70. 短い休暇と顔合わせ②
広々とした応接室に入ると、セシーリアが五人の女性達を丁寧に案内してソファーに座らせようと声をかけた。だがその途中で二人の女性の目の色が明らかに変わった。
その二人はソファーの後ろに立つエリクスをぼーっと見つめだし、セシーリアもそれに気付くとメイドの一人に合図をして別室に連れていくよう指示を出していた。
「さて、これできちんと紹介できるわね。エリクス、右の方はヘムス家の次女マリンナ様よ。以前からエリクスに興味を持ってくださっていてね。今日はぜひ一度会いたいと仰るのでお呼びしたの。」
マリンナと呼ばれた背の小さなくるくると巻いた赤毛の女性は、にっこりと微笑むときちんとした礼を見せてくれた。動きが小動物っぽくて可愛らしい女性だ。
「はじめまして!マリンナ・ヘムスです。お会いできて嬉しいです!」
元気な挨拶が終わると、セシーリアは真ん中に座る女性を紹介する。
「こちらの方はロディーン家長女のヨセフィーナ様。彼女のお母様とは古い知り合いでね。今回お母様からぜひにと頼まれたの。」
ヨセフィーナは背の高い青く見えるほどの真っ黒なストレートヘアを綺麗に結い上げた切長の目が美しい女性だった。
「よろしくお願いいたします。急なことですが、一日お邪魔いたします。」
穏やかで小さな声の彼女は、控えめだが芯の通った強さを感じさせる。
そしてセシーリアが最後の女性を紹介しようと手を差し出すと、その人はゆっくりとソファーから立ち上がった。その瞬間、マイラは何か不思議な予感を感じて顔を上げた。
(何だろう、すごく、怖い人・・・?)
決して表情や雰囲気にそれが現れていたわけでは無い。むしろ他の二人よりもずっと感じが良く、そして隠しきれない知性と美貌が部屋中の雰囲気を圧倒していた。それでもマイラにはなぜか『怖い』という感情しか湧いてこなかった。
「・・・彼女は、バルターク家の長女、メリーアン様。素晴らしい成績でジョアンナ女子上級魔法学校をご卒業されて、今はご実家のお仕事をかなりの部分担っていらっしゃる才女なのよ。あなたの二つ年上だし、仕事のことなら彼女に何でも聞くといいわ。」
セシーリアの態度も表情もメリーアンと同様に変化は無い。だがマイラは、部屋の中の微妙な空気の違いを感じ取っていた。
(セシーリア様が緊張している?そんなまさか・・・)
マイラがその僅かに緊張感のある空気を感じながら状況を見守っていると、優しく張りのあるその声でメリーアンは自己紹介を始めた。
「お会いできて光栄ですわ、エリクス様、それと・・・マイラ様。メリーアン・バルタークと申します。今日は晩餐会にまでご招待していただきまして本当にありがとうございます。今夜皆様とゆっくりお話しできるのを楽しみにしていますわ。」
エリクスは眉一つ動かさず、小さく会釈だけを返す。だがマイラの方は、こんな素晴らしい人達ならばエリクスが誰を選んでもおかしくないと思い、一人で勝手に落ち込んでいった。
その後エリクスとマイラも簡単な自己紹介を済ませると、セシーリアが主導となりお互いの家の話が始まった。マイラは当然話についていけず、困ってただ笑顔で頷くばかりだ。
するとヨアキムが静かにマイラの背後に忍び寄り「ちょっと外へ」と耳打ちしてきたため、驚きながらも素直にその指示に従い応接室を出た。
マイラは前回のご両親の訪問の際にヨアキムと話す機会がほぼ無かったので、彼が廊下で茶目っ気たっぷりの笑顔を見せながら「ごめんね、変なことに巻きこんで」と言った時には目を丸くしてただただ頷くことしかできなかった。
結局、今回のこの状況について彼は何も説明してはくれなかったが、とにかくこの件にこれ以上関わってはいけないのだと判断し、マイラはトボトボと自分の部屋に戻っていった。
部屋に戻った後は予定していた勉強を淡々と終わらせ、晩餐会までの時間を潰そうと庭の散策に出かけた。
部屋を出る前、マイラの部屋付きメイドに「先程応接室を出ていったご令嬢達は?」と尋ねてみたところ、どうやらあの後こちらから馬車を出して家に帰してしまったとのことだった。
「奥様は、エリクス様のお力に弱い方を伴侶としては認められないようですよ」とそのメイドが語っていたのを、マイラは歩きながらぼんやりと思い出す。
(それでも三人が残った。お兄様があの中の誰と結婚してもおかしくないくらいの素敵な人達だよね・・・)
日が沈みかけた広すぎる庭の光景は、橙色の上に徐々に滲んでいく紺色の空によく馴染んでいた。
薄手のコートしか羽織ってこなかったマイラはブルッと身を震わせると、ゆっくりと元来た道を引き返していく。
そしてだいぶ空が暗くなってきた頃、本邸の玄関まであと少しというところで前方からエリクスが歩いてくるのが見えた。
「マイラ、どこに行っていたんだ?」
マイラに声をかけてきた彼の表情は、暗くてよく見えない。
「ちょっとお庭を散歩していただけです。本当に広いですね。何だか森みたいになっている場所もあってびっくりしました!」
そう言って微笑もうとしたが、あまりうまくは笑えなかった。エリクスが徐々にマイラに近寄り、手を伸ばす。だがマイラはその手を避けるように後ろにさがった。
「マイラ?」
「あの、もう時間ですよね?急いで戻りましょう。」
「マイラ、待ってくれ。」
エリクスはマイラの手を握ろうとしたが、マイラはそれをさっとかわした。
触れられてしまえば想いが募る。今はどうしても、そっとしておいて欲しかった。
「やめてください!もう、行きましょう。」
「・・・」
それだけ言うとマイラは振り返りもせず、そこで立ち止まったままのエリクスを置いて、足早に屋敷へと戻っていった。
晩餐会は賑やかに始まり、心配していたようなぎこちない空気にはならなかった。エリクスの婚約者候補者達は今日はただの顔合わせだときちんと理解し、当たり障りのない話をお互いに披露しあっていく。
赤毛のマリンナは最初の印象通り元気いっぱいな若い女性で、どうやらマイラの一つ上ということがわかった。学校生活について話を聞く限り、勉強はあまり好きではないらしい。
黒髪のヨセフィーナはあまり口数は多くなかったが、穏やかに卒業後の進路について話をしてくれた。エリクスと同い年の彼女は、調査隊に入ることがもう決まっているらしい。
そして、緩く波打った焦茶色の髪が美しいメリーアンは、すでに実家の仕事のかなりの部分を担当しているとのことだった。仕事の話はよくわからなかったが、若いながらも活躍しているのだろうということはマイラにも伝わった。
一方のマイラは特に話すこともなかったのだが、エリクスに話題を振ってもらったことで学校生活の話を披露することができた。彼が成績のことを褒めてくれたので、心配していたのが嘘のように落ち着いて話を終えることができた。
三人の女性達も笑顔で優しくマイラに話しかけてくれて、どうにか緊張せずに食事を続けられたのはありがたかった。
(本当に感じの良い人達だなあ。でもお兄様はいったい誰を選ぶんだろう?)
いやむしろセシーリアが選ぶのだろうか、などと思いながらチラッとその顔を見ると、彼女は優雅にワインを飲みながら微笑んでいた。
マイラは不自然にならないようゆっくりと部屋を見渡し、そこでふと自分がとても場違いなところにいることに気付かされる。
(早く帰りたい・・・でも最後まで頑張らなきゃ!)
そんな思いを抱えた晩餐会も無事に終わり、マイラは客人達に挨拶をした後ダラダラと部屋に戻る。
慣れない場に参加した気疲れでぐったりしてしまったマイラは、微かなノックの音も無視して、その夜はあっという間に夢の世界へと飛び立っていった。
翌朝、朝食を終えると彼女達は早々に帰宅していった。セシーリアも仕事があるからと言って彼女達が去った後すぐに出かけていき、本邸にはヨアキムとエリクス、そして彼女達と入れ替わりになるようにやってきたリアが残った。
「マイラ!久しぶりね!」
「リア!会いたかった!!」
二人は再会するとすぐに笑顔を見せ合い、早速二人っきりでマイラの部屋にこもって内緒話を始めていった。
「ああ、そう、やっぱりそうだったのね。本当は昨日来るつもりだったんだけど、母から今日の午前中に来なさいなんて言われてたからおかしいと思ったのよ。まさか堂々と『婚約者候補』って言って五人も女性を連れてくるとは思わなかったわ。」
リアはそう話すとソファーの一つに腰掛け、疲れたような表情で額に手を載せた。マイラも彼女の目の前のソファーに座ると、その様子を見て苦笑してしまう。
「私もびっくり!でも・・・これで本当に諦めがついたし、私は私の道を歩んでいこうって決意ができたよ。」
「マイラ・・・」
リアはサッと立ってマイラの側に立つと、肩に手を置いて怒ったような顔になった。
(ん?慰めてくれるのかな?)
そんな呑気なことを考えていると、彼女は突然手に力を入れてマイラの体をガクガクと揺らし始めた。
「マイラ、そんなの駄目よ!私は諦めないからね!!訳のわからない義理の姉なんて欲しくないのよ!!マイラがいいのよおぉ!!」
「あああぅ、リ、リア!?ゆ、ゆ、揺らさないでー!!」
舌を噛みそうになって慌ててリアの手を振り解くと、落ち着かせるようにマイラも立ち上がって彼女の手を握った。
「あのね、リアとはずっと友達だし、これからも仲良くしていけばいいと思うの。だからその・・・ね、とにかく落ち着いて!」
「でも!ああもう、お兄様はどうしてこんな可愛いマイラがいて、お母様の連れてきた婚約者なんかを選ぼうとしているのかしら?」
マイラはどう答えたものかと悩んだが、とにかく落ち着いてとだけ言ってリアをソファーに座らせた。
「それでね、リアにお願いがあるの。私からは言いにくいから、お兄様に『できるだけ早く絵を仕上げてあげて』って言ってくれないかな?」
リアは不思議そうな顔をした後、ハッとして身を乗り出した。
「もしかして、卒業前に家を出ようとしているの!?」
「・・・ごめんね。でもお兄様のご婚約さえ決まってしまえば、私のいる意味はないでしょ?彼はもう学校だって卒業するんだし、契約は切れなくても彼の側を離れることならできるから。」
「本当に、お兄様のことが好きなのね。」
リアの声が穏やかなものに変わる。マイラはゆっくりと、そして大きく頷いた。
「うん。最初はただ変な人だなとしか思っていなかった。でも少しずつわかってきたの。まっすぐで、一生懸命で、優しい。ちょっと変なところもあるけど、それもひっくるめて素敵な人だなって思う。でも・・・婚約者と仲良くしている彼の姿を見るのはきっと辛いから、早めにこの家を出たいなって。」
リアは悲しみの表情を浮かべてマイラを見つめた。静かな部屋の中に、窓の外に止まっていた鳥が鳴く声が寂しげに響いた。
「わかったわ。でもうまくいくかはわからない。それでもいい?」
「うん。ありがとう、リア。」
リアは再び立ってマイラの側で屈むと、マイラをソファーごと抱きしめた。
「うん。これからもずっと友達だから。それだけは絶対約束だからね!」
「もちろん!」
そうして二人はお互いの友情を確かめ合うと、部屋を出てそれぞれの目的の場所へと向かっていった。