『穴』と『パスワード』
居間 リュウが座って本を読んでいるところにヨウコがやってくる。
「リュウ、コーヒーを持ってきたよ。休憩中なんでしょ?」
リュウ、ヨウコにうやうやしく頭を下げる。
「私のためにコーヒーをいれてくださったんですね。いつもありがとうございます」
「ヨウコさん、コーヒーどうも、って軽く言えないの?」
「練習しておきます」
コーヒーを飲むリュウの隣にヨウコが腰かける。
「ねえ、リュウ。この間のおかしな人が言ってたことなんだけどさ……」
「どうかされましたか?」
「私ってここ数年のうちに死ぬことになってるのよね?」
「『聖典』にはそう述べられていますね」
「リュウは信じてるの?」
「私……ですか?」
「もし、リュウが私が死ぬと信じているのなら、そんな人にボディガードをしてもらうなんておかしな話よね」
リュウ、驚いてヨウコを見返す。
「わ、私が不適任だとおっしゃるのですか?」
「そんな顔しないでよ。だって、矛盾してるでしょ?」
「こちらに来てから、『聖典』と真実には多くの食い違いがある事に気づきました。私にはヨウコさんが亡くなるとは信じられません」
リュウ、ヨウコの顔を見つめる。
「ですから、私をここにおいてください。この命と引き換えにしてもヨウコさんをお守りいたします」
「うん。ありがとう。死んでもらっちゃ困るけど、リュウさえ納得いくんだったらいてくれて構わないよ」
リュウ、嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます。それでは見回りに行って参ります」
リュウ、カップを置くと立ち上がって出ていく。入れ違いにサエキが入ってくる。
「リュウの奴、嬉しそうな顔してたぞ。どうしたんだ?」
「なんでもないわよ」
「『カミサマの使い』にチュウでもされたのかと思った」
ヨウコ、苦笑いする。
「やめてよ。いくらかわいくてもそれはないわよ」
「お腹に触って喜んでたくせに」
「だってあのお腹、絶品なんだもん。それにしてもあの子が来てからもう半年以上経つのよね。最初はどうなることかと思ったけど、楽しそうにやってるわね」
「あまりおかしなことは言わなくなったよな。非常識なのは相変わらずだけどさ」
ヨウコ、期待した顔でサエキを見る。
「ねえ、サエキさんに質問があるんだけど」
「なに?」
「『穴』ってなんなの?」
「文字通り、ヨウコちゃんと俺たちの時代を繋いでる穴だよ」
「それはわかるけどさ、どういう仕組みなのよ? 差し支えないんだったら教えて」
「そりゃ無理だ」
「これもまた機密なの? それとも江戸時代の人間に説明してもどうせわかんない?」
「違うよ。仕組みがわかんないから、説明のしようがないんだよ」
「仕組みもわからないモノを通って時間を移動してくるなんて、たいした度胸ね。突然帰れなくなったらどうするのよ?」
「今のところ、事故はないから大丈夫だろ。『穴』の存在は前々から知られていたんだけどね、使い方がわかったのは23世紀に入ってからなんだ」
「23世紀? つまり、19世紀や20世紀にも未来の人が来てたってこと?」
「そうだよ。最初のうちは今みたいにしっかりした規則がなかったから、いろいろあったようだけどな」
「歴史に干渉しちゃったのかしら?」
「まあそんなとこだな。行方をくらました人間も結構いるようだし、遺伝子汚染も起こしちゃってるだろうな」
「ふうん。で、どうやって『穴』を使うの?」
「『穴』の上に立って『呪文』を唱えるんだ」
「はあ? 呪文? 魔法で時間を越えるって言うの? おとぎ話じゃあるまいに」
サエキ、笑う。
「パスワードの事だよ。『穴』はパスワードに反応して開くんだ」
「どういうことよ?」
「つまりね、『穴』は自然に出来たモノじゃないんだ。俺たちの知らない誰かが、何らかの目的で設置したポータルなんだよ」
「人為的に作られたものだって言いたいの?」
「そうなんだ。分布を見ても意図的に配置されてるのは明らかなんだけどな。いつ誰が、となるとよくわからん」
「宇宙人かしら?」
「いや、パスワードは人間が決めたとしか思えない言葉なんだ。更に未来の人間が作った時間旅行用のポータルだろう、というのが定説なんだけどな。どうして346年と2ヶ月しか移動できないのかも謎だな」
「じゃあ、よその人のモノを勝手に使ってるわけなのね」
「そういうことだな。面白いのはね、『穴』を開くことが出来るのは、開きたいという意思を持っている者だけなんだ。人間でもいいしAIだって構わない。犬だって訓練すれば『穴』を開くことが出来る」
「じゃあ、モノはもって来れないの?」
「意識のない物体でも『穴』さえ開けば一緒に移動させることが出来るよ。じゃなきゃ、服なんて着て来れないだろ?」
「で、そのパスワードは?」
サエキ、笑う。
「教えるわけないじゃないか」
「つまんないの」
「それに、すべての『穴』は四六時中監視されてるからな。気づかれずに使うのは不可能だよ。『じいさん』以外にはな」
「やっぱりキースが見張ってるの?」
「あいつは忙しいから『穴』の監視はマメがやってる。異常があればキースが引き継ぐんだ」
「マメって?」
「もう50年ぐらい前からこの時代に置いてあるコンピュータだよ。キースの十分の一もない間抜けな奴なんだけどな。キースが設置されてからは、裏方に回って単純な仕事ばかりやらされてるよ」
「まさか俳優なんてやってないわよね?」
「あいつには人型の端末なんて扱えないさ。感情もないしな。そつなく会話はできるけど、ただの計算機だよ」
「ふうん。まだまだ私の知らないことがあるのね」
「『穴』の24世紀側ではバジルが見張ってるんだ」
「バジル?」
「話してなかったっけ? 『五基』の一つで、キースと同型のコンピュータだ。そっけないけどキースよりずっと素直ないい娘だよ。最近『会社』で人型端末を使いだしてな。ハルちゃんと同じデザイナーのボディでこれまたかわいいんだ」
「女の子なのね。でも、コンピュータに性別があるってのも不思議な話よね」
「その方がユーザーが親近感を持ちやすいんだってさ」
「親近感を持ちすぎて、かわいいバジルちゃんと浮気なんてしちゃ駄目よ」
「あいつには恋愛は無理だな。あんまり感情豊かじゃないんだよ。俺の知ってる限り、恋愛感情を持ってるコンピュータは……」
「誰?」
サエキ、はっとして口ごもる。
「あー、誰もいないな」
「なんだ。ガムさんも?」
「感情は有り余ってるみたいだけど、人を好きになれるのかは疑問だな。よく女の子と遊んでるけど、そういう関係になったことはないみたいだよ。奥さんが昔かたぎで厳しいんだってさ」
「でも、奥さんなんていないんでしょ?」
サエキ、笑う。
「あんなわけのわかんない奴の妻が務まる女なんているもんか。俺が女だったらとっくの昔に縁を切ってるね」




