123. 得られなかった愛の先に
「副隊長!ここに倒れています!」
「クロヴィスか。メリーアンは?」
「いえ、もういません。正門に向かったのでしょう。」
クロヴィスを追っていた男達の一人が、倒れた彼の状態を確認する。瀕死ではあるがまだ僅かに息があるようだ。
「間に合わなかったか。仕方ない、拘束して病院へ連れて行け。もう無理かもしれんが。」
「承知しました。」
副隊長と呼ばれたその男は、胸ポケットからメモ帳を取り出し簡単に何かを書きつけると、それを折り畳んで魔法植物で包み込み、もう一人の男性にそれを手渡した。
「お前はこれを急いで隊長にお届けしろ。ヨセフィーナ・ロディーンの名で例の宿で待機されているはずだ。」
「はい。すぐに向かいます。」
「正門では討伐隊の人間がメリーアンを待ち受けている。今回は特別に隠された西門を開放してもらった。全員そちらから向かうように。」
「はい!」
数人の男達がクロヴィスを魔法で運んでいくのを見届けると、彼は再び屋敷へと戻っていった。
― ― ― ― ―
正門に向かう馬車の中で、マイラは緊張感に包まれていた。だが疑問だらけのイリスは容赦なくマイラに質問を浴びせかける。
「それで、いったい君達は何を隠していたんだ?」
ケイトは上目遣いでチラッとマイラを見ると、あとはお任せと言わんばかりにそっぽを向いて外を眺め始めた。マイラはため息をつき、腹を決めて話し始める。
「色々と内緒にしていてごめんなさい。イリスに話したら絶対止められると思って、言えなかったの。でも私達はやるしかなかった。」
イリスはじっとその続きを待ってくれている。
「・・・ケイトとミコル、それからクラウスさんというケイトの幼馴染で討伐隊に所属している男性に、今回屋敷の臨時雇いの使用人としてここに入り込んでもらっていたの。」
「どうしてそんなことを?」
「メリーアン様がこのパーティーで何かするのは明白だった。ヨセフィーナ様達が何かしら準備されているのはわかっていたけど、それでも私達でできることをしたかったの。」
どんどん苦しげな表情になっていくイリスを見て、マイラの胸が痛む。
「心配かけてしまって・・・」
「それはエリクス様のため?」
「え?」
二人の間に突如訪れた不穏な空気に、ケイトは目を瞑って寝たふりを始める。
マイラが何も言えなくなり俯くと、イリスもまた黙りこんだ。その空気に耐えかねたのか、ケイトがうっすらと目を開けて小さな声で話し始める。
「あー、とにかく、顔をいろんな人に知られてるミコルは裏方に入って、私はメイドとして動いて情報収集してたんです。途中こっそりマイラに接触してクッキーもらったりしながら。それとクラウスさんは綺麗な女の人には弱いけど、やる時はやる人です。きっとメリーアン・バルタークを足止めしてくれます。」
「・・・そうか。」
マイラもゆっくりと顔を上げると、再び口を開いた。悲しい気持ちを宿したイリスの瞳と目が合う。
「彼女がお兄様の守っていた大切なものを奪って逃げるのを阻止したいの。お願いイリス、手を貸して欲しい!」
「マイラ・・・」
さらに苦しげな表情に変わっていく彼に胸が痛んだが、マイラは彼の答えを待つしかなかった。イリスはしばらく考え、そして結論を出す。
「わかった。マイラのために手を貸す。その代わり全部終わったらすぐにあの家を出なさい!」
「う、うん。」
初めて聞くイリスの強い命令の言葉に、マイラは戸惑いつつも頷いた。
数分後、正門に到着したマイラ達の目に入った光景は、驚くべきものだった。
大柄な男性達が数名、馬車を取り囲みあらゆる魔法で馬車ごと拘束しようとしていた。二階建ての建物ほどの高さにまで膨れ上がった植物魔法と土魔法。だが拘束されているはずの馬車は大きく揺れ、今まさにその魔法は破られようとしていた。
「これ以上は無理だ!!おいクラウス、どうにかしろ!!」
「いや、ここまでにしよう。これ以上はこちらも危ない。それよりも対面して話し合ってみようじゃないか。」
「クラウスさん、相手はあのメリーアン・バルタークですよ!?」
「いいさ。俺は裏方にいてまだ顔を見てないんだ。むしろどんな女性か見てみたいね。・・・さあ、お出ましだ。」
バラバラと馬車の外側の魔法が崩れ去って消えていくと、馬車の扉が開いた。
「お久しぶりですね、お優しい兵隊さん?」
「・・・そうきたか。ケイトの奴!!」
クラウスは苦虫を噛み潰したような顔になり、片手で頭を抱えた。
「ふふふ。ケリー商会の前でお会いした時以来ですわね。今日もまた優しくしてくださるのかしら?」
「その節はどうも。お綺麗な方だとは思うが、あいにく犯罪者には興味が無いものでね。」
「ふうん。残念。」
メリーアンは虫でも払うかのように手を軽く振ると、クラウスと彼の仲間や部下達の周囲に真っ赤に燃え盛る魔法の炎を放った。それは一瞬にして空高く立ち昇り、辺りには熱風が吹き荒れる。
だがマイラがほぼ同時に氷の防御魔法を放ったため、クラウス達にその炎が当たることはなかった。メリーアンがマイラの存在に気付く。
「あら、マイラさん。あなたも私の邪魔をしにきたの?てっきり大好きな兄の婚約が決まりかけて、部屋で泣いていらっしゃるのかと思っていたわ。」
メリーアンは炎の勢いを強めると、もう片方の手をマイラに向けた。その手からは驚くほどの速さで、炎を纏った植物の矢のようなものが飛び出した。マイラはほぼ同時に手を振り上げ、何層もの氷と土の壁を作りそれをあっさりと防ぐ。
「これはすごいな!君、やるじゃないか!」
炎の中から無傷で姿を現したクラウスがマイラの魔法に驚きを見せる。そして自身も笑みを浮かべて手を振り上げると、その手のすこし先から大量の青緑色の氷魔法をメリーアンに向かって発動した。その数の多さと勢いに負けて彼女は大きく体勢を崩す。
「忌々しい人達。」
メリーアンの声に苛立ちが滲む。クラウスの魔法はケイトが褒めていただけあってかなり強力で、何よりも一回で繰り出せる魔法の数が極端に多かった。それに加えてイリスもケイトも彼女を拘束するための魔法を発動していくため、さすがのメリーアンも多少苦戦を強いられているようだった。
しかし彼女は疲れた様子も見せず、次々と発動される魔法をいとも簡単に打ち落とし、その間に何か長めの詠唱を始めていく。
「ヤクム、壁を!」
詠唱を終えると、彼女は突然大声で誰かの名を叫んだ。
その瞬間。
メリーアンの周りに円柱状の壁が一気に構築され、その上部から何か赤黒く、悍ましい気配を醸し出す力が溢れ出した。
「まずい!マイラ、さがって!!」
ケイトはすぐに動いたクラウスによって抱きかかえられるようにしてそこを離れていたが、その恐ろしくも美しい光景に目を奪われていたマイラは、一瞬出遅れた。
少し後方にいたイリスがマイラを助けようと前へ飛び出す。だがマイラはそんなイリスを守ろうと、大きく両手を広げ、あるイメージをはっきりと頭に思い浮かべた。
(あの星空をもう一度見たい)
それは、マイラがエリクスの絵を初めて見た日に生み出した、あの竜巻のような魔法だった。
ゴオオオォォォッ・・・という音が辺り一帯に響き渡り、マイラが放ったその強風が赤黒く光る何か恐ろしいその力を全て巻き込み、散り散りに破壊しながら天へと舞い上げていく。
(これでだいぶ彼女の魔力を削ったはず!)
全ての気配が空高くに消え去ったことを察知すると、マイラは振り向いて急いでイリスの無事を確認する。
だがその時、ドン、という衝撃がマイラの肩を襲った。
痛み、などという軽いものではなかった。息もできなくなるほどの衝撃と熱さと激痛に、マイラは意識を失いかける。
「マイラ!?」
そして振り返ったマイラの目の前に、大量のナイフのような何かが降り注いでくるのが見えた。
(また、何もできないままこの命を終えるのかな・・・)
目の前の全てがゆっくりと時を刻んでいく。わかっていても、もう防御をする意識を保つことすら難しかった。イリスの悲痛な叫びと詠唱らしき声が聞こえる。
手術を終えたあの日も、痛みに苦しんだあの日も、父と母が泣いていたことを知ったあの日も、ジェイクが亡くなったあの日も、そして、今も。
後悔ばかりがそこにあった。
もっとできることをやっておけばよかった。
あの人に愛していると、想いを伝えておけばよかった。
「エリクスさん、私・・・」
そしてマイラの視界は暗転していった、はずだった。
「マイラ!!」
真っ暗になった世界に光が差し込む。それは徐々に強くなり、マイラの失われたはずの視界は、強烈な青白い光に満ちていった。
光が弱まり、目を開ける。だが涙で視界は潤み、何も見えなかった。
「マイラ、しっかりしろ!!」
ああ、エリクスさんの声・・・
「目を開けてくれ・・・頼む!!」
顔はよく見えない。きっとこの声も幻なんだ。
ああ、エリクスさんに会いたい。でも、もう目を開けていられない。
「マイラ?マイラ!?」
肩の痛みも熱さも、もう何も感じなかった。
そしてギリギリで保っていた意識はそこで限界を迎え、プツッと、途切れた。
― ― ― ― ―
ヤクムの何層もの防御魔法で辛くも逃げ切ったメリーアンは、珍しく髪を振り乱して正門の外に隠していた小さな馬車へと走って向かっていた。ヤクムがその後を追う。
(あの女、私のあの魔法を弾くなんて・・・絶対に許さない!!あれがなければ確実に全員仕留められたのに!!)
メリーアンの渾身の魔法を一瞬で散らしたマイラに、先ほどの光景を思い出す度に恨みが募っていく。そして最後の魔力を振り絞ってあの女だけでも仕留めようとしたところを、今度はエリクスに阻まれた。しかもその隙にイリスに絵画を奪われたのだ。
(隠された魔法陣の情報をある程度ヤクムが引き抜いてくれたとは言え、完全では無い。でももうあれを取り戻すのは不可能に近いわ・・・)
馬車に乗りこんだメリーアンは、ギリギリと自分の長い爪を噛んでいることにも気付かず、ヤクムの横に座る。
そんな主人の様子を見るに見かねてヤクムが声を掛けた。
「メリーアン様、お任せください。あれだけ情報が引き出せれば後は私がなんとかします。それにもう隣国への入国準備は完了しております。」
メリーアンは手を口元から離し、ようやくいつもの笑みを見せた。
「そうね。あなたの働きには感謝しているわ。せっかくだから向こうに行く前に彼らに借りを返してから行こうかしらね。」
「承知いたしました。とりあえず準備しておいた隠れ家にご案内いたします。部下達も、あなたをお待ちです。」
馬車が大きく揺れる。メリーアンは一瞬驚いたような表情を見せた後、妖艶に微笑んだ。
「ふふふ。そうね、あなた達がいれば十分ね。私を利用するだけの家族も私を愛してくれない男も、そしてあの忌々しい女も、全員もれなく絶望の中に叩き落としてあげるわ。」
暗闇の中を駆け抜けていく小さな馬車の中で、大きな野望と憎悪がさらに膨らみ続けていった。