13. リアの一時帰国
散々な思いをした入学準備の日から二日後、エリクスの家に突然、マイラが予想もしていなかった来客があった。
「お兄様ー、いるー?」
ちょうど本を持って下の階におりてきたマイラは、玄関先にエリクスによく似た美しい女性が立っているのに気付き、そこで立ち止まった。エリクスと大きく違うのはその髪の色だ。彼女は薄い茶色の髪を柔らかく結い上げていて、マイラよりもずっと大人っぽく見えた。
そんなことを考えながら見つめていると次の瞬間、その美しい女性が突然マイラに駆け寄り抱きついた。
「やだー!もう会えた!あなたが兄の尻拭いをする妹役のマイラさんね?可愛いわあ、小動物みたいに目がクリクリしてるわあ!」
そう言いながら頭をぐりぐりと撫でくりまわされる。マイラが何が何だかわからずされるがままになっていると、二階からいつものように変な格好をしたエリクスが現れた。
「マイラ、どうした?ああなんだ、リアじゃないか。どうしたんだ突然?」
リアと呼ばれた女性はマイラを後ろから抱きしめたままエリクスを睨む。
「出た!この変態!!またそんな格好をして。本当にルーイ家の長男としての自覚が無さすぎるわ!!」
もう聞き慣れた言葉なのだろう。エリクスは非難の言葉を全く気にする様子もなく、ハイハイと言いながら下までおりてくると、マイラを引っ張ってリアから救いだした。
「リア!マイラをいじめるな。お前と違って兄を溺愛してくれる優しい妹だぞ?しかも俺の力が全く影響しない貴重な子なんだ。もっと大切にしてやってくれ。」
今度はリアがエリクスからマイラを引き離すと、冷たい目を向けて言った。
「そういうことはその変な格好をなんとかしてから言いなさいよ!そんなガウン一枚と短いズボンを履いて頭にタオルを巻いている人に言われたって説得力なんか皆無よ!!」
「・・・これは今ちょっと髪をケアしていてだな。」
振り回されて困ってしまったマイラはどうにか消え入りそうな声で「あのぅ」とリアに話しかけた。
「まあ、ごめんなさい!兄のせいで嫌な思いをさせたわね。さあさあ一緒にお部屋に行きましょう!あなたとは一度ゆっくりお話ししてみたかったの!」
リアは頬を少し紅潮させながら優しくマイラに語りかけた。
「おいおい!マイラを勝手に連れていくな!そもそも何の話をするんだ?余計なことを吹きこむつもりじゃないだろうな!?」
エリクスが慌ててそう言うと、リアは「さあ?」と意地悪そうな笑みを浮かべ、小さく何かを唱えた。するとエリクスの足元にモコモコとピンク色の土の塊のようなものが現れ、その膝あたりまで埋めてしまった。
「あ、こら!またやったな!ここから足を抜くのは大変なんだぞ!」
エリクスが嫌そうな顔で騒いでいるうちに、リアはそれを無視してマイラの手を取り二階のマイラの部屋へと入っていった。
この日イリスはお休みの日だったため、マイラはキーツにお茶を頼み、部屋に戻ってきたところでリアに腕を掴まれてソファーに横並びで座らされた。
「さあ、じゃあ自己紹介から始めるわね。私はリア、あの変な兄の実の妹よ。あの人顔はいいけど中身はあんなだから、毎日一緒にいると本当に疲れるのよ。でね、あんまりにも一緒にいるのが嫌だったのとあの兄の妹だって人に知られるのも嫌で、長年親戚くらいにしか私が妹だって知らせてこなかったの。」
自慢げに、そして嬉しそうにそう話す彼女を見て、マイラは何とも言えない気持ちになる。
(兄妹なのにそんなに嫌なのかなあ?でもさっきは仲が良さそうに見えたけど・・・)
「それでね、兄と同じ学校に通うのが嫌だったから、兄には内緒でこっそり留学を決めちゃったの!向こうでも母方の旧姓を使うことになってるのよ。」
「え?そこまで徹底してるんですか!?」
マイラの驚いた顔を見てリアは苦笑する。
「やり過ぎって思うわよねえ。でもいつかあなたもわかるわよ。まあ本当は兄がいい人だってことも知ってるし、外ではこっちが引くほど常識人で大人なのも知ってる。でも面倒なの。逃げたくなるのよずっと一緒にいると。だからお互いのためにもこのくらいの距離感がいいと思ってね。」
「ああ・・・なるほど。」
ここ数日の彼の行動を思い出し、マイラにはその気持ちが十分過ぎるほど理解できた。
「でもまさかあの兄が、『偽の妹』を見つけてくるとは思わなかったわ。」
リアは不思議そうにマイラを見つめ、何やら答えを待っているようだった。マイラは何を期待されているのかはわからなかったが彼女に嘘はつけない気がして、正直にこれまでの経緯を伝える。
「私、エリクスさんに描いて欲しい絵があるんです。でもそんなに高額なお金は用意できないなと思っていたら、お兄さんから『偽の妹になってくれれば描く』と言ってもらえたのでお引き受けしたんです。」
素直な言葉だと伝わったのか、リアは優しい笑みを見せながらマイラの手を握った。
「そうだったの。確かに兄は滅多に絵を描かないけど、描き上げたものはかなり高額で売買されているようね。本来魔法使いは魔法に才能を取られて学問とか芸術とかにはあまり才能が花開かないことが多いんだけど、うちみたいに異常に魔力が多い家系にはたまにそういう人も生まれるらしいの。あの人は特に多いから、女性を惹きつけちゃうっていう弊害もあるけど。」
「ああ、聞いたことがあります、その話!私は・・・どっちの才能も微妙だなあ。」
リアはマイラの手を離すと、ソファーの背もたれにゆっくり寄りかかった。
「何を言っているの!あなたには特別な力があるって兄が言ってたわよ。それにすごく努力家だって褒めてた。努力ができるのは才能よ。自信を持ってちょうだい!」
その言葉はマイラの胸の内に柔らかで温かな流れとなって心を満たしていく。そして二人は自然と微笑み合った。
「兄があなたを選んだの、わかる気がする。ねえ私達年も一緒みたいだし、これからも仲良くしましょう?それと兄の弱みを知りたかったらいつでもお手紙をちょうだい。最高の情報をお届けするわ!」
「あはは・・・ありがとう。じゃあお言葉に甘えて早速一つ教えて欲しいな!」
二人は顔を見て笑い合うと、リアからエリクスの隠しごとを一つ教えてもらうことができた。そこからはさほど時間もかからずに二人はすっかり仲良くなり、最後はガッチリと握手を交わして別れを告げた。
「じゃあマイラ、私そろそろ帰るわね。今回は向こうで準備を終えての一時帰国だからすぐ戻っちゃうんだけど、次来る時は長期休みに二週間くらいこっちにいるわ。その時にはまたゆっくりお話しましょ!」
「うん、ぜひ!困ったら手紙も送るわ。でも困ってない時も送っていい?」
玄関先まで見送ると、リアはエリクスにそっくりの優しい笑顔をマイラに向けた。
「当たり前じゃない!私も送るわ。じゃあ、兄のことよろしくね!行ってきます!」
「はーい!行ってらっしゃい!」
嵐のようなリアの訪問は、当初思っていたよりも楽しく実りのある時間となった。マイラは友達と姉妹がいっぺんに増えたような気がして、ゆるんでしまう頬を押さえながら自分の部屋に戻っていった。
だが部屋に戻ろうとした時、後ろからエリクスに声をかけられ振り返った。ヘアケアの時間が終わったのか、先ほどまでのとんでもない格好ではなく、普通の服装のエリクスがそこにいた。
「マイラ、リアはもう帰ったのか?」
「はい、今ちょうど帰りましたよ。お見送りしなくてよかったんですか?」
エリクスは自分の頭を軽く掻きながら困ったように言った。
「うん、まあ、あいつが向こうで元気で頑張ってくれればそれでいいよ。あいつも何度も俺と顔を合わせたくないだろうしな。」
マイラはじーっと彼の目を見つめる。
「な、なんだマイラ?俺の顔に何かついてるか?」
「いえ。リアさんのこと大好きなんだなあ、と思って。」
「・・・まあ。前にちょっと構い過ぎて嫌われたんだが、今でも大事な妹だからな。」
「うふふ!きっとリアさんも同じ気持ちだと思いますよ?二人して素直じゃないなあ!」
エリクスはすっと真顔になると、突然マイラに抱きついた。
「うわっ!?何ですか突然!?」
マイラは動揺しながらも身動きが取れない。
「マイラのことも大事な妹だと思ってる。演技とか女避けとか関係なく、大事で、大好きな家族だからな。これからもずっと大切にしていくから。」
「お兄様・・・」
その声はどこまでも優しく、マイラにもその言葉に嘘がないことはよくわかった。
「まあでも大好きはほどほどでお願いします・・・恥ずかしいので。」
エリクスはマイラから離れ、驚いた表情を浮かべる。
「恥ずかしい?なぜだ?マイラは俺の兄としての深ーい愛を受け入れられないと言うのか!?」
「・・・私、お兄様に嫌われるくらいでちょうどいいんじゃないですかね。こんなにベタベタしてるとまた『面倒くさい兄』って言われちゃいますよ?」
「うっ・・・」
どうやらこの言葉はエリクスのトラウマになっているらしい。リアから教えてもらってよかった情報の一つだ。
「リアめ・・・」
エリクスが何やら深く考え込んでいるうちにマイラはこっそりとそこを離脱した。
(面倒だけど素敵な兄妹に出会えて良かったなあ。さて、今日も魔法の練習頑張らないと!)
マイラは新たな出会いに感謝しながら、今日のノルマ達成に向けていつもの練習部屋へと歩き始めた。