83. 調査、進展
その日エリクスは、仕事のため早朝から家を出ていた。取引先との打ち合わせや会食などが続き、結局家に帰ったのはだいぶ暗くなってからだった。
そして帰宅してすぐ、エレンからとんでもない報告を受けた。それはマイラが倒れて意識が戻らないというものだった。
彼女が半泣きで説明した内容はこうだった。
午後になりマイラに来客があり、名前を伝えると会いたいとのことだったのでお通しした。客は若い男女二人で、マイラはしばらく応接室で仲良く談笑していたと言う。
ところが突然大きな魔力が屋敷の中で使われたことを感知したエレンは、急いで応接室に向かった。するとその部屋のテラスへのガラス戸が開きっぱなしになっており、床にはマイラが倒れていた。
血の気を失いながらマイラを抱き起こし、キーツやメイソンを呼んで医者も手配した。体には何の問題もなかったが、どうやら何かの魔法を使われたようで、その魔法陣の痕跡が床に残されていたらしい。
「そんなことが・・・その男女の名前は?」
「ナタリア・ローザ様とディーン・ジェックス様です。」
「ディーン!?」
その名前を耳にした途端一気に血の気が引き、エリクスは急いでマイラの部屋に向かった。そしてベッドに横になっている彼女に近付き、その状態を確認する。
「マイラ・・・」
マイラは静かな寝息を立てて眠っていた。医者が言うには、体には何の異常もないが何かしらの魔法の影響を強く受けており、できれば魔法に詳しい人に診てもらったほうがいい、とのことだったそうだ。
(これは・・・もしかしたらマリーさんご夫妻に診てもらった方がいいかもしれない!)
こうしてマイラの状態があまり良くないと直感したエリクスはエレンを伴い、最速の方法でマリー家に向かったのだった。
― ― ― ― ―
その頃、研究所から急遽依頼された仕事を終えて帰宅したイリスは、キーツから伝言を受け取り真っ青になっていた。
(ディーンが直接接触してきたのか!?)
エリクスからの伝言にはエレンから聞いた内容が簡潔にまとめられていた。それによると今三人はマイラの実家に向かっているらしいということもわかった。
そしてイリスはすぐに屋敷を出ると、研究所に舞い戻った。
「オレクさん!!」
第九研究室のドアを、ほぼノックと同時に勢いよく開ける。オレクは片方の眉を大きく上げて、その行動に苦言を呈した。
「おいおい!ノックの意味がないだろう!?それにどうしたんだそんなに慌てて!」
イリスはそんな叱責の言葉など全て無視してオレクに詰め寄る。
「先日話されていた調査隊の方に会わせてください!」
「はあ!?」
「お願いします!緊急事態なんです!!」
オレクはいつも冷静なイリスの見たこともないほど慌てた姿に驚き、黙って引き出しを開いた。そして一枚の紙を手に取ると魔法でイリスの元までそれを飛ばす。
飛んできた紙を受け取ったイリスは、オレクをじっと見つめた。
「これは何です?」
「その住所の場所に行け。オレクを探していると言えば通してくれるだろう。」
「・・・無理を言ってすみません。」
「いいさ。いいものも見れたしな。早く行け。」
「失礼します。」
そうしてイリスは、いつになく早足で研究所を飛び出していった。
一時間後、イリスが到着したのはさほど大きくはない石造りの建物だった。周囲には同じような建物が並び、特に目立つ特徴的な違いはない。だがそのドアだけはかなり特殊な素材で作られていることがわかり、ここが目的地であるとイリスは確信した。
「このドア・・・オレクさんが研究していた素材か。」
イリスはそのドアを強い力でノックする。すると中から目つきの鋭い男性が一人現れ、何の用だとぶっきらぼうに尋ねた。
「オレクさんを探しています。」
イリスがそれだけ伝えると、中の男は奥にいる人に何やら話しかけた後、ゆっくりとドアを開けた。
「入れ。」
イリスは黙って中に入る。少し薄暗い廊下を進むと、突き当たりにまたドアがあった。先導していた男がそこを開ける。そして釘を刺すように言った。
「ここで見たことは他言無用だ。」
「はい。」
そしてようやく部屋の中に入る。そこには数名の男性に囲まれるようにして、驚くほど若い女性が一人立っていた。
「イリス・ウェイリー、あなたのような有名人がこんな場所に何の用かしら?」
(いや、見た目より年上か?どちらにしろ、この女性がここで一番上の立場なのは間違いないな)
黒い髪をきつめにまとめ上げたその女性は、イリスを品定めするように瞬きもせず見つめている。
そしてイリスの脳内で行われた一瞬の人物評価を見抜かれたのか、彼女はフッと笑ってから近くの椅子に腰掛けて言った。
「こんな年若い女性がどうして一番偉そうにしているのかって思ったのかしら?」
「・・・女性に年齢を尋ねるような趣味は持っていません。」
「ふふふ。そう。それはよかった。じゃあ早速本題に入りましょう。クロヴィス・モレのことは何一つ話せないわ。それ以外ならある程度の情報はあげてもいい。見返りはもらうけれど。」
イリスは周囲に立つ男性陣を一瞥すると黙って頷いた。
「了承ということね。それで、誰の情報が欲しいの?」
「ディーン・ジェックスです。」
「ああ、あの精神が不安定な男の子ね。彼は元々魔法が使えない子だったの。でもクロヴィスに出会ってから使えるようになったみたいね。」
「後からですか?」
「ええ。かなり特殊な事例ね。だからこそあの男に心酔している。そして例のペンダントを何人もの若者達に配っていることも調べがついているわ。」
「あれか・・・」
目の前の黒髪の女性は足を組んで背もたれにグッと寄りかかる。
「ディーン・ジェックスはクロヴィスから魔法陣の知識を少しずつ引き継いでいる一人よ。今はクロヴィスがいくつか持っているアジトの一つにいるという情報が入っているわ。」
「場所を教えてもらうことは?」
「それは無理ね。クロヴィスに繋がる大事な線なの。勝手に接触されると困るわ。」
「・・・彼の使える魔法陣の種類はわかりますか?」
女性が片手を挙げると、後ろに控えていた一人の男性が彼女に一冊のファイルを手渡した。彼女はその中から一枚の紙を取り出すと、別の男性が手渡した紙に手をかざし、書かれている内容を魔法で写し取っていく。
そして出来上がった紙をイリスに差し出した。前に数歩進み、イリスはその紙を丁寧に両手で受け取る。
「これだけはあげるわ。見返りはあなたの従姉妹のメリーアン・バルタークの情報。できれば最近の交友関係がありがたいわね。彼女そういうことはとても上手に隠すのよ。」
「わかりました。オレクさん経由で三日以内に連絡します。」
イリスはその紙を胸ポケットにしまいこむと、柔らかな笑みを浮かべる女性に軽く会釈をして、静かにその建物を出ていった。
― ― ― ― ―
マイラを連れてマリー家を訪れた日、エリクスはケントと初めて腹を割って話し合う機会を持った。
ケントは娘の状態を見て明らかに怒りを感じていたと思うが、話し合いの最中は最初から最後まで冷静さを保っていた。家ではマイラがいつ起きるかわからないからと、マルクの家のリビングをお借りして話し合いをすることとなった。
「マイラがどうしてこうなったかはよくわかった。そのペンダントの話もとある筋から聞いて知っている。おそらくそのディーンという青年は、何らかの魔法陣を組み込んだ魔法道具を一瞬で発動させたんだろう。短時間で気付かれずに魔法陣を展開できるとしたら、その方法しかない。」
「ですがそんな複雑な魔法陣を、持ち運べるほど小さな物に組み込むなど・・・」
ケントの額に僅かに青筋が立った。
「一人、思い当たる人間がいる。ここでは名前は出せないが、たぶんその男の仕業だろう。だとしたらそのディーンという青年も、いつ食い物にされるかわからないな。」
「・・・」
仮にも友人だった彼が道を外れていくのを、今の自分は黙って見ていることしかできない。エリクスはそれがとても悔しかった。
「その青年が何のためにマイラの記憶を取り戻したかったのかはわからないが、間違いなく今あの子にかかっているのは『封印魔法』の解除魔法だな。」
「ではそれ以外に彼女を苦しめるような魔法はかけられていないのですか?」
ケントは大きく頷く。
「ああ。俺の見た限りでは問題ない。だが封印魔法が解かれれば、マイラは別の意味で苦しむかもしれない。」
「それはいったいどういう・・・」
エリクスの言葉はケントの苦しそうな表情を前にして消えていった。聞いてはいけない、知ってはいけない領域に踏み込もうとしているのだろうか?
ケントは大きく息を吸い込みそれを吐き切ると顔を上げ、エリクスを真正面から見つめて言った。
「マイラにどんな過去があっても君は受けとめられるか?」
「はい!!」
エリクスは何の迷いもなくそう答えた。まだ何も事情を知らないのにも関わらずそう言えたのは、それだけこの一年覚悟を決めてきたからだ。
マイラを守る。マイラと共に生きていく。
そのためにマイラの過去も含めて全てを受け入れると決めていた。ケントもそのエリクスの強い決意をひしひしと感じているようだった。
「そうか。・・・この後マイラのところに戻る。そこで俺達が知っていることは全て話そう。君も、聞いておいてくれるか?」
「はい、もちろんです!」
ケントの口角が僅かに上がった気がしたが、そこから先その表情をエリクスが見ることはなかった。
その後、マイラに衝撃的な告白を終えたマリー夫妻はエリクスに貴重なバングルを託し、三人を温かく送り出してくれた。
そしてエリクスは自宅に戻るとすぐに、ある場所へと向かった。シェイリーの店だ。
この日はあの若い男性店員はおらず、店先にはシェイリーが座っていた。
「いらっしゃい。そろそろ来る頃かと思ってたよ。」
「どうも。シェイリーさん、新しい情報は入りましたか?」
エリクスが笑顔で詰め寄ると、シェイリーはしばらく考えてから黙って奥の部屋へ入り、すぐに何かを持って戻ってきた。
「前も言ったがあたしはこの話には関わりたくない。だからあんたに教えられるのはこれだけ。あのペンダントを持った若者達のほとんどが失踪している。だけど当然助かった子もいた。一人、そういう子を知ってる。これはその子の住所だよ。いいかい、接触するなら彼の身の安全も確保してからにしな。あんたんとこの店で守るとかね。できるかい?」
「当然です。全力を尽くします。」
「行くなら早い方がいい。国外に逃げることも考えてたみたいだからね。」
「ありがとうございます。」
エリクスはため息をついて紙を渡してくれたシェイリーにとびきりの笑顔で礼を述べると、素早く店を出ていった。
「まあ、目の保養をさせてもらったことをお代としとくよ・・・」
シェイリーはそう独り言を言うと、あっという間に店を閉め、奥の部屋に引きこもってしまった。