126. 復讐は赤い花と共に①
メリーアンは苛立っていた。
目の前に広がる光景は確かに自分自身が望んだ結果そのものだ。しかし思っていたほど心は晴れない。
(これじゃない。私が欲しかったのはこれじゃないわ!)
ルーイ家から奪い返した魔法陣は思った程の効果が出ていなかった。ヤクムは十分に使えますと言ってはいたが、母や祖母から伝え聞いていた話から、それはもっと強大な力を発揮するものだと思っていた。
ウェイリー家が長年追い求めていたもの。そのためにやりたいことも我慢して、好きだった人のことも諦めて、祖母や母の言いなりで生きてきた。
それなのにメリーアンは『ウェイリー家のどの女よりも優秀だ』『悲願を達成するのはお前だ』などと言われるばかりで、一度たりとも『メリーアンの意思』を尊重されることはなかった。
(この魔法陣、魔力はかなり必要とするけれどその分町全体を覆うほどの効果が出るはずだと言っていたのに、あれは嘘だったということ?こんなもののためにあの人達に私の人生を犠牲にさせられたということ?)
実際に今日例の魔法陣を使用してみると、精神を支配して動かせたのはせいぜい百人ほど。これでも一つの町を襲うには十分な力ではあるが、隣国で戦力として活用するには心許ない。
(これほど高度で危険な魔法陣が偽物だったとは考えにくい。まあ仕方ないわ、向こうに行く時には別の魔法陣と合わせて売るしかないわね・・・)
隣国への移住はこの魔法陣を引き渡すことが条件となる。その代わり、半永久的に隣国の貴族としての確固たる地位と長期に亘る収入を約束されている。
今回のこの暴動騒ぎは、ウェイリー家の女達からあの魔法陣を奪ったこの国への報復でもあり、自分達を罠に嵌めようとしたエリクスへの嫌がらせでもある。
だが一番の目的は、隣国にこの魔法陣の有用性を見せつけることだ。そしてもう一つ、ヤクムに研究させていた特別な魔法陣を試せる好機でもある。
メリーアンは複雑な魔法陣を頭の中に思い描きながら、ヤクムを呼びつけ、次の手を打った。
― ― ― ― ―
マイラ達が駆けつけた場所では、すでにあちこちで魔法火による被害が拡大していた。
魔法火は普通の炎とは異なり、魔法を発動した人間が魔法を当てた場所であれば燃えやすさに関係なく炎は広がっていく。ただ、水への弱さは本当の炎とさほど変わらないため、マイラは遠慮なく本物の水を大量に放出し始めた。
(後で問題になってもいい。とにかくこの炎を消すことを第一に考えなきゃ!)
ただ実際には近くにある井戸や川から水を移動魔法で汲み上げて消化活動をしている人も多くいたため、マイラが思うほどその現象に注目されることはなかった。
ある程度その一帯が落ち着きを見せると、エリクスがマイラを別の場所へと誘導し始めた。
「マイラ、ここはもう大丈夫そうだ。店の方へ行ってみよう!」
「はい!」
今いる辺りは近くにいる人たちに任せ、二人は走ってより中心部に近い場所へと向かっていく。
だがそこには大勢の兵士達が集まり、暴れ狂う何十人もの若者達との大規模な戦闘が始まっていた。
「酷い!建物があんなに崩れて・・・」
「うちの店だけじゃない、どこも酷い状況だな。とにかく一人でも多く彼らを拘束していこう。マイラ、訓練で学んだこと、覚えているか?」
「ふっ、ふふっ!あの変な仮面のこと思い出しちゃいました!あっ、こんな時にごめんなさい!」
マイラが思わず思い出し笑いをして反省していると、エリクスが握った手を少しだけ自分の方に引き寄せて、マイラの頭をもう片方の腕の中に閉じ込めた。
「いいよ。それだけ余裕があるなら大丈夫だな。・・・なあ、マイラ。変な仮面や奇妙な帽子を被った俺も、魔力が溢れて女性を惹きつけてしまう俺も、マイラの前では全然余裕の無い俺も・・・全部を見ても俺のところに戻ってきてくれた君を、俺はもうどうしても手離したくないんだ。」
「エリクスさん・・・」
エリクスはマイラに優しく微笑むと、顔を横に向けて争いが激化している場所をじっと見つめた。
「たとえこの戦闘中にこの手が一度離れたとしても、必ず取り戻しにいくから。信じて、待っていてくれるか?」
マイラは彼の美しい横顔を黙って見つめる。そして再び彼の顔が自分の方を向いてくれた時、繋がれたその手をしっかりと握り直してからこう答えた。
「はい。どんな面倒なお兄様も、厄介なお兄様も、今なら全部受けとめます。もし離れてしまっても、必ずあなたを待っています。だから・・・お願い、私がどこにいても迎えにきて。必ず。」
「ああ。必ず。」
見つめ合う二人の目の前に大きな緑色の炎が向かってくる。だが手を軽く振ったエリクスの一瞬の動きで、それはまるで小さな火花であったかのように儚く消えていった。
二人はそれを皮切りに、目の前で繰り広げられている恐ろしい状況の中に覚悟を決めて身を投じていった。
大勢の兵士達が、正気を失い暴れながら魔法を繰り出してくる若者達に必死に応戦している。エリクスは苦戦している兵士達を強力な魔法で次々と助けながら先へと進み、マイラもその後を追うように移動していく。
途中途中魔法火を消したり何人かの若者達を拘束したりしながら進んでいくが、先へ行けば行くほど若者達の人数は増え続け、エリクスでさえも苛立ちを感じ始めているようにマイラには思えた。
必死で前に進みながらルーイ商会の本店に辿り着くと、そこは他の建物の比ではないほど破壊されていた。惨状、という言葉がぴったりくるほどの状態に、マイラは絶句してしまう。
ルーイ商会以外の建物ですら、壁や柱などが崩れ落ち、今もなお様々な魔法攻撃によって破壊されようとしている。
マイラはその現実離れした恐ろしい光景を呆然と見つめながら、ルーイ商会の本店に初めて訪れた日のことを思い出していた。
従業員達が明るく生き生きと働く店内。整然と並べられた様々な魔法道具達と、それを楽しそうに眺め購入していくたくさんの客達・・・
(あの素敵なお店をこんな風に簡単に破壊してしまうなんて・・・)
込み上げてくる悔しさと悲しさが、マイラの中でグルグルと暗い渦を巻いていく。まだ若いエリクスがあんなに頑張って支えてきたこの店を、彼らはきっと何も考えずにただ破壊し尽くしているのだ。
(そんなこと、絶対許せない!!)
マイラの中で消せないほど強く湧き上がってきたその強い思いは、次第にあるイメージとなって固まりつつあった。
「マイラ、危ない!!」
そしてエリクスがマイラの目の前に飛んできた巨大な氷の刃を打ち砕いた、その時。
マイラの中のイメージが、手から溢れだした。
それはまるであの大雨の日、自分や村を飲み込みそうなほど恐ろしく感じたあの濁流のような、水と土の混合魔法だった。
その濁った流れが、マイラの周囲の全てを押し流そうと襲いくる。
しかしそこにいた人々は誰一人流されず、その濁流が機械的に攻撃をし続けている若者達だけを飲み込むと、突然形を変えて空に竜巻のように上がっていき、そのまま水だけが消えて土ごと彼らの首の下を全て拘束してしまった。
それを目撃していたエリクスは、空から降ってくるその土で固められた人々を魔法で受けとめていった。そして出動していた兵士達に、マイラが一網打尽にした三十人以上の若者達をすぐに引き渡した。
「マイラ!大丈夫か!?」
「エリクスさん、ごめんなさい!助けてくれてありがとうございます!」
「いいんだ。それより怪我はない」
エリクスの言葉はそこで突然途切れた。
同時に彼は表情も変えず後ろも振り向かず、手を素早く振りかざす。するとエリクスとマイラの周囲に何重もの壁が一瞬で構築され、その直後にそこに何かが大量に直撃する音が鳴り響き、マイラの心臓は大きく飛び跳ねた。
「来たか。」
「まさか・・・メリーアン・バルターク!?」
壁の向こう側は当然何も見えない。だがそこに感じる不穏な空気は、先ほどまで存在していたただただ暴力的な雰囲気とは、明らかに別物だった。
エリクスが壁を一枚、また一枚と慎重に消し去っていく。
そして最後の一枚が完全に消えると、明かりが消えた大きな通りの向こうに一台の馬車が停まっているのがぼんやりと見えた。
(いる。あの馬車に乗っている!)
マイラは、これまでに何度も感じてきたメリーアンへの漠然とした恐怖を今再び感じて、足が竦んでいた。
エリクスがマイラのそんな小さな変化に気付き、急いで手を握る。
「エリクスさん?」
「マイラ、怖いのはわかる。でも必要以上に怖がるな。彼女だってマイラとそう歳は変わらない、普通の女性だったんだ。」
マイラが見上げた先にあったのは、いつになく大人びた表情のエリクスの横顔だった。
「だが、彼女はきっとどこかで自分の道を見失ったんだろう。あのウェイリー家の女として生きることがどれほどの重荷だったのか俺は知らない。それでもだからと言って何でも許されるわけじゃない。マイラのように、強く、まっすぐ生きることだってできたはずなんだ。」
エリクスのその言葉は彼の推測でしかない。それでもその言葉は、マイラの中にあった正体不明の恐怖を少しずつ消し去っていった。
「だからマイラ。いつだって周りの大切な人を守ろうとまっすぐに頑張ってきたマイラが、彼女を必要以上に恐れるな。大丈夫。守るものがある君は、彼女よりずっと強くて美しいよ。」
「エリクス・・・さん・・・」
ふと気が付いて馬車の方を見ると、その周囲に暗闇の中で何十人もの人影らしきものが動いていた。そして静けさと生温い風だけが漂っているその通りに、馬車の中から赤い光がぼんやりと降り立った様子が見えた。
「マイラ、いいか、何があっても生き抜くんだ。」
「はい。エリクスさんも。」
前を向いたままの二人はどちらからともなく手を握り合い、そしてその手はゆっくりと離れていく。
それでも二人の手首で揺れるバングルだけは、暗闇の中で微かな光を放ちながら、二人の間にある見えない絆を細く、だがしっかりと結び続けていた。