86. 二つのデート
ヨセフィーナがエリクスの屋敷に来た日から三日後。
その日から学校は三日間の連休に入り、マイラは久しぶりに課題も無い休みが貰えたことに浮かれていた。
前日の夜、楽しそうに翌日の外出準備をしていたマイラを見て、イリスが「ずいぶん嬉しそうですね」と声をかけた。マイラがつい正直に課題の無い連休だと口にしてしまったところ、彼はニッコリと笑ってマイラを追い詰めはじめた。
「そうですか。それでは連休初日は私とデートをしていただけませんか?」
「え?」
マイラは最近あまりベタベタと構ってこなかった彼に安心し切っていたため、突然の誘いにどう答えを返したらいいか迷い無言になる。だがそれが失敗だった。
「無言は肯定と受け取ります。プロポースまでしたのですよ?あの時あなたは曖昧にして逃げてしまいましたが、いつも言っているように逃すつもりはありません。課題が無いなら時間はありますよね。」
その言葉に、マイラは慌てて口を開く。
「えっと、でもねイリス!」
「拒否する理由が何かありますか?」
「それは・・・」
「では決定ですね。どこに行きたいですか?マイラ様の行きたい場所にお連れしますよ。」
イリスは床に軽く膝をつき、ソファーに座るマイラの手を握る。その手は少し熱くて、マイラは自分の手がだいぶ冷えていることに気付いた。
「あのね。やっぱりこういうのは・・・」
彼の手が離れ、今度はマイラの柔らかな髪に触れる。その触れ方はどこまでも優しく、でも意味深で、次第にマイラの鼓動は速くなっていった。
「私が聞いた情報によると、エリクス様は明日、ヨセフィーナ様とデートをされるようですよ?」
マイラの思考が一瞬だけ停止する。二人が、デート?
「それにせっかくのお休み、マイラと二人っきりでゆっくり過ごしたい。駄目かな?」
困ったような寂しそうな顔で見上げる彼の瞳に降参し、マイラは渋々小さく頷いた。
翌日、太陽の季節も中盤を迎え、朝からかなり暑さを感じる一日が始まった。
朝食を早めに終えたマイラは、支度を整えて二階から降りてきたエリクスと危うくぶつかりそうになる。
「おっと!おはようマイラ、今朝は早いね。どこか行くのかい?」
「ええ、今日は私とデートなんです。」
マイラが口を開くより先に、後ろに控えていたイリスがその質問に勝手に答えてしまった。いつの間にいたのだろうとマイラは唖然とする。
「デート!?」
エリクスの方も不穏な言葉に驚き、そして顔を顰める。マイラは慌ててそれを誤魔化すように両手を振ると、イリスを少し睨んでからエリクスに言った。
「デ、デートじゃありません!ちょっと二人で出かけるだけです!せっかく課題も無いし、お兄様は、その、ヨセフィーナ様と・・・お出かけなので。」
「マイラ・・・」
マイラが俯き、エリクスが慰めるように近付こうとする。だがその甘くなりかけた雰囲気を断ち切るように、イリスが二人の間に割って入った。
「とにかく、今日はマイラ様を連れて出かけてまいります。エリクス様もどうぞお気をつけていってらっしゃいませ。」
イリスは優雅かつ余裕たっぷりな笑みをエリクスに見せつけると、マイラを連れてさっさと二階に上がってしまった。
「イリスの奴・・・」
エリクスは苦虫を噛み潰したような顔をしながら二人の後ろ姿を見送ると、大きなため息を一つその場に残して自室へと戻っていった。
マイラとイリスは支度を終えるとすぐに屋敷を出発する。
実はこの日マイラはできるだけデートっぽくならないようにと、いくつかの用事を作ってイリスにはその付き添いをしてもらうというスタンスをとっていた。
「マイラ、今日はどこに行きたいの?」
いつもよりフランクに話しかけてくる彼に少し戸惑う。
「ええと、まずはね、ホーク叔父さんに最近いくつもお菓子をいただいていたから、そのお返しを買って届けたいの。それからナタリアさんにお手紙を書こうと思ったら便箋が少なくなってたからそれも買って、あとは・・・」
「ねえマイラ、そんなに俺とのデートはいや?」
(うっ、そんなに悲しそうな顔で言われると困るんだけど・・・)
「え!?えっと、そうじゃなくてその、だってデートだなんてそんな・・・」
ドギマギしながら曖昧にそう答えると、イリスは悲しそうな顔のままマイラの手を握って言った。
「俺はただマイラとゆっくり話したり、お互いのことをわかり合っていきたいだけなんだ。それは望みすぎなのかな?」
「イリス・・・ううん、そんなことない!だって私達友達だもの。でもその、デートって言われるとちょっと心苦しいというか・・・」
イリスの手がマイラの頭に伸びる。優しく撫でてくれる彼の手を感じながら、マイラは顔を上げた。
「もしかして、エリクス様のことを想っているのに別の人とデートなんて、とか考えてる?だったら気にしなくていいよ。俺が無理やり誘ったんだから。それよりも、とにかく俺と一日楽しく過ごしてほしい、それだけなんだ。それならいい?」
甘えてくる子犬のような彼の瞳に根負けし、マイラは小さく頷いた。イリスの表情がパアッと明るくなる。
「良かった!それじゃあ行こうか。」
イリスは当たり前のようにマイラの手を握ると、颯爽と歩きだした。
― ― ― ― ―
一方のエリクスは、ヨセフィーナと共にこの町で一番大きな劇場にやってきていた。二人の親密な様子を見せつけるのにはうってつけの場所だということでヨセフィーナと意見が一致した結果、初デートはこの場所に決まった。
「ヨセフィーナさん、今日のドレスはとても素晴らしいですね。よくお似合いです。」
エリクスは爽やかな笑顔でヨセフィーナを褒める。彼女も美しく品のある笑顔を返し、エリクスの腕に手を絡めた。
常に人で溢れかえっているこの大きな劇場では、当然何人もの知り合いに出くわす。エリクスが珍しく女性と一緒にいることに興味津々の彼らに声をかけられる度に何とか笑顔だけで切り抜けていたのだが、一人、どうしても逃げられない厄介な人物に見つかってしまった。
「まあ!エリクス!あなたがまさか女性と一緒に観劇だなんてまあまあまあ!」
振り返るまでもなく誰だかわかったエリクスは、ため息をついてから無理やり笑顔をつくり、ゆっくりと振り向いた。
「イザベラ伯母様、ご無沙汰しております。」
イザベラ・タマロはヨアキムの姉、エリクスの伯母に当たる女性だ。会えば一時間は話が止まらない、おしゃべりでパワフルで時々鬱陶しさを感じる人だが、悪い人ではない。
「ヨアキムったら何も教えてくれないんだもの!なあに水臭いわねえ、小さい頃は何でも話してくれたのに。ほら、あの池で魚を釣ったこととか、リアに足を固められて半日動けなかった話とか。でもこんな素敵なお嬢さんがいらっしゃるならルーイ家も安泰ね!本当によかったわあ!」
「あはは・・・。あの伯母様、そろそろ時間なので・・・」
「そうね!ごめんなさい邪魔をしてしまって。またゆっくり話を聞かせてもらいにいくわ!」
エリクスはその言葉に肯定も否定もせず、笑顔だけ残し逃げるようにその場を離れた。
「ふふふ。エリクス様にも苦手な方がいらっしゃるのね。てっきりどんな人でも平気であしらえるのかと思っていましたわ。」
ヨセフィーナが面白そうに小さな声で囁く。エリクスはチラッとその顔を見てすぐに前を向いた。
「苦手な人くらいいますよ。ちなみに私はあなたが一番苦手です。」
「まあ!よく言われるんですよ、それ。私、こんなに礼儀正しく優しい人間なのに、なぜかしら?」
「・・・」
きっと彼女の裏側のさらに奥の奥まで覗き込もうとしても、飄々としたヨセフィーナは決して本当の彼女を人に見せることはないのだろう。だからこそ調査隊の仕事ができるのだろうし、若くして隊長という地位にまで上り詰めることができたのだ。
「ああ、あの柱の側にいる男はバルターク家がよく使っている情報屋ですね。エリクス様、私達の仲の良さをしっかり見せつけておかないといけませんね?」
ヨセフィーナがエリクスの肩に頬を寄せる。エリクスは自然な笑顔を心がけながらそんな彼女に微笑みかけた。
「お任せください、ヨセフィーナさん。ついでに少し魔力を放っておきますよ。」
するとエリクスから大量の魔力が漏れ始め、辺りにはうっとりとした表情を浮かべた女性達、そして数名の男性達の輪が生まれていった。情報屋だという例の男もエリクスから目が離せなくなってしまったのか、隠れていることも忘れてじっとこちらを見つめていた。
ヨセフィーナは満足そうにその光景を見渡すと、エリクスを優しく引っ張るようにして劇場内へと入っていった。
― ― ― ― ―
イリスに手を握られたまま町の中を歩いていたマイラは、小さな骨董品店の前で立ち止まった。あまり大きくはないが、丁寧に飾り付けられたショーウィンドウをじっと覗き込む。
「どうしたの、マイラ?」
イリスも一緒になって同じ場所を見つめるが、マイラが何に夢中になっているのかはわからない。
「うーん、これってきっと・・・」
マイラはまだ中を見つめている。そしてパッと顔を上げると、イリスにここで待っていてと告げて店の中へと入っていった。
「いらっしゃい。」
背の小さな年配の男性が、目尻に皺を寄せて微笑んでいる。マイラは思い切ってショーウィンドウを指さし、大きな声で尋ねた。
「すみません、窓のところにある小さな絵なんですけど、もしかしてエリーという人の作品ではありませんか?」
後ろからそっと入ってきたイリスは、それを聞いて顔を顰めて立ち止まった。マイラはそれに全く気付かず、店主の答えをじっと待つ。
店主の男性は眉を少し上げた後「ええ、よくおわかりになりましたねえ」と言ってショーウィンドウの中からその小さな絵を取り出してマイラの方に向けてくれた。
飾り気のない額縁に入った小さな絵。そこには一人のローブを纏った女性が、なぜか晴れ渡った空の下で天高く振り上げた杖に雷を呼び込むような絵が描かれていた。
「あの、これを少しの間見せていただくことはできませんか?」
「おや、てっきり売ってくれと言われるかと思っていましたよ。そんなことでよければどうぞ。ああ、後ろの方も良ければそちらにお掛けください。」
その時マイラはようやくイリスが後ろに立っていたことに気付いた。
「イリス?ごめんなさい!すぐ呼びにいくべきだったのに・・・」
「いいよマイラ。その絵が気になるの?」
「うん。少し見て、目に焼き付けておきたい。」
「・・・わかった。」
マイラは絵の方に意識を向ける。数少ないエリクスの絵をこうして間近で見ることができたことに気持ちは浮き立ち、絵を見ながら自分の魔法のイメージも強化していった。
(小さいけれど素敵な絵・・・エリクスさんの絵。しっかり心の中に残しておきたい!)
そんなマイラの姿を、イリスはただ黙って見守っていた。