五分間
ローハンの身体を借りたキースがキッチンを覗く。ラーメンを作っていたサエキが顔を上げる。(以下、ローハンの中身はキース)
「あれ、ヨウコは?」
「洗濯物をたたむって出てったところだよ。居間じゃないのか」
「もう、時間がないっていうのに」
「『リルリール』、今から見ようよ」
「用事が出来ちゃったんだ。俺はいいから一人で思う存分見てよ」
「そうなのか? あとで文句言うなよ」
ローハン、急いで居間に向かう。居間を覗くとヨウコがぼんやりとソファに座っている。
「ヨウコ、何してるの?」
「ちょっと休憩。あとちょっとだから、先に寝ててくれていいよ」
「そうはいかない。残り四分半しかないんだ」
「はあ?」
ローハン、隣に座ると、ヨウコの顔を覗き込む。
「どうしたの? 何かついてる?」
「顔ぐらい見ても構わないだろ?」
「化粧の崩れた顔を見てどうするのよ? 嫌だなあ」
「ねえ、ヨウコはキースのこと、どう思ってるの?」
ヨウコ、笑う。
「なんだ。やっぱりさっきのチュウに妬いてるんだ」
「違うよ。でも、あいつのデートがうまくいかなくて嬉しかったんだろ?」
「ああ、そのことか。そりゃ、ファンとしてはね」
「それだけ?」
「十年前から憧れてた『キース・グレイ』が我が家に遊びに来てくれるなんて、奇跡みたいなものでしょ? 彼女ができてうちに寄り付かなくなっちゃったら寂しいよ」
「キースにも恋が出来たらいいのにね、って言ってなかった?」
「うん。でも、いざキースがデートに出かけるとなると、あまりいい気分じゃないのよね。……あの人には黙っててよ。自分勝手な女だと思われたら嫌だから」
「そんなこと言うもんか」
ローハン、ヨウコの顔をじっと見つめる。
「また見てる。何か企んでるんじゃないでしょうね?」
「なんでもないって。チュウしてもいい?」
「うん。ちょうどしたいと思ってたところ」
ローハン、ヨウコを引き寄せると優しくキスする。ヨウコ、真っ赤になる。
「ローハン?」
「どうしたの?」
「そっちこそどうしちゃったの? 何よ、今のチュウは?」
「何か……間違ってた?」
「いつもの不器用なチュウはどこ行っちゃったの? どこかで誰かと練習してるんじゃないでしょうね?」
「なに言ってんだよ? 俺のチュウってそんなに下手だった?」
「下手っていうか……いつまでたってもぎこちないっていうのかなあ?」
「ふうん、そうだったんだ。……もう一度チュウしていい?」
黙って目をつぶるヨウコに、ローハンがキスする。ヨウコ、不思議そうにローハンを見る。
「……やっぱりヤキモチ焼いてるんでしょ?」
ローハン、そのままヨウコを抱きよせる。
「なんで黙ってるの? 何か言いなさいよ」
「ずっとこうしたいと思ってた」
「……いつもやってるじゃない」
ローハン、さらに強くヨウコを抱きしめる。
「ヨウコ」
「なに?」
「愛してる」
「ローハン?」
ローハン、自分の頬をヨウコの頬に押しあてる。
「誰がなんて言おうと、ヨウコからは離れないよ。ずっとそばにいるから……」
「……うん」
ローハン、腕を緩めるとヨウコの顔を見る。
「ごめん、痛かった?」
「ううん。私もローハン、大好きだから」
ヨウコ、笑顔でローハンにキスするが、急に驚いた顔をする。
「キースだ!」
ローハン、ヨウコを見つめる。
「どうして……?」
「……何が?」
「今、キースだって……」
「さっきのチュウよ。キースのチュウにそっくりなんだ」
「ええ? あいつとは軽いキスしかしてないはずだろ?」
「一度だけすっごいチュウしてもらったよ。ローハンが記憶喪失になったときにさ」
「あんなの覚えてたの? 俺が死ぬかもって時に?」
「あの時はそれどころじゃなかったんだけどね、何もかも落ち着いついてほっとしたら、急に思い出したの。それからしばらくキースの顔を見るのが恥ずかしくってさ」
「そういうことか」
「なにが?」
「ううん、今、ちょっと幸せな気分」
「チュウを褒められたから? キースからチュウの仕方、習ったの?」
「おかしな事、言うなよ。偶然だよ」
「だって、あんた達なら『チュウの仕方ファイル』とか作って交換してそうだもん」
ローハン、笑う。
「キース言えばさ、あいつと『キース・グレイ』は全然違うだろ? ファンとしては気にならないの?」
「そうね、キースってわがままで自意識過剰でひねくれてるよね。かたくなに無表情で無愛想だし」
「ええ? そこまで言う?」
ヨウコ、笑う。
「でも、本物のキースの方がずっと好きだな」
ローハン、ヨウコをじっと見つめる。
「どうしたのよ? また妬いちゃった?」
「……もう一度チュウさせて」
「今度も凄いチュウだったらね」
「それならまかせてよ」
ローハン、ヨウコをソファに横たえ、そっとキスする。二人、そのまま何度もキスを繰り返す。
「……ローハン」
ローハン、優しくヨウコを見下ろす。
「何? ヨウコ」
「このままベッドに連れてって」
ローハン、ゆっくりとヨウコから離れる。ヨウコ、不思議そうにローハンを見上げる。
「……どうしたの?」
「五分がこんなに短いなんてね」
「五分?」
「妖精のおばあさんとの約束は守らなくっちゃ」
ローハン、ヨウコを助け起こすと、自分は立ち上がる。
「じゃ、後でね」
ローハン、足早に部屋から出ていく。
「ローハン?」
ローハン、廊下に出ると立ち止まる。
「これ、返すよ。君はもっとキスの練習したほうがいいみたいだな」
自分の身体を取り戻したローハンが伸びをしてあたりを見回す。(以下、ローハンはローハン本人)
「余計なお世話だ。シンデレラこそ35秒の遅刻じゃないか。妖精のおばあちゃんが甘くってよかったな」
ヨウコがローハンを追って廊下に出てくる。
「ローハン、大丈夫なの?」
「うん。どうして?」
「だって、さっきから様子がおかしいよ。すごく愛情深くなったかと思えば、急に出て行っちゃうし。突然壊れたりしないでよ」
「愛情深くって……ヨウコ、俺にいらやしいことされなかった?」
「はあ? いやらしいことはまだでしょ?」
「ならいいんだけど」
「いやらしいことしたいんだったらもう寝ようよ」
「そういう意味じゃなくってさ」
「したくないならいいけど」
「したくないとは言ってないだろ」
ヨウコ、ローハンの手を引っ張る。
「じゃ、行こう」
「う、うん。あのさ、俺のチュウっていつもそんなに下手だったの?」
「さっきのチュウが凄過ぎただけだから、気にしなくていいよ」
「凄過ぎた?」
「もう一度チュウしよう。すっごくエッチな気分になっちゃうから」
「……どんなチュウだったっけ?」
「はあ?」
「困ったことをしてくれたな」
「……私が何かした?」
「ちょっとキースに用事」
「ええ、寝ないの?」
「先に寝てて。すぐ行くから」
「何よ、さっきからキースの話ばっかりじゃない。なにか隠してるんじゃないでしょうね?」
「なにも隠してないよ。じゃ後でね」
慌てて走っていくローハンをヨウコが見送る。
「隠してるんだ……」
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ローハン、キースの部屋に駆け込むと、ベッドの上にうつぶせに寝ているキースに声をかける。
「おい、キース! 起きろってば」
ローハン、キースを揺さぶるが、キースは動かない。
「……接続、切ってるのか?」
ローハン、『通信』でキースに話しかける。
「おい、キース」
『何?』
「どうしたんだよ。端末ほったらかしてさ。うつぶせに寝かしちゃ鼻が低くなるぞ」
『人の形をしていたくない気分なんだよ』
「……俺、余計なことしたのかな? 身体なんて貸さないほうがよかった?」
『いいや、君には感謝してる。自分の立場を再確認させられて落ち込んでるだけだよ』
「……じゃ、仰向けにして布団かけといてやるよ。ヨウコの大事な俳優さんの顔にベッドカバーの跡がついたら困るだろ」
『居間のテレビの上に僕の映画のDVDが置いてあるから、開始から48分目のキスシーン、参考にして』
「どうしてわかったの?」
『そのぐらい予想がつくよ。ほかに用がないんなら、一人にしてくれる?』
「わかったよ。落ち込み終わったらちゃんと戻って来いよ。さもなきゃ、その綺麗な顔に落書きしてやるからな」




