5. エリーの正体
数日後、すっかり叔父ホークの家にも慣れたマイラは、自分の部屋で読書をしながらじりじりとテルディからの連絡を待っていた。
「マイラ様、いつも難しい本を読んでいらっしゃるのですね。」
髪を整えてくれているマイラの侍女は、この家に来た次の日にホークがつけてくれた優秀な女性だった。背が高く美しい彼女は、すぐにマイラの憧れの女性の一人になった。
「そうなの?子供向けの本かと思っていたんだけど、違うのかな?」
マイラが何の気無しにそう話すと、イリスと呼ばれた侍女は驚いて手を止めた。
「この本が、でございますか?」
「え、うん。五、六年前に読んだ本に似てる。たぶん作者が一緒なんだね。歴史書は嫌いじゃないけど、もう少し難解な方が面白いよね。」
「・・・マイラ様はかなり高等な教育をお受けになられたのですね。」
イリスが再び手を動かしながら低く耳触りのいい声でそう答えると、マイラは笑って言った。
「ぜーんぜん!だって勉強はいつも村の教会で数人の子供達だけでしてたんだもの。時々遠くから先生が来てたけど、あとはみんな自習だよ?」
その言葉に再び手が止まってしまったイリスを不思議に思い、マイラはゆっくりと後ろを振り向く。
「どうしたの?」
「いえ。何でもございません。すぐに続きを。」
そこから何も話さなくなってしまったイリスにマイラは変なのと呟き、前に向き直って大人しく手に持った本を再び読みはじめた。
きちんとした服装と髪型が仕上がると、その日もいつものように応接室に向かう。テルディがいつ報告に来てもいいように、マイラはここ数日常に出かけられる準備を整えていた。
そしてついにこの日、その待ちに待った人が姿を現した。
「こんにちは、マイラさん!」
「テルディさん、待ってました!!どうでしたか?やっぱりお会いするのは難しいですか!?」
「おおお!?」
応接室に入った途端一気に詰め寄られたテルディは仰天し、持っていたバッグのようなものを下に落とした。
「あ、すみません、つい・・・はい、どうぞ!」
落ちたバッグを拾い彼に手渡すと、マイラは期待を込めたキラキラした瞳で彼の返答を待った。だがテルディは困り顔でバッグを受け取ると、言いにくそうに口を開いた。
「ええと、うん、まあ、やっぱりというか残念ながらというか・・・断られちゃったんだよ。ごめんなあ。」
心底がっかりした、という様子を一瞬だけ見せたマイラだ
ったが、大きく息を吸い込むと満面の笑顔へとその表情を変えた。
「テルディさん、ありがとうございます!私のために力を尽くしてくださったんですよね?もうそれだけで十分です。引き続き町をまわって他のチャンスを見つけてみます。」
テルディは感じ入ったようにマイラの笑顔を見つめていたが、ふと何かを思い立ったのか、バッグの中から一枚のカードを取り出した。
そこには小さい地図のようなものと星印が書かれている。さらにその裏には、マイラも見たことのあるエリーという画家が描いた作品が写されていた。
「マイラさん、あなたならきっとこの絵の作者に会えると思いますよ。これは私からのヒントです。約束を取り付けるのは無理でも、偶然会ってしまうなら仕方ない。だがその時に不審者だと思われると問答無用で攻撃されてしまうかもしれません。」
手にしたカードをひっくり返すと、そこにテルディが何かをぶつぶつと囁いた。どうやら何かの詠唱をしているらしい。それが終わるとじんわりとカードが光ったような気がした。
「はい。これで私からの推薦だということがその人にもわかるでしょう。追い出される前に何とか渡してみてください。」
そのカードを受け取ったマイラは、テルディにギュッと抱きついた。
「ありがとう、テルディさん!嬉しい!きっとこの方にお会いします!!」
「ははは!何だか独り身の私に突然娘ができたようだねえ。そんなに喜んでもらえて私も光栄です。」
二人は広々として暖かい応接室でひとしきり絵の話題で盛り上がった後、その日も早めに帰ってきてくれたホークに招待され、テルディも夕食を共にすることとなった。
翌日、マイラは早速テルディから貰ったカードとホークに貰ったカードを小さなバッグに入れ、意気揚々と家を出発した。目的地はただ一つ、テルディに教えてもらった地図の星印の場所だ。
(ここで会えるまで待つ!絶対に一度は会わないと、このままじゃ諦めがつかないもの!)
マイラは心に大きな決意を秘めて、その場所までしっかりとした足取りで歩いていく。そこは思っていたよりもホークの家から近かったので、午前中のうちには無事に目的地を発見できた。
そしてそこは裏通りのさらに奥、かなり細い道沿いの木造住宅が建ち並ぶ区域にある、一軒の古い平屋の家だった。
「本当にここなのかな?」
マイラは地図を何度も確認すると、よし、と自分に気合いを入れてからその家のドアをノックした。
「・・・いない。」
ドアの横にある小さな窓からこっそり覗いてみたが人気は無いようだ。マイラはその場所で昼過ぎまで待ってみたが、残念ながらその日家主が帰ってくることはなかった。
準備が足りずそれ以上は長居できそうもなかったので、その日は一旦帰り、翌日からは一日中そこに滞在しても平気なように荷準備を整えてからその家に通い詰めた。
一日、二日、三日が経ち、さらに時が過ぎて十日ほど経ったある雨の日。ついにその日は訪れた。
「君、誰?」
ドアの前でしゃがみ込んで座っていたマイラは、声と自分を覆う影に気付いて顔を上げる。
するとそこには、大きな青い傘を差した綺麗な顔立ちの金髪の男性が立っていた。だが彼は明らかに不審者を見るような冷たい目でマイラを見下げている。
マイラは慌てて立ち上がり、突然やってきたチャンスを逃すまいと、急いで自己紹介をする。
「突然押しかけて申し訳ありません!私はマイラ・マリーという者です。私の大好きな絵を描いた方にどうしてもお会いしたくてここまで来ました!エリーさんという方はこちらにいらっしゃいますか?もしいらっしゃったら会わせてはいただけませんか!?」
これを逃したらもうチャンスはないかもしれないと、マイラは目の前の男性に必死にお願いしてみる。だが状況はあまり芳しくなかった。
「なぜその名を知っている?そうやって嘘をついてまで俺を追いかけたいのか?」
金髪の男性はマイラに人差し指を突きつけると、ぶつぶつと詠唱を始めた。その詠唱時間は驚くほど短く、マイラが誤解ですと言う間も無く、彼の人差し指から一瞬にして青い炎が飛び出した。
「うわあっ!?」
マイラはなぜかその瞬間、叫んでそれを避けながら無意識に手のひらから水を放っていた。彼の指から噴き出した炎はその水にかき消され、雨で濡れた地面にさらに大量の水が落ちて流れていく。
「水!?しかもこのスピードで・・・この水、本物なのか!?」
男性は火を消し去ると、マイラの襟を掴んだ。マイラは驚いて反撃しようとしてふと思い出す。
「ああっ、忘れてた!!待ってください!今大事なものをお見せしますから!!」
そう言って襟首を掴まれたままマイラはバッグから例のテルディから貰ったカードを手探りで取り出した。
「これ、テルディさんからいただいたものです!どうかお話だけでも聞いていただけないでしょうか!?」
目を瞑って大きな声を出しながらそのカードを男性に手渡すと、彼はふっと力を緩め、マイラの襟から手を離した。
「・・・もしかしてこの間テルディが言っていたのは君か?」
マイラがゆっくりと瞼を開けると、未だ不審者を見るような目つきでマイラを見つめている男性と目が合った。マイラは恐る恐る口を開く。
「はい。どうしても、このカードに写されている絵を描いたエリーさんという方にお会いしたいんです。ご一緒ではないようですが、エリーさんはこちらに住んではいらっしゃらないんでしょうか?」
金髪の男性は黙ったままドアに手をかけ、中へと開いた。
「入りなさい。部屋で話そう。」
「え、あ!はい!!」
一歩前進できた喜びに震えながら、マイラはその憧れの人の家の中へと急いで足を踏み入れた。
案内された部屋の中には驚くほど何も家具がなく、小さなテーブルが一つと椅子が二つ置いてあるきりの寒々しい部屋だった。
静かなその部屋の中でマイラが緊張して立っていると、男性はカードをじっくりと検分し、壁に寄りかかって何かを考え始めた。
そしてマイラにチラッと視線を向けると、低い声で彼は質問を始めた。
「君には二つ聞きたいことがある。」
彼は椅子の一つを自分の近くに寄せ、どかっと座る。マイラは声も出せずただ頷く。
「一つ、君は本当に俺じゃなくエリーに会いに来たのか?」
マイラは真剣な表情で答えた。
「はい!この絵を描いたエリーさんにどうしてもお会いしたくて、テルディさんの紹介でここに来ました。」
ふうん、と小さく口元が動く。そして彼は質問を続けた。
「二つ、君は俺を見てどう思った?」
「・・・はい?」
意味不明な言葉に、ドキドキしながら次の質問を待っていたマイラは拍子抜けしてしまう。
「どう、とは?」
彼はより眉間に深い皺を寄せて言った。
「俺を見て、『お慕いしています』と言いたくなったか?」
「え?はい!?いやいやいや、初対面ですよ?しかも別に好みの顔じゃないし・・・あっ、すみません!」
「・・・」
しん、と静まり返ってしまったその場の空気に、マイラは動揺し始めた。
(何この人、変なことばっかり言って!それにエリーさんとどういう関係の人なんだろ?)
上目遣いでチラチラと彼の様子を窺っていると、急にその男性は椅子から立ち上がり、マイラの目の前に立った。
「わかった、君の言うことを信じよう。その上で大事なことを言う。だが他言無用だ。約束できるか?」
「は、はい!もちろんです!」
「そうか。・・・いいか、俺がエリーだ。いやこれは画家の時の名前だ。本名はエリクス。エリクス・メイ・ルーイ。」
マイラは言っていることを飲み込むのにしばらく時間がかかった。首を捻り、腕を組み、前を向いてようやく納得する。
「あなたが、エリーさんなんですか!?」
「そうだ。・・・遅いな。まあテルディの正式な紹介状を持っているなら話だけは聞こう。」
あまりの状況にまだ頭はぼんやりしていたが、マイラはせっかく訪れたチャンスをふいにしたくはなかった。頬を叩いて気を取りなおすと、はっきりとした大きな声で一番伝えたいことを告げる。
「エリーさん、いえ、エリクスさん!私のために『治癒の魔法』の絵を描いてくれませんか!?」
「・・・はあ!?」
それがマイラとエリクスの長い長い偽の兄妹生活の始まりになるとは、この時の二人はまだ知る由もなかった。