『フギン』の行方
キッチン サエキが料理をしているところにヨウコがやってくる。
「あれ、何してるの? もう夕飯の下ごしらえ?」
「今日の当番はキースだよ。俺は三時のおやつにドラ焼き作ってるの」
「やった。サエキさんの粒あんって最高よね」
ヨウコ、素早く一つ取ってかじる。
「ああ、まだ食べちゃ駄目だろ」
「一個ぐらいいいでしょ? 今日はキースの晩御飯か。料理、上手になってきたよね。絶望的だと思ってたのに」
「昔は味覚がめちゃくちゃだったからだよ。甘いとか塩辛いとか。そんな程度しか分からなかったらしいぞ。これからは腕を上げるだろ」
「ちゃんとレシピから作るように言っといてよ。ローハンの創作料理は当たり外れがひどいからね」
サエキ、料理の手を止める。
「そうだ、ヨウコちゃんには話してなかったね。24世紀じゃ『二つ目の願いのヨウコ』が見つかったって、正式に発表されたんだよ」
「ふうん。そうなんだ」
「ひとごとみたいに言うなよ」
「だって、自分が救世主だなんて言われてもぴんと来ないんだもん。大騒ぎになったんじゃない?」
「そりゃそうだよ。伝説の救世主が実在したって明らかになったんだぞ。みんな仕事サボってお祭り騒ぎだよ。『ヨウコ』を崇める宗教団体は、臨時で儀式を行ったり街を練り歩いたりしてるよ。リュウも帰してやればよかったなあ」
「お小遣いもたせて今から帰してあげたら? しばらく騒ぎは続くんでしょ?」
「そうするか。リュウに連絡してみるよ」
「どこまでほんとの事を発表したの? 私の顔写真なんて流してないでしょうね」
「『ヨウコ』の身の安全のため、『ヨウコ』の死後まで詳細は伏せておくことになっている。公表したのは『ヨウコ』は日本人女性だったって事ぐらいだな。研究者達はがっかりしたみたいだけど、今のところ異議を唱えるやつはいないみたいだ。平和な24世紀が存在しなくなる可能性はみんな理解してるからな」
「私の死後か。ちょっとは美化して発表してよね。発表して更にがっかりさせたんじゃ申し訳ないわ」
「ガムに言っとくよ」
リュウが一礼して部屋に入ってくる。
「お心遣いは嬉しいのですが、今日はこちらにいさせてください。こういう日だからこそ、お傍でお仕えしたいのです」
「遠慮しなくていいのよ。息抜きして来たらいいのに」
「いえ、それにこちらにいるほうが気持ちが落ち着くんです」
「それは分かる気がするな」
「じゃ、今日はお休みにしなさいよ。ワンピース着て昼寝でもなんでも好きなことしてちょうだい」
「でも……」
「『ヨウコ』の命令よ」
リュウ、頭を下げるとにっこり笑う。
「わかりました。ありがとうございます」
「普通に礼が言えるようになったじゃないか」
「毎晩百回唱えている成果が出たようですね」
リュウ、もう一度頭を下げると部屋から出て行く。
「ほんと、真面目ねえ」
「一昔前のロボットみたいだな」
「うちの機械どものほうがずっと人間っぽいわね」
サエキ、ヨウコの顔を見る。
「ヨウコちゃん、今のは貫禄あったぞ」
「何のこと?」
「『ヨウコの命令よ』ってやつ」
「だって、あのぐらい言わなきゃあの子、休もうとしないでしょ?」
「救世主としての自覚が芽生えたのかと思ったよ」
ヨウコ、笑うと残りのドラ焼きを口に入れる。
「これから私の『二つ目の願い』のおかげで世界が救われるのよね?」
「ああ、今の世界が抱えている問題は、23世紀の半ばまでにはほぼ解消されるんだ。まさに奇跡だろ」
「でも、具体的に何が起こったのかはわかんないのよね?」
「いろいろな仮説は立てられてるけどね。どれも想像の域をでないな」
「でもさ、キースは後世のためにこれからもずっと記録を取ることになってるんでしょ? キースのデータバンク……『ムニン』だったっけ? その記録を調べれば、今から24世紀までに起こることは全部わかるはずじゃないの?」
「それがさ、『ムニン』は俺たちの時代には行方不明になっちゃってるんだ」
「ええ? 行方不明になるって分かってるのに、どうして記録なんて取らせてるのよ。意味ないじゃない」
「探せば見つかるかもしれないだろ? 僅かでも回収できる可能性があったから『ムニン』は設置されたんだ。たとえ断片でも見つかれば、過去に起こったことを知る手がかりになる。ガムランは今も探しているよ」
「『ムニン』はキースの一部なのよね。……ってことはキースは……」
「この時代から22世紀の終わりまでの間に、どこかに消えてしまったんだ。誰かに発見されたんじゃないかな」
「24世紀のどこかでまだ動いてるってことはない?」
「それならガムが気づくよ。でも、どこかに保管されてる可能性は捨てきれないんだ。あんなものが見つかれば、絶対に研究対象にされるはずだからな」
「自分がいなくなるって本人は知ってるの?」
「もちろん知ってる」
「コンピュータの寿命ってどのくらい?」
「部品さえ交換しつづければ半永久的かな」
「……じゃあ、生まれたときから若死にするって宣告されてるようなものじゃない。キースは気にしてないの?」
「いつ人生が終わるか分からないのも人間みたいでいい、って言ってたよ」
「最初からいなくなるって分かってて作るなんてひどいなあ」
「ヨウコちゃん、コンピュータは道具なんだよ。数年で廃車になったからって、車には同情しないだろ?」
「でも、車には感情なんてないでしょ?」
「だからあいつにも感情は与えなかった。俺たちだって鬼じゃないよ。あそこまで感情豊かになっちゃったのは、俺の監督不行き届きのせいだ」
「ローハンのファイルのせいね。……サエキさん、もしかしてそのことで自分を責めてる?」
「まあな」
「そんなに気にしなくっていいんじゃないかな。キース、人の感情が理解できるようになって毎日楽しくって仕方ないって言ってたわよ」
「でもさ、感情を持ってしまったばかりに辛い思いをすることもあるだろ?」
ヨウコ、訝し気にサエキを見る。
「……サエキさん、何かあるのね。あの人、どうかしたの?」
「いや、例えばの話だよ」
「なら、いいんだけど。……でもいつかキースがいなくなっちゃうなんてショックだなあ」
「この時代の科学力じゃあいつに危害を加えることはまず不可能だからな。何か起こるとしたら、まだまだ先のことだと思うよ。俺たちよりはずっと長生きするんじゃないのかな」
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翌早朝 玄関でキースが出かけようとしているのをガウン姿のヨウコが見守っている。
「いつもこんなに早く起きなくてもいいんだよ。僕なら勝手に出てくからさ」
「いいじゃない。ファンに見送りぐらいさせなさいよ」
「じゃあね、ヨウコさん」
「うん、気をつけてね」
キース、ヨウコにキスする。
「次に来るのは再来月の中旬になるかな。しばらく忙しいんだ」
「ねえ、そんなに忙しいのにどうしていつも遊びに来てくれるの?」
「ここには僕の部屋があるからだよ」
「部屋ってあの狭い部屋?」
「僕専用なんだろ?」
「ロサンゼルスに豪邸、持ってるくせに」
「あそこはたまに『俳優キース』が付き合いに使うだけなんだ。受賞記念パーティとかね。向こうにいてもほとんどホテル泊まりだよ」
「もったいない話だなあ。一度ご招待してよ」
「パパラッチがうろうろしてるからなあ」
「掃除のおばちゃんのフリして遊びに行くわ」
キース、笑う。
「似合いそうだな。それなら絶対に疑われないよ」
ヨウコ、キースの顔をじっと見る。
「ねえ、キース。何か悩んでることない?」
「ううん、どうして?」
「ちょっと気になったのよ」
「ヨウコさんへのクリスマスプレゼントは何にしようか悩んでるぐらいかなあ」
ヨウコ、笑う。
「クリスマスにはあなたが来てくれるだけで十分よ。それじゃ今日は『いってらっしゃい』って言うわね」
「いってきます」
キース、笑うとドアを開けて出て行く。




