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133. 束の間の幸せ

 エリクスがマイラを迎えに来たその晩、彼はマイラを下宿先まで送り届けてから自分の宿へと帰っていった。


 別れ際、下宿先の家の玄関前でエリクスはマイラの頭に優しく手を載せて微笑むと、はっきりとした声でこう告げた。


「しばらくあの店で仕事をするつもりなら、俺も手伝う。」


 マイラは思わず大きな声で「えっ!?」と言ってしまい、慌てて口を押さえた。そして今度は声を抑えながら言った。


「駄目ですよ!お、お兄様には向こうでのお仕事があるでしょう?早く帰ってください!」

「嫌だ、帰らない。マイラと一緒にいる。」

「もう、またそんな我儘を言って!」

「ははは!久しぶりにマイラに怒られちゃったな!とにかく今日は一旦宿に帰るよ。おやすみ。」


 エリクスの嬉しそうな笑顔に思わずマイラも顔が綻んでしまう。そして彼はマイラの答えを待たずに暗い夜道の中、宿へと戻っていった。


(あんな嬉しそうな顔をされたら、これ以上突き放せないよ・・・)


 マイラは頭に載せられた手のひらの温もりを思い出して気恥ずかしい思いを感じつつも、しばらく一緒にいられるかもしれないことを密かに喜んでいた。


 そうしてマイラは宿に帰っていく彼の後ろ姿を見送った後、この村に来てからずっとお世話になっている食堂の上にある部屋へと帰っていった。




「あらマイラ、おはよう。今朝は早いのねえ!」


 翌日、マイラが早朝に下宿先の階段を降りていくと、お世話になっている食堂の奥さん、サーヤと行き合った。彼女は仕込みのためいつもこの時間には食堂にやってきて、元気に仕事を始めている。


「サーヤさん、おはようございます。はい、今日もお店の準備をしようと思って。」

「そうかい。うちも何か困ったことがあったらどんどん依頼するから、その時は頼むよ!」

「はい!」


 ふわふわの栗毛をキュッと一本でまとめテキパキと働くサーヤは、マイラより十歳上の可愛らしい女性だ。以前はこの食堂の二階、マイラが今使っている部屋に彼女と彼女の母親が暮らしていたらしい。だがサーヤが結婚して家を出た後に彼女の母親は病気で亡くなり、空いてしまったその部屋を今はマイラが借りている。


 サーヤに手を振ってそこを離れると、マイラは店に向かう途中にある、村に一軒しかない宿の前を通った。


(いつも使う近道じゃないけど・・・たまにはいいよね?)


 エリクスに会いたい気持ちを誤魔化すように、自分にそう言い訳をしながら宿へと近付いていく。すると予想通りエリクスが、昨日よりも爽やかな笑顔で宿の前に立っていた。


「マイラ、おはよう。」

「お、おはようございます。」


 前日のことをふと思い出し、顔が熱くなるのを感じる。マイラはそれを誤魔化すように手で前髪を軽く整えた。


「嬉しいな。俺のこと、迎えに来てくれたんだ。」

「そ、そういうわけではなくて、その、たまにはこの道もいいかなあって思って・・・」


 マイラがあたふたしながら言い訳をしているうちに、その右手はエリクスの左手にしっかりと捕まってしまった。


「そうか。じゃあ、とにかく行こう。準備があるんだろう?」

「・・・はい。」


 そうして再び店に向かって歩き始めてから、マイラはふとあることに気付いて顔を顰めた。


「そういえば忘れてましたけど、宿で女の人から絡まれたりしていませんか?ここ数日女性のお客さんも何人か泊まっていたと思うんですけど。」


 エリクスは軽く首を傾げながらマイラを見つめる。そして少しずつ歩く速度を緩めてゆっくり立ち止まると、握っていた手を上に持ち上げて言った。その左腕には、マイラとお揃いのバングルが煌めいている。


「このバングルに、イリスの助けを借りて魔法陣を埋め込んだんだ。彼が得意としている『魔力遮断魔法』を組み込んだから、俺の漏れ出してしまう魔力を使いながら自動的に魔法が発動している状態らしい。」

「すごい!イリスって本当に天才なんだ・・・」

「・・・」


 持ち上げられていた手が徐々に下がり、エリクスの表情が不機嫌なものに変わっていく。マイラはその不穏な雰囲気に気付くと、驚きながらエリクスの顔をじっと見上げた。


「どうしたんですか?」

「いや、別に。」

「お兄様!」

「・・・マイラが、イリスのことを褒めるから、つい。」


 その不機嫌さが嫉妬によるものだとわかると、マイラは真っ赤になって俯いた。エリクスはそれを見てようやく笑顔に戻る。


「ごめん、困らせたな。さあ、行こう。これからはずっと一緒だ。」


 何もはっきりとした返事はできないマイラだったが、頬を赤らめ曖昧な笑みを返すと再び歩き始めた。



 店に到着した二人は、マイラの今後の展望を語り合いながら必要なものを設置したり、掃除をしたりして店の準備を進めていった。それは思っていた以上に楽しい時間で、マイラはふわふわと心を弾ませながら、二人だけの幸せな時間を楽しんでいった。



 午後になり、マイラが持参した昼食を食べ終えた頃、店にテイラーが顔を出した。


「マイラさん、こんにちは!」

「テイラーさん!あの、昨日はごめんなさい!突然居なくなってしまって、心配をお掛けしました。」


 テイラーは昨日と同じ籠を持って優しく微笑んでいる。だがチラッと店の奥を見てエリクスの姿に気付くと、彼にあからさまな敵意を向け始めた。


「いえ、気にしないでください。それよりもあの方はマイラさんのお知り合いですか?昨日あの方がここに来た時、マイラさんは彼から逃げたように見えましたけど。」


 エリクスはサッと椅子から立ち上がるとマイラの横まで素早く移動し、その肩をぐっと抱き寄せた。テイラーの顔が僅かに怒りの表情を浮かべる。


「はじめまして。私は彼女の婚約者ですが、何か?」

「こ、こ、んんっ!?」


 何かを言いかけたマイラの口を優しく手で覆うと、エリクスはにっこりとテイラーに微笑んで言った。


「そういうわけですので私達のことはご心配なく。長い間マイラに良くしていただいてありがとうございます。」

「・・・いえ。」


 テイラーはそれ以上何も言うことができなかったのか、眉根を寄せて軽く会釈をし、また来ますと小さく呟いて去っていった。


 そして残されたマイラは頬を膨らませると、少し強い口調でエリクスの言動を責めた。


「もう!テイラーさんは昨日のことを心配して来てくださったのに!あんな嘘までついて!」

「マイラ。」


 だが、エリクスの真剣な声に勢いを削がれる。


「な、何ですか?」


 彼は何かを言いかけて口を開いたが、息を吸い込むと口を閉じ、にっこりと笑った。


「いや、何でもない。それより店の準備をしよう。少し植物なんかも置くといいんじゃないかな。小さな店だが、居心地良く明るい空間にした方がいいだろう。」


 言いかけて消えていった言葉が気にならないではなかったが、その道のプロでもあるエリクスの助言にマイラは素直に頷いた。


「そう、ですね。少し道を下ったところに花屋さんがあるので、見に行ってみます。」

「一緒に行こう。」


 そう言って差し出された左手に、マイラはドキッとする。


(エリクスさんはいつかルーイ家に戻らなければならない人。でも、今だけ、あと少しだけ、一緒に居させてください・・・)


 おずおずと伸ばした右手は、その大きな左手にきゅっと優しく握られた。温かく、少しだけ硬さのあるその手に、さらにドキドキさせられていく。そして一歩近づきその青い目を見上げた。


「あー、そんな可愛い顔で見上げられると困る。ここにいるとどうにかしてしまいそうだから、花屋に行こう。」

「え、えっ!?」


 どういう意味なのかと聞き返すことはできず、マイラは手を引っ張られながら店を出て花屋へと向かった。




 それから数日のうちに全ての準備を終え、マイラは特に告知もなく店を開店させた。


 と言っても小さな村、誰に会ってもほぼ知り合いという状態なので、サーヤが食堂で楽しそうにマイラの店の宣伝をしてくれたこともあり、初日から様々な依頼が舞い込んだ。


 大きな荷物の運搬、水汲みや洗濯などの力仕事は特に喜ばれた。いくつか仕事が重なった時にはエリクスも助っ人として仕事を担当してくれたので、一週間もすると生活をするには十分な売上を出すことができるようになっていた。



 それからさらに数日が経った。


「マイラ、おかえり。そうそう、さっきへミンさんから依頼があって、明日川の整備を手伝ってほしいとのことだったよ。」


 すっかり店で一店員として居座ってしまったエリクスが、小さなメモを片手にマイラに笑顔を見せた。マイラはちょうど近くの畑で収穫の手伝いをしてきたばかりで、泥だらけの体と顔を入り口で綺麗にしながらその話をふむふむと聞いている。


「エリクスさん、お留守番ありがとうございます!うーん、川の整備かあ。もしかしたら嵐が来るかもしれませんね。」


 マイラは持っていたタオルをぎゅっと握りしめると、ドアについている小窓から曇り始めていた空を眺めた。エリクスはメモを持ったままマイラに近寄ると、タオルをそっと奪ってマイラの頬を優しく拭った。


「こんなところにまで泥をつけて・・・相変わらずやんちゃだな。」

「えっ?やだ、自分で拭けます!」

「いいから。甘やかしたいんだ、マイラを。」

「・・・うん。」


 マイラが素直にエリクスの言葉を受け入れてくれたことに驚いたのか、彼はハッとして顔を赤らめると、先ほどタオルで拭った場所に軽いキスを落とした。


「エ、エリクスさん!?」

「愛してる。ほら、嵐はまだ来ないよ。中に入って、少し休憩しよう。」

「もう!」

「ははは!」


 だがそんな甘く穏やかな二人だけの時間を阻むように、この時二つの大きな嵐が、静かな時が流れるこの小さな村に迫りつつあった。


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