127. 復讐は赤い花と共に②
メリーアンが降り立った馬車の周りに控えていた人影が、彼女を守るようにしながらマイラ達がいる方へと移動してくる。
しかし嵐の前の静けさなのかそれとも何か罠をかけようとしているからなのか、彼らから何一つ攻撃をされることなく接近できているこの状況に、マイラは違和感を感じ始めていた。
そしてもう少し進めば相手の顔が見えるだろうという距離まで近付いた時、マイラはようやくその違和感の正体に気付いた。
「エリクスさん、待って!」
マイラよりも数歩先を進んでいたエリクスの背中に慌てて声をかける。その声に気付いてエリクスが振り向いたその時。
マイラの体中に、すでに感じ慣れたあの感覚が鋭く走った。
(これ、魔法陣が発動した時の感覚!?)
どんな魔法なのかはわからない。だが危険なものであることは疑いようもない。マイラは急いで魔法陣の発動を止めようと口を開いたが、それを遮るように大量の金属の刃が降り注いでくるのが目に入り、一瞬で思考が凍りついた。
(刺される!!)
それは、あの日メリーアンの魔法で肩を刺されたマイラにとって、すでに十分なトラウマとなっていたあの魔法だった。
だが、目を瞑ることも身動きすらも取れずただ立ち竦むマイラに覆い被さるように、一瞬早くエリクスが現れ、全ての魔法が弾き返される。
「マイラ、大丈夫か!?」
「・・・魔法陣が、大量、に、すぐ、そこに」
マイラが震える指で指し示した地面には、すでに魔力を送り込まれていたのか、いくつかの魔法陣が微かに光り始めていた。
ハッとして通りを先まで見渡してみると、人が一人立てるほどのスペースに一つずつ、数えきれないほど大量に描かれた魔法陣が延々と続いていた。
そしてその魔法陣の上には、メリーアンが連れてきた多くの若者達がゆらゆらと揺れながら立っている。
「マイラ、落ち着いてよく聞くんだ。いいか、あれが全て発動し切る前にマイラが破壊してくれ。一つずつでいい。君しかできないことだからこそ焦るな。俺がその間この場所と君を守り切る!」
「でも!!」
「大丈夫、兵士達も増えてきている。一人じゃない。マイラも、いるだろう?」
こんな時まで優しい笑顔を見せてくれる彼に、マイラの目に涙が浮かぶ。
(駄目だ!まだ泣いちゃ駄目だ!エリクスさんを最後まで守り切るって決めたんだから!)
潤んだ視界を取り戻そうと腕で目を擦ると、マイラも微笑みを返した。
「います。あなたのすぐ近くに。」
エリクスはぽん、とマイラの頭に手を載せた。
「全部終わったら、いっぱい甘やかすから。」
エリクスはその言葉を言い終わると同時に手を大きく振り上げ、すぐに反撃を開始した。
それがきっかけになったのか、徐々に兵士達も加わって、何が起きているのか説明できないほどの激しい魔法の戦いが始まっていった。その間にマイラは一つずつ確実に、魔法陣を破壊していく。
しかし残念ながら破壊が間に合わず発動を止められなかった魔法陣達が次々と光を強めていき、マイラが最も恐れていたことが、その場で起こり始めた。
「おい、大変だ!『灰色の悪魔』が・・・」
「なんて数だ!!誰か、応援をもっと呼べ!!」
魔法陣の上に立っていた操られている若者達が突然姿を変え、灰色の影を纏わせながら兵士達をさらに激しく攻撃し始めた。格段に素早さと攻撃力を上げた彼らに、訓練を積んできた兵士達も苦戦する。
(お願い、みんな頑張って!全部破壊するまで耐えて!!)
エリクスだけは余裕のある姿を見せてはいるが、兵士達が発動できる『消滅の光』には限界がある。そうして、戦況は次第に悪化していった。
あらゆる方角から続々と兵士達が集まり味方の人数は増えているはずなのに、次々と『悪魔化』していく若者達の猛攻に圧倒され、あらゆる場所で耳を塞ぎたくなるような悲鳴が上がっていく。
この時代に生きる兵士達は、これほど多くの『灰色の悪魔』を相手にした経験など当然無いのだろう。
この町の中心部は今、完全に混沌と恐怖の渦に飲み込まれていた。
そんな中マイラは、一心不乱に魔法陣を破壊し前に進む。一つでも多く、一秒でも早く・・・
「見いつけた。」
だから、全く気付かなかったのだ。
目の前に、一番恐れていたその人がいたことに。
「マイラさん、よくも私の魔法陣を破壊してくれたわね。まさかあなたにこんなことが出来るなんて・・・こんなことなら早く殺しておけばよかったわ。」
メリーアン・バルタークはもっと先にいるはずだった。ほんの数秒前には馬車の横に立っている赤いドレス姿の女性がみえていたはずなのだ。だが今目の前にいるのは間違いなく、メリーアンその人だ。黒っぽい服装に身を包んではいるが、声もその優雅な笑顔も、間違いなく彼女のものだった。
「ふふふ。怖くて声も出ないのかしら?ああ、馬車のところにいる『私』は偽者よ。さあ、もう一度あの魔法をあなたにプレゼントしてあげるわね。ついでにエリクス様も私が貰っていってあげる。」
「や、やめて!!」
振り絞るように出した声はもう悲鳴に近かった。そしてメリーアンが大きく手を振り上げ、マイラは目を瞑った。
ガチーン!!
金属同士が激しくぶつかり合う音が辺りにこだまする。
「マイラ!!」
手を引っ張られ、抱きかかえられ、その顔を見上げた。
「イリス・・・?」
切なそうな笑顔のイリス、そしてマイラの目の前に立つエリクスの後ろ姿が目に入る。
「メリーアン・バルターク。これ以上マイラを傷つけるつもりならこっちも容赦しない。」
エリクスの低い声が、微かに聞こえた。
メリーアンは何か笑みを浮かべて呟き、エリクスが同時に手を素早く二回振った。
すると、毒々しく鋭い刃を持つ赤色の花びらがエリクスの周りに突如咲き乱れ、一斉に彼を襲い始めた。
だがそれが見えたのは一瞬だけで、花々はエリクスの周囲で全て砕け散り、さらに青白い炎で焼かれ、灰も残さず消えていった。
そしてエリクスが次々に手を振ると、大量の氷、雷、そして金属魔法がメリーアンの作った防御壁にダメージを与えていく。それをきっかけに、防御一辺倒だった兵士達も再び攻撃を強めていった。
(今ならいける!!)
それをチャンスだと感じたマイラは、引き留めようとしていたイリスの腕を全力で逃れると、残っていた魔法陣をもう一度破壊し始めた。
『壊れて!!お願い全部壊れて!!』
声が枯れるほど叫びつづけ、馬車のすぐ側にある最後の大きな魔法陣の前までどうにか辿り着いた、その時。
「この女を殺せば、メリーアン様に褒めていただけるかな?」
「危ない!マイラ!!」
聞き覚えのない声と、どこかで聞いたことのある声が同時に耳に入る。
徐々に冷静さを取り戻しつつあったマイラは勢いよく顔を上げると、防御魔法を幾重にも放った。
激しい音と衝撃に耐えてしゃがんでいると、ふっ、と音が消え、衝撃も収まる。マイラはバクバクしている心臓の辺りを手で押さえながらゆっくりと辺りを見渡した。
「ディーンさん!?」
マイラは驚きのあまり目を大きく見開く。目の前に立っていたのは、見知らぬ男性を魔法で拘束して地面に押さえつけているディーンだった。
「マイラさん、色々ごめん!もう、大丈夫だから。こんなことくらいしかできなかったけど、君を守れてよかった。」
「はい、あの」
「魔法陣、壊すんでしょ?ほら早く!」
「はい!」
マイラは急いで最後の魔法陣を破壊すると、後ろを振り返る。
エリクスが猛攻をかけているメリーアンは、分厚い防御の魔法をいくつもかけて彼に抗っているが、破れるのも時間の問題だろう。何十人もの兵士達はそれぞれが『消滅の光』を発動し、半数以上の若者達がすでにしっかりと拘束されていた。
マイラもそれに加わろうと一歩前に出たが、その時クルッと後ろを振り返ったメリーアンと目が合った。
「え」
彼女が、笑った。
マイラの目の前に、鮮やかで美しく、ほんの僅かな光を帯びた赤い花が散っていく。
エリクスの目が大きく開き、魔法が途切れた。
そしてメリーアンは、その隙を見逃さなかった。
「うっ・・・!!」
マイラの目の前で美しく舞い散っていった花は何の攻撃もせずにただ地面に落ちていく。花びらが地面を赤く覆い尽くした、その時。
音もなく、エリクスが倒れた。
「エリクスさん?・・・エリクスさん!!」
真っ青になって彼に駆け寄ろうとしたマイラを、ディーンが必死で引き留める。近くにやってきたイリスもマイラを押し留めようとしたが、マイラは全力で風魔法を放って二人を振り払うと、弾かれるように走りだした。
「駄目だ、マイラ!!」
しかしイリスの叫びはマイラの耳には入らなかった。
マイラは転げるように彼のいる場所へと走る。走って走って、めいいっぱい手を伸ばして倒れ込むようにエリクスの横に座ると、彼の顔に触れた。
後ろから冷たい笑い声が聞こえた。
「ふふふ!あらあら、エリクス様ったら。あなたの大切な彼女に花を贈っただけなのよ。そんなことに気を取られて気を抜くなんて馬鹿ねえ。さあ、最後の仕上げをしましょうか。」
メリーアンが大きく手を振ると、拘束されず残っていた若者達が彼女を守るように再び集まり始めた。その真ん中で、彼女は長い詠唱を始める。
だがこの時マイラは、エリクスのことしか見えてはいなかった。
「エリクスさん、エリクスさん、しっかりして!ねえ、目を開けて!!いやだ、いやだよ、甘やかしてくれるって約束したじゃない!!どうして、どうして・・・」
手を載せた彼の胸に、赤い花が揺れる。
(違う、これ、血だ!!)
マイラは一気に青ざめた。手で押さえても胸から溢れる血が止まらない。どうすることもできない自分に狼狽え、失望し、望みを失いかけていた。
「誰か・・・誰かお願い、エリクスさんを助けて!!」
もう全てが終わりなのだと、彼を、大事な人をまた自分のせいで失ってしまうのだと、絶望がマイラを襲ったその時だった。
「マイラ」
肩に触れた大きな手が、その温かさと優しい笑顔がマイラを正気に戻した。
「すまない、待たせたな。」
「お、お父さん!?」
その手の主は、父ケント・マリー、その人だった。