18. 初めての勉強会
その日の午前中の授業を終えると、ミコルとケイトに誘われたマイラは学校の食堂に向かった。
ここはかなり広い食堂で、混み合うことはあっても座れないということはほとんど無いらしい。しかもテーブルは同じものが整然と並んでいるのではなく、色々な形のテーブルがパズルのように複雑に組み合わさって並べられている変わった食堂だった。
三人は初めての食堂での昼食を楽しみにしながら列に並び、今日のランチセットの中から好きなものを選ぶ。無事トレーを受け取ると、それを持ってなんとか向かい合わせに座れる場所を確保できた。
「あー、疲れた!古代語って私苦手かも。初日から頭痛くなりそうだよー。」
ケイトは席に着くなり最初の授業の愚痴をこぼす。ミコルはふふふと笑いながらフォークを手に取って早速食べ始めた。
「マイラは古代語、実は得意なんでしょう?」
「え?あんな変な言葉が得意なの!?いいなあ、今度教えてよ!」
ミコルとケイトがそれぞれに別の期待を込めてじっとマイラを見つめている。
「うーん、得意なのかなあ?でもあの教科書の内容はちょっと簡単すぎる気もしたんだけど。」
「ほら!やっぱり!」
ミコルが得意げにそう言うと、ケイトは不思議そうに彼女に言った。
「ミコルって変に勘がいいよね。マイラが古代語得意だってよく気付いたね。マイラもいつ古代語の勉強なんてしてたの?」
ケイトのフォークにはマイラが驚くほど大きな肉が刺さっている。目を丸くして肉を凝視しながらマイラは答えた。
「ケイト、それ、一口は厳しいんじゃない?」
「え?そう?」
ケイトの口が大きく開いた。マイラはまじまじとそれを見ながら自分の口も開いた。
「・・・古代語は前の学校で勉強してたよ。その時の先生が厳しくてさ。たいていあの教科書一冊分以上の範囲が半期ごとの試験に出てたの。」
フォークの肉があれよあれよと言う間に口に入り、ケイトのお腹の中に消えていく。マイラはそれこそ魔法のようだなと思いながらぼんやりとそれを見つめていた。すると今度はミコルがマイラに問いかけた。
「ねえマイラ、今度のお休みにあなたの家で一緒に勉強会をしたいんだけど、どうかしら?」
「え?」
ミコルの突然の提案に驚き、マイラは持っていたフォークをカツン、と軽くお皿に当ててしまう。
「それ、いい!私もマイラの家に行ってみたいな!ついでに古代語も教えてほしい。これ結構本気だから。」
お肉を食べ終わったケイトもその案に便乗し、古代語の指導まで要求された。マイラはフォークを一旦皿の上に置くと、俯きながら考える。
(どうしよう、二人はお兄様には興味がなさそうだけど、勝手に自宅に招いていいものかしら?うーん、まあ後で確認してみればいいか!)
よし、と何かを決断すると、マイラは二人に顔を向けて言った。
「私だけでいいよって言えないから、お兄様に聞いてからの返事でもいい?」
「もちろん!」
「行けなくても古代語は教えてー!」
「あはは、切羽詰まってるね。」
三人はとりあえず何かしらの結論が出たところで、再び食事に集中し始めた。
その日の夕方、家に帰ったマイラを、今日はエリクスがたまたま玄関先で出迎えてくれた。
「マイラ、おかえり!会いたかったぞ!」
「ひっ、ま、また上半身裸・・・あ、ちょっと!その格好で抱きつこうとするのは絶対にやめてくださいね!!」
マイラが珍しく手を前にかざし、エリクスとの間に薄い氷の壁を作り始めた。辺りにひんやりとした空気が流れる。
「おお!これはすごいな!魔法水で氷を作るのは難易度が高いんだぞ。マイラはイメージさえ固まればこんなこともできるのか!」
エリクスは面白そうにその氷の板に触れると、冷たいなと言いながら手を引っ込め、氷越しのマイラに微笑みかけた。
「はあ。お兄様。とにかく何か上に羽織ってください。でないと上半身を氷で固めますよ!」
「わかった。」
「あ、それと、今度のお休みにミコルとケイトをここに連れてきても構いませんか?みんなで勉強会をしたいって話になっていて。」
エリクスはキーツが持ってきたシャツを羽織るとボタンをかけながら「その二人なら構わないよ」と許可を出す。
マイラはその言葉に喜び、出迎えにきたイリスに笑顔でカバンを手渡した。イリスは片手でそれを受け取り、もう片方の手にあった手紙をマイラに差し出した。
「ありがとうございます。イリスもありがとう!」
「いえ。マイラ様、お手紙が届いております。」
「手紙?あ、マルクからだ!」
シャツを着たエリクスが今度こそ可愛い妹をハグしようと近寄ったが、手紙に夢中のマイラはそれに全く気付かずさっさと二階に上がっていってしまった。
「マイラ・・・」
「エリクス様、残念でしたね。では失礼いたします。」
なぜか嬉しそうにそう言ってマイラの後を追うイリスの後ろ姿を軽く睨むと、エリクスはガックリと肩を落とし、寂しそうな背中をキーツに見せながら部屋へと戻っていった。
そして次の日も順調に授業を終えたマイラは、さらにその翌日、ミコル達との約束の日を迎えていた。
待ち合わせの時間、家の門の前で二人を待っていたマイラは、遠くから楽しそうに歩いてくるミコルとケイトの姿を見つけると、大きく手を振り笑顔を向けた。少し後ろにはイリスも控えている。
だが二人はどうやらまだこちらに気付いていないようで、マイラは長い時間手を振りながら、彼女達が気付いてくれるのを待っていた。
「マイラ様は目が良いのですね。たぶんお友達の方々はまだマイラ様のお顔が見えていないと思いますよ?」
マイラは「そうなのかな?」と残念そうに言いながら手を下ろした。イリスはそんなマイラを優しく見つめる。
「大丈夫です、すぐに気付きますよ。手はあまり大きく振ると疲れてしまいますから、ゆっくり待ってみてはいかがですか?」
マイラは苦笑しながら振り返り、イリスを見上げた。
「イリス、私のことを十歳くらいの子どもみたいに思ってるんでしょう?」
「おや?違いましたか?」
「もう!イリスが子ども扱いするってホーク叔父さんに言いつけちゃうからね!」
マイラがふざけてそう言いながらイリスの腕にギュッと自分の腕を絡めると、彼は途端に硬直し、その顔は真っ赤になった。
「マイラ様!お、お友達に見られてしまいますよ!?」
「いいわよ別に。イリスも私のお友達ですもの。あ、そうだ!今日はお兄様が昨日買ってきてくださったあのお茶が飲みたいな!イリス、淹れてくれる?」
イリスはごほんと一つ咳払いをすると、小さな声で「承知いたしました」と言って、ようやく手を離したマイラの元をスッと離れた。
「マイラ!お待たせ!」
「ケイト、いらっしゃい!ミコルも・・・その大荷物、どうしたの!?」
「うふふ、いいものを持ってきたのよ!さあ、勉強会を始めましょう。今日はマイラの部屋を見るのを楽しみにしてきたのよ!」
そう言いながら、両手いっぱいに何やら大きな布に包まれた四角い荷物を抱えたミコルが意味深な笑みを見せた。マイラは訝りながらも二人を家の中へと促し、そのままマイラの部屋へと案内していった。
マイラの部屋に入ると、二人はその豪華で可愛らしいインテリアを一つずつ確かめながら楽しそうに感想を言い合い、なかなか準備された椅子には座らなかった。
そうこうしているうちに、イリスが先ほどマイラが頼んでいたお茶とお菓子を持って部屋に現れる。
「お嬢様方、さあどうぞ。お勉強の合間に・・・と思いましたがどうやらこれから始まるようですね。」
微笑みながらそう話すイリスに、二人はちょっとだけ照れながら頷きテーブルに座った。イリスがこの日のために三人で座れるようなテーブルと椅子を部屋に運んでおいてくれたのだ。
お茶を飲みご機嫌になった三人は、ようやく教科書を取り出し古代語の勉強を始めた。
ほぼマイラが教える形にはなったが、特にケイトは「教科書よりマイラの説明の方がずっとわかりやすい!」と喜んでくれたので、マイラにとっても有意義な時間となった。
それ以降もペチャクチャとくだらないことをおしゃべりしながら、三人は実りある勉強会をしっかりと楽しむことができた。
そしてそろそろ勉強を終えようかという時になって、ミコルがようやくあの大きな包みをソファーの上からテーブルに移動させ、掛かっていた布を取り外した。
すると、何冊もの古代語研究に関する本がマイラの目の前に現れた。
「すごい!!これ、イリスにも探してもらってたけど見つからなかった本だ!!ミコル、これどうしたの!?」
興奮して思わず立ち上がってしまったマイラを、ミコルが嬉しそうにテーブルに肘をついて見上げる。
「ふふふ!うちはね、ルーイ商会ほど大きくは無いけれど、それなりに売上のある小売業をしているのよ。扱っている商品も様々でね、時々こうして、うちにしか入ってこない特殊な商品も手に入るの。」
ケイトは明らかに難解そうな目の前の本を指でそっとめくると、すぐに閉じた。その嫌そうな顔を見てマイラはつい笑ってしまう。
「ミコルのお家ってすごいのね、こんな珍しい本が手に入るなんて・・・え、もしかして貸してくれるとか!?」
ミコルは先ほどまで使っていたピンク色のペンを自分のペンケースにしまうと、澄ました顔でこう言った。
「今日古代語を教えてくれたお礼に、マイラに差し上げるわ。マイラなら十分に活用してくれるでしょう?」
思わぬプレゼントに驚くマイラに、ミコルはにっこりと笑顔を向ける。マイラは微かに震える手で本を一冊持つと、ブルブルと頭を振った。
「だ、駄目よこんな高価な本!買う、買います!!勉強のお礼なんていらないし、こんなの申し訳なくて一ページだってもらえないよ!」
ケイトは目をパチパチさせながら二人を交互に見ていたが、マイラが遠慮しているのを見て言った。
「私は何にもお礼のものなんて持ってきてないけど、それはせっかくだからもらっておいたら?それで私は代わりに今度実技のサポートをするよ。マイラこの間不安だって言ってたし!」
サラサラの黒髪を揺らして頷きながらそう話すケイトと肩を組み、ミコルがぜひそうしてと追い打ちをかける。
「・・・じゃあ、今回だけ、今回だけだよ?ありがたく頂戴します。」
二人の期待するような視線に根負けし、マイラは最高のプレゼントを受け取って恐縮しきりだった。