ヨウコ、ローハンに出会う
『昔々、この世にまだ天使がいなかった頃、ある島国にとても運の悪い女がおりました。ある朝、女が歩いていると探し物をしている老人に出会いました。哀れに思った女は老人に手を貸してやり、老人はなくしたものを無事に見つけることができました。
老人の正体は魔法使いだったのです。魔法使いは女の親切に深く感謝し、お礼に三つの願いを叶えてやろうといいました。女は一つ目の願いとして伴侶が欲しいと言いました。自分を決して裏切らず一生愛してくれる生涯の伴侶が』
T.タイラー著 『ヨウコにまつわる伝承』より抜粋 (21世紀日本語訳)
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ニュージーランドの南島の小さな町、七月のある寒い日の昼下がり、ヨウコが小脇に大きな本を抱えて市立図書館から出てくる。歩道を歩いていると前方に壁にもたれて背の高い男が立っている。ヨウコ、男をちらりと横目でみて通り過ぎる。
男がヨウコに英語で声をかける。
「ねえ、そこの君……」
「はい? 何か用?」
「俺とコーヒー飲みにいこ?」
ヨウコ、男を胡散臭そうに睨む。
「結構です」
「ちょっとだけだから」
「急いでるから、ごめんなさい」
急ぎ足で離れながらヨウコがつぶやく。
「最近、こんなのばっかり。超格好いいのになあ」
ヨウコの後を追ってきた男が、流暢な日本語で話しかけてくる。
「本当? 俺、超格好いいと思う? よかったあ」
「え? 日本語しゃべれるの?」
男、ヨウコの前に回り込んで、微笑みかける。
「超格好いい男とコーヒー飲むのは嫌なの? 俺とコーヒー飲んでも、君は損しないだろ?」
「なんなのよ? アンケート? それとも何かの勧誘?」
「違うよ、ただのナンパだよ」
ヨウコ、男を睨む。
「ああ、例の日本人狙いのやつね? 図書館周辺で日本人留学生に声かけてるって聞いたわ。罪もない子を泣かすの、やめときなさいよね」
「疑い深いんだなあ。それ、俺じゃないし」
「周りを見てごらんよ。若くてかわいい子がたくさんいるのに、私を狙う時点で怪し過ぎるでしょ? じゃあね」
立ち去ろうとすると男が悲しそうな顔をしたので、ヨウコが立ち止まる。
「どうしてそんな顔するの?」
「君が俺のこと、怪しいって言うから……」
「だって、怪しいじゃないの。……わかったわよ。コーヒーだけなら付き合ってあげるわ」
「ありがとう!」
「お礼なんかいいよ。おごってくれるんでしょ? あそこの店でいいかな? お店の人を知ってるから、ヤバくなったら助けてもらうわ」
「そこまで警戒しなくてもいいだろ?」
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ヨウコの指定した小さなカフェに二人が足を踏み入れると、店内の客が男に注目する。ヨウコ、居心地悪そうに周りを見る。
「俺、注文してくるね。先に座っててよ」
「何を飲みたいのか聞かないの?」
「フラットホワイトが好きなんだろ?」
「え? どうしてわかったの?」
注文を終えた男が戻ってきて、ヨウコの向かい側に腰を降ろす。男に見つめられて、ヨウコが居心地悪そうに目をそらす。
「で、いったい何の用なの?」
「ナンパって言っただろ? 君とコーヒーが飲みたかったんだ」
「どうしてそんなに日本語がうまいのよ? あなた、日系人?」
男、微笑む。
「俺、ローハンって言うんだ。君は?」
「ねえ、人の話、聞いてるの?」
ヨウコ、男を睨みつけるが、男は気にする様子もなくヨウコに微笑みかける。
「君は?」
「……ヨウコ」
ローハン、また嬉しそうに微笑む。ヨウコが目のやり場に困っていると、男性バリスタのトニーがコーヒーを運んでくる。
「ヨウコ、お店に来てくれるの久しぶりね。嬉しいわ」
「ここんとこコーヒーを飲む余裕がなかったのよ」
「この人、ヨウコの知り合いだったのね。一時間も外で待ってたのよ。あんまり素敵だから声をかけようかと思っちゃったわ」
ローハン、笑う。
「俺が来るのが早過ぎただけだよ」
「うふふ、ずいぶん、逆ナンされてたわよ」
トニー、ローハンに微笑みかけながら立ち去る。ヨウコ、不審な顔でローハンを見る。
「私に会うまで一時間も何してたのよ? 誰もひっかからなかったの? 声かけられてたんでしょ?」
ローハン 無視してコーヒーを一口飲む。
「おいしいなあ」
「コーヒー好きなの?」
「うん、このあいだ生まれて初めて飲んだんだけどね。すっかりはまっちゃって」
「コーヒーを初めて飲んだ? あんた一体どこから来たのよ。……ここ、ついてるよ」
ヨウコ、ローハンの口の周りについたミルクの泡を指差す。
「え、ここ?」
ローハン、ナプキンで口を拭って、ヨウコの顔をまじまじと見る。
「とれた?」
ヨウコ、うなずくが、見つめられて落ち着かなげに話題を探す。
「そのマフラー、かわいいね」
「かわいいだろ。さっきそこのマーケットで買ったんだ。よくわかんない動物柄が気にいったんだけど、これなんの動物だろ?」
「顔の長い猫じゃない?」
ヨウコ、あっさり答えすぎて、また話題に困る。ローハンが落ち着かないヨウコを不審そうに見つめる。
「……その本、図書館で借りたの?」
「うん、この本、知ってる? 一度読んだことがあるんだけど、また読みたくなって借りてきちゃった」
「三部作の一冊目だな。読んだことあるよ」
「こういうの好き?」
「面白いけど最後が気に入らないな。俺はハッピーエンドが好きなんだ」
「そりゃ、ハッピーエンドに越したことはないけどさ、でも、現実ってこんなもんじゃない?」
「ないよ」
「……はっきり言うのね」
にっこり笑うローハンを見て、ヨウコが慌ててまた目をそらす。
「どうしたの?」
「なんでもない……。平日にナンパしてるなんて暇なんだね」
「ちゃんと仕事はしてるよ。俺、プログラマーだから時間の融通が利くんだ」
「ふーん、モデルでもやってるのかと思った」
ローハン、目を丸くする。
「俺がモデル? 面白いこと言うなあ」
「だってめちゃくちゃ格好いいんだもん。さっき言ったでしょ?」
「そう思うのは君だけのはずだけど?」
「私だけのはずないでしょ? ……周りを見てごらんよ。みんなあんたを見てるよ。女性客はもちろん、トニーなんてもう目が離せないみたいだけど」
ローハン、そっと周りを見まわす。トニー、カウンター越しにローハンに微笑みかける。
「……本当だ」
「鏡で自分を見たことないの? あんた、どこかに問題がある?」
「……あのさ、もし自分の彼氏が凄く格好よくってモテまくりだったら、女の人ってどう思うんだろ?」
「そりゃあ、心が安らぐ暇がないわね」
ローハン、愕然とする。
「ええ! それは困るよ」
「何で困ってるのよ? でも、反面、嬉しいかな。そんな格好いい彼氏がいたら見せびらかしちゃうよ。簡単に浮気されそうだけどね」
ローハン、真顔でヨウコを見つめる。
「俺、浮気はしないよ。絶対に」
ヨウコ、見つめられて赤くなる。
「もしかして、恋愛相談なの? あんた、彼女いるんでしょ?」
「いないよ」
「ほんと? そんな顔してるのに?」
「でも、好きな子がいるんだ。告白しようか悩んでるところ」
「そっか、じゃあこんなところでナンパしてたら駄目じゃない」
「俺、気に入ってもらえるかな」
「そりゃ気に入ってもらえるよ。ローハン、すごく格好いいって言ったでしょ? 自信持っていいよ」
ローハン、驚いてヨウコを見る。
「ほんとに?」
「フラれっこないって」
「絶対?」
「うん」
「じゃあ、俺と付き合って」
「なに? 予行演習?」
「違うよ。君に俺と付き合って欲しいって言ってるの」
「はあ?」
「駄目なの?」
「駄目!」
「フラれっこない、って言ったじゃないか」
「それとこれとは別だって」
「嘘ついたの?」
「だって、あんたとは十分前に出会ったところだよ。ありえないでしょ? 帰るわ」
ヨウコ、荷物を持って立ち上がる。
「待ってよ!」
「待たない」
勢いよく店から走り出るヨウコに、ローハンが声をかける。
「明日もここで待ってるからね」
ヨウコが振り向くと、ローハンがにっこり笑って手を振っている。
「来ないわよ」
「今日と同じ時間ね」
「だから来ないって言ってるの!」
ヨウコ、前を向いて大股で歩み去る。