いついたのはキースだけどね。あいつ、ずいぶん前から24世紀に入り込む方法を探してたんじゃないのかな。俺は検証を手伝っただけだよ」
「やっぱりそうか。お前が関与してた事は誰にも言うな。呼び出しをくらっちゃ厄介だからな」
「キースにも同じことを言われたよ。でも、あいつの本体に記録が残ってるんだろ? 俺に聞く必要なんてないじゃないか」
「それがそう簡単にはいかないみたいなんだ。キースから情報を読み取るには大型コンピュータと直結させる必要があるんだが、時を越えてネットワーク同士は繋げないだろ? 繋ぐにはまずキースからの情報が必要だってわけだ。面白いジレンマだよな」
「こっちにだってマメがいるだろ? キースから情報を読み取るぐらいならできるんじゃないの?」
「マメの奴、キースの仕事をいきなり全部押し付けられて、それだけで精一杯だよ。ガムは24世紀にしか興味がないからな。21世紀と繋ぐ方法なんて急いで知りたいとは思わないんだとさ。そのうちマメに余裕ができるのを待つつもりじゃないかな。このことはまだ公式には発表してないんだよ。物理学者共にバレるとせっつかれるからな」
「それほど難しいことじゃないんだよ。今まで定説になってた『穴』や時間に関する理論は、ほとんど無視しなきゃならないけどね」
「難しくないのにどうして今まで誰も気づかなかったんだ?」
「百年以上、不可能だと断言されてきたわけだからね、誰も方法を見つけようだなんて思いもしなかったんだよ」
「でも、あっちとこっちの時間の流れはかみ合ってないんだろ? どうやってお互いを繋ぎとめておけるんだよ」
「そこがよくわかんないんだ。結局その矛盾は解けないままなんだよ」
「いつだって数分の『ずれ』があるんだよな。俺たちが三回目にヨウコちゃんに会いに来たときが一番ひどかったな。あの時は13分の遅刻だった」
ローハン、眉を寄せる。
「あれは忘れようったって忘れられないな。ヨウコ、不安そうな顔しちゃってさ。とにかくキースの理論ではその『ずれ』は存在しないんだ。あいつが24世紀に侵入して、そのまま十分近く接続を保っていられたってことは、つまりあいつが正しかったことになるよね」
「でも、『ずれ』があるのも事実だろ? 『穴』を抜けるたびに現地時間を確認しなきゃならんもんな。早く着き過ぎたり遅刻ぎりぎりだったり不便この上ない」
「うん。俺も散々考えたんだけど、さっぱりわかんないんだ」
「お前にわかんないことが俺にわかるはずないからな、あとは科学者に任せておくさ。ところでさ、お前、しばらくヨウコちゃんとしてないだろ?」
「ええ、何でわかるの?」
「エンパスだからな。近くにいるとなんとなくわかっちゃうんだ」
ローハン、愕然としてサエキを見る。
「そんなの知らなかったよ。まるで覗きじゃないか」
「仕方ないだろ? 俺は慣れっこだから気にするな。とにかくな、愛情あるセックスには癒しの効果があるんだぞ。お前がしっかり愛してやらなきゃいかんだろ?」
「ヨウコが乗り気じゃないんだ。やっぱりあんな事があった後だからさ、キースに申し訳ないって思うんじゃないのかな」
「それは違うよ」
「違う?」
「ヨウコちゃんはな、心底お前のことが好きなんだ。それなのにどうして自分がキースにも惹かれちゃったのか全く理解できないんだよ」
「理解できない? あの状況で惹かれないほうが不自然だろ?」
「この時代、ほとんどの人にとって一対一以外の関係は許されないことなんだよ。ほかの男に惹かれた自分は、お前に愛される資格を失ってしまったと感じてるんだ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「そんな……キースがいなくなってあんなに辛い思いをしてるのに、俺にまで遠慮してるなんてかわいそうじゃないか」
「じゃ、お前がなんとかしてやれよ」
「わかった。ヨウコに会ってくる」
ローハン、立ち上がって急いで部屋から出て行く。
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キッチン ヨウコが料理の下ごしらえをしているところにローハンが入ってくる。ヨウコ、振り返ってローハンの顔を見る。
「どうしたのよ? そんな深刻な顔して」
「今からヨウコを抱く」
「ええ? でも、これまだ途中だし……」
「たまには素直に夫のいう事を聞けよ」
ヨウコ、いつもと違う口調に驚いてローハンを見上げる。ローハン、急に気まずそうな顔になる。
「……イモの皮なら俺が後で全部剥くからさ」
ヨウコ、笑い出す。
「強引なローハンにちょっぴりときめいたのにな。ほんと気が弱いんだから」
ローハン、苦笑いする。
「俺には亭主関白は無理みたいだよ。俺、今すぐヨウコを抱きたいんだ。いいだろ?」
ヨウコ、ローハンから目をそらす。
「ごめんね、ローハン。そういう気分になれないんだ」
ローハン、黙ってヨウコを見つめる。
「私、あなた以外の人を好きになっちゃったんだよ。私が何をしたってあなたが許してくれるのはわかってる。でも、私の気が済まないの。いくら24世紀だって、心の浮気は浮気なんだって言ってたよね?」
ローハン、微笑む。
「……でもね、もう一方のパートナーがその関係を認めていれば、浮気にはならないんだよ」
ヨウコ、驚いた顔でローハンを見上げる。
「俺はキースはヨウコの恋人だって思ってる。だからヨウコは誰にも気兼ねせずにあいつの事を想ってくれていいんだよ。あいつは本気でヨウコを愛してたんだから、ヨウコもあいつの事を忘れないでやってよ」
「ローハン……」
「なに?」
「ありがとう」
「……ごめんね。俺、ヨウコがそんなことを気にしてるとは思わなかったんだ。あいつのことを考えるたびに、俺に悪いことしてるって感じてたんだね。あいつのことで俺に甘えちゃいけないって思ってたんだ」
ローハン、ヨウコを抱き寄せる。
「……そうか、だからいつも俺のいないところで泣いてたんだ。どうして気づかなかったんだろう。ほんとにごめん」
「もう謝らないで」
「ヨウコ?」
「ローハン、私……」
ヨウコ、ローハンにしがみつくと声をあげて泣き出す。
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同日の晩 居間でサエキとローハンが話している。
「ヨウコちゃん、急に気が楽になったみたいだな。何をしたんだ? お前の事だから言われた通りにセックスしに行ったのかと思ったんだが、その気配はなかったもんな」
「その能力、なんとかしてくれないと落ち着かないよ。ヨウコにはさ、俺がヨウコとキースの関係を認めてるって話しただけだよ。俺に甘えていいってわかったら気が緩んだみたいで、ずいぶん泣かれちゃったよ」
「そうか、よくやったな」
「その後、一緒にイモの皮を剥いたんだ」
「イモ?」
「今夜の肉じゃが、うまかっただろ? 皿洗いもするって約束したんだ。行ってくるよ」
ローハン、笑うと部屋から出て行く。




