129. 決着
ヨセフィーナはその日珍しく緊張していた。長い間、本当に長い間追ってきた仕事が遂に決着するかもしれないからだ。
(今日、メリーアンは必ず動く。しかもあの魔法陣が欠陥品だとわかれば、よりボロを出しやすくなるはず)
そして彼女はここまでの流れを思い返しながら、準備してきたことを確認していく作業に入った。
― ― ―
二十日ほど前のこと。ある若い男性がヨセフィーナに接触してきた。彼はまだ学生で、マイラの友人のウィルだと名乗り、とある相談事を持ちかけてきた。
「ただの学生であるあなたがどうして私に接触できたのかとても興味があるわ。」
出会って早々に思った通りのことを告げると、彼は少し緊張しながらもこう言った。
「僕の持っている伝手の全てを辿ってここに来ました。僕達がマイラのために計画した内容をあなたにどうしてもお話ししておきたかったんです。」
「計画?」
「はい。」
「座って。話をお聞きしましょう。」
それは驚くべき計画だった。もちろん穴もあり不完全で危険性の高い内容ではあったが、学生にしておくには勿体無いほどの計画性と行動力だとヨセフィーナは感心していた。
「・・・なるほど。つまりマイラさんが私に気を遣ってしまうから内緒で進めると本人には言ってあるのね。」
「はい。ですがあなた方がこんな大切な機会に動かないはずはないでしょうし、きちんと話を通しておかないとご迷惑をお掛けすると思ったんです。」
「なるほど。」
彼らはすでに準備を進めており、ルーイ家の屋敷に仲間達を潜入させることにまで成功していた。しかも討伐隊所属のクラウスを引っ張り込み、公にはいないとされている特別討伐隊にまで接触している。
「それで、特別討伐隊の方はどうなったの?本当に会えたのかしら?」
存在自体は把握しているが、軍内部でも実際の人員を見たものはほぼいない。上層部の数名が管理しているかなり特殊な部隊なのだ。
「はい。・・・断られてしまいましたが。」
「そう。まあそれは仕方ないわね。接触できただけでも凄いことよ。」
彼はしばらく黙っていたが、ゆっくりと顔を上げて真剣な表情でヨセフィーナに言った。
「無理を承知でお願いします。どうか仲間達のために、あなた方のお力を貸してくれませんか?そして僕達の計画をそちらの計画に組み込んでくれませんか?」
ウィルという少年の必死の願いを、ヨセフィーナは静かに受け入れた。
「わかったわ。ちなみにここにあなたが来たこと、他のみんなは知らないのかしら?」
「ええと実は、ミコル・ケリーだけは知っています。というか今朝バレました。死ぬほど謝って・・・でもそれでいいからマイラには内緒でと言われました。」
それはつまり本来仲間内でも内緒にするはずだったことを、より計画をうまく進めていくために、信頼を裏切るというリスクを背負ってまでも密かにここに来ようとしていたということだ。
「・・・あなた、調査隊に興味はある?」
「えっ!?あ、はい!」
「そう。卒業後の進路の一つに考えておいてちょうだい。」
「は、はい!」
そうして彼は計画の全てをヨセフィーナに話し終えると、ほっとした表情で帰っていった。
― ― ―
そしてさらにその十日後。
この日の計画は至ってシンプルだった。
調査隊は事態が収束するまで姿を現さない。マイラ達の計画が順調に進むよう、隠れて入り込んだウィルとスヴェンという少年達と連携を取りながらパーティーの様子を探り、動くべき時を待つ。
(正門はクラウス達が動いているようだから、うちの部下達は別の場所で待機させる必要があるわね)
広大な敷地を持つルーイ家だが、思っていた以上に守りの魔法陣がしっかりと仕込まれているようで、逃げられる場所は限られていた。
もちろん、当初から協力関係にあったヨアキム、セシーリア夫妻とも連絡を取り合い、エリクスが準備した計画がスムーズに進むようにも取り計らった。
結果、この日メリーアンには逃げられたものの、予定通り彼女の家族を大っぴらに調査することができるようになり、エリクスが準備していた偽物の魔法陣を盗ませることにも成功した。
ただ、マイラが大怪我を負ってしまったことは本当に残念だった。メリーアンに予想外の動きがあったなどという言い訳は、この仕事では通用しない。
(反省だわ。私もまだまだね・・・)
思っていた以上に落ち込む気持ちの中で、ヨセフィーナはメリーアンの身柄確保に向けて、再び動き始めた。
― ― ―
そしてさらに十日ほどが経過した、今日。
予想通りメリーアンは隣国に盗んだ魔法陣を売るために、そして私怨を晴らすために動き出し、大騒動を起こした。
だが幸運なことに元特別討伐隊の一員であった二人がそこに突然現れ、最悪の事態はどうにか避けることができた。メリーアンも無事に拘束することができた。
しかし・・・
(まさかあのエリクス・メイ・ルーイがやられるとは・・・)
彼が盗ませた偽物の魔法陣は、本物ほどの力は発揮しないとは言え、それなりの成果を出してしまったのだ。そのせいで思っていた以上に被害が拡大、集められた兵士達だけでは対処できない事態になってしまっていた。
そして一瞬の隙を突かれた彼は、瀕死の状態に陥ってしまった・・・
現場を部下達に任せ、ヨセフィーナはディーンを拘束したまま病院へと向かう。
緊急手術が行われ、すぐに処置をしてもらったのだが。
「隊長、担当医が呼んでおります。」
部下の一人に声をかけられ、急いで病室に向かう。そこには処置を終え、横たえられたエリクスがいた。真っ白な顔色を見る限り、助かったと言える状態には見えなかった。
「責任者の方ですね。彼は手術を終えて、今特殊な魔法で状態を保ちつつ様子を見ている状況です。ですがこのままだと長くはないでしょう。この魔法は状態を保つだけで、快方に向かわせるものではありません。できればご家族の方をお呼びいただきたいのですが。」
「・・・わかりました。」
それは事実上、彼の未来が絶たれたという宣言だった。
廊下で部下に見張らせつつ待たせていたディーンを中に引き入れる。別の部下にヨアキム達を呼び寄せるように伝え、ディーンに事情を説明して彼にお別れを言うよう促した。すると彼は突然、涙を流しながら叫び始めた。
「駄目だ!俺はマイラさんと約束したんだ!お前を死なせないって、声をかけ続けるって!!エリクス、死ぬなよ、彼女が戻ってくるまで必死で生きろ!!マイラさんを絶対に悲しませるなよ!!」
「隊長、彼を連行しますか?」
後ろから羽交締めにするようにディーンを押さえつけていた部下が、困り顔でヨセフィーナに指示を仰いだ。ヨセフィーナは首を横に振った。
「声はかけていていいわ。でも大声はやめて。」
「エリクス・・・生きろ・・・」
そうして三人は重苦しい空気の中、マイラを、そしてヨアキム達がやってくるのをただひたすら待つこととなった。
それから数分後、ヨセフィーナは一旦病室を離れ、病院のロビーのような場所で部下達に指示を出していた。
するとそこへ汗だくになったマイラが走って現れ、階段を駆け上がっていくのが見えた。こちらには気付かなかったようだ。
(早めに様子を見に行った方が良さそうね)
さらに数分後、病室に行ったヨセフィーナが目にしたのは、病室のドアの隙間から何色もの光が溢れ出す異様な光景だった。驚いて急いでドアを開けると、光はすうっと消えていった。
そしてヨセフィーナは、目の前の光景にさらに驚かされることとなる。
マイラの手がエリクスの手をしっかりと握っているだけでなく、先ほどまで力なくだらんとしているだけだった彼の手が、僅かに動き始めていたのだ。よく見るとその顔色も少し赤みが戻っている。
(いったいこの数分間にここで何があったの!?)
滅多に驚くことのないヨセフィーナだが、さすがに瀕死の彼が生気を取り戻しつつある状況に驚きを隠せなかった。
ディーンは咽び泣き、マイラはただじっとエリクスを見守っている。だが、エリクス本人は目を覚ますことはなかった。
「ディーン・ジェックス、あなたはもう行きなさい。」
彼は泣きじゃくりながらも素直にそこを離れ、部下に連れられて病室を去っていった。そして憔悴している様子のマイラに声をかける。
「マイラさん、どうやらあなたが彼のために何かしたようだけれど、まだ意識は戻っていないわ。でも顔色はだいぶよくなっているみたい。だから一度先生を呼んで診てもらいましょう。ね?」
「・・・私、呼んできます。」
「ええ、お願い。」
彼女にとっては思ったような状況では無いからなのか、青ざめた表情で病室を出ていった。
だがその時、ベッドの横に立っていたヨセフィーナの手がぐいっと下に引っ張られ、びっくりして思わず小さな声をあげてしまった。すぐに下を見ると、ヨセフィーナの手を引っ張っていたのはエリクスの右手だった。
ついに目を覚ましたのかと思い、しゃがみ込んで彼の顔に近付き意識の有無を確認する。瞼が僅かに動いた気がしたが、まだしっかりと意識を取り戻したわけではないようだ。
それでも希望が見えたとほっとしていたその瞬間、ドアが開いてマイラがやってきた。
「え・・・」
だが彼女は手を握られているヨセフィーナの姿を見るや否や、後ろからやってきた医者に危うくぶつかりそうになりながら、病室を飛び出していった。
「マイラさん!?」
何か誤解を与えてしまったようだが、今は医者に診てもらうのが先だ。ヨセフィーナは申し訳なさを感じつつも、急いでエリクスの状態を診てもらうことにした。
(確認できたらすぐにマイラさんと話をしないと・・・)
ヨセフィーナなりにマイラのことは気に入っていた。彼女には幸せになってほしいと、柄にもなく思うほどに。
しかしヨセフィーナは、この後彼女やエリクスの前からマイラが姿を消してしまうことになろうとは、この時はまだ想像すらしてはいなかった。