118. 準備の時
二十日間ほどの休みを終え、とうとう三年生となったマイラは休み明けの初日、朝から非常にそわそわしていた。久しぶりの登校、いつ何が起きてもおかしくない現状、そして隣にはなぜかエリクスが立っている。
「あの、お兄様はなぜここに?」
「出勤時間を調整したから、マイラを学校に送り届けてから出勤できるようになったんだ。馬車も一台で済むし、俺もその方が安心だからね。」
「そうですか。」
エリクスはマイラの手を支えると、目の前にやってきた馬車に乗せてから自分も乗りこんだ。ちなみにイリスはそんな二人を後ろから無言で見つめている。
「じゃあ、行こうか。」
「は、はい。イリス、帰りはお迎えお願いします。」
「はい、もちろんです。お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
マイラにだけは優しい笑みを見せるイリスだったが、エリクスが見せつけるかのようにマイラの肩に振れると、その笑顔はピクッと引きつった。
ドアが閉まり、馬車が出発する。
マイラはエリクスから離れて座り、窓の外を眺めた。沈黙が続き、少し息苦しさを感じる。
しかしあと数分で学校に到着するというところで、エリクスが静かにマイラの隣に移動し、肩にかかるマイラの髪を一房手の上に載せた。
「マイラ、少し先の話になるが次の長期休暇に入ってすぐ、バルターク家とルーイ家で互いの親戚だけを呼んでのパーティーをすることが決まったんだ。」
「えっ?」
髪に触れられたことよりも話の内容に驚いて、マイラは思わずエリクスの腕に触れてしまった。彼はその行為に驚いたのか少し頬を赤らめてから、手に取ったマイラの髪にキスをした。
(うわっ、そんな恥ずかしいことをこんな平気な顔でするなんて!)
彼の落ち着いた笑顔が美しくて、今度はマイラの方が赤面してしまう。
「だからそれまでに、学校や友人達との魔法練習の時間をうまく活用して、俺が教えたことを引き続き練習していってほしい。発動の速さはマイラの一番の助けになるはずだし、もっと速くできるはずだ。大丈夫、マイラならできる。」
「・・・はい。わかりました。でも、パーティーってそんなに危険なんですか?」
その言葉の意味を最初は理解できなかったのか、キョトンとした顔でマイラの目を見つめた後、エリクスは「ははは!」と楽しそうに笑った。
「ごめん、そうだな、パーティー自体はまあそれなりに参加者は楽しめるものになると思う。だがパーティーが終わった後何が起こるかはわからない。」
「お兄様・・・」
エリクスはマイラの髪を肩に優しく戻すと、今度はそっと自分の方にマイラ自身を引き寄せた。
「えっと、お兄様!?こ、こういうのは」
「うん。知ってる。でも少しだけでいいから、マイラの温もりを分けてくれないか?君の温もりは俺にいつだって元気を与えてくれるんだ。」
(そんなことを言われて断れるほど、まだエリクスさんのことをキッパリと諦めきれていない・・・)
「・・・ずるいです。」
「うん。知ってる。」
エリクスの吐息がマイラの耳にかかる。心臓が破裂しそうなほどドキドキと鼓動は速まっていく。
「イ、イリスに悪いのでそろそろ離してください!」
「そうだな・・・もうそろそろ着くかな。さあマイラ、最終学年、頑張っておいで。」
「お兄様・・・はい!」
最後は笑顔を見せたマイラから名残惜しそうに離れたエリクスは、大切な妹が馬車を降りて校門の中へと入っていくまで、じっとその後ろ姿を見守っていた。
それからの日々は特に大きな出来事も起こらず、淡々と日常が過ぎていった。時折り町で若者が消えたとか、小さないざこざがあったとかいう噂話を耳にすることもあったが、ヨセフィーナやエリクスからそれについての注意喚起などは特に無かったため、あまり気にかけないようにして過ごした。
学校ではマイラもケイトもカイルも三年生の高度な魔法を次々に習得し、実技の成績も上位をキープし続けた。
そしてこの年は学園祭の催しに参加することなどはせず、マイラ達はひたすら自分達の能力を上げること、そして情報を集めることを優先して行動していった。
そんな日々からさらに数週間が経過し、学園祭も何事もなく終了したある日のことだった。
「マイラ、そろそろ長期休暇に入るじゃない?例の身内だけのパーティーはいつ頃になるか決まったの?」
ミコルと廊下を歩きながら、小さな声でそんな話をする。今からケイトと合流して食堂で昼食をとる予定だ。
「休みに入ってすぐだって聞いてるけど、はっきりした日時は知らないの。一応私も参加することになっているんだけどね。」
「そう。ケイトの方はだいぶ準備が進んでいるようね。この間うまくいき過ぎて怖いくらいって言ってたわ。スヴェンはケイトにつきっきりみたい。ウィルが寂しがるくらいにね?」
どうやらスヴェンはケイトに本気になってしまったらしく、はたから見ていてもわかるほどにケイトに夢中になっていた。だが夢中になられている当の本人は、そのことに全く気付いていないらしい。
「カイルの方はまだお父様のお気持ちを変えられないってこの間嘆いていたわ。でもこの件は彼に任せるしかないわね。」
「そうだね。でもカイルならできるよ!」
「ええ。」
カイルは『幻の特別討伐隊』の存在について少し前に父親に尋ねてみたのだが、のらりくらりと答えをはぐらかされ、その後も繰り返し教えて欲しいと説得を試みているらしい。何か条件と引き換えにして交渉もしているようだが、そのことについてカイルは何も教えてくれないので、今は彼のことを信じて待つしかなかった。
そんなことを話し合っているうちに食堂に辿り着いた二人は、広い食堂内の奥の方でヒソヒソ話し込んでいるケイトとカイルを見つけて急いで近寄っていった。
「ケイト、カイルも!二人で何を話してたの?」
マイラ達が席に着くと、カイルが興奮を抑えきれない様子で話し始めた。
「マイラ、ミコル、聞いてくれ!今朝はバタバタしてて話せなかったんだけどさ、実は例の件、昨日やっと父から聞き出せたんだよ!!」
「え!?本当?すごいじゃない!!」
だがケイトは呆れた調子で口を挟む。
「でも聞いてよ、カイルったらまるでなぞなぞみたいな情報しか引き出せなかったのよ?だから結局まだよくわかっていないのよ。」
「どういうことなの?」
ミコルは不思議そうに首を傾げる。
「あー、うん、まあそうなんだけどさ。でも手掛かりをくれただけすごいだろ?成績上位を取り続けてきたことでようやく勝ち取った情報なんだ。少しは喜んでくれよ!」
「そうだよね!すごいよカイル!」
「マイラは優しいわねえ。またカイルが勘違いするわよ?」
「しないって!揶揄うなよ全く!!」
ついいつものように騒がしくなってしまった四人だったが、昼食を買って席に戻ると今度は静かに話し始めた。
「それで、お父様は何て仰ったの?」
「ああ、それがさ、『本当に彼らを必要としているなら自分で見つけろ。ただ動いてくれるかどうかはわからないぞ。』って。手がかりは?って聞いたら、『星降る山の向こう、尊き二つの頬の上に一筋の涙が流れる場所、そこは隠された人々の生きる場所』って、それだけ言って黙っちゃったんだ。」
「何それ?さっぱりわからないじゃない!」
「謎かけなのかしら。それとも何かの暗号・・・って、マイラ、顔が青いわよ?」
カイルの父の言葉に、マイラは息を呑んだ。それはマイラの生まれた村に伝わる昔話に出てくる冒頭の言葉、そのままだったのだ。
「マイラ?どうした?」
「・・・それって、私の生まれ育った村のことだ。」
「え!?どういうこと!?」
三人の表情が驚きに満ち、暫しそこに沈黙が流れた。ただのマイラが口を開こうとした時、予鈴が鳴って話は中断してしまった。
「一旦戻ろう。この続きは放課後。ウィル達も呼ぶよ。」
「うん。」
その後再び集まった四人とウィル、スヴェンは、校舎裏のベンチに座り話し合いを再開させた。
「じゃあカイルのお父様が言っていた話ってマイラの村のことだって言うの?」
ケイトがそうマイラに詰め寄る。他の五人も真剣に話を聞いている。
「わからないけど、さっきの言葉は私が子供の頃、学校で必ず一度は読み聞かせられたお話の冒頭部分のものなの。何十回も聞いてきたし読んできたから間違いないよ。」
「どんなお話なの?」
ミコルが穏やかな声で質問する。
「遥か昔、大きな厄災が起こった時代、人々を守るため自分の力と命を捧げて多くの人々を守ったこの村の先祖達が、世の中が平和になった後に今度は自分達の大きすぎる力を利用されないように、私の生まれ育った辺境の村に移り住んだ、っていう話なの。移り住んでからは力をほとんど使わずに、自然の中で自然の恵みを生かして生きることの大切さを知っていくってお話だった。」
みんなは互いに顔を見合わせる。
「じゃあ本当にそんなすごい力を持つ人達が存在してたってことよね?」
「でも先祖がそうだからって子孫も力があるとは・・・」
「ルーイ家はまさにそれだろ?」
「だとしても討伐隊として軍に今も関わりがあるっておかしくない?」
マイラが考え込んでいる間に五人は次々と意見を出し合う。だが結局はっきりしたことは何もわからなかった。
「マイラ、どうする?村に戻ってみる?」
ミコルが心配そうにマイラの顔を覗き込むと、ハッと気付いたマイラは勢いよく顔を上げた。
「あ、ごめん、ぼーっとしちゃって!ちょっと考えさせてくれないかな?」
「わかったわ。」
その話は一旦それでお終いとなったため、六人はそれ以外の今後の対策について話し合っていった。
― ― ― ― ―
エリクスはその頃、パーティーの準備を着々と進めていた。招待状の返信が全て届き、全員が参加すると確認が取れた。
パーティー自体は至って普通の立食形式のものを準備し、メリーアンに当日送る花束の手配を済ませ、今は細々した流れを記載した手紙をしたためているところだ。
「はあ。」
やりたくない仕事は手が疲れるように感じてしまう。同じくらいの仕事量をこなしても何ということもないはずなのに。
エリクスは全て書き終えると内容を読み直し、封筒を閉じた。
「いよいよ勝負の日だ。何一つ、失敗するわけにはいかない。」
祈りを込めるように手紙に両手を載せると、今度はしっかりと深呼吸をしてからキーツを呼び出した。