60. 再び、勉強漬けの日々
翌週、いつものように登校したマイラとエリクスは、珍しく女子生徒達に囲まれずに校内に入ることができたことに驚いていた。その理由は単純で、先週の試合の結果があちこちに設置されている掲示板に貼り出されていたからだった。
「お兄様、もう結果が出ているみたいですよ!」
「そうだな。だが人が多くてよく見えないな。」
エリクスがマイラの隣でそう話していると、すぐ近くにあった掲示板の前に詰めかけていた女子生徒達がスッと場所を空け、エリクスを通そうと道を作ってくれた。男子もそれに釣られてつい場所を空けてしまう。
マイラが驚いてその光景をまじまじと見ている間に、エリクスは「みんな、ありがとう」といつになく優しい笑顔を周りに振り撒いて掲示板の前に向かった。
(こんな時ばかりあんな笑顔を見せて、お兄様ったら!)
少し呆れた顔でマイラもその後に続く。そして掲示板の前までたどり着くと、まずは一年生の結果から確認していった。
「あ!?やった!!うちのクラス、一位を取りました!!」
マイラが飛び上がって喜んでいると、エリクスが優しく頭を撫でて一緒に喜んでくれた。なぜかそれを見ている女子達まで嬉しそうに微笑んでいる。エリクスの魔力が今日もしっかりと溢れているのだろう。
「良かったな。マイラもみんなも頑張った結果だ。」
「はい!それとお兄様がいつも練習に付き合ってくれたおかげです。本当にありがとうございました!」
「礼なんていいよ。」
エリクスの優しい言葉に頷いてから、マイラは引き続き掲示板を確認する。エリクスのいる研究科の欄を見てみると、一位の欄にエリクス・メイ・ルーイとしっかり書かれていた。
「すごい、お兄様一位ですよ!!ほら見てください!!」
マイラが自分のクラスの順位を見た時よりも喜んでいる姿を見て、エリクスは苦笑しながらも嬉しそうな顔を見せた。
「ああ、本当だ。祝ってくれてありがとう、マイラ。さあ、他の人の邪魔になる。後ろに行こうか。」
「はい!」
可愛らしく美しい兄妹のやりとりに魅入られた生徒達は男女問わず、ニコニコと楽しそうにその場を離れる二人を、掲示板の結果もそっちのけでぼんやりと見送っていた。
そしてその週から、再び勉強漬けの日々が始まっていった。
次の定期試験は年度末まで無いが、ここからは大きな行事は無い代わりに午後の授業が復活し、進路を決めるための勉強により力を入れて取り組んでいくことになる。
「はぁ。一年生だからって気を抜いていられないわね。絶対に討伐科に入るためにも、気合いを入れて頑張らないと!でも後期の勉強は難しいのよねえ・・・」
休み時間に入るとケイトが早速ぼやき始める。ミコルもその言葉に大きく頷いて言った。
「そうよねえ。研究科は特に狭き門だし、このままだと私もまずいわ。ねえ、マイラはもう進路を決めたの?」
ノートやペンを整理していたマイラは机から目を離し、ミコルに顔を向けた。
「ううん、まだ悩んでる。でも研究科は私は無理だし、討伐科の魔法も使えるかどうか不安なの。そう考えると今のところは調査科なのかなあって。」
調査科は最も人数が多い科になる。今ある五クラスのうち、半数近くがこの科に決まるとユギが以前説明していた。これといって目指す方向が無い生徒達のほとんどは、この科に入るらしい。
「そうなの?でも私マイラは討伐科が向いてると思うけどなあ。」
ケイトのそんな言葉を聞きつけたのか、カイルが久々に会話に割り込んできた。
「そうだよ!マイラはいざという時すごく冷静に対処できるし、魔法だって前見せてもらったのはすごかったじゃないか!俺も討伐科、お勧めするよ!」
なぜか嬉しそうにそう話すカイルをミコルは目を細めてじっと見つめる。そして何やら含みを持たせて彼に問いかける。
「へえ。でもカイルには、マイラに討伐科を勧める別の理由があるのではないかしら?」
「え!?」
「ああ、そういうこと?何よ、真面目に話聞いちゃったじゃない!」
ケイトがニヤニヤしながらカイルの肩を軽く叩く。カイルは顔を真っ赤にして「そんなんじゃない!」と言うとさっとそこを離れていった。ミコルはそんなケイトをチラッと見てからマイラに言った。
「まあカイルの話はともかく、マイラもお兄さんとか先生によく相談してみた方がいいわ。成績的にはどこに入っても問題無いと思うけど、魔法のことは悩ましいものね。」
「うん、そうなんだよね。進路のことはもう少し考えてみるね。ありがとう。」
ミコルとケイトが真剣にマイラの相談に乗ってくれることをありがたく思いつつ、どうしようかなあと頭を悩ませながら次の授業の始まりのベルをぼんやりと聞いていた。
その日からマイラは再び勉強に没頭する日々に戻っていった。もちろん実技の練習も欠かさなかったが、今後どうしていきたいか明確に決まっていない状態でできることは、やはり目の前にある知識を頭に入れることだろうと考えてのことだった。
そして、そんな勉強漬けの日々が続いていたある夜、マイラは久々に、例の兄のアトリエに向かっていた。
(少し息抜きをしたいって理由でも、あの部屋に行っていいのかな?)
マイラは小さなランプを手に持ち、音を立てないよう気をつけながら階段を上がっていく。ドアの前に立ち、中に人の気配が無いことを確認すると、ノブに手を掛けてゆっくりと開いた。
エリクスはいない。だがマイラのための絵はそこにあった。
前回見た時からほとんど変わっていない様子の絵の前に立ち、キャンバスに手を伸ばす。触れそうで触れない距離まで近付けてからつい嬉しくて微笑んでしまう。
その時ふと部屋の片隅に置いてある小さな椅子に気付き、それを絵の近くまで運んでくると、そこにちょこんと座ってみた。
「この部屋、落ち着くなあ・・・」
二人だけの特別な部屋にいる嬉しさが沸々と胸に込み上げてくる。まだ色付いていないキャンバスに、思いを馳せる。
「よし!戻ろう!」
大切な部屋でたくさんの元気をもらったマイラは、床に置いていたランプを手に部屋の外に出た。ドアを静かに閉めて階段を降りると、そこには不安そうな表情を浮かべたイリスが待っていた。
「どうしたのイリス?」
「マイラ様こそ、こんな遅い時間に何をされていたのですか?」
彼の手に持ったランプが揺れる。
「えっと、お兄様の描いている絵を見にいっていたの。」
マイラは廊下に降り立つと、自分のランプで足元を照らしながら部屋に戻ろうと向きを変えた。するとイリスが動きはじめたマイラの手首を優しく掴んだ。
「どうしたの?」
二人が持っているランプの微かな光が、イリスの顔に影を生む。その表情は何となく苦しそうにマイラには見えた。
「マイラ、もうエリクス様に希望を持つのはやめてください。」
「・・・希望なんて持ってない。」
マイラは俯いて言った。
「ではどうして彼の特別な部屋に入って、あんなに嬉しそうな顔で戻ってきたのですか?」
イリスの声は決して大きいものではなかったが、マイラの耳と胸に強い波のように押し寄せる。
「絵を見て、嬉しくなっただけ。」
目も合わせずそう答えたマイラに、イリスは容赦ない言葉をかける。
「あなたは嘘が下手ですね。大方エリクス様との繋がりを感じて嬉しかったとか、でしょう?」
「うっ・・・」
痛いところを突かれてマイラは黙りこむ。イリスは手首を掴んだままマイラに一歩近付いた。
「まだ本格的ではないようですが、エリクス様にはとある名家の女性との縁談話が持ち上がっています。これ以上彼に心を残しておくと、マイラ様が傷付くばかりですよ?」
彼の優しく説得するような言葉とそのわかっていたはずの事実は、マイラの思考力を徐々に奪っていく。言葉を失くして顔を上げると、思っていたよりもイリスの顔が近くにあることに驚き、硬直してしまった。
そしてその額に、彼の唇が僅かに触れる。
「イ、イリス!?」
真っ赤になっていくマイラにイリスは切なそうな笑みを見せて言った。
「一日も早くあの人のことを諦めてください。そのためにできることは何でもお手伝いします。」
額に手を当てて困り果てたマイラを引っ張り、イリスはため息をつきながら部屋に連れ戻していく。無理やりベッドに寝かされたマイラはそれ以上何もされないようにと布団を被りその中にすっぽりともぐってしまった。
「マイラ様、おやすみなさいませ。」
イリスの優しい声にもマイラはほとんど反応しなかった。くぐもった声が微かに漏れてきてはいたが、結局イリスには何と言っているのかは聞き取れなかった。
そして小さく息を吐き出したイリスは部屋のランプを消すと、静かにマイラの部屋を出ていった。