54. わがままなイリス
イリスのとんでもない魔法を見せつけられた翌日も、マイラは家に帰ると魔法練習を繰り返していた。だが何度作っても橋は壊れ、水に落ちてはエレンにため息をつかれ、擦り傷を作ってはイリスに怒られ・・・マイラは自分の不甲斐なさにすっかり落ち込んでしまった。
そしてその週の終わり、ここのところ自分の練習のために忙しくしていたエリクスが珍しく先に帰ってマイラを待っていた。
「おかえりマイラ。エレンに聞いたよ。行き詰まってるんだって?」
「お兄様!ただいま戻りました。はい、とりあえず大きい池から始めてみたんですけどうまく橋が掛からなくて。イリスの橋を見せてもらったのでうまく行くかなと思ったんですけど。」
エリクスはふっと微笑むとマイラの頭に手を置いた。
「ああ、彼は天才だからね。真似をしようと思っても難しいかもしれない。それに土は通常の魔法でも硬く作るのは難しいんだ。多少ならいいがあの巨大な池を渡すのは大変だと思う。そうだ、一つ試してみて欲しいことがあるんだ。」
「何ですか?」
マイラが不思議そうに首を傾げると、エリクスが一瞬真顔になる。二人はじっとお互いを見つめ合い、一瞬だけ時が止まったように感じられた。そしてすぐにエリクスが少し顔を赤くして目を逸らす。
「あ、ああ、ごめん。じゃあ、やってみるからちょっと見ていてくれ。」
「は、はい!」
二人がお互いに動揺しながら池に向かうと、昨日何度も落ちた後のぐちゃっとした池がそこに残されていた。エリクスは魔法であっという間にそれを綺麗な形に直すと、そこに植物魔法をかけ始める。
わずかな詠唱だったが、一瞬にして池の両端に太い幹を持つ木のようなものが四本生え、そこに青い植物の橋が一瞬で出来上がった。彼がその上に乗ってみるとマイラが思っていたよりもそれは丈夫そうで、吊り橋のようにゆらゆら揺れはしても落ちることはなかった。
「マイラの場合は本物の木を使ってもいいが、短時間では成長させるのも難しいだろう。端の部分だけ硬く土の支柱を立てて、そこに蔓状の植物を這わせるのはどうかな?」
マイラの目が輝く。
「なるほど、やってみます!!」
「ああ。見ているからやってみてごらん。」
そしてエリクスに一旦背を向けると池に向き合い、イメージを固める。支柱はしっかりしたものを、根本は太くより硬く、そして引っかかりやすいように形を考えて・・・
イメージ通りの支柱を生み出すと、今度は足元にいつも持ち歩いている種を落とし、植物を一気に発芽させて絡めていく。その上に強化魔法をかけてから、マイラは恐る恐るその橋の上に足を置いてみた。
ギシ、という音はしたが、植物がちぎれる感覚はない。そのままゆっくりと橋を渡り、向こう岸まで、と言っても歩けば数歩しかない距離だが、無事渡り終えることができた。
「できた!できました!!」
マイラは大喜びしながらエリクスに駆け寄り手を握る。彼は驚いた表情を見せつつも、一緒に喜んでくれた。
「うん、できたな!マイラは飲み込みが早いし、強化魔法は特に素晴らしいよ。詠唱も必要ないから気付かれることもないだろう。あとは渡り切った後にそれをしっかり外しておいた方がいい。その練習もやっておこうか。」
「はい!」
そうして二人は久しぶりの二人だけの時間を宝物のように感じながら、その後もしばらく魔法練習を続けていった。
翌日、その日は朝から雨が降っていた。
庭にできた池は水浸しになっている。マイラは朝食を終えた後の食堂の窓からその様子をぼんやりと眺めると、今日の予定についてぐるぐると考えを巡らせていった。
今日は約束していた、というより無理やり約束させられたイリスとのデートの日だ。だがあいにくの雨ということもあり、少し気持ちも沈む。
(どちらにしろ、今日こそきちんとイリスに思いを伝えよう。エリクスさんとの未来はない。でもだからと言ってイリスに逃げるのは違うもの・・・)
セシーリアから釘を刺されてしまったあの日はショックで彼に甘えてしまったが、それではまずいということは十分承知していた。友達だと言いながら彼に頼り、甘えすぎている。
(今度こそきちんと彼から離れよう!自立しよう!)
グッと拳を握り締めたマイラは顔を上げると、出かける支度をするために急いで部屋に向かった。
しかし数時間後、マイラはイリスの腕の中であれほど強く決意した思いが何もかもうまく伝わらず、逃れようと暴れていた。
「離してイリス!どうして、なんでこんなことするの!?」
「マイラ、あなたこそどうして今さらそんなことを言うんです?私はもうあなたから離れないと言ったでしょう?」
「でも、だって、私の心が決まったのにイリスを私に縛り付けておくわけには」
「はぁ。それ以上言うとその可愛い唇をキスで塞ぎますよ。」
「ええっ!?」
マイラは雨がポツポツと四阿の屋根を打つ音を聞きながら、イリスの大きな胸の中でどうにかして逃れようと再び暴れだす。
「無駄です。ですがあなたが私を突き放すことを諦めるなら今だけは解放しますよ。俺は、一生マイラを手放すつもりはないから。絶対に。」
「イリス!?」
声は静かだが、決意が滲み出るようなはっきりとした口調で彼は続けた。
「いずれエリクス様は結婚し、子どもが生まれ、ルーイ家の跡取りとして活躍していく。あなたはその時一人でどうやってその心の傷を癒すの?俺が側にいれば、少しは癒されるのでは?」
彼はまるで幼い子どもに言い含めるかのように、穏やかに優しく語りかけてくる。マイラは彼の力のあまりの強さにどうにも逃げられないとわかると、諦めて動きを止めた。
「ねえ、どうしてそんなに私に執着するの?イリスほどの優秀で素敵な人なら、私にこだわらなくてもいいじゃない!」
怒ったような口調でそう言うと、イリスは少しだけ腕の力を緩めてその疑問に答えた。
「愛しているっていう気持ち以上の理由が必要?マイラは俺の気持ちを信じていない?」
「そうじゃなくて!」
「マイラじゃなければ駄目なんだ。理屈じゃない。ああほら、雨が止んできた。もう少し歩こう。」
― ― ―
この出来事の二時間前。二人は町の中を傘をさしてゆっくりと歩きながらデートを楽しんでいた。イリスは靴や服に水を弾く魔法をかけてくれたので、雨でもそこまで不快な思いをせずに歩くことができていた。
途中立ち寄った店で素晴らしいランチをご馳走になり、食事を終えるとそこから馬車で移動して、今二人がいるこの特別な庭園までやってきたのだった。
ここはイリスが管理を請け負っている国立魔法研究所の庭園だということだった。町からかなり離れた場所にあるこの広大な敷地内には、まばらに木が生えている林のような場所もあれば草原や花畑が広がっている場所もあった。
研究所を離れた後も特別顧問としていくつか仕事を依頼されている彼はその一環としてここの管理も任されているとのことで、今日は彼の案内でこの特別な場所を見学させてもらえることになっていた。
「ねえイリス、この庭園は何をするところなの?」
マイラはイリスの横を歩きながら質問をする。
庭園の中でも色とりどりの花が植えられている一帯には歩道の部分に細かい砂利が敷き詰められており、ジャリジャリと音を立てながら、二人はゆっくりとその雨に濡れた美しい景色を眺めて歩いていた。
「ここは様々な魔法の実験を行う場所です。ただ広いだけではなく、規模の大きい魔法を研究する時に植物や自然への影響が無いかを調べるために使用しているんです。だから誰でも入れる場所ではないんですよ。」
「そうなの?私が入ってもよかったのかな?」
「ええ。もちろん。」
イリスはそっとマイラの手を握ると、道を少し逸れた小さな四阿の下に入っていく。傘を畳み壁に立てかけて、中にある木のベンチに腰掛けた。
マイラはこの日、イリスともう一度きちんと話をしようと決めてここに来ていた。イリスもそんなマイラの思いを感じ取っていたのだろう。横に座ると、彼はじっとマイラの横顔を見つめてくる。視線が痛いなと思いつつ、マイラはゆっくりと重い口を開いた。
「あのね、今日はイリスとの最後のデートのつもりでここに来たの。」
イリスは黙ったままだ。マイラは自分の膝を見つめて話し続ける。
「イリスにずっと甘えてきちゃったこと、本当に反省してる。あの日も、抱きついたりしてごめんなさい。友達として側にいてなんて言って最低だったと思う。私、ホーク叔父さんにお願いしてイリスのことを」
だが、マイラはそれ以上声を出すことはできなかった。その体は一瞬で彼の腕の中に閉じ込められ、その後暴れても逃げられないことを思い知らされることになった。
― ― ―
雨が止み、雲から日の光が差し込み始めた。四阿を出たマイラは眉間に皺を寄せ、イリスの後ろをとぼとぼ歩いていく。
数分黙って歩き、そして立ち止まった。
「ごめんなさいイリス。やっぱり私はあなたみたいな素晴らしい人を私の世話なんかで縛りつけたくないの。これからも友達でいるから、もう」
イリスは傘を投げ捨てて振り向き、距離を一気に詰めた。マイラが驚いて口を閉じると、イリスの手がその頬に触れ、彼はその顔をマイラにゆっくりと近付けた。
唇が、触れそうになる。
「いやっ!!」
すると突然マイラの手から突風が吹きだし、イリスがそれを避けるように飛び退いた。
「マイラ・・・」
イリスの悲しい声が聞こえ、ハッとしてマイラは彼の顔を見つめた。
「イリス、私はエリクスさんのことはもう諦めたの。でもだからと言って彼のことを好きな気持ちはそう簡単に変わらない。それなのにイリスの好意に甘えて、あなたを縛り付けている自分が嫌なの。だから、だからねイリス・・・」
マイラは一歩彼から離れ、しっかりと目を見て告げた。
「もう、私の側から離れて?」
イリスは大きくため息をつくと傘を拾ってからマイラの前に立った。そして大きな声で叫ぶ。
「嫌です!!」
「・・・イリス!?」
イリスがそんな風に子どもっぽく怒った顔を初めて目にしたマイラは心底驚いた。いつも穏やかで大人な彼からは想像もつかないほど、今の彼は感情的になっている。
「い、嫌って、そんなわがままな子どもみたいなこと・・・」
「わがままで結構!俺は今までマイラのこと以外わがままなんて言ったことはなかった。いつだって俺は父の意向に沿って、周りの期待に応えて生きてきたんだ。でもマイラのことは違う!俺の意思で、俺の心からの願いで、マイラと一緒にいたいと思ってここにいる!!絶対に、絶対に、マイラからは離れない!!」
広い庭園に、彼の声がこだまする。呆然としていたマイラは、頭上の木の枝から落ちてきた水の雫が頬に当たり、我に返った。
「イリス・・・私もう、どうしたらいいかわからないよ。」
我ながら情けない声だなと思いながら、マイラはイリスを見上げた。彼の怒った顔が次第に悲しみを帯びていくのがわかる。
「マイラの側にいさせて欲しい。それだけなんだ。」
「もう、そんな悲しい顔・・・」
マイラが伸ばした手をイリスが掴む。
「ほら、あなたはそうやって結局俺に甘い。もう諦めてください。俺はそんなあなたにつけ込んでずっと側にいるつもりなんですから。」
「わがままイリス!」
「はい。これだけは譲れません。もう二度とこの話はしないでください。」
そう言うと彼は傘を持ったままマイラに抱きついた。
「・・・はあ。」
マイラは結局今回も何も変えることのできなかった状況に頭を抱え、子どものように抱きついてくるイリスをただ黙って受け入れるしかなかった。




