136. 決意と覚悟
嵐が収まった翌日、無事にジェイクを病院まで送り届けると、マイラはエリクスと共に店に戻った。しっかりとかけられた強化魔法のおかげで店はもちろんのこと、村中のどの家にも被害はほぼ無かった。
川の氾濫によっていくつかの畑や人のいない建物などは駄目になってしまったものもあったが、人的な被害は全くと言っていいほどなく、マイラ達は村人達と互いに無事だったことを喜び合うことができた。
そうして諸々の事務処理や仕事の片付けなどを終えたマイラとエリクスは、日が暮れる少し前にようやく帰路に着いた。
「よかったな、どの家も無事で。テイラーさんも疲れてはいるが怪我はないと確認してもらったし、マイラも安心しただろう?」
エリクスは当たり前のようにマイラの手を握り笑顔を見せている。家までの道をゆっくりと歩きながら、マイラは小さく頷いた。
「はい!本当によかった・・・エリクスさんがいてくれたからみんなを助けられました。一緒にいてくれて、助けてくれて、本当にありがとございます。」
その言葉にエリクスは手を引いたままふっと立ち止まった。辺りに人気はなく、白い息だけがふわふわと二人の間に漂う。マイラもつられて立ち止まり、不思議そうにエリクスの横顔を見上げた。
「礼なんていい。俺はただ、マイラの側にいたかっただけだ。マイラの守りたいものを俺も一緒に守りたかっただけ。それに・・・」
そう言うとエリクスはマイラの方に向き直り、空いた方の手でそっとマイラの頬に触れた。珍しく少し冷たいその手が、マイラの感覚を鋭敏にしていく。
「下心があったことも否めない。マイラの気持ちを俺にもっと向けてもらえるんじゃないかと・・・格好をつけてしまった。」
「え?エリクスさんが!?」
エリクスの顔がみるみる赤くなっていく。
「・・・は、恥ずかしいからそんなにまじまじと見つめないでくれ!」
「ふふっ、そんな照れた顔、初めて見ました!」
「こら、揶揄うな!」
マイラは照れて真っ赤になった顔を横に向けたエリクスを見つめながら、握られた手をそっと外すとその両腕を思いっきり開いてエリクスの体に抱きついた。
「えっ?はっ、なっ!?」
さらに真っ赤になっているであろうエリクスの慌てた声が頭上で聞こえてきて、マイラは思わず笑ってしまう。
「ふふふ!あのね、エリクスさん。私本当に、本当にあなたのことが好きです。」
「マ、マイラ?と、突然どうした!?」」
エリクスの引き締まった筋肉質な体に、抱きついた当人であるマイラの方がドキドキしてしまう。
「これからは、こんなこともたくさんしていいんですよね?」
するとエリクスの動きと慌てたような声がぴたりと止まった。そしてマイラの背中に、温かなその腕が優しく届く。すっぽりと包み込まれた感覚が心地良くてマイラは彼の胸に頬を寄せた。
「うん。これからはずっと俺はマイラだけのものだ。たくさん甘えていいし、好きなだけ抱きついていい。その代わりマイラも・・・ずっと俺だけのマイラでいてほしい。」
「・・・はい。」
照れながらもしっかりとした声でそう答えると、エリクスはぎゅっと強くマイラを抱きしめてから言った。
「愛してる、マイラ。これから一生、君を死ぬほど甘やかすから。」
「ほ、程々にお願いします・・・」
「あはは!それは無理かな!」
「もう!」
マイラが急に恥ずかしくなりモゾモゾと動き始めると、エリクスが少しだけ腕をゆるめた。だが彼はまだマイラを解放するつもりはなかったらしく、そのまま体勢を変え再びマイラに近付いた。
「な、何ですか?顔が近い!」
「うん。昨夜の続き。」
「こ、ここで!?」
「・・・どこならいい?」
暗くなりかけたその場所でもキラキラと輝く彼の青い瞳に見つめられて落ち着かない気持ちになりながら、マイラは小さく呟いた。
「えっと、じゃあ、うちに来ますか?」
「行く。」
ほぼ言葉を被せるようにそう言ったエリクスは、マイラの手を握りすぐに歩き出した。マイラもその手に引かれながら黙ってついていく。
そして二人は十分ほど黙々と歩いてマイラの部屋に到着すると、中に入ってしっかりと鍵を閉めた。
ガチャン、という小さな金属音が耳に入ると同時に、マイラの首筋にエリクスの手が触れる。
身体中にゾクゾクと痺れるような感覚が流れていくのを感じながら、マイラは暗闇の中で微かに見えるエリクスの輪郭を見つめた。
「もう、限界だ。」
「エリクスさん・・・」
そうしてその夜二人は明かりも点いていない小さな部屋の玄関先で、互いの唇の柔らかく熱い感覚に、愛する人と心が通じ合った歓喜の中に、静かに溶けていった。
翌日から一週間をかけて二人は村の人々に事情を説明し、店を閉じて町に戻る準備を始めた。
ジェイク・テイラーは何度もマイラとエリクスに礼を伝えに来ては、マイラとの別れを惜しんでくれた。エリクスはその度に多少不満そうな顔でその様子を見つめていたが、邪魔をすることはなかった。
下宿先のサーヤとも別れの挨拶を終え店の掃除を完璧に済ませると、マイラはエリクスと共に彼が滞在していた宿へと向かった。
そして宿の部屋に入ってマイラは驚く。そこは今までのエリクスの生活なら考えられないほど質素で、狭く、何もない部屋だったからだ。
「エリクスさん、この部屋で、一人で何日も過ごしていたんですか?」
エリクスは自分の荷物を片付け始めていたが、マイラの声に気付いて手を止め振り返る。
「ああ。・・・どうした、そんな驚いた顔をして?」
「だって、エリクスさんならもっと大きな部屋で、たくさんの荷物に囲まれて・・・」
マイラの表情が次第に悲しそうなものに変わっていくと、エリクスは苦笑しながらマイラに近付き、その額にキスをした。
「そんな顔をしないでくれ。俺は別にお金に困っていたわけでも辛いわけでもなかったんだから。むしろこの地でマイラを見つけることができて、一緒に仕事もできて、こんなに幸せな時間はなかったくらいだ。」
「でも・・・」
エリクスに抱き寄せられながらもマイラの表情は晴れない。
「いいかい、マイラ。これから俺達はルーイ家のしがらみの中に戻ることになる。そこには確かにマイラが見てきた豊かで裕福に見える生活がある。だがその反面、たくさんの従業員達を背負う重い責任があるし、マイラには女主人として様々なことを覚えてもらう必要もあるだろう。」
エリクスはそこまで話すとそっとマイラを解放し、髪を優しく撫でた。そして目線の高さを合わせるため軽くしゃがむと、彼は笑顔を見せて言った。
「それでも、そんな重荷を君に背負わせることになるとわかっていても、もう君と共に生きる人生を諦めたくないんだ、マイラ。」
「エリクスさん・・・」
マイラの胸はいっぱいになり、思わず彼の左手を両手で握りしめた。右手はまだ髪を撫でてくれている。
「だから、ここで過ごした時間は決して辛くも不幸でもなかったんだ。むしろとても幸せで、自由で、素晴らしい日々だった。それでも、マイラが俺とルーイ家で生きる道を選んでくれたから、俺も覚悟を決めるよ。」
「はい。」
向き合い、笑顔を見せ合う二人の間に、もう何一つ迷いはなかった。
「さあ帰ろう、俺達の家に。忙しくなるぞ!」
「はい!」
「ああ、それと学校にも戻ろう。みんな、寂しがっているんじゃないかな?」
「戻っていいんですか?」
マイラが握った手を嬉しそうにブンブンと上下に振ると、エリクスは楽しそうに笑った。
「あはは!もちろん!」
「嬉しい・・・エリクスさん、大好き!」
パアッと表情を明るくしたマイラが手を離してエリクスに抱きつくと、彼は片手で顔を覆って嘆く。
「・・・マイラ、俺の理性を試してるのか?」
数秒後、ようやくその意味を理解したマイラは勢いよくエリクスから離れると、真っ赤になってキョロキョロと辺りを見回し始めた。
「あの、ええと、じゃあ私この荷物を持って廊下で待ってます!」
「待ってマイラ。」
だがエリクスの手はがっちりと細い腕を絡め取り、マイラは再びその腕の中へと吸い込まれていく。視線が、ごく近距離でぶつかり合う。
「あっ・・・んっ!?」
「・・・愛してる。」
唇が深く触れ合い、限界まで真っ赤な顔になったマイラは、彼の荷物の中から持ちやすそうなカバンを一つ掴むと、慌てて廊下へと飛び出していった。
「は、恥ずかしい・・・」
カバンを抱えたまま顔を隠して廊下でエリクスを待っていると、少ししてから大きな荷物を持ったエリクスが現れた。
「行こう、マイラ。」
「はい!」
宿を出るとそこには冷たく澄んだ空気が満ちていた。マイラは新たなスタートを切るための一歩を踏み出したことを実感し、真っ直ぐ前を向いて大きく口を開いた。
そして冷たい空気を胸いっぱいに取り込むと、横に立つエリクスを見上げて微笑んだ。ゆっくりと息を吐き出していると、彼の優しく愛のこもった笑顔が返ってくる。
マイラは笑顔と同時に差し出されたその大きく温かい手をしっかり握りしめると、ザクザクと音のする地面を踏みしめながら、少し先にある広場で待っているルーイ家の馬車に向かって大きな決意と共に歩き始めた。