114. 結束
バルターク商会には一般客向けの店舗は存在しない。基本的に軍や警備などの仕事をする商会向けに、魔法で強化された武器を販売している。
メリーアンはその類稀なる魔法の実力を買われて、現在魔法付与に関係する部署でいくつかの仕事を任されている。実際は短気な彼女も仕事となれば上手にその性格を隠し、冷静で美しく、仕事もできる女性として商会内でも一目置かれている。
だがこの日彼女は、朝から不機嫌さを隠そうともしていなかった。
「メリーアン様、今朝はどうしたのかしら?」
「ピリピリしているな。あまり声をかけないようにするか。」
そんな声が耳に入る度に、メリーアンはさらにイライラを募らせていった。
「失礼いたします。」
これ以上いつもと違う姿を従業員達に見せるわけにもいかず、メリーアンは仕方なく商会内の自室に篭って事務仕事を続けた。そしてその日そこに、滅多に姿を現さない人物がやってきた。
「まあ、あなた・・・なぜここに?」
ドアが開き、中に入ってきたのはクロヴィス・モレだった。
(相変わらず年齢不詳ね。若く保つ魔法陣を使っているのでしょうけど、どれだけの犠牲を払っているのかしら・・・)
不機嫌さをしっかりと笑顔で覆い隠し、メリーアンは来客用のソファーを勧めた。クロヴィスは眉ひとつ動かさずストンとそこに座る。
「メリーアン様、今日はご報告に参りました。」
「そう。新しい魔法陣は上手くいったのかしら?」
「・・・いえ。おそらく本家の足元にも及ばないような貧弱な出来でございました。」
「あら。あなたが自分を卑下するようなことを言うなんて、意外ね。」
クロヴィスの額に細い血管が浮かぶ。
「先日、例の公園にてあの少女と護衛を襲わせましたが、まともに動かせたのは三人だけでした。ただ・・・」
僅かな声の変化に気付き、メリーアンは彼と目を合わせた。
「『悪魔化』させる魔法陣の方はかなり良い出来です。あなた様がお探しの魔法陣と組み合わせれば、悲願を達成しさらに莫大な利益も得られることでしょう。」
「まあ、嬉しい。」
たいして嬉しくもなさそうにそう言うと、メリーアンはソファーの肘掛けに優雅に腕を載せた。
「こちらはなかなか婚約発表に漕ぎ着けられなくてイライラしているの。目障りな女に嫌がらせをして多少憂さを晴らしているけれど、早く消えてもらってすぐにでも妻の座に収まりたいわ。」
「ですが、あなたの婚約者様と従兄弟様があの女を守っているようで、こちらもそう簡単には手出しができません。」
近くにあったペンを魔法で空中に浮かび上がらせたメリーアンは、そのペン先をクロヴィスに向けると、矢のような速さで彼のいる方向へとそれを飛ばした。
ヒュッと風を切る気配、そして微動だにしないクロヴィスの横を通り過ぎたペンは、彼の後ろの壁に鋭い音を立てて突き刺さった。
「・・・もう少々お待ちを。こちらも策を練っておりますので。」
「はあ、仕方ないわね。でも早くしてちょうだい。こちらも正式なものではないけれど、身内だけのパーティーを企画してもらうところまで漕ぎ着けたのよ。できればその日に例の魔法陣の在処だけでも当たりをつけておきたいの。そのためにも、できるだけ邪魔な人間は排除しておかないと。」
メリーアンは空中にもう一本のペンを浮かべて微笑む。張り詰めた空気がクロヴィスの呼吸を妨げる。
「承知・・・いたしました。それで、そのパーティーはいつなのでしょうか?」
無表情のクロヴィスの額から、汗が一筋滑り落ちた。メリーアンはそれを一瞥すると空中のペンをくるくると回す。
「まだ先よ。今のところ次の花の季節の終わり頃の予定ね。その頃なら二人とも仕事の都合がつきそうなの。」
「なるほど。では花の季節に入る頃までには、諸々準備いたします。」
宙に浮かび回転していたペンがピタッと動きを止め、机の上に落ちた。メリーアンはようやくその日一番の笑顔を見せて椅子から立ち上がる。
「まあ、ありがとう。では宜しくね。うまくいったら報酬は弾むわ。」
クロヴィスは苦々しい表情を一瞬だけ見せた後、黙って部屋を出ていった。メリーアンは壁に刺さったままのペンをしばらく眺めていたが、何かをぼそぼそと呟くとそのペンを粉々に破壊し、再び自身の仕事に戻っていった。
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ケリー商会襲撃事件以降、学校を休み続けていたミコルとケイトは、二年生最後の休みに入る直前にようやく登校を果たした。
「ミコル!ケイト!」
マイラはその日の朝泣きそうになりながら二人に飛びつき、再会できたことを心から喜んだ。そして二人は、マイラを慰めるように頭や背中を撫でてそれに応えてくれた。
「マイラ、心配かけてごめんなさいね。本当はこのまま休みに入ってしまっても良かったんだけれど、カイルから手紙をもらってね。あなたのためにも一日でもいいから学校に来て欲しいとお願いされたの。」
ミコルはそう言いながら、少し痩せたその顔を笑顔で満たしてマイラを見つめた。そして今度はケイトがマイラに抱きつく。
「マイラ、ごめんね!あの日私どうかしてたの。クラウスさんのこと、本当にずっと憧れてたから、確かにあの出来事はショックだった。でも冷静になって考えたら私、今のクラウスさんのこと何も知らないのよね。幼い頃のイメージのまま、ただ素敵な人だなあって憧れてただけだったの。カイルがね、そんな男のことより今はマイラのことを考えてやってくれないかって、直接お願いしに来たのよ?びっくりでしょ?」
すっかり元気になりいつもの調子を取り戻したかのように見えるケイトだったが、きっと少なからず心は傷付いているだろう。それでもこうして自分のために学校に来てくれたことが嬉しくて、マイラは二人の手を同時に握りしめた。
「ありがとう。二人が大変な時に私のことまで考えてくれて・・・カイルにも後でお礼を言わなきゃね。」
ミコルとケイトは笑顔で頷く。少し離れた場所で友達と話しているカイルの表情は明るかった。
今日は授業最終日ということもあり、みんな浮かれていて教室の中はざわざわと騒がしい。三人はその喧騒の中でしばらく互いの近況を話し合い、ユギが教室に姿を現したのに気付くとそれぞれの場所へと戻っていった。
そして授業前にユギからの連絡事項が伝えられる。
「諸君。今日は二年生最終日だな。この一年もよく頑張った。来年度もこのクラスは更に難易度を上げた魔法演習を進めていくことになる。この休み期間はしっかりと自由な時間を楽しんで、来年度に向けて英気を養っておいてほしい。午前中の授業を終えたら終業式をして解散だ。最後まで気を抜くなよ。」
ユギの言葉と笑顔で生徒達も笑顔を見せる。マイラもまたこの日は久々に明るい気持ちを取り戻し、みんなと一緒に笑うことができていた。
無事終業式を終えた三人は、カイルと合流し校門の手前にある広場で話をしていた。
「カイル、色々ありがとう。まさかこんな風に動いてくれるなんて思ってもなかったから驚いたよ!」
マイラがそう言うと、カイルは照れくさそうにはにかんだ。
「ま、まあ、ほら、休みに入るとまた簡単に会えなくなるだろ?だからせめて最終日は来てもらったら安心するかなと思っただけだよ。」
冷たい風が四人の間をすり抜けていく。それでも今ここには温かい空気が満ちていた。
「カイルってば相変わらずマイラには優しいのねえ?」
「な、何だよ!?そういうんじゃない!ケイトだって一昨日はあんなに落ち込んでたじゃないか!」
「そーんなことないもーん。」
ケイトの揶揄うような言葉も二人のふざけたやり取りも久しぶりに聞く。マイラにはそんな何気ないやり取りすら嬉しい。ミコルは風に少し乱された髪を手で簡単に直すと、マイラの方に顔を向けた。
「ねえ、それよりも今回のこと、やっぱりあの人の仕業なんじゃないかしらと思うのよね。」
他の二人もミコルの話に反応し、真面目な表情になり頷いた。
「そう・・・だよね。こんなことができるの、きっとあの人しかいない。ごめんね、二人には迷惑ばかりかけて。」
背に感じる冷たい風を、マイラは逃げずに受けとめる。たとえ迷惑をかけていたとしても、今は俯く時ではない。マイラのために集まってくれた友達にそんな情けない姿を見せられない。
ミコルは真剣な顔でマイラを見つめ返す。
「バカ言わないで。これはあなたのせいなんかじゃないわ。明らかにあの女のせいよ。そしてあの女はケリー商会を敵に回した。すぐにどうこうはできないけれど、きっちりとこの借りは返すわ。マイラ、大丈夫。私達はそんなにやわじゃないわ。」
ケイトもわざとらしく怒った顔になるとマイラの肩にガシッと手を置いて言った。
「そうよ!クラウスさんが何だって言うのよ?私みたいないい女があんな、ちょっと美人だからって鼻の下を伸ばすような男を相手にするのは馬鹿げてるわ。だからマイラ、もう私のことは心配いらないし、私達はそう簡単にはマイラから離れないわよ!」
マイラは思わずケイトの膨らんだ頬を見て噴きだしてしまう。そしてカイルはそんな互いを思いやる三人を、温かい目で見守っていた。
「まあ、そう言うことだから。マイラ、俺達はそう簡単にやられないし、君の周りからいなくなることもない。だからこんな嫌がらせに負けてないで、俺達ができることをしよう。」
「そうよ。そして早速だけど私から一つ提案があるの。ここで話すのはさすがにまずいから、明日カイルの家に集合でどうかしら?」
カイルは一瞬驚いたように瞬きをしてミコルを見ていたが、まあいいかとそれを受け入れ、翌日の約束を取り決めると四人はそれぞれの家へと帰っていった。