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36. 理由①

 マイラの実家滞在も気が付けば五日目を迎え、残すところあと一日となった。


 友人宅を訪問したり家族やエリクス達とあちこち出かけたり、毎日のんびりするどころか慌ただしく過ごしていたが、ようやくここにきてそれも落ち着きをみせていた。


「今日はお昼寝しようかなあ。」


 マイラは自分の部屋で身支度を済ませると、一日の計画を練っていく。明日はもう帰宅することになるので今日のうちに一人の時間を満喫しようと決め、マイラは部屋の中をゴソゴソと漁りだした。


 そして必要な荷物を昔よく使っていたリュックに詰め込むと、髪をくるくるとまとめ髪留めで器用に留めて、階下に降りていく。


「マイラ、どうしたんだその荷物?」


 階段の下でエリクスと出会ったマイラは、その驚いた顔を見て微笑んだ。


「今日は一日、外でお昼寝して過ごすんです。」

「・・・一日昼寝とは、贅沢だな。」

「でしょう?お兄様も普段忙しいんですから、たまにはやってみるといいですよ!」


 そう言いながらマイラはダイニングに入り、そこで荷物を下ろした。エリクスもその後ろからついて中に入ると、朝食を準備し始めたマイラに再び声をかける。


「マイラ、その計画に、俺も参加していいか?」


 マイラは洗っていた手をタオルで丁寧に拭くと、ゆっくりと振り返る。


「・・・いいですよ。」


 照れたようにそう言うマイラを抱きしめたい衝動を何とか抑えて、エリクスは「よかった、じゃあ支度してくる」と言ってダイニングを離れた。


 すると、入れ替わりに入ってきたイリスがマイラの顔を見て眉を顰めた。


「おはようございます。お二人で何を話していたのですか?」


 マイラは近寄ってきたイリスを見上げながら、赤らめた頬のまま「今日の予定について話してたの」と答える。


 イリスは今日はマルクに誘われて古代語のかなり貴重な本を見せてもらうことになっているらしく、マイラは彼を『一日お昼寝計画』に誘うことはしなかった。


「そうですか。・・・マイラ、もしよければ」

「おはよう!あら、二人とも早いのね。」


 そこにいつもの元気な笑顔のアンジュがやってきて、イリスの話は中断される。さらにその流れで朝食の準備が進み、結局イリスは言葉の続きを言えないまま朝食を済ませ、出かける時間になってしまった。


「じゃあ、行ってきます。マイラ・・・」


 家を出る間際も何かを言いたそうにしていたイリスだったが、そこに通りかかったエリクスを見て言いかけた言葉を飲み込み、笑顔だけを残して出かけていった。



「さあマイラ、出かけようか。」

「はい!」


 準備のできた二人は揃って家を出ると、マイラお気に入りのお昼寝スポットまでゆっくりと歩いていく。


 その日も天気は快晴で、暑さは感じるものの、適度な風が吹いていて快適な気温に感じられた。


 しばらく道なき道を歩いていくと、大きな木が一本生えている見晴らしのいい場所に辿り着く。


 マイラはその木の上まで続く梯子を器用に動かし、エリクスに話しかけた。


「見えますか?あそこに小さいですが父と一緒に小屋を設置したんです。日陰で風も通って昼寝には最高の場所なんですけど、高いところは平気ですか?」


 エリクスはマイラの優しい心遣いに目を細める。


「ああ。ありがとう。」

「いえ!じゃあ、ゆっくり登ってくださいね。ボロいですけど梯子も小屋も強化魔法はかけてあるので、心配しないでください。」


 マイラに促されて梯子に手をかける。ギシギシと軋む音はしていたが、確かに丈夫そうだった。


 エリクスは上まで何とか登り切ると、木を組み合わせたような簡素な小屋の中へと入っていった。その小屋の壁には二つほど窓のように外が見えるような四角い穴があいており、そこから心地良い風がふんわりと入ってくる。


「これはいいな・・・」


 何も置いていないただの小屋だったが、二、三人なら十分横になれそうなスペースがある。汚れは少し気になったが、魔法で洗い流せばいいだろうと考えながら、マイラが上がってくるのを待った。


 少ししてマイラが荷物を背負って登ってくると、手を伸ばして優しく中に引き入れる。そして二人はまずその場所を掃除し、マイラが持ってきたシートを床に敷いた。


「マイラ、シートの下を柔らかくしようか。」


 そう言ってエリクスは魔法の水を使ってシートの下にクッション状のマットを作った。


「わあ!これいいですね!そっかあ、魔法水だと硬さも調整できるんですね。いいなあ。」


 マイラは嬉しそうにその弾力を寝ながら確かめている。そんな無邪気な姿が、エリクスにはとても愛おしく感じられた。


「なあ、マイラ。この間の話だけど・・・」


 そう言うと、マイラはガバッと起き上がり、シートの上に姿勢良く座る。


「は、はい!」


 エリクスはその姿が面白くてつい笑ってしまってから、真面目な顔で続けた。


「三年後も俺はマイラと一緒にこうして楽しく過ごしていきたい。だが契約は契約だ。契約を勝手に変えることはリスクもある。だからまあ、これは口約束でしか無いが、その、契約が終わってからも・・・」


 マイラはぎゅっと自分の手を握りしめながら彼の言葉を待った。


「ずっと俺の、妹でいてくれないか?」

「え・・・」


 その瞬間、マイラの頭は真っ白になった。


「マイラ?」


 エリクスの呼びかけにも、何も反応することができない。


(ああ、そっか、そうだったんだ・・・私いつの間にかこんなにエリクスさんのこと・・・)


 マイラはエリクスが自分のことを本当に妹として大切にしてくれていること、そして自分は違う形を望んでいたことを、ようやく思い知ってしまった。


 胸が押しつぶされそうなほど、その事実がマイラを苦しめる。


 心配そうに顔を覗き込む彼の目を真っ直ぐに見つめ返すと、マイラはおもむろに口を開いた。


「エリクスさん。」

「あ、ああ!」


 エリクスは緊張しながらマイラの言葉を待つ。


「私は三年後、あなたの元を離れます。」


 マイラは、気付いてしまったその気持ちをもう無視することはできなかった。


「ど、どうして・・・」


 彼の動揺する表情を見ると決意が鈍る。だがそれ以外の選択肢は考えられなかった。


「ごめんなさい。でも、無理なんです。無理としか、言えない。」


 泣きそうになる自分を心の中で叱咤しながら、マイラは手をさらに強くぎゅうっと握りしめてそう告げた。


「マイラ!」

「私達は契約上の兄妹ですから。三年後、私はエリクスさんの家を出ます。」

「だが、こんなにお互いを大切に思っているのに!」

「・・・じゃあ、私のことを早く嫌いになってください。」


 エリクスが、マイラの肩に伸ばしていた手を、止めた。


「嫌いになる?」


 その声は低く、震えている。


「はい。あくまでもこれはお芝居なんです。本心がどうでも、問題ありませんよね?契約は守ります。エリクスさんも家ではもう私に構わなくていいですから、その分の時間を使って絵を描いてください。」

「マイラ!!」


 止まっていた手が再び動きだし、その手がマイラの肩を強く掴んだ。


「離してください。お芝居じゃ無い今、もう気安く触らないで!!」


 初めて聞いたマイラの怒りに満ちたその大きな声が、エリクスの心を鋭く刺し貫いた。


(どうして・・・マイラはどうしてこんな急に?俺は、何かを間違えたのか?)



 エリクスが肩から手を離すと、マイラは敷いたばかりのシートを片付けはじめた。


「帰ります。エリクスさんはここでゆっくりしていってください。」

「マイラ!」

「じゃあ、失礼します。」


 その瞬間マイラの視界の端に金色の光が映り込み、体が大きく揺れた。それが後ろからマイラを抱きしめるエリクスの髪だとわかると、心臓の鼓動は一気に速まっていく。


「やっ、離して、離してください!!」

「マイラ、俺は何か間違えたのか!?どうしてそんなに怒っているんだ!!俺はただ、マイラと一緒に」

「やだ、もうやだ!!」

「どうして、マイラ・・・」


 エリクスの温もりをただただ嬉しいと思ってしまう自分を、もうこれ以上知りたくなかった。


 震え始めたマイラに驚き、エリクスは慌てて離れる。自由になったマイラは声も出さず振り返りもせずに荷物を下に落とすと、素早く梯子を降りていった。




 そしてその日の夜、マイラの部屋にはイリスがいた。


「マイラ、その顔・・・エリクス様と何かあったんですね。」

「イリス・・・」


 イリスは自分の抑えられない気持ちをぶつけるように、マイラを強く抱きしめた。


「マイラ、大好きなマイラ。聞いてください。私は今日マルクの家で、ジャンさんととても仲良くなったんです。いつでも『鳥』に乗せてやると約束もしてくれました。ですから明日、彼にお願いして先に二人で帰りましょう。今のあなたをあの『馬』の密室の中で、苦しい思いをさせながら帰したくはない。」

「でも、いいのかな。」


 イリスが耳元に優しく囁く。


「いいんだマイラ。こんな時くらいわがままになっていい。それに俺にはもっと甘えてほしい。大丈夫。ちゃんと三年間側にいるから。三年後も、ずっとマイラの望む形で側にいるから。」


 その言葉が、マイラの耳にも弱った心にも、ひどくくすぐったく感じられた。


「うん。ありがとうイリス。明日、一緒に帰ろう?」

「わかった。帰ろう、マイラ。」


 そうして翌日、マイラはエリクスに簡単な置き手紙だけを残して、イリスと共に朝日が昇る頃家を出発した。



 ― ― ― ― ―



「なんだこれは!?」


 翌朝、目を覚ましたエリクスが目にしたのは、綺麗に整えられた隣のベッドと、その上に置いてあった驚きの内容の置き手紙だった。


「先に帰ります?それだけか!?どうして・・・」


 途方に暮れたエリクスは、荷物を整理するとすぐに階下に降りていく。そしてそこで曇った表情のケントに出くわした。


「あ、おはようございます。」

「・・・ああ、おはよう。」

「あの、マイラさんは」

「帰った。」

「・・・」


 ケントの機嫌がとてつもなく悪いということに気が付き、エリクスの血の気が引いていく。そこに美しい救世主が現れた。


「お父さん、落ち着いて。彼に八つ当たりはダメよ。ねえエリクスさん、ちょっとこっちに来てくれるかしら。」


 アンジュの助けに感謝しながら、促されるままにダイニングに入る。するとアンジュはピカピカに磨かれたキッチンの前に立ち、頭を下げた。


「ごめんなさい。マイラがどうしても先に帰ると言ってきかなくて。精一杯止めたんだけど決意が固くてだめだったの。あの子一度決めたら絶対に決意を翻さないから。」


 アンジュのその行動に驚いたエリクスは慌ててそれを止めた。


「どうか頭を上げてください!マイラさんがしたいようにしていいんです。私も・・・たぶん昨日彼女を怒らせてしまったようなので、仕方ないと思っているんです。」


 エリクスの声がどんどん暗いものに変わっていく。アンジュは顔を上げると優しく微笑んだ。その顔はマイラによく似ていた。


「ありがとう。そう言ってくれると救われるわ。ねえ、一つ聞いてもいいかしら。」


 キッチンのコンロにアンジュが魔法火をつけながら言った。エリクスはその濃い紫色の火をぼんやりと見つめる。


「あなたはマイラのこと、どう思っているの?」


 エリクスはドキッとしてその火からアンジュの顔へと視線を移した。


「え?」


 アンジュはその火にやかんをかけるとエリクスの真意を図るようにじっと目を見つめた。エリクスはその視線に耐えられず目を伏せる。


「・・・正直、よくわからないんです。」

「それは、妹としてなのかそうじゃないのかということ?」


 ストレートな問いかけに、エリクスは一瞬怯む。だが気を取り直して正直にその問いに答えた。


「私は、妹としてマイラを大切に思ってきました。三年後も一緒にいたいと、本当の妹として側にいて欲しいと彼女に伝えました。最近は心の距離も近付いてきていると感じていましたし、彼女も同じ気持ちなんだと思っていたんです。でも、拒絶されました。」


 やかんの蓋がコトコトと小さな音を立て始める。アンジュはゆっくりと口を開いた。


「三年後、マイラは成人し、家を出る年齢になるわ。特にあの子はやりたいことを決めているから、もしあなたの妹になったとしても結局家は出るはず。あなたもそれはわかっているでしょう?」

「それは・・・」


 アンジュは畳み掛けるように告げる。


「だからもし妹としての彼女を望むならそれは諦めた方がいいわ。そうじゃないとしても、今のあなたにマイラを任せることはできない。」

「え!?」


 エリクスは驚きの表情を浮かべてアンジュを見る。アンジュは冷静に話を続けた。


「マイラはもうすぐ大人になる。そしてあることを思い出す。その時あなたはマイラに何ができるかしら?正直私は今回滞在中のあなたを見ていて、今のあなたには何も期待できないと思ったわ。むしろ・・・あの子をイリスさんに任せたいとさえ思ってる。」

「イリス・・・」


 力が入っていたエリクスの肩が、ガクンと下がった。


「とにかく、マイラが先に帰ってしまったことは謝るわ。あなたも今日帰る予定でしょう。お迎えの方が来るまではゆっくりしていってちょうだい。」


 そう言うとアンジュはやかんを火から下ろし、紫色の火はふっとエリクスの前から消えていった。


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