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37. 理由②

 マイラはイリスと共に家に帰ると、今回の荷物を一旦片付けてから改めて別の衣類や勉強道具などを大きなカバンに詰めはじめた。その行動に驚いたイリスがマイラの手を止め、事情を聞く。


「マイラ様、突然どうされたんですか?帰ってきたばかりなのになぜこんな大きな荷物を準備されているんです?」


 マイラはじっとイリスを見つめると、ため息をついてから言った。


「しばらく叔父さんの家に行こうと思って。」

「ラウリ様の?」

「うん。」


 イリスは荷物をマイラの手から優しく奪い取ると、腰を屈め、顔を近付けてから言った。


「わかりました。では私もご一緒します。荷造りは私にお任せください。」

「・・・うん。」


 イリスはそれだけ言うとすぐにマイラの荷物を代わりに詰め始めた。ケントのように余計なものは入れず、必要なものを素早く選択して大きなバッグに次々に入れていく。


「さあ、参りましょう。」

「何だか家出みたいだね。」

「そうですね。いや、駆け落ちかな?」

「イリス!?」

「あはは!さあ、行きますよ。」


 マイラは相変わらず余裕のイリスに翻弄されながら、再び大きな荷物を持って屋敷の外に出ていく。だがその時、後ろから誰かが追ってくる足音が聞こえてきて、マイラは何気なく振り返った。


「マイラ様!」


 特に慌てるでもなく近付いてくるその人は、キーツだった。


「キーツさん?」


 彼はマイラの側までやってくると、一枚の紙を手渡した。


「これは・・・」

「エリクス様からの魔法通信で届いたお手紙でございます。今こちらに届いたばかりですが、マイラ様宛のようでしたので。」


 マイラがそれを受け取ると、彼は微かな笑みを見せてから屋敷へと戻っていった。折り畳まれたその紙を開くと、そこにはこう書いてあった。


『マイラへ。一度きちんと話がしたい。帰ったら時間を作るから、もう一度昨日のことについて話そう。」


 マイラは深いため息をついてから紙を再び折り畳むと、右手に蝋燭ほどの小さな火を生み出し、その紙を空中で燃やしてしまった。


「マイラ様・・・」


 イリスの心配そうな顔を見ながらマイラは微笑む。


「ごめんね、お待たせして。じゃあ行きましょうか。」


 そうして自分で決めた予定通り、そのままホークの屋敷へと歩いて向かっていった。




 ホークの屋敷に着くと、メイド達の細やかな気配りをありがたく感じながら着替えや片付けを済ませ、マイラはそのまま自分の部屋に閉じこもった。イリスすら部屋には入れず、昨日までのことを思い出さないような環境を整えた。イリスは文句も言わずにそれを受け入れ、今は以前ホークに用意してもらった彼の部屋で、静かに待機してくれている。


 そしてマイラは、実家での事情を知らないメイド達が部屋を出入りしながら世話を焼いてくれるのを贅沢だなあ、と思いながら、広い部屋の大きなベッドに寝転んで物思いに耽っていた。


(どうしよう、エリクスさんから逃げるようにして叔父さんの家に来ちゃったけど、このままってわけにはいかないよね・・・)


 仰向けになり、胸に手を当てて目を閉じる。


 エリクスが見せてくれた、あの火と水を組み合わせた素晴らしい魔法が、瞼の裏に蘇っていく。


 そして、エリクスの温もりも。あの草原で見た星空も。


(どうしてあんな人好きになっちゃったんだろう。一番それを・・・女性に好意を寄せられることを嫌がっている人のことを好きになっても未来なんか無いのに・・・)


 エリクスに『妹として』側にいることを望まれたことが、今のマイラにはどうしても耐えられなかった。気付いてしまったこの気持ちはどこにも行き場がなく、胸はぎゅうぎゅうと締め付けられるように苦しかった。


「帰りたくない。でも、帰らなくちゃ。」


 マイラはゆっくりと体を起こすと、ぼーっとした頭のままベッドから降りて髪を直した。様子のおかしいマイラをメイド達が心配そうに見守る中、ドアを開けて廊下に出る。するとそこには、笑顔のイリスが立っていた。


「イリス?」

「マイラ様、今日はラウリ様はお仕事で遅くなるそうです。もしよろしければご一緒に外で食事をしませんか?」


 外で食事、と聞いてマイラの気持ちは少しだけ浮上した。イリスの目が優しい。もう彼を見ても辛い気持ちはそこまで感じなかった。


「うん。行きたい。いいの?」

「はい。今夜は友人として、同行させていただきます。」


 イリスの悪戯っぽい笑みが、マイラに元気をくれる。


「うん!じゃあ、もう一度着替えてくるわ。すごく楽しみ!」

「私もです。」


 そうして二人は、長旅で疲れた体を最後の力を振り絞るように動かして、近くにあるレストランまで肩を並べて歩いていった。



 そのレストランの食事は庶民的だが味は絶品で、満足したマイラは疲れと満腹感に満たされ、帰り道は半分眠りながら歩いていた。フラフラと馬車が通る道の方へ倒れそうになると、イリスが慌ててマイラを自分に引き寄せる。


「危ない!マイラ、眠いのですか?大丈夫?」

「うん・・・ちょっと疲れちゃった。でも、あのお店の料理は全部美味しかったねえ!」


 ふにゃふにゃと笑みを見せながら歩くマイラの手を、イリスがしっかりと握りしめる。


「マイラ、手を繋いでいて。フラフラしていて危ないから。」

「はあい!」


 すっかり暗くなってしまった帰り道、細く人通りの少ない通りを二人で歩きながら、マイラは美味しかった夕食のことだけを思い出し、幸せな気分に浸っていた。


 そしてイリスの手の感触が、彼の優しさが、マイラの傷付いた心をじんわりと癒してくれるようだった。



 だがそんな穏やかな時間は、ある人の登場で一瞬にして破られる。


「マイラ・・・」


 目の前に、無表情で自分を見つめるエリクスが唐突に現れた。


 その瞬間マイラは、先ほどの張り裂けそうなあの胸の痛みを思い出す。


(嫌だ、今はまだ会いたくない!)


 マイラが怯えて後退ると、イリスがマイラを庇うように前に出て、背中の後ろに隠した。


「エリクス様、何のご用ですか?」

「イリス、どいてくれ。俺はマイラと話がある。」

「嫌がる女性に無理やり話を聞きたいと迫るのがあなたのやり方ですか?」


 一瞬の沈黙、そして再びエリクスが口を開く。


「・・・嫌なのか?」

「彼女の態度を見ればわかるでしょう。この際だから言わせていただきますが、あなたはマイラのことを本当に大切に思っているのですか?」


 エリクスの無表情が崩れ始める。


「どういう意味だ。」


 イリスは、マイラが自分のシャツの背中側をギュッと掴んでいる感触を感じながら、エリクスを真っ直ぐに見据えた。


「最初からあなたはマイラを妹として溺愛し、あれこれと買い与え、世話を焼き、散々構ってきました。もちろん彼女のことを守ってくれたこともあるでしょう。ですがそのうちの半分、いや大半が、あなたの自己満足だったのではありませんか?」


 エリクスの目が大きく開く。


「自己満足?」

「ええ。マイラがあなたがすることを全部喜んでいましたか?マイラの顔を、喜ぶ表情を毎回見ることができましたか?あなたはリア様にできなかったことを、マイラを通して取り戻したいだけなのでは?」


 イリスの畳み掛けるような問いかけに、エリクスは口を閉ざした。そんな彼の様子を確認しながら、イリスはさらにエリクスを追い込んでいく。


「リア様とマイラは別の人間。しかもマイラはあなたの妹ではない。演技しなければならない場面では仕方ないでしょう。ですが今は違いますし普段の生活もそうです。マイラは・・・あなたに振り回されてもうヘトヘトなんです。こんな状態が続くのであれば、あなたにこれ以上マイラを任せてはおけない。」


 その言葉は、エリクスに大きな衝撃を与えた。


(マイラのお母様にも同じことを言われた。そうか、彼女もそれを俺に伝えたかったのか・・・)


「イリス。わかった。今日は帰る。だが落ち着いたらきちんと話がしたいんだ。マイラ?」


 マイラは名前を呼ばれておずおずとイリスの背中から顔を見せる。


「はい。」


 エリクスは切なそうな顔でマイラに穏やかに話しかけた。


「怖がらせてすまなかった。ゆっくりでいいから、俺は待ってるから。落ち着いたら帰ってきてくれ。その後ゆっくり話そう。」


 マイラは小さく頷くと、再びイリスの後ろに隠れる。


「イリス、マイラのこと、よろしく頼む。」

「ええ。あなたに言われるまでもなく。」

「・・・」


 息苦しくなるような沈黙が続いた後、エリクスは静かにそこを立ち去っていった。


「マイラ、帰ろうか。」

「うん。」


 暗い夜道に点々と光る魔法を使った街灯がマイラ達を優しく照らしだす。だが二人はもう手を繋ぐことはなく、一言も話すらしないまま、ホークの屋敷へと静かな夜道を歩いて戻っていった。


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