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52. 変わっていく日常

 週が明けるとマイラの日常は再び動きだした。この日も途中までは『いつも通りにエリクスと登校する当たり前の朝』を過ごせていた。


 先週はあんなに色々なことがあったはずなのに、倒れてしまったらしいあの時からマイラの頭の中は何かぼんやりと白いものに覆われたような状態になっている。少し前にあったことなのに、それが現実として捉えられなくなっている。


 だがそんな状態でも、時間は容赦なく過ぎていく。


 そして今日は試験結果が返ってくる日、さらにカイルと顔を合わせなければならない日だ。


「マイラ、顔が怖いぞ。結果が出るのが不安なのか?」


 横を歩くエリクスがいつもより近くを歩いているように感じる。マイラは首を振って笑顔を向けると、再び前を向いた。


「いえ。もう終わったことですし、やれるだけのことはすべてやりましたから。ただ・・・カイルに会うのが、少し怖くて。」

「マイラ・・・今朝はギリギリまで俺も一緒にいようか?」


 とんでもない、というようにマイラは目を丸くして手をブンブンと振ってそれを止めた。


「いいですいいです!自分でなんとかします!最後はよくわからないまま帰っちゃったので、まずはそれをきちんと謝ります。」

「そうか、わかった。だが何か困ったことがあれば必ず俺を呼んでくれ。」

「・・・はい。」


 エリクスは目を細めて笑顔でマイラを見ると、優しく手を握った。


 突然のことに驚き、歩きながら横を見上げる。だが彼はそれがさも当たり前のことのように、前を向いて普通に歩いていく。少し様子を見ていたが彼が全く手を離す様子がなかったので、顔を顰めて声をかけた。


「お兄様、何ですかこの手?」


 マイラの不満そうな声にもエリクスは全く動じない。そしてにっこりと微笑んでから言った。


「今は演技の時間なんだから、こうしていても構わないだろう?」

「でもいくら仲がいい兄妹だからって、手を握って歩くなんて変です!」

「そうか。でも今だけ。周りの女性達の目が今日は怖いから。」


 マイラがチラッと周囲を見回してみると、確かに今日はエリクスを見つめている女性の目が多いような気がした。しかし他の人ほど魔力の影響を受けないマイラは、エリクスが今日それをどのくらい多く放出しているのかがわからない。


「ほらその顔。マイラだってそう思うだろう?だからこれは追加で『恋人のふり』だ。」

「こ!?」


 エリクスの手が先ほどよりも少し強くマイラの手を握る。


「頼む。もう少しだけこのままでいてくれ。」

「いやあの」


 エリクスはマイラの困った顔をほぐすように、もう片方の手で頬を軽く摘む。だがそれはもっとマイラを困らせるだけだった。


「可愛いな。」

「・・・!?」


 赤く色付いたマイラの頬から手を離し、握った手を引っ張るようにしてエリクスは前に進み続ける。


(真っ赤になってる。やはりマイラは俺のことを兄ではなく、男性として意識してくれてるんだな)


 エリクスが余裕の表情でゆっくりと歩き続けている隣で、マイラは嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちが複雑に入り乱れ、しばらくの間顔を赤くしたまま黙って彼の横をついていくことしかできなかった。



 学校に近付くとさすがにエリクスも手は離したが、やはりいつもよりも明らかに距離を近付けて歩いているように感じる。


(お兄様、今日はどうしたんだろう?やっぱりあの夜、何かあったのかな?)


 どうにかしてあの日のことを思い出そうとするが、その度に頭の中は霞がかかったようになり思考はストップする。そしてこの時もどんどん意識が薄れていき、平衡感覚を失いかけて校門の前でよろめいた。


 すると危うく転びそうになったマイラを、エリクスが慌てて腕で支えた。


「おっと!大丈夫か?」


 顔が驚くほど近い。エリクスは何かを言いたげな、少し悲しそうな目でこちらを見つめている。


 やっと赤みが引いてきた顔が再び熱くなっていくのを感じながら「大丈夫です!」と元気よく答えると、マイラはハッとして周りを慌てて確認する。


 するとそこには、エリクスの放つ強い魔力の波に当てられ、うっとりと彼を見つめる女子達の壁ができていた。


(いったいどうしてこんなことに!?)


 マイラは慌てて兄の袖を掴むと、急いで門をくぐり校舎の中に逃げ込んだ。


「お兄様、今日は魔力が漏れすぎです!意識してもっと抑えてください!」


 小さな声だがはっきりと叱るようにそう言うと、エリクスは先ほどの状況など気にも留めていないのか、マイラが照れてしまうほどの優しい笑顔で頷いた。


(本当にわかってくれたのかしら?心配だわ・・・)


 それ以上の説得は無意味だと理解したマイラは諦めてため息をつき、まだニコニコして立っているエリクスを置いて疲れた顔で自分の教室に入っていった。




 その日は一日授業はなく、午前中は成績発表と面談、午後はいよいよ始まる『クラス対抗試合』の説明会が行われることになっていた。


 面談中の教室内では課題が出されて自習となり、教師のいない教室では不安を抱えた生徒達が、自分が呼ばれるのを今か今かと待っていた。


 あまり騒がなければ多少の私語は許されるとのことだったので、皆小さな声で話しながら課題に取り組んでいる。



 そしてマイラはというと、少し前の席にいるカイルの背中を時々チラチラと見ながらペンを動かしていた。


(帰りに話そう。きちんと謝ろう。はあ、気が重い・・・)


 目の前の課題をさっさと終えてしまうと、落ち着かない気持ちを誤魔化すように持ってきていた古代語の本に没頭して残りの時間を潰していった。



 そして二十分後、マイラの名前が呼ばれた。教室を出てユギのあの小さな部屋に向かい、面談が始まる。


 まず試験結果については学年総合二位だということ、そして実技はユギがあえて少し点を低く付けたこと等を説明された。


 実技であまり高得点を取ってしまうと研究科の研究対象になってしまうらしく、マイラの特殊な能力を知らない教師に目をつけられないようにしたかったから、とのことだった。


 マイラの方は全く異存はなかったので、黙ってその結果を受け入れた。ちなみに一位は他のクラスの男子生徒だったらしい。


「筆記試験の方は君の実力通りの成績、素晴らしい結果だった。多少他の教師達の注目も浴びてしまうだろうが、ルーイ家の娘なんだ、まあ問題はないだろう。」


 ユギが淡々と説明を続けていく。そして少し声を抑えてから彼は言った。


「来年度俺は討伐科に入る。ルーイ君がその科を望むなら俺がまた担当しよう。だが研究科はあまりお勧めしない。あそこは陣を使っての魔法を推奨する教師が多くいる。全員とは言わないが、裏がある人間も数名いるのでね。君に注目をさせたくないのが本音だ。」


 マイラはごくりと唾を飲んだ。そして少し考えてから口を開く。


「ユギ先生。討伐科は使わなければならない魔法が多いですよね。私の今の魔法で大丈夫なんでしょうか?」


 ユギは腕を組んで考え込む。


「正直どこまで通常の魔法に近付けることができるのか俺もわからない。いくつかはうまくいくだろうが全てとなると難しいのかもしれないな。それでもある程度は俺の元なら庇える部分もあるだろう。もし不安なら調査科がいいかもしれない。詳しいカリキュラムや使う魔法の種類などは追って知らせる。よく考えてみなさい。」

「わかりました。」


 そうしてマイラは彼の小さな部屋を出ると、教室に戻った。



 その日の午後は講堂に一年生が全員集められ、『クラス対抗試合』の説明会が開かれた。ちなみに二、三年生はクラス単位ではなく学年ごとの個人対決となり、それがそのまま成績に反映されるらしい。


 そして今年は『障害物競争』『魔法調査対決』『個人魔法対決』の三種が行われることになったと説明された。



 『障害物競争』は、クラスの大半が参加することになる。いくつもの障害物が設置されたかなり長いコースを、一人一つか二つの障害物を担当しながら、その正確さや素早さはもちろんそのスピードも競う競技だ。



 『魔法調査対決』は複雑に重ねがけされた魔法が組み込まれた道具を、調査に適した様々な魔法を使ってどんな魔法が使われているのかを調べるというものだ。


 これが一番難しいが、体はほとんど動かす必要がない。その代わり習っていない魔法を使う場面も出てくるので、先に先輩や先生方からいくつか新たに教えてもらい、当日までにその魔法を使いこなせるようにしなければならない。



 『個人魔法対決』は一番シンプルな競技で、指定された魔法を十個、より精度が高く素早く発動できた者に多くの点が入るというものだ。クラス毎に五人ずつ参加し、得点の合計がクラスの配点となる。



 マイラは当然目立つことは避けたいので、最初から『障害物競争』に出ようと決めていた。


 その後説明会の最後に「明日からホームルームでクラス毎に話し合いをしてしっかりと高得点が狙える対策を立てていくように」と指示をされた後、一年生はそこで解散となった。



 教室に戻る途中、マイラはカイルにそっと「例の公園で話がしたい」と伝えた。そこはあの日、カイルと劇を観に行く約束をした場所だ。


 荷物を持ち学校を出て、その公園に向かう。


 あの日よりもだいぶ遅い時間ということもあって、風が少し冷たく感じる。ブルっと体を震わせながら人気のない公園に立って彼を待っていると、後ろからふわっと何か温かいものが背中に触れるのを感じて振り返った。


「お待たせ。寒かったかな、ごめん遅くなって。」


 それはカイルのコートだった。マイラは驚き、急いでそれを返そうとしたが、彼は「いいから」と言って受け取ってはくれなかった。


「カイル、あの、この間はありがとう。それと・・・ごめんね。」

「いや、いいよ。気にしないで。お兄さんには心配かけちゃったかな。俺こそごめん。」


 マイラは首を横に振った。少しの沈黙の中に、冷たい風が流れていく。そしてマイラは意を決して顔を上げた。


「あのね、やっぱり私、カイルのことは友達としか思えないの。」

「・・・うん。そうかなと思ってた。」

「本当に、ごめんなさい。」


 カイルは悲しそうな顔を誤魔化すように、マイラに笑顔を向けてくれる。


「いいよ。仕方ないことだから。でもこれからも友達ではいてほしい。それに、ほら!卒業するまでにまだ二年もあるし、これからどうなるかはわからないだろ?俺がすごくいい男に見えちゃうかもしれないしさ!」

「うふふ!そうだね。ありがとう、カイル。あなたみたいな優しい友達がいて私は幸せだなって思うよ。」


 カイルはマイラの手を握った。


「俺も。」

「カイル?」

「でもまだ、好きだから。最後まで諦めはしないから。」

「・・・」

「帰ろう。送ってくよ。」

「ううん、この後お兄様が来るから、今日は大丈夫。」

「お兄さんが・・・」


 カイルはそこでマイラの手を離し、何かを思い返しているような仕草を見せた。


「どうしたの?」

「え?いや、何でもないよ。じゃあ俺、先に帰るよ。」

「あ、コート、ありがとう!もう寒くないから。」

「うん。それじゃあまた明日。」

「うん。」


 そして彼はマイラからコートを受け取ると、何かを深く考えながら公園を出ていった。マイラはその後ろ姿を、見えなくなるまでただ静かに見送っていた。


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