53. 練習は広いお庭で
カイルが帰った後の公園はとても静かだった。
いつもは子ども達が遊んでいたり散歩をしている人も多かったりするこの場所も、夕暮れ時ということもあって皆家に帰っていったのだろう、今は誰もいない寂しい空間が広がっている。
マイラがそんな静まった公園のベンチでぼんやりと空を見上げていると、ザッザッという足音がして制服姿のエリクスがゆっくりと現れた。
ただ歩いてこちらに向かってきているだけなのに、その姿の美しさに目を奪われる。マイラを見つけて優しい笑顔を向けてくれることにも、心が弾む。
「マイラ、お待たせ。」
「お兄様、お迎えありがとうございます。」
「いいよ。さあ、帰ろうか。」
「はい!」
そうして二人は枯れ葉が舞い落ちる公園を出ると、夕日を背に歩き始めた。
その日エリクスは珍しく穏やかで、カイルと一緒にいたこと、告白の返事をしたことについても何も言わなかった。
代わりにマイラはクラス対抗試合について、気になっていたことをエリクスに質問し始めた。
「じゃあ障害物ってかなり大きな仕掛けなんですね!」
「ああ。俺の時は確か巨大な岩とか丸太でできた橋を渡るとか、ぎっしりと生えた藪の中を通らされるなんていうのもあったな。」
マイラは目を丸くしてその話を聞いている。
「結構大掛かりなんですね!先生達の準備も大変そう・・・」
「ははは!確かにそうだな。あれだけのものを、いくら魔法で何とかできると言っても準備するのは骨が折れるだろう。先生達もこの時期は毎年頭が痛いって嘆いてるのをよく聞くよ。」
「へえ!何だか不思議!あんなにすごい魔法をポンポン使えるのに。」
エリクスが笑う。マイラもそんな何気ない会話ができているこの時間が嬉しくて笑みを返した。
(こういう何でもない時間がずっと続いていけばいいな・・・ずっと、ううん、あと二年半だけの兄妹だとしても)
兄と歩く楽しい帰り道、風の季節の空気の冷たさも忘れ、マイラの心はすっかり温かくなっていた。
翌日からは、クラス対抗試合への準備が本格的に始まった。
マイラは当初の希望通り『障害物競走』に、ケイトは『個人魔法対決』に、ミコルは『魔法調査対決』に参加することが決まった。
このクラス対抗試合は成績に直結する大事な行事であるため、試合が終わるまでの一ヶ月間、午後の授業は一時間削られてその分を練習に充てることができるようになっている。
そして初日から、それぞれの種目に分かれての練習が始まった。
マイラ、ケイト、ミコルの三人は別々の種目に出ることになったため当然練習もバラバラだ。ケイトは張り切って練習場所に出かけていったが、ミコルはマイラがいないことを悲しみながら、他の参加者に引きずられるように教室を出ていった。
「マイラ、行こう?」
「あ、うん!」
ジェンナに声をかけられ、マイラも教室を出る。
今回『障害物競走』にはクラス内の十五人の生徒が参加することとなった。障害物は全部で二十個あるため、得意不得意を見ながら一人一つか二つの障害物を担当し、リレー形式で勝敗を競うという流れだ。
マイラは大きな土の山と巨大な池を担当することになり、学校から少し離れた場所にある専用の敷地に移動した。
そこはルーイ家が学校のために購入した広大な敷地で、クラス対抗試合の時には必ず使用し、それ以外の時期は様々な催し物ができるスペースとして貸し出しているらしい。
今は教師達が少しずつ障害物の準備を始めているようで、マイラ達が到着するとあちこちで魔法を使用して地形を変えている大人達の奮闘ぶりが見えた。
「すごいねえ!こんなに広いんだあ、ここ!」
「うひゃー!なんだこれ!?池もあるし山もあるって何だよ!」
「あ、ユギ先生もいるよ!」
生徒達は嬉しそうにユギに近寄っていく。今日は障害物の確認のためだけにここに来たのだが、ユギにアドバイスをもらえるならありがたい。
生徒達が近付いてくるのに気付いたユギは軽く手を振り、作業を一旦止めて待っていてくれた。
「コースの見学か?ある程度仕上がっているがまだできていないところもある。足場が悪いから中には入るなよ。」
全員で声を揃えて「はーい」と言うと、ユギは苦笑しながらまたかと言って作業を再開した。彼が今取り組んでいるのは池作りのようで、土を動かして池のための穴を掘っていた。全部掘り終わると今度は近くにある川から水を運んでくるらしい。
「ここはかなり広い池だから毎年何人かは濡れるな。泳いで渡ったとんでもないのも過去にはいたが、お前達は魔法と頭を使って乗り切れよ。」
マイラは早速頭を悩ませ始めた。どうやら自分が担当する池というのはこれらしい。
(こんなに大きい池なんだ・・・どうしよう?)
凍らせてしまえば楽勝なのだが、魔法を使うところは審査されている。通常の詠唱魔法では熱を生み出すことはできても奪うのは相当難しいのだそうだ。だからこそ、簡単に池を凍らせてしまうような高難易度の魔法をおいそれと使うわけにはいかない。
(うーん、どうにか他の方法を考えないと!)
マイラはユギの作業を眺めながら、早速あれこれと対策を練り始めていた。
コースのチェックと担当箇所の見学を終えるとマイラはすぐに帰宅し、エリクスの家の広い庭で魔法練習を開始した。
この家に池は無いので、マイラは自分で作ることにする。あまり大きなものは敷地的に無理だが、土を動かし、水を入れて、ジャンプでは越えられない程度の簡易的な池が完成した。
「うーん、氷が駄目となると、やっぱり土しかないよねえ。でも結構深かったからなあ・・・」
独り言を言いながら魔法で池の中に土を入れていくが、土が柔らかいためか、崩れてしまってとても渡れそうにない。しかも実際にはかなり大きな池を渡ることになるため相当量の土が必要になることを考えると、この方法では難しいだろう。
マイラが悩みながらうーんと唸っていると、後ろから肩に何かが掛かる感触があって振り向いた。
「マイラ様、お疲れではないですか?」
「イリス!大丈夫。ブランケットもありがとう!」
「いえ。寒くなってきましたよ。そろそろお部屋へ戻りましょう。」
「うん。・・・ねえイリス、イリスだったらこの池を渡るならどうする?」
イリスはマイラの作った池をじっと眺めてから微笑んだ。
「私なら土魔法で橋をかけますね。よかったらお見せしますよ?」
「本当!?嬉しい!!」
「では。」
そう言ってイリスは軽く何かを口ずさむ。すると水面の上に次々と魔法で作られた土の塊が現れ、さらに移動魔法で近くにあった土も加えられてあっという間に簡易的な橋が出来上がった。しかもそれぞれにかなり硬さがあるらしく、積み上がってもそう簡単には崩れそうもなかった。
「うわあ!すごいね!!イリスって実は結構優秀な魔法使いだったんじゃない?」
イリスはキョトンとした顔をしてから珍しく耐えられないといった様子で突然噴きだした。
「ぷっ、ふふ、あはははは!!何を言うかと思ったら、あははははは!!」
「そ、そんなに変なこと言ったかな?」
マイラは驚いて目を開く。
「はあ、すみません。いえ、でも確かにマイラ様は私の経歴など当然ご存知ないですよね。でもそういうところも好きです。私のありのままの姿を見てくれているのが何より嬉しい。」
「ええと、どういうこと?」
すっかり困惑してオロオロしながらイリスの返答を待っていると、彼は一つ大きく息を吸い込み、爽やかな笑顔で言った。
「私はこの国では最も入るのが難しいと言われている国立魔法研究所に、最年少で入り最年少で主任になった経歴があるのです。つまり、それなりにこの国では有名人なのですよ。」
「・・・え」
イリスはマイラのブランケットが肩からずり落ちていくのを手で止めて、そのままマイラを自分の方に引き寄せた。
「幼い頃から魔法だけは誰にも負けない実力がありましたから、学校も飛び級で進学、卒業したんです。しかし実家の仕事を手伝うには若すぎるということで、まあ経歴に箔をつける目的もあって誘われるがままに研究所入りしたというわけです。」
「へ、へえ!」
密着している状態に動揺を隠せないマイラは、イリスの顔を見られず下を向いている。そんな様子を微笑ましく感じていたイリスは、目を細めて話を続けた。
「つまり前にもお伝えした通り、あなたの将来の夫になっても問題ないだけの経歴があるということです。研究所は父の意向で辞めることになってしまいましたが、今でも顧問としていくつかの仕事は請け負っていますよ。」
「そ、そうなんだ・・・」
優秀さに驚きすぎて若干引いている様子のマイラの肩を優しく抱きしめて、イリスはそのまま屋敷の中に引き入れていく。
「魔力量ではエリクス様には到底敵いませんが、技術の面で劣っているとは全く思っておりません。お困りのことがあればまずは私に相談してくださいね。」
有無を言わさぬ笑顔がマイラを頷かせた。そして結局大した練習もできないまま、その日はイリスの強引な誘導で部屋に戻ることになってしまった。