111. 今できることを
公園での事件以降、町の中や学校での事件の噂はパッタリとおさまった。それは不気味なくらい穏やかな日々で、マイラ達も初めは不安がっていたが、それが当たり前になっていくと危機感は次第に薄れていった。
雪の季節らしく今年は何度か雪が降り、マイラが静かな環境の中で勉強に時々訓練にと勤しんでいると、とある人から会いたいと連絡が入った。
「マイラ様、お渡ししたくはないのですが、ヨセフィーナ様からのお手紙です。」
「・・・イリス、気持ちが全部口に出てる。」
「はい。彼女からの手紙なんて、良いことが書いてあるわけがありませんから。」
マイラはなかなか手紙を渡そうとしないイリスに痺れを切らし、彼の顔の前でふわっと雪を生み出して驚かせた隙にそれを奪い取った。
「あっ、マイラ、ずるいな!」
「イリスこそ、いつまでもわがまま言わないの!」
そんな仲の良い二人の小さなやり取りも、最近ではごく普通にできるようになっていた。手紙を読み始めたマイラの後ろから、イリスが優しくハグをする。
「も、もう!またそういうことして!」
「恥ずかしがっているマイラも可愛いな。仕方ないからほら、読んでいいですよ。この体勢でいいなら。」
「はあ。じゃあこのまま読む。」
マイラは後ろからぎゅっと抱きしめられ、時々髪にキスをされながら手紙を開いた。
「何と書いてありますか?」
「私に力を貸して欲しいって・・・どういうことだろう?」
「あなたの不思議な力を、彼女が必要としているのでしょう。」
マイラは怪訝な顔で少しだけ振り返る。
「どうしてヨセフィーナ様が私の力のこと知っているの?」
イリスはため息をつくとマイラからそっと離れた。そのままソファーに誘導し、自分も隣に座る。
「マイラ、彼女は調査隊の人間です。あなたのことを調べて知っていてもおかしくはない。ですがそれだけではない。・・・まあ、これ以上は私が話せることでもないので、お会いになったら彼女に聞いてみてください。ですが!」
突然大きな声をあげたイリスに驚き、マイラは目を丸くする。
「無理は禁物です。もし無茶なことを頼まれたら全力で断っていいんです。わかりましたか?」
「う、うん。わかった。」
マイラが勢いに負けてそう答えると、ほっとしたように微笑んだイリスが優しくマイラの頭を撫でた。
「そう言ってくれて良かった。大丈夫、俺がマイラの側にずっといるから。」
「・・・うん。」
あれ以来イリスはマイラをとても甘やかしてくれる。素直に彼の言うことを聞いているというのもあるが、マイラが彼のスキンシップを自然に受けとめられるようになってきたからかもしれない。
安心した様子のイリスが掃除道具を持って部屋を出ると、マイラは先ほどの手紙を再び開いた。
「でも、私の力・・・もっと役立てられたらいいのに。」
大切な人を守ることも癒すこともまだできない自分。それでもどうしても前に進んでいきたいのだ。この手紙がそのきっかけになるなら・・・
マイラはなくしかけていた自信と決意を、手紙を握りしめながら必死で引っ張り出そうとしていた。
三日後、久しぶりに青い空が見えたその日、マイラはヨセフィーナが指定した場所に辿り着いていた。待ち合わせ場所は図書館の裏にある小さな広場のような場所だった。そこは図書館の影で日が当たらないからか、かなり雪が残っている。
「マイラさん。」
「ヨセフィーナ様!」
ヨセフィーナはいつもとは違い動きやすそうな兵士の制服を着て微笑んでいた。長い髪は少し高い位置に一つでまとめられ、そのせいなのかいつもよりキリッとした美人に見えた。
「来てくれたのね。ありがとう。あなたとはもう少し腹を割ってお話ししなきゃと思っていたの。じゃあ行きましょうか。」
「行くって、どこへ・・・」
ヨセフィーナがチラッとマイラの後方を確認する。
「イリスさん、あなたを守ってくれているのね。今から行くのは彼も知っている場所だから大丈夫よ。ああ、もちろん一緒に来てもらっても構わないわ。」
最後の言葉だけ少し大きな声でそう言うと、イリスもすぐに合流し、彼女が用意していた馬車に乗り込んだ。
しばらく馬車に揺られていると、見たことの無い建物の前で馬車が止まった。
「なるほど、やっぱりここなのか。」
「イリスの知ってる場所?」
「ええ。」
彼の表情は曇っている。あまり良い場所ではないのだろうかと不安に感じながら促されるままに馬車を降り、建物の中へと入っていった。
「さあ、その椅子に座って。」
殺風景な部屋の中に、一つだけ木の椅子が置かれている。何か尋問でも始まりそうな雰囲気にマイラは息を呑む。
「ヨセフィーナさん、マイラが緊張しています。先に事情を説明すべきでは?」
イリスが怒りを含ませた表情でマイラを庇うように前に立った。ヨセフィーナはふうんと小さく呟くと、突然しゃがみ込み、床に手をついた。
その瞬間、マイラの身体中にビリビリとした感覚が走り抜けていく。
(これって、魔法陣が起動した時の感覚!?)
そこから先はもうほぼ反射的な行動だった。
『お願い止まって。壊れて。』
必死で思い出し、今はもう当たり前に使えるようになった過去の言葉が口から飛び出る。するとあの痺れるような感覚が一瞬で消え去り、さらに魔力の動きも止まった。
「・・・なんてこと。」
「ヨセフィーナさん、まさかこんな試すような真似をするとは!」
「あっ、ちょっと、駄目よイリス!!」
イリスの怒りが手に集中し始めているのに気付き、マイラは慌ててそれを止めた。こんな狭い場所で彼が本気を出したら部屋どころか建物も壊れてしまう。
「だけどマイラ!」
「いいの!きっとこれが知りたかったんですよね?私が何ができるのかを。」
ヨセフィーナはゆっくりと床から立ち上がり、真面目な顔でマイラを見つめて言った。
「あなたの力は私達の最後の希望よ。お願い。私達と一緒に戦ってくれないかしら?」
「何を言って・・・」
「イリス、待って。」
「マイラ!!」
イリスの両手をぎゅっと握りしめ、マイラは下から彼を笑顔で見上げた。
「大丈夫。まずは話を聞くし、無茶はしない。イリスと約束したから。だから落ち着いて、ね?」
「・・・わかった。」
ヨセフィーナはそんな二人の様子を面白そうに見守っていたが、マイラが穏やかな笑顔を見せると、手を差し出して握手を求めた。マイラもそれに応える。彼女の手はほっそりとして柔らかかった。
「驚かせてしまって本当にごめんなさい。こんな場所で騙すような形にしてしまったことも心から謝罪するわ。とにかくきちんと三人で話せる場所へ移動しましょうか。」
そうして三人が移動したのは、明らかに先ほどとは比べ物にならないほど上品な部屋だった。
どっしりとした机や来客用のソファーセットが置かれた広いその部屋で、高級そうな赤い生地のソファーに座らされマイラはどうにも落ち着かない。
「マイラ、どうした?」
「え?ううん、何でもないよ!」
いや、きっとこの落ち着かない気持ちはソファーのせいではない。部屋の中にはヨセフィーナに敬礼をして姿勢良く立つ屈強な男達が数名控えている。マイラも彼らの視線に晒されて、早くこの場から逃げたい気持ちに駆られていた。
「さて、それじゃあいきなりだけど本題よ。マイラさん、あなた、発動してしまった魔法陣を破壊できるのね?」
「あの、は、はい。」
ヨセフィーナの前のめりな質問にタジタジになりながらもマイラは素直に答えた。
「さっきの魔法陣はただ弱い風が下から噴き出すだけの何の害も無いものだったの。でもあなたを驚かせてしまったのは謝るわ。それにしてもまさか本当にあんなことができるとは・・・」
ヨセフィーナは驚きながらも嬉しそうだ。だが隣に座るイリスはすっかり不機嫌になり、腕を組んでヨセフィーナを冷たく見つめている。きっとマイラがヨセフィーナに協力させられそうになっているこの状況が気に食わないのだろう。
イリスの視線など意にも介さず、ヨセフィーナはにっこりと微笑んで首を軽く右に傾げた。
「ねえ、それならぜひ私達の力になってくれないかしら?」
「駄目です。」
「ちょっとイリス!?」
イリスは音も立てずに立ち上がり、ヨセフィーナを見下げるようにして言った。
「彼女を危険に巻き込むのはやめていただきたい。まだ学生なんですよ?いくら特殊な力を持っているとはいえ、できることには限りがある。この件にこれ以上関わらせて、もし怪我でもしたら」
「もう巻き込まれているじゃない。」
「ですが!!」
マイラは黙ってイリスの服の袖口を掴んだ。彼はハッとしてソファーに戻る。
「ヨセフィーナ様、私はこの間あなたに戦うか逃げるか選べと言われ、戦うことを選びました。でも、確かにイリスの言う通り、私はまだまだ未熟で、あの公園での事件でも結局お兄様に助けてもらっただけで、私自身は何もできなかった。」
イリスもヨセフィーナも、そして部屋にいる男性兵士達も、マイラをじっと見つめている。
「それでもあなたが私の力に価値を見出してくれるなら、やってみます。その代わり私をもっと鍛えてくれませんか?誰一人死なせないために、力をつけてくれませんか?」
ヨセフィーナは何か思うところがあったのか、見たことのない複雑な表情でマイラを見ていた。そして一瞬だけ瞼を閉じ、そっと開いてからこう言った。
「あなたは強い人ね。自分の弱さを知っている人。いいわ。交渉成立ね。」
「あっ、でも私にも事情を説明・・・」
「そうね、もちろん最低限の情報は共有するわ。でもごめんなさい、全ては話せない。その代わりこの件が片付いたらきちんと情報開示するわ。一般には公開できない話も全て、ね?」
マイラは少し残念そうな顔で俯いたが、すぐに笑顔で顔を上げた。
「わかりました。よろしくお願いします。」
「こちらこそ。」
「・・・はあ。」
イリスの大きなため息が、みんなの笑いを誘う。和やかな雰囲気にはなったが、マイラの気持ちはむしろ引き締まっていた。
(まだ私にもできることがあるんだ。みんなを守るために、そしてエリクスさんのためにも、もう一度ここで頑張ってみよう!)
イリスの手が、マイラの強く握りしめられた拳をそっと開いた。マイラは開かれた手で彼の手を握ると、ようやく見せてくれた笑顔にほっとして、彼の大きく少し冷たい手をしっかりと握り直した。