21. 実技演習は青空の下で③
二人の気絶した女子生徒を保健室に運び、ユギに事情を説明し終えた三人は今、彼個人の小さな部屋にある硬い椅子に座りそこで彼が戻ってくるのを待っていた。
その部屋は、無精髭を生やしているような彼からは想像もつかないほど整然と物が整理されチリ一つ落ちていない。人を見た目で判断することはほとんどしないマイラでも、少しだけそれを意外に感じていた。
少ししてからユギが校長への報告を終えて部屋に戻ってくると、早速彼から今回の件についての説明があった。
「まず、あの二人は体には何の問題も無かったから心配しなくていい。ただ、ジェンナ君は記憶が少し混濁しているようだ。それとマイラ君を襲った女子生徒だが、彼女は残念ながらこの学校を去ることになる。」
「そうですか・・・」
マイラの悲しそうな顔を見て、エリクスは眉を顰めてその肩に手を載せた。
「もう一つ、マイラ君の魔法をミコル君が見てしまった、ということについてだが。」
その時ミコルがまるで授業中のように勢いよく手を上げた。
「ユギ先生!それについてはまず私から話をさせていただけませんか?」
ユギは眼鏡の奥からじっとミコルを見つめると、小さく息を吐いて頷いた。
「マイラ、私最初からあなたのことは不思議な何かを感じてずっと観察していたの。だから遅かれ早かれあなたの魔法の秘密は暴いていたと思うわ。」
「観察?暴く!?」
頬を紅潮させて主張を続けるミコルをマイラが唖然としながら見ていると、彼女は次にエリクスの方を見て言った。
「ですがルーイ先輩、マイラのことを私は何一つ口外するつもりはございません!だって、私はマイラのことが本当に大好きなんですもの!」
身を乗り出して話すミコルの勢いに圧倒されて、エリクスもまた黙って頷く。
「とにかく、そういうわけですから皆様ご心配には及びませんわ。むしろ私が積極的にマイラの秘密を守ります!マイラ、安心してね。私はずっとあなたを守るお友達よ!!」
「う、うん、ありがとう!ミコルがそう言ってくれるなら安心だよ。」
マイラは動揺しながらもどうにかそれだけは口にすることができた。ミコルは言いたいことを言ってスッキリしたのか、椅子の背にもたれかかってマイラに満面の笑みを向ける。
「まあ、じゃあそれはミコル君を信頼するとして。灰色の悪魔が出たことについても他言無用だ。これは三人とも絶対に黙っていてくれよ。一年生が怯えて退学したいなんて言いだしたら大変なことになるからな。」
「わかりました。」
エリクスが代表して返事をする。マイラとミコルも深く頷いてそれを了承した。
それ以外は特に重要な話は無かったようで、その後すぐに三人は部屋から解放された。今日はもうこのまま帰宅していいとユギから許可も出たため、三つめの課題に挑戦しないままマイラ達は着替えを済ませ帰宅準備を整えた。
結局その日はそれ以降誰とも会うことはなく、マイラはエリクスに厳重に守られながら無事に家に帰り着くことができた。
その日の夜、二階の談話室の外にある広いバルコニーに出たマイラは、考え事をしながら穏やかな夜風に当たっていた。
魔法の光が溢れる町の夜は空の真ん中あたりまで明るく、マイラの実家がある村のように満点の星を見ることはできない。
そしてそんな夜の景色をぼんやりと見つめながら、マイラは今日一日のことを一つずつ思い出していた。
今日の出来事は、マイラのこれまでの人生観を大きく変えてしまうものだった。
灰色の悪魔についてほとんど知らされてこなかった自分が、まさかこんな風に襲われる立場になろうとはこれまで一度も想像したことがなかった。
そして人の心の中にあれほど苦しく、灰色の何かに埋め尽くされてしまうほどの暗い感情が生まれることも、初めて知った。
物語を読めばそういう話はいくらでもあったのに、現実の世界で体験するとこれほど衝撃を受けるものなのだな、とマイラは思い知った。それを知らなかった頃の平和な考えの自分はもういないのだと思うと、少し不思議で、どこか寂しくも感じていた。
だが、知ってしまったからにはもっと知りたいと思うのがマイラだ。
「明日、図書館に行ってもう少し調べてみようかな・・・」
「じゃあ俺も一緒に行こう。」
気配を一切感じさせずに突然声をかけてきたエリクスに驚き、マイラは飛び上がった。
「わっ、びっくりした!!もう、気配を消して近付くのはやめてください!!」
「マイラ、今日は大変だったな。」
優しい言葉をかけてくれる兄にそれ以上文句も言えず、マイラは苦笑しながら頷いた。
「でも、お兄様が助けに来てくれましたから。本当にありがとうございました。」
「いいんだ。それと・・・俺のことを『真っ直ぐな人』と言ってくれたこと、本当に嬉しかった。」
「・・・え?」
マイラはその発言の意味がわからず困惑する。その言葉を発した時、彼は近くにいただろうか?
「俺は誰かにむやみやたらと好かれることはあっても、俺自身を魔力の影響無しに評価してもらえることは少ない。男性にも少なからず影響が出るからな。それが他ならぬマイラにあんなことを言ってもらえると思ってなくて・・・俺はすごく、すごく嬉しかったんだ。」
「お兄様・・・」
いつ聞いていたのかしらという疑問は、彼の普段は見せない憂いを含んだ真剣な眼差しに見つめられているうちに、自然と頭の中から消えてしまっていた。
(お兄様のこんな表情、初めて見た・・・)
その瞬間マイラの胸の中に、あの日と同じ音が鳴ったような気がした。そしてマイラはゆっくりと、今の正直な思いを告げる。
「お兄様は、真っ直ぐな人です。変な格好ばかりするし偽の妹まで甘やかしすぎて面倒だなって思うこともありますけど、でも、本当に優しくて素敵な人です。」
「マイラ・・・」
エリクスの金色の髪を、バルコニーにやってきた優しく暖かな風が静かに揺らしていく。マイラはそれを言葉にならない不思議な気持ちで見届けた後、照れ臭くなって彼から目を逸らした。
「じゃあ、明日も学校ですからそろそろ休みますね。お兄様も早く休んでください。おやすみなさい。」
「・・・」
なぜか黙ってしまったエリクスを残してゆっくりとバルコニーから談話室の中へ入っていこうとした、その時。
「うわっ、え?お兄様!?」
エリクスが突然、後ろからマイラをその腕で優しく包み込んだ。背中には彼の温もりが伝わってくる。
「俺はもう二度とマイラをあんな恐ろしい目に合わせない。絶対に、俺が守るから。」
「お兄様?ちょっと苦しい!わ、わかりました!とにかく離してください!!」
エリクスに耳元で囁かれ、くすぐったくなったマイラが暴れだす。だがエリクスはさらにぎゅっと強くマイラを抱きしめた。
「だから無茶をしては駄目だ。マイラはまだ灰色の悪魔への対処魔法を習っていないだろう?もしまたあんなことがあったら必ず俺の名を呼びなさい。どんなことがあっても助けにいくから。」
その言葉に嘘はないと、もうマイラは知っていた。演技の必要のないこの場所で言ってくれたその本心からの言葉は、マイラの胸をうつ。
だが今のマイラは突然沸き起こった胸の高鳴りに気を取られ、何も声を発することができなくなっていた。
「マイラ、聞いているのか?」
「お・・・おやすみなさい!!」
「うわっ!マイラ!?」
魔法で動かした植物を兄の手に絡めて無理やり自分から引き剥がすと、マイラはおやすみなさいだけをどうにか告げて、急いで自分の部屋に戻り鍵を閉めた。
(何あれ!?私、どうしちゃったんだろう?)
ドアを背にしてハアハアと息を整える。自分の中に生まれた小さな音が、心の中をかき乱していく。
「もう寝よう。とにかく寝よう。」
マイラは服も着替えずにベッドに倒れ込み、何も考えずに済むようにブツブツと古代語を唱えながら眠りについた。
翌朝イリスに優しく起こされたマイラは、シャワーを浴びて着替えを済ませると朝食を食べるために階下に降りていった。
イリスから「今日は天気も良いですし、テラスの方でいかがですか?」と促され、外に出る。するとそこにはすでにエリクスが笑顔で座って待っていた。
マイラは兄の顔を見た途端、なぜか忘れていたはずの昨日のやりとりを思い出し顔が赤くなっていく。イリスはその様子を不思議そうに見守っていた。
「マイラ!おはよう!さあ一緒に朝食にしよう。今日から行きも帰りも一緒だ。マイラもその方が安心だろう?」
「え!?帰りもですか?」
ナイフとフォークを手に食事を始めたエリクスが、しっかりと口に入れたものを飲み込んでから再び口を開いた。
「そうだ。昨日のようなことがまた起こらないとも限らないし、俺も学校に通う間は女子生徒達との接触を避けられない。卒業して仕事を始めれば会う人を絞れるが今はそうじゃない。お互いのためにも、できるだけ一緒にいるようにしよう。」
「はあ。」
マイラは複雑な気持ちと曖昧な返事でそれに答えた。イリスが小さな声で「お茶とコーヒー、どちらにいたしますか?」と聞いてくる。
「コーヒーをお願いします。」
いつもと違うマイラの様子に軽い驚きを感じているようだったが、イリスはいつも通りに軽く頷いてその場を離れた。
「マイラ、どうした?今日は元気がないのか?」
ようやくマイラの変化に気付いたエリクスが心配そうにフォークをおろす。だがマイラはパッと顔を上げるといつもの明るい笑顔を見せて誤魔化した。
「いえ!ちょっとお腹が空いていただけです。美味しそう!たまにはこうして外で食べるのもいいですね!」
「ああ。・・・そうだな。」
エリクスは安心したのか再び朝食を食べ始めた。二人は朝の爽やかな空気の中で美味しい朝食とコーヒーを楽しむと、いつものように二人並んで学校に向かう。
マイラの中に生まれたこの小さな変化は、この時はまだ『漠然とした不安』という状態でかすかに燻り始めたばかりだった。
(よくわからないけど不安な感じ・・・でもとにかく今は、きちんと役目を果たすことにだけ集中しよう!)
その不安のような何かを密かに胸の内に抱え込んだまま、今日もマイラは兄の笑顔と共に、学校への道を元気に歩いていった。




