キースの初デート
ロサンゼルス国際空港 離陸前の機内 通路側の席に座ってキースが新聞を読んでいる。若い女性が通路を歩いてくると、キースに話しかける。
「すみません。私、そこの窓側の席なんですけど……」
キース、立ち上がる。
「どうぞ。荷物、載せようか? 重そうだ」
「助かります」
キース、荷物を持ち上げると、頭上の棚に押し込む。
「思ったより混んでますね。ホリデー中でもないのに」
「君は旅行?」
「そう、と言っても今からうちに帰るんだけどね。一ヶ月ほどサンディエゴの叔父の家に遊びに行ってたの」
「僕は今から友達のところへ行くんだ。直行便があって助かったよ」
「ふつうはオークランド経由だもんね。こんな便があるなんて驚いたわ。お友達はどこに住んでるの?」
「空港から車で西へ20分ほどのとこなんだ」
「郊外なのね。うちは市内なんだ。私、レスリー。あなたは?」
「キース。よろしくね」
「あなた、イギリス人ね。機内でもサングラスかけてるの? 暗くない?」
「僕、目がとても弱いんだ。サングラス無しでは目を開けていられないよ」
「はずしたら格好いいんじゃないの?」
「そんなことはないよ。レスリーは学生なの?」
「今、院にいるの。そろそろ戻って論文を終わらせないとまずいんだ」
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居間 ヨウコとサエキが話しているところにキースが入ってくる。
「こんばんは」
「遅かったわね。何かあったの?」
「飛行機で知り合った人を送って来たんだよ」
「キースの車で?」
「うん」
サエキが驚いた顔をする。
「お前らしくないなあ。もしかして女の子か?」
「そうです」
「かわいい子?」
「そうですね、知的な美人っていうのかな? 飛行機で隣の席だったんです。すごく感じのいい子でね、明日の午後、一緒に出かける約束をしたんですよ」
サエキ、いきなりびくっとして、ヨウコの方を向き、食い入るように顔を見つめる。
「え? ……私がどうかしたの?」
「い、いや、なんでもないよ」
キース、ヨウコに微笑みかける。
「僕のファンには申し訳ないけどね」
「何を言ってるのよ? あなたが女の子を気に入るなんて初めてなんでしょ? よかったじゃない。晩御飯、残してあるけど食べる?」
「うん、ありがとう。荷物を置いて着替えてくるよ」
キースが部屋から出て行くと、ヨウコがサエキに話しかける。
「ねえ、サエキさん。キースには恋愛感情なんてないんでしょ? どうして急に女の子と会う気になったのかな?」
「さあなあ、いくら俺がエンパスでも、AIの気持ちは読めないからな。もしかしたらその恋愛感情が芽生えてきたのかもしれないぞ。あいつもどんどん成長してるみたいだからな」
「ふうん。そんなことになったら、私の事を好きになっちゃうからまずいよ、て言ってたんだけどなあ」
「ええ? あいつ、そんなきわどいことを言ったのか? いつの話だよ?」
「この間、ドライブに行った時よ。そうは言っても、実際にかわいい子を見たらそっちに惹かれるのが人情よね」
「そうそう、そういうもんだよ。特に俺なんかはそうだ」
ヨウコ、笑いながら立ち上がる。
「まあ、好きになられちゃ困るから、それでいいんだけどさ。でも、彼女が出来たらファンとしては寂しいわよね。じゃ、キースのご飯の用意をしてくるよ」
部屋から出て行くヨウコをサエキが暗い表情で見送る。
「……ファンとしては寂しい、か。ヨウコちゃんって自分の気持ちにも鈍いんだな」
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翌日の晩 キッチン ヨウコが夕食の後片付けをしているところに、レスリーとのデートから戻ったキースが入ってくる。
「ただいま」
「早かったのね。楽しかった?」
「うん、楽しかったよ」
「それだけ?」
キース、ヨウコに近づいて顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「ヨウコさん」
キース、片手を伸ばしてヨウコの髪に触れる。
「なに?」
「ここ、ゴミがついてる」
「ゴミ? さっき庭に出たときについたのかな? ありがとう」
「……サエキさん、いる?」
「自分の部屋にこもって美少女アニメを見てるわよ。ご飯、食べてきたんでしょ?」
「うん。済ましてきたよ」
「コーヒー、入れようか?」
「今はいいや。ちょっとサエキさんに会ってくるよ」
キース、部屋から出て行く。
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キース、半開きのサエキの部屋のドアから中を覗く。
「サエキさん、入りますよ」
ベッドの上に寝そべってテレビを見ていたサエキが振り返る。
「おう、キースか。初デートはどうだった?」
「僕の初デートはヨウコさんとのデートなんです」
「……駄目だったんだな」
「ほかの子とは付き合えません。ヨウコさんがいいんです」
キース、ベッドの上にぐったりと座る。
「ふにゃー」
「お前、いま、ふにゃー、て言った?」
「言いました」
「重症だなあ」
「重症です」
「ヨウコちゃんを諦めるために出会いを作ろうとしたんだろ? 努力は認めてやるよ。せっかくモテるのにもったいないなあ」
「モテますよ。五年連続『抱かれたい男性有名人』の一位に選ばれてますから」
「不毛だなあ。不毛すぎるよ」
「そのうえヨウコさん、毎年律儀に投票してくれてるんです」
「ネット投票なんだな」
「僕でよければ抱いてあげるのに」
「おいおい」
「ぎゅーって抱きしめるだけでいいんです」
「ぎゅーなんて絶対に許さん。お前がヨウコちゃんとローハンの間に割り込むようなことをしてみろ、俺がガムにこっぴどく叱られるよ」
「ガムランですか? 僕よりちょっと大きいからって偉そうなんですよね」
「なんだ、その『ちょっと』っていうのは? あいつはお前の35倍あるんだぞ。だんだん表現が曖昧になってきたな。コンピュータと話してるとは思えん」
サエキ、急に真顔になる。
「なあ、キース」
「なんですか?」
「お前さあ、ヨウコちゃんに関する個人的な記憶って消せないのか? お前にとってヨウコちゃんはあくまでも『二つ目の願いのヨウコ』であるべきなんだよ。わかってるんだろ?」
「今更つじつまを合わせるのなんて不可能ですよ。それに、そんなことするぐらいなら死んだほうがましです」
「そう言うと思ったけどさ」
ローハンがドアを開けて入ってくる。
「キース、お帰り。あれ? サエキさん、『リルリール』の最新巻は俺と一緒に見るって言ってたのに」
「そうだったっけ? すまん」
「もう。人間ってほんとに忘れっぽいよな。DVD、止めるよ」
ローハンがテレビに向かって大げさに手を振ると、テレビの画面が消える。
「今の身振りはなんだよ?」
「マジシャンみたいでカッコいいでしょ」
ローハン、キースの隣に座る。
「キース、デートはどうだった? きれいな人なんだってね。うまく行きそう?」
「さっさとふってきたらしい。ヨウコちゃんじゃなきゃ嫌なんだってさ」
「ひどいなあ。手だけ出しといて」
「僕が誘ったんじゃないよ」
「まあいいか。ヨウコ、自分じゃ気づいてないけど、かなり妬いてるみたいだよ。七時過ぎてからは時計を見てはため息ついてるんだ。お前が帰ってきたら嬉そうな顔しちゃってさ」
「なんでそんなこと、僕に教えてくれるの?」
ローハン、考え込む。
「……わかんないよ」
サエキが呆れた顔をする。
「お前なあ、いつわりの希望を与えてどうするんだよ?」
「それでもいいんだ。ありがとう、ローハン」
「うん」
「考えてみればお前ら二人とも機械じゃないか。俺は人間専門のカウンセラーなんだよ」
「俺は関係ないだろ。問題はそこの不良コンピュータだよ。人の妻に横恋慕してさ」
ヨウコ、ドアを開けて部屋の中を覗く。
「みんなここにいるんでしょ? コーヒー、持ってきたよ。ケーキもあるんだ」
ローハン、得意そうな顔をする。
「俺が作ったんだよ。ぐるぐるケーキ」
ヨウコ、不審気にローハンを見る。
「……ロールケーキのこと?」
「違うよ。ほら、スポンジが同心円状になってるんだ」
「ああ、だから食べにくかったんだ……」
ヨウコ、キースとローハンの間に座る。
「ヨウコ、狭いところに割り込むなよ。サエキさんの隣が空いてるだろ?」
「私の席はいい男の間って決まってるのよ」
サエキ、不満そうな顔をする。
「この間は俺の事、格好いいって言ってたじゃないか」
「あの時と今とじゃ雲泥の差じゃない。自室のベッドの上でフィギュアに囲まれてるサエキさんなんて近づきたくもないわ」
「ヨウコちゃん、『親しき仲にも礼儀あり』だろ?」
「サエキさん、ヨウコに言うだけ無駄だって」
ヨウコ、キースに向き直る。
「デート、どうだったの? うまく行きそう?」
キースの代わりにサエキが答える。
「駄目だったんだってさ。いまひとつ合わなかったみたいだよ」
「そっか、そういうこともあるよ。あなたと比べちゃ悪いけど、私なんて毎度のことだったしさ。一度くらいで気を落としちゃ駄目だよ。私も協力するからいつでも言ってね」
キース、弱々しい笑顔を浮かべる。
「ありがとう……」
サエキ、ローハンにささやく。
「協力だって。きつい事言うなあ」
「24世紀製のスーパーコンピュータに言葉だけでダメージを与えられるのは、ヨウコぐらいのもんだよ」
ヨウコ、コーヒーを一口すすると、キースを見上げる。
「……本当のこと言うとね、十年来のファンとしてはほっとした気がする」
キース、ヨウコを見つめる。
「そうなの?」
「勝手なこと言ってキースには悪いけどね。ごめんね」
キース、笑顔でヨウコの顔を覗き込む。
「じゃ、ヨウコさんにファンサービスしちゃおう」
キース、ヨウコにキスする。ヨウコ、いつもより長いキスに戸惑い真っ赤になる。
「キース、やり過ぎだろ? ヨウコも今すぐ離れなさい」
「うひゃあ、ドキドキしちゃった。キースってばサービス良過ぎ」
サエキ、再びローハンにささやく。
「あれをサービスだと信じて疑わないんだから凄いよな」
ヨウコ、サエキを睨む。
「そこ、さっきから何をモショモショ言ってるのよ? 私の話じゃないでしょうね?」
「違うよ。俺のフィギュアの自慢話をしてるんだ」
ヨウコ、キースの顔を見る。
「……ねえ、一つ聞いてもいい?」
「何?」
「あなたも誰かを好きになれるようになったの?」
「ううん。前と同じだよ。でも、付き合ってみたら何かが変わるんじゃないかと思ってさ。いつかはその人のことを好きになれるかもしれないだろ?」
「そうなんだ。……もしかしたらキースも恋愛してみたくなった?」
「最近、ちょっと憧れてるんだよ。ヨウコさんとローハンの影響かもね」
キース、コーヒーのマグを置くと立ち上がる。
「でも、無理はせずに気長に待つことにしたよ。いつかは映画みたいな出会いがあるかもしれないしね。じゃ、僕は休みます。おやすみなさい」
キース、出て行く。
「端末のくせに心なしか疲れて見えるわね。ショックだったのかな?」
「まあ、今のでちょっとは元気になったろ」
「何が?」
「何でもないよ。この夫婦といちゃ、蛇の生殺しだな。かわいそうに」
「サエキさん、さっきから変よ。おかしなアニメの見すぎじゃないの?」
「ヨウコちゃん、ひどいよ。俺の「『リルリール』の何が悪いんだよ?」
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キースの部屋 ローハンがドアを開ける。窓際に立って外を眺めていたキースが振り向く。
「キース、ちょっといい? どうせ寝ないんだろ」
「入れよ。さっきは調子に乗りすぎたね。ごめん」
「いいよ。気にしてない」
「気にしてないって? 君は本当に人がいいな。妻を狙われてるっていうのに」
「……狙ってるの?」
「いいや。ヨウコさんが困るようなことはしないよ」
「そうだよね」
「さっきのことじゃないんだったら何の用?」
「あのさ、ヨウコに好きだって言っちゃえば?」
キース、ローハンの顔をまじまじと眺める。
「……前から思ってたんだけど、君はどこか頭のねじがゆるんでないか?」
「ねじなんて使ってないよ。……と思うけど」
「今のは慣用表現だろ?」
「だからさ、告白しちゃったら? すっきりするよ」
「それで? ヨウコさんには君がいるんだよ。フラられて気まずくなって二度と顔を合わせられなくなって終わりだよ。ヨウコさんも後味が悪いだろ。わけのわからない提案はやめてくれよ」
「やっぱりそうなるか。キースの分析なら間違いないよな」
「なんだよ、分析って? 常識で考えれば誰にでもわかることだろ?」
「じゃ、ぎゅーって抱きしめるってのはどう?」
「聞いてたのか?」
「ごめん」
「だからおかしな提案はやめろって」
「キースは俺の身体、使えるんだろ?」
「……何を言ってるの?」
「五分間だけ貸してやる」
「本気なのか?」
「一度はお前に譲ろうと思った身体だよ。ちょっとぐらいなら貸してやるよ」
「……見返りは?」
「見返り?」
「ヨウコさんを諦めろ、とか、出入りするのはやめろ、とか言わないの?」
「そんなひどい事言えるわけないだろ? 俺が『ヨウコに会うな』って言われたら死んじゃうよ。見損なってもらっちゃ困るな」
「……夫ならそれくらい言うのが普通じゃないのか?」
ローハン、困った顔で頭をかく。
「俺もどうしていいのかわかんないんだよ。今のキース、見てられないからさ」
「それは同情?」
「うん、そうだよ」
「……今、ヨウコさん、どこにいる?」
「キッチンでカップを洗ってる」
「本当にいいんだな?」
「きっちり五分だよ。その間は何も見ないし聞かないでやるよ。ちゃんと俺のフリ、出来るんだろうね。そんな無表情でいられちゃバレバレだからな」
「オスカー俳優に向かって失礼だな」
ローハン、目を丸くする。
「ええ? キースってオスカー取ってたの! すごいんだね」
「……それは……どうも」




