ささやかな趣味
二日後 遊びに来ているアリサとヨウコ達が雑談している。キースが立ち上がるとアリサに声をかける。
「アリサちゃん、ちょっと来てもらってもいいかな?」
「なんや?」
アリサのひざに頭を載せていたウーフが不満そうに唸る。
「ウーフ、ちょっとどいてな」
アリサ、立ち上がるとキースについて部屋から出て行く。サエキが二人を目で追う。
「あの二人、ずいぶんと仲がいいな。今日はずっと一緒じゃないか?」
ウーフが低く唸る。
「あいつ、アリサを口説く気じゃないだろうな」
ヨウコ、笑う。
「あの子、かわいいし性格もいいもんね。そりゃ、キースも気に入るでしょ。アリサとはいつも比べられちゃうんだよな」
ローハンがヨウコの肩を抱く。
「俺はかわいくなくてもヨウコの方がいいな」
「はいはい。気を使わなくてもいいよ」
ウーフ、落ち着かな気にドアの方を見る。
「あのコンピュータ、どうして俺のアリサに手を出すんだよ? あいつはヨウコが……」
サエキ、慌ててウーフに声をかける。
「ああ、ウーフ、今日の新聞をとって来てくれないか」
ウーフ、横目でサエキを睨む。
「なんだよ、人を犬扱いして」
「犬だろ? そこの鏡を覗いてみろよ。お前は一体、何様のつもりでいるんだ?」
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キッチンにキースとアリサが入ってくる。
「アリサちゃん、座ってよ」
「うん」
キース、自分も向かい側に座るとアリサをじっと見つめる。
「どうしても聞きたいことがあるんだ」
「なんやの?」
「君がヨウコさんの実家に下宿してた頃なんだけどさ、ヨウコさんの知人にヤマサキって男がいただろ? ヨウコさんとはどういう関係だったの?」
アリサ、笑う。
「また姉ちゃんか。なんでそんな事が気になるん?」
「ヨウコさんはその頃の話をしたがらないし、おかあさんに聞いてもわからない。時期的に見て、君なら知ってるんじゃないかと思ったんだ。ヨウコさん、オタクっぽい男が苦手だろ? なにか関係があるんじゃないの?」
「どうしてそこまで姉ちゃんのこと、知りたがるん?」
「職病病なんだ」
「はあ?」
「データは完璧に揃えないと落ち着かないんだよ。困ったもんだろ」
アリサ、訝し気げにキースの顔を見る。
「……キースって俳優なんやろ?」
「そうだけど」
「これがキースやなかったら、ただのストーカーやで」
「それはわかってるんだけど、気になり出すと止まらないんだよ。明後日の朝には発たなきゃならないからね。今のうちに聞いておこうと思ったんだ」
「それなのにこんな事で時間つぶしててええんか?」
「……どういう意味?」
「時間がもったいないやろ? 少しでもヨウコ姉ちゃんと一緒にいた方がええんとちゃうん?」
「おかしなこというんだね。僕がヨウコさんに気があるとでも?」
アリサ、呆れた顔でキースを見る。
「……キースってあほなんか?」
「あほ?」
「姉ちゃんが好きでしゃあないんやろ? 私にわからんとでも思っとったん?」
キース、アリサの顔を見つめる。
「……なんで……わかったの?」
「気づかんのは姉ちゃんぐらいのもんやで。昔から鈍感で本人が思ってるよりモテんのに、肝心なときにちっとも気づかへんねん」
「アリサちゃんにわかるとは思わなかったんだけどなあ」
「姉ちゃん、素敵やろ。本人はコンプレックスの固まりやけどな。私は姉ちゃん、大好きや」
キース、笑う。
「僕もだよ」
「でも、キース、何考えとるん? ヨウコ姉ちゃん、人妻やで」
「それは嫌になるほど分かってるんだけどさ」
「諦めたほうがええんとちゃうか? あのヨウコ姉ちゃんがローハン兄さんを裏切るなんてありえへん。兄さんが姉ちゃんを捨てん限りはな」
「それもよくわかってるよ」
「わかってて好きなんか。難儀な話やなあ」
「ほんと、難儀な話なんだよ。どうしても諦められないんだ」
「姉ちゃんはローハン兄さんと幸せそうやし、キースに頑張ってって言うのもおかしいけどな。キース、ええ人やし、きっといいことあるで」
「うん、ありがとう」
「どこでどうなったんかしらんけど、キースに惚れられるなんてヨウコ姉ちゃんも凄いなあ。私も姉ちゃんの男運、分けてもらわんとな」
アリサ、寂しそうに笑う。
「……アリサちゃん?」
「男なんてもう信じられへん、って思っててんけど、姉ちゃん見てたら希望が湧いて来たわ」
アリサ、立ち上がる。
「さ、みんなのところに戻ろ。姉ちゃん、大好きな俳優さん、取られて心配してるで」
「それはないんじゃないかな。ところでさっきの話だけど……」
「それやったら後からメールで教えたるわ。キースってコンピュータ、使えるん?」
キース、笑う。
「コンピュータなら仕事でよく使ってるからね。メールぐらいなら余裕だよ」
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再び居間 おしゃべりしていたアリサが時計を見上げる。
「もうそろそろ帰るわ。バスの時間やねん」
隣にいたキースが立ち上がろうとする。
「それなら、僕が送ってくけど」
「いいってば。時間を無駄にしたらあかんって言ったところやろ?」
アリサ、キースに目配せすると耳元でささやく。
「私らが戻ってきたときのヨウコ姉ちゃんの顔見た? 姉ちゃん、キースは自分のもんやと思ってるで」
「自称『大ファン』だからね」
「それとはちょっと違うかもしれんなあ」
「どういう意味だよ?」
アリサ、笑うと一同の方を見て挨拶する。
「じゃあ、また来させてもらうわ。ありがとうな」
アリサが出て行くと、ウーフがキースに詰め寄る。
「おい、俺のアリサに何をした?」
「ちょっと聞きたいことがあっただけだよ」
「口説きに行ったんじゃなかったのか?」
「どうして僕がアリサちゃんを口説かなきゃなんないのさ?」
「どうしてって、アリサがいい女だからに決まってるだろ? 俺、バス停まで送ってくる」
ウーフがアリサの後を追ってドアから出て行く。キース、ぼんやりと自分を見つめているヨウコの方を向く。
「ヨウコさん? どうかした?」
「え? ああ、コーヒー入れ直してくるよ」
ヨウコ、慌てて立ち上がると部屋から出て行く。
ローハンが苦笑いする。
「『ファンとしてはほっとした』らしいな。夫の目の前でそわそわしちゃってさ」
サエキがキースを睨む。
「で、さっきは何してたんだよ?」
「ヨウコさんの事、聞いてたんですよ。例の謎だらけの一年をなんとか埋めたいんです。アリサちゃんと同居してた時期とちょうど重なるんですよね。ヨウコさんの前じゃ聞きにくいでしょう?」
「ああ、そういうことか。そりゃお前にこのチャンスを見逃せるはずがないよなあ」
ローハンが不思議そうに口を挟む。
「謎だらけの一年って何だよ?」
「十数年前なんだけどさ、どう調べてもヨウコさんの人間関係がよく分からない時期があるんだよ」
「アリサちゃんと暮らしてた頃なら、ヤマサキくんと付き合ってたはずだよ」
「どうして知ってるの?」
「ヨウコに聞いたからだよ。関係がうまく行かなくなってきて、不思議に思ってアパートを訪ねたら、ヤマサキくん、アニメキャラにはまってたんだってさ。壁一面に女の子のポスターが貼ってあったらしいよ」
「そうか、やっぱり付き合ってたんだな。ヨウコさんのオタク嫌いはそこに原因があったんだ」
サエキ、居心地悪そうに眼鏡に触れる。
「嫌いってほどじゃないだろ?」
ローハンがうなずく。
「そうだね。トラウマになったって言ったほうが正しいかな」
「もっと酷いじゃないか」
キースがサエキの方を向く。
「ところでサエキさん。アリサちゃんに、僕がヨウコさんが好きだってこと、見抜かれてたんですよ。驚きました」
「当たり前だ。しばらくここにいれば誰でも気づくよ」
「本当に?」
「本当だよ」
キース、自分の顔に触れる。
「おかしいなあ。顔には出てないはずなんだけどな」
サエキが呆れたように笑う。
「お前も案外間抜けなんだなあ」
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同日の午後遅く キッチンでヨウコとキースが話している。
「さっきはアリサに何の用だったのよ?」
「ヨウコさんのこと、聞きたかったんだよ」
「私の事?」
「今日はいろいろと面白い話を聞いちゃったよ。僕の知らなかったこと、まだまだあるんだな」
「それでずっとアリサとしゃべってたの?」
「うん」
「私の調査をしてたのはローハンを作るためのデータ集めだったんでしょ? もう調べる必要なんてないじゃない」
「『二つ目の願いのヨウコ』について調べるのは、僕のささやかな趣味なんだよ。なにしろ歴史上の救世主だからね」
ヨウコ、キースを睨む。
「嫌な趣味だなあ。フィギュアでも集めてくれたほうがまだましだわ」
「本人がみんな教えてくれれば苦労しないんだけどなあ」
「私の過去は自分でも忘れちゃいたい恥ずかしい思い出でいっぱいなのよ。もうやめてよね」
「やめないよ。全部調べきるまではね。情報収集コンピュータってのは、そういう風に作られてるんだ。本能みたいなもんだね」
「私を一生つけまわす気じゃないでしょうね?」
キース、身を乗り出すと、ヨウコの顔を覗き込んでいたずらっぽく笑う。
「そのつもりだけど」
ヨウコ、赤くなって慌てて立ち上がる。
「洗濯物、入れてくる」
「手伝おうか?」
「いいよ。パンツやオムツを取り込んでるキースなんて見たくないわよ。セレブはセレブらしく振舞ってよね」
ヨウコが出て行くと、ウーフがテーブルの下から顔を出す。
「お前はヨウコとしゃべれるだけまだましだよな。俺はただの『お利口なワンちゃん』だからな。尻尾しか振れないなんて嫌になるぞ」
キースが肩をすくめる。
「そうでもないよ。僕だってただの『お気に入りの俳優さん』なんだよ。君の方が膝枕してもらえるだけラッキーなんじゃないのかな」




