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電気羊飼いと天使の卵  作者: モギイ
第三幕
116/256

あなたをあなたとして

 キース、無表情でヨウコの顔を見返す。


「今……なんて言った?」

「聞こえたんでしょ?  聞き間違いなんてしないくせに」

「その……人って……」

「サエキさん」

「ええ?」


 ヨウコ、苦笑いする。


「どうして信じるかなあ? 違うわよ。もっと格好いい人。私の交友関係を知ってるんだったらわかるでしょ?」


 キース、黙ったままヨウコを見つめる。


「誰だか聞かないの?」

「……違ってたら……嫌だから」

「俳優のフリしてる嘘つき機械の事だと思うんだったら、当たってるわよ」

「……ヨウコさんは……『キース・グレイ』のファンなんだよね?」

「あんな俳優、どうだっていいよ。私はあなたが好きなの」

「……驚いたな」

「驚いたんだったら、もっと驚いた顔すれば?」

「システムが全部止まっちゃうかってぐらい驚いたんだけどな。あやうく飛行機を落っことすところだった」

「はあ? 何やってるのよ?」

「ロシアの民間機を不時着させるのを手伝ってるんだよ。悪天候で視界が悪いんだ。人間だけじゃ降ろせそうもない。……誰にも言わないでよ。こういうのに干渉するとガムランの馬鹿が怒るんだ」


 ヨウコ、笑う。


「一度にいくつの事、やってるの?」

「知らないほうがいいよ。でも、いつだってヨウコさんが最優先」

「男っていつもそう言うわよね。仕事よりも君が大事って」


 キース、ヨウコの顔を覗き込む。


「……今言ったこと、本当なんだね?」

「トニー以外には話すつもりなんてなかったのよ。このまま忘れちゃうつもりだったんだ。でも、あなたの気持ちを聞いたら、伝えずにはいられなくなっちゃった」


 ヨウコ、申し訳なさそうにキースを見上げる。


「でもね、私には何もしてあげられないの。ごめんね」

「ヨウコさんがローハンを裏切らないのはわかってるよ。僕のことが好きだっていつ気づいたの?」

「意識し始めたのは、前回キースが遊びに来た時かな? 好きなんだって確信したのは、カフェからの帰り道。わけがわかんなくなって、トニーに会いに来たのよ」

「僕に対する態度がぎこちなかったのはそのせい?」

「うん。まさか自分が恋してるとは思わなかったから、悩んだわよ」


 キース、微笑む。


「ヨウコさんと両想いになっちゃった」

「そんなに素直に喜ばないでよ。あなたの彼女になるわけにはいかないのよ」

「最初からそんなの期待してないさ。好きな人に好きだって言ってもらえるだけで十分だよ」


 ヨウコ、悲しそうにキースを見る。


「そんな顔しないで。ヨウコさんのせいじゃない」


 ヨウコ、キースに寄り添うと、キースの体にそっと両腕を回す。


「何してるの?」

「好きだって言っちゃったんだもん。ハグぐらいしてもいいでしょ? ローハンには正直に謝るわ」

「ありがとう」

「やだなあ。お礼なんて言わないでよ」


 ヨウコ、キースを見上げる。


「どうしたの?」

「さっきね、好きだって言われて嬉しかったんだ。あなたに好きな人がいるって聞いた時には、泣きそうな気分だった」


 ヨウコ、キースをぎゅっと抱きしめる。


「私、思ってたよりもずっとあなたのこと、好きみたい」


 キースがヨウコの顔に自分の顔を近づける。


「そ、それは、ダメ」


 キース、構わずキスをする。


「……ダメって言ったのに」

「キスならいつもしてるだろ?」

「あれは役作りのチュウだと思ってたんだもん。今やったら不倫のチュウになっちゃうよ」

「それなら、どうしてじっとしてるわけ?」

「だって……キースとチュウしたいから」

「どっちなんだよ?」

「酔っ払いを責めないでよ。自分でも何やってるのかわかんないのよ」


 キース、もう一度ヨウコを引き寄せてキスしようとする。


「ちょっと、キース……」

「『チュウ友』の権利を行使させてもらうよ」

「ダメだってば」

「ただの役作りのチュウでも?」

「そんなはずないでしょ?」

「それじゃ、ヨウコさんは僕が嘘つきだって言うの?」


 キース、ヨウコの頭を両手で挟んで持ち上げると、ゆっくりとキスする。


「……役作りに……使えそう?」

「これからのキスシーンは完璧だな」

「やっぱり嘘つきだね」

「両想いの相手とキスするのなんて初めてなんだよ。許してよ」


 ヨウコ、キースから身を離す。


「もうここまでにして。ローハンに謝ることが増えちゃう」

「謝るって言ったって、ヨウコさん、明日には全部忘れちゃってるんだよ」

「そうだった。……本当に何も思い出せなくなっちゃうの?」

「うん。僕に会ったことは綺麗に忘れちゃう。トニーのところで眠りこんで目覚めたら朝だった、ってことになるよ」


 キース、笑う。


「きっと後から『見送りできなくてごめんね』って電話してくれるんだろうな」

「あなたに好きだって言ってもらったのも思い出せないんだね」

「僕は何一つ忘れない。これからもずっとヨウコさんを見守ってるよ」

「……うん」

「僕への気持ちもなんとかしてあげなくちゃね。いつまでも恋してちゃ辛いだけだろ?」

「そんな気持ちまで……消しちゃえるの?」

「消すのは無理だけど、蓋をすることは出来るんだ。僕に惹かれたのは一時の気の迷いだったと思えるようになるよ」

「……どうしようもないのね」

「うん、どうしようもないんだよ」


 ヨウコの目が潤む。


「泣かないでよ」

「飲むと涙もろくなるの。仕方ないでしょ」


 キース、ヨウコを抱き寄せる。


「ずっと好きだった。好きだって言いたくても僕の立場じゃ許されなかったからね」

「レスリーに会いに行くって言い出したときには、胸が苦しくて死んじゃうかと思ったわ」

「あの時は惨めな気分だったからね。ファンに意地悪したくなっちゃったんだ。でも、そこまで妬いてくれてたとは思わなかったな」

「あなたには誰も触ってほしくない」

「誰にも触らせやしないよ。撮影中だけは許してもらわなきゃならないけど」


 ヨウコ、キースを見上げる。


「そうか……明日からあなたは一人ぼっちになっちゃうんだ」

「ヨウコさん?」

「私は何もかも忘れちゃうのに、それでも私の事を好きでいるんでしょ? ほかの誰も愛せずに、これから何十年も私ばかり見てるつもりなのね」


 ヨウコの目に涙が浮かぶ。


「嫌だよ。あなただけが辛い思いをし続けるなんて、そんなの耐えられないよ」


 キース、ヨウコを抱き寄せる。


「泣かなくてもいいんだよ。僕は大丈夫だから」

「だって……」


 ヨウコ、涙にうるんだ目でキースを見上げる。


「ねえ、キース、私を抱きたい?」

「……ヨウコさん? 何を言ってるの?」

「だって、このままあなたを一人にはできないよ。明日になったら私はすべて忘れちゃう。あなたを好きだって気持ちまで失くしちゃうの。でも、あなたには覚えててほしい。私があなたのことを好きだったって、あなたは愛されてるんだって知っていてほしいんだ」


 ヨウコ、赤くなって下を向く。


「……でも、セックスなんて、人間じゃないあなたには意味のないことだよね。ごめん……ほかには何も思いつかないの」

「ヨウコさんと愛し合うのが、意味ない行為のはずがないだろ?」


 キース、ヨウコを強く抱きしめる。


「あなたは……感じるの? その、人間の男の人みたいに」

「どう感じればいいのかは知ってるよ」

「でも、そんなの、ローハンにデータを貰ったわけじゃないんでしょ?」

「ローハンが記憶障害を起こした時、僕が彼の頭の中に潜ったのを覚えてる?」

「うん」

「あの時、ローハンの二日半の記憶、無断で持って来ちゃったんだ。ヨウコさんのことをもっと知りたい誘惑に勝てなかった」

「……ってことは」

「記憶を失くして二日目の晩に起こったこと、自分のことみたいに思い出せるんだよ」


 ヨウコ、顔を上げるとキースを睨みつける。


「……あんたって人は、どこまでストーカーなのよ?」

「ごめん。……怒った?」

「ハリウッドスターが私のためにそこまでやるなんてありえないよ」

「俳優は趣味だよ。僕はただのコンピュータ」

「そっちの方がもっとありえないでしょ?」

「あの時、ヨウコさんに愛されてるのが自分だったらって、何度も思ったよ」


 ヨウコ、真っ赤になる。


「やめてよ。私、いつもはあんなに一方的じゃないのよ。あの時はローハンの記憶がなかったから……」


 キース、笑う。


「わかってるよ。ヨウコさん、彼の記憶を取り戻そうと必死だったもんね。僕にはあいつが羨ましかったよ」

「壊れかけのロボットなんて羨むことないでしょ?」

「でも羨ましかったんだよ」


 ヨウコ、手を伸ばしてキースの顔にそっと触れる。


「……ヨウコさん? 覗き見したこと、怒ってないの?」

「そりゃ、驚いたけど、あなたにそこまでされるほど思われてたなんて、悪い気はしないかな」


 ヨウコ、キースを見上げる。


「私ね、今夜はあなたに抱かれるよ。あなたをあなたとして愛してあげる。もう二度とローハンの記憶になんて頼らなくてもいいように」


 キース、ヨウコから目をそらす。


「それができれば素敵なんだけどね、残念ながらそうはいかないんだ」

「どうして?」

「気持ちはすごく嬉しいんだよ。でもね、酔って理性をなくしてるヨウコさんなんて、抱くわけにはいかないだろ?」

「理性をなくしてなんかないわよ」

「普段のヨウコさんなら誘ってなんか来るもんか。いくら僕に同情したからって、ローハンを裏切ったりはしないよ」


 ヨウコ、ぼんやりと自分の手を見つめる。


「……そうだね。やっぱり酔ってるのかな」

「せっかく下着姿で誘ってくれてるのに惜しいな」

「は、はあ?」


 ヨウコ、毛布を持ち上げて、自分が下着の上にキャミソールを着ているだけなのに気づく。


「うわあ、気づかなかった。トニーが脱がせたのね」

「ジーンズなんて履いてちゃ寝にくいと思ったんだろ。これに気づかないなんて、やっぱり飲みすぎだね」

「ちょっと見ないでよ」

「僕にとっては裸のヨウコさんも服着てるヨウコさんもたいして違いはないんだから気にしないで」

「失礼なこと言うわね。私の裸、そこまでひどくないわよ。そりゃ、女優やスーパーモデルと比べればお粗末だけどさ」

「そんな意味で言ったんじゃないよ。馬鹿だな」


 キース、笑いながらヨウコを抱き寄せる。


「飛行機の時間まで一緒にいてくれる?」

「うん。……ねえ、やっぱりあなたの事、忘れたくないよ」


 キース、ヨウコに優しくキスする。


「ヨウコさんには大切な人がいるんだろ?」

「……うん」

「それにね、ヨウコさんが少しでも覚えていれば、サエキさんは勘付くよ。そうなったら最後、僕は引き離されちゃうんだよ」

「そっか、エンパスだもんね。困るなあ」

「サエキさんも辛いんだよ。僕のことを黙ってるなんて、ガムランへの背信行為だと取られてもしかたがないことなんだ。自分の首がかかってるのに、それでも僕を庇ってくれてる」

「……ちょっと待ってよ。ってことはサエキさん、あなたが私の事を好きだって知ってるの?」

「最初からね」

「もしかしてローハンも?」

「うん、僕たちの周りの人はみんな気づいてるよ」

「知らなかったのは私だけ?」

「だって、ヨウコさん、鈍いんだもん」


 キース、ヨウコの愕然とした顔を見てにっこり笑う。


「そうだ、ヨウコさん。クリスマスプレゼントには何が欲しいの? 気づかれずに聞き出したかったんだけど難しくってさ。今ならリクエストを聞いても忘れちゃうんだから、ちょうどいいだろ?」


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