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8. 両親の説得

「マイラ・・・そこに座りなさい。」

「はい・・・」

「ルーイさんもこちらへどうぞ。」

「あ、ありがとうございます。」


 父ケントは、マイラが家に帰った瞬間こそ満面の笑顔だったが、そのすぐ後ろにエリクスの姿を認めると、途端に見たこともないほど険しい表情になってしまった。


 そして今、その野獣のような恐ろしい形相のまま腕を組んで座り続ける父の前で、マイラは母の出してくれるお茶を今か今かと待っていた。


(どうしよう、これはもう絶対に許してくれない流れなんじゃ・・・)


 両親に相談する前に契約を結んでしまったことを、マイラは今さらながらに悔やんでいた。きっとそんなことをすれば父を悲しませてしまうだろうとわかっていたはずなのに、あの時はエリクスにどうしても『治癒の魔法』の絵を描いてほしくて、つい勢いで契約をしてしまった。


 ケントはアンジュが持ってきてくれたお茶を一口飲むと、震える手でそれをテーブルに置く。アンジュは黙ってケントの隣の椅子に座った。


「マイラ。まずこちらの方を紹介しなさい。それから事情を説明してくれ。」


 ケントの声は低く、明らかに怒りを抑えているのが伝わってくる。


「お父さん、この方はエリクス・メイ・ルーイさん、町でやっとのことで見つけた、例の絵を描いた方なの。」

「初めまして、マイラさんのお父様。私はエリクス・メイ・ルーイと申します。マイラさんからぜひ絵を描いて欲しいと頼まれまして、代わりに私のためにも力を貸していただけないかとお願いしにここに参りました。」


 エリクスはマイラの心配をよそに、冷静で紳士的に父と向き合っていた。


「ほう、それでそのお願いというのは?」


 ケントは組んだ腕を解くことなく、ジロッとエリクスを睨みつける。


「はい。実は私には少々体質的な問題がありまして、その、女性にかなり好かれやすく・・・」


 ケントの顔色が変わる。


「ま、まさかマイラ、この男の魔力の影響を受けてこんなことになってしまったのか!?だからあれほど町は怖いところだと言ったのに!だが安心しなさい、父さんが今から全力で」

「お父さん!もう、主人がごめんなさいね。でも確かにあなたの力は過剰に漏れ出てしまってるわね。これだと普通の生活を送るのも一苦労かもしれないわ。」


 アンジュが暴走を始めたケントをいつものように諌める。エリクスはアンジュの言葉を聞き、不思議そうにマイラの両親を見て言った。


「お二人は魔法使いでいらっしゃいますよね?しかもかなりの力をお持ちとお見受けしますが、なぜこのような辺境の地にお住まいなのですか?お二人ほどの能力があれば・・・」

「ルーイさん、私達のことはいいのよ。それより先ほどの話の続きをお願いします。このままだと主人が誤解したままもっと暴走して手がつけられなくなるわ。・・・たとえあなたでも。」


 アンジュの言葉にエリクスは息を呑んだ。マイラは二人のその意味深なやり取りを片方の眉を上げて見つめていた。


「わかりました。実は・・・」


 アンジュが場を落ち着かせてくれたことでようやくエリクスは全ての事情を説明し終えることができ、先ほどまで怒り心頭だったケントも少しだけ表情を和らげ、組んでいた腕も解いた。


「なるほど。だが三年間というのは長すぎやしないか?マイラだってその間に二十歳になってしまう。もちろん嫁になど行かずずっと父さん達と一緒にここで暮らしたって構わないが、マイラがいい人を見つけたと思った時に君の元を離れられず、しかも偽の身元を名乗らなければならないなんて悲しすぎるじゃないか。」


 アンジュもそれには同意のようで、ゆっくりと頷いてから話し始めた。


「それはお父さんの言う通りだとお母さんも思うわ。マイラ、あなたはそれでもいいの?その覚悟はできてる?」


 マイラは少し俯いていた顔をパッとあげた。心配そうな父、覚悟を見守る母の目が、娘の成長を見守っていた。


「うん。この先誰ともうまくいかなくったって構わない。私の人生の目的は今は『治癒の魔法』の絵だけだから。その絵を描いてもらって約束の三年が終わったら、必ずここに帰ってきます。」


 その覚悟の重みを、エリクスは隣で再び感じていた。二日前の雨の日、マイラが見せた表情はやはり嘘ではなかったのだと改めて実感する。


「お父様、お母様。私が三年間責任を持ってお嬢さんをお預かりします。マイラさんが私の絵を心から望んでくれたように、私もマイラさんのためにできることはします。三年後にもし誰かとの縁談を希望されるなら、全力でお手伝いもいたします。どうか、マイラさんのお力と時間を私にお貸しください。」


 マイラはエリクスの真摯な姿勢と言葉に、なぜかとても感動していた。こんなとんでもない契約を持ちかけた張本人なのに変なのと思いつつも、自分のために一生懸命両親を説得してくれる彼が今はとても頼もしく見えた。


 一方ケントはうーんと唸って頭を抱え始めた。だがアンジュがぽん、とその肩に手を置くと、諦めた様子でマイラの顔を見て言った。


「はあ。わかった。その代わり年に一度は必ず家に帰ってきなさい。ジャンさんにお迎えを頼むから絶対に一週間は帰ってくるように!」

「はい!」


 父と娘はうるうるしながらお互いのしばしの別れを惜しんでいたが、その横で母アンジュはこっそりとエリクスに釘を刺していた。


「・・・ルーイさん。私達のことは他言しないでね。もし誰かに言ったらあなた達の『契約魔法』を破壊するわ。そうしたら困るのはあなたよ。」

「え!?・・・ええ、もちろんそんなことはいたしません。」

「そう!じゃあマイラのこと、よろしくね。」

「は、はい!」


(契約魔法を『破壊』だと!?この人は一体何者だ?そもそもどうしてもう契約を結んでいることに気づいているんだ!?)


 エリクスは目の前の美しい女性の正体に怯えながら、マイラがワイワイと楽しそうに父親と話す姿を横目で心配そうに見守っていた。



 両親との話し合いを無事終えた二人は、その日マイラの家に一泊することとなった。


 マイラは久しぶりの我が家でのびのびと寛ぎ、エリクスもまた温かい家庭の雰囲気を割と楽しんでいるようだった。


 夕飯を終え、外の空気を吸おうとマイラは大きな窓から外に出る。広めのウッドデッキになっているそこは、以前父と作ったベンチが置いてあるお気に入りの場所だ。


「ふわー、気持ちいい!やっぱり家は最高!」


 ベンチに座り、体をぐーっと伸ばす。心地よい夜風がマイラの頬をくすぐっていく。空には数え切れないほどの星が瞬き、草原からはいつものザザ、ザザ、という眠気を誘う音が聞こえてくる。


「マイラ、ここにいたのか。」

「エリクスさん、座りますか?」


 エリクスは苦笑しながらマイラの隣に座った。


「あんなにお兄様って呼んでたのに、実家に来たらあっという間に『エリクスさん』になってしまうんだな。」


 マイラはキョトンとした顔で彼を見ていたが、すぐにふふっと笑って夜空を見上げた。


「そうですね。家に帰ってきたら何だかほっとしちゃって。でも家とか家族ってそういうものですもんね。」


 遠くを見つめるエリクスは、その言葉にしばらく答えが返せなかった。


「俺は・・・よくわからない。家族とこんな風に温かくて優しい時間を、あまり過ごした記憶がないんだ。」

「エリクスさん?」


 エリクスはマイラの頭に手を載せて微笑んだ。


「心配するな。これからの三年間はお前が俺の優しい妹になってくれるんだろう?温かい家庭とやらをぜひ俺にも教えてくれ。」


 マイラは何かくすぐったい気持ちになって自分の顔を両手でギュギュッと挟み込んだ。


「うー、仕方ないなあ!じゃあお兄様に家族の素晴らしさってやつを教えてあげます!絵のお礼に!」

「まだ何も描いてないのに優しいんだな。じゃあ、これから三年間よろしく、マイラ。」

「はーい!お兄様!」


 二人は明るいあの町ではほとんど見えない満点の星空を、最高のウッドデッキとベンチの上で寒くなるまで楽しんだ。


 そして小さいがふかふかのベッドにもぐりこむと、アンジュが用意した朝食の美味しそうな香りが起こしてくれるまで、二人は長く楽しい夢の世界へと旅立っていった。


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