11. 兄の指導と魔法の特訓
翌日から、エリクスは仕事の合間を縫ってマイラの魔法指導に当たった。
次の年度から上級学校の最終学年に入るエリクスは、長期休みの間だけ家業の手伝いをしている。ルーイ商会での仕事は多忙を極めていたが、妹のためとあらば睡眠時間を削ってでも時間を確保しようと、エリクスは必死でスケジュールを調整して準備を進めていった。
マイラもまた少しでも魔法が上達するようにと、久々に詠唱の本を引っ張り出して自分なりに魔法をそれっぽく使ってみることにする。
「そうは言ってもなあ。散々昔練習したけどできなかったしなあ・・・」
それはまだマイラが十歳にも満たない幼い頃のこと。近所に住む大好きな友達が魔法を使っているのを見て、マイラも見よう見まねで詠唱を試みたことがある。
だが結果は散々で、詠唱自体に間違いがなくてもそれに応じた力は何一つ発揮されなかった。一番簡単な魔法である『魔法火』さえも、ろうそくに灯る大きさすら出すことはできなかった。
「はあ。詠唱している間に余計なこと考えちゃうのが原因だったのかなあ?」
集中できるほどに覚えきっていないのが悪かったのかと思い、簡単な詠唱を繰り返し唱えて暗記してからやってみるが、やはり今も何一つ力は現れなかった。
するとそこに、今日は肩まで腕を捲って頭におかしな仮面をつけたエリクスが現れた。その仮面は木彫りで顔が長く、目と口の部分に楕円形の穴が開いている。眉毛と鼻は少し高さを出して彫られており、異様な顔立ちにマイラは少し寒気を感じた。
「お兄様、頭の上のそれ、何ですか?気持ち悪い・・・」
エリクスはマイラの冷たい視線などどこ吹く風といった様子で、嬉しそうに仮面の説明を始めた。
「おお!聞いてくれ!これは魔法道具が生み出される前の時代、過去の魔法使い達がより力を強く発動させようと願いを込めて彫った『祈りの仮面』だ!マイラが少しでも力を発揮できるように願って被ってみたんだ。どうかな?」
彼は期待を込めた目でマイラを見つめている。マイラは呆れたようにため息をついた。
「それ、お兄様が被っても意味がないのでは?当事者の私が被るものなんじゃ?」
パチパチと目を閉じては開きを繰り返し、エリクスはああ!と嬉しそうに声をあげた。
「そうか!じゃあマイラこの仮面を」
「被りませんよそんな変な仮面!!」
「・・・」
「もう。ふざけてないで始めますよ!お兄様は忙しいんですから!」
マイラの声に渋々仮面を外したエリクスは、袖はそのままで早速練習を始めた。
詠唱での魔法は、慣れてくれば短くても声が小さくても発動するらしい。彼は特に天才肌なので、ほとんど口を動かさなくても発動できるものがほとんどなのだそうだ。
「マイラはまず『魔法火』の色をイメージしてみるか。今は本物の炎の色なんだろう?ちなみにいつもの炎を出してみることはできるか?」
マイラ達は安全のため特殊な魔法練習用の広い部屋に移動していた。それでも炎が燃え移らないようにと気を遣い、マイラは部屋の真ん中に移動する。そして、いつも通りの炎を手から噴き出した。
ブオーッという炎の音が小さく部屋の中で響く。その熱は近くにいたマイラだけでなく、少し後ろにいたエリクスにも届いた。
「なるほど。これは凄いな。じゃあ今度は俺が試しに出してみるから、それをイメージに焼き付けてみるんだ。」
「はい。」
そうして今度はエリクスが部屋の真ん中に移動し、何かを小さく素早く唱えると、見たことのある青い炎が現れた。
「さあマイラ、やってみてくれ。」
マイラは今見た青い炎を繰り返し頭の中でイメージする。青く、音もなく現れる炎。本来は温度調節も魔法使いが自由にできる『魔法の火』。
右手を額に載せ、イメージが固まるとその手を前に突き出す。
すると今度はシューっという不思議な音と共に、青い炎がマイラの手から噴き出した。エリクスのものとは少し色合いが違うようだが、どうにかそれっぽいものが再現できて「やった!」と喜ぶ。
「いいじゃないか!後は発動直前に詠唱を軽く口ずさんでおけばいい。」
エリクスの言葉に一旦安堵したものの、マイラはまだ不安が拭いきれてはいなかった。
「でも、もっと複雑で大変な魔法も勉強するんですよね?」
「まあ、そうだな。だがマイラならできるさ。俺も最後まできちんと付き合う。大きな絵だと難しいが、小さいものなら短時間で仕上げられるから必要なら絵も描くぞ。さあ、今は先のことは考えず、目の前にあることを頑張ろう。」
「うう、わかりました・・・」
そうして二人はそれから一時間ほどみっちり特訓をして、マイラはどうにか簡単な『魔法火』と『魔法水』らしきものを発動することができるようになった。
「物質魔法は『消える』イメージもセットになるから難しいかもしれないな。今日できなくてもいいから、時間がある時に練習してみなさい。」
「はい。」
そして、その日の特訓は終了となった。
翌日から、マイラは一人その魔法練習用の部屋にこもって長時間練習を重ねた。
魔法の火、水、土、自在に動かせる魔法植物など、子どもでもできるようなものから一つずつ仕上げていく。
水や土は何十回か練習した後にようやく出たものを消し去ることができるようになり、植物に至っては本物の植物を地面から一気に発芽、成長させてそれを好きなように動かす練習を重ねた。これは初めはうまくいっていたが途中で強度が弱いことわかり、そこにもう一つ『強化』のイメージも重ねていく。
「あー!頭がパンクしそう!!でも頑張らないと・・・うん、『治癒の魔法』のためだもんね!そのためにはできなくてもやらなくちゃ!」
折れかけた心を当初の目的を思い出すことでどうにか立て直し、マイラは再び繰り返しの特訓を重ねていった。
それからさらに一週間後、マイラが部屋でイリスに髪を整えてもらっている時のことだった。
危うく眠りかけて頭を彼に支えられて目を覚ますと、イリスがそれまで見たこともないほど強張った表情になって鏡の中からじっと見つめているのに気が付いた。
「イリス!?どうしたの?すごく怖い顔してる!!」
「・・・マイラ様、ちょっとご無理をし過ぎなのではありませんか?」
「え?」
イリスは持っていたヘアブラシを一旦専用のかごに戻すと、マイラの目の前にしゃがみ込み、下から顔を覗き込んだ。
「イリス?」
「私は心配なのです!マイラ様は何でも頑張り過ぎてしまうのではありませんか?最初のうちは学校に行きたくないと仰っていたのでてっきり勉強はお嫌いなのかと思っておりましたが全くそんなことはなく、魔法の練習も苦手と言いながらも日々傷だらけになりながら確実に進歩しておられます。」
マイラはその言葉に驚き、イリスを大きく開いた目で見つめた。
「イリス、もしかして見てたの!?」
「はい、申し訳ありません。どうしても心配だったもので・・・ですがご安心ください。マイラ様の秘密は旦那様から最初に教えていただきました。もちろん誰にも口外などはしておりません!」
真剣な彼の顔を見ながらマイラは笑顔を浮かべた。
「イリスのことは誰よりも信頼してるわ。でもそうだったんだ。なんかごめんね、こんな駄目なお嬢様で・・・」
少し寂しそうにそう告げると、イリスが怒りの表情を見せ始めた。
「マイラ様は駄目などでは断じてありません!!」
「イ、イリス?」
あまりの剣幕にビクッとしてからイリスの顔をまじまじと見つめた。
「あのように素晴らしい、他の魔法使いにはない能力を持ちながら、ありきたりの魔法に近付けようと毎日血の滲むような努力をされています。我慢強く、諦めない。そしてへこたれませんね。私はマイラ様以上に頑張る方に巡り合ったことはございません!どうかもう二度とそのようなことは仰らないでください!!」
マイラは一瞬ぽかんとしてしまったが、口を閉じると満面の笑みでイリスの名を呼んだ。
「イリス。」
「はい。」
「ありがとう。私もあなたのように素晴らしいお友達に巡り会えて本当に嬉しい!これからもよろしくお願いしますね!」
そう言って椅子からポンとおりるとそのまま目の前のイリスに抱きついた。
「マイラ様!?」
「ん?」
「あ、あの、このようなことを使用人にしてはいけませんよ?」
イリスは真っ赤になりながらも抱きついているマイラを引き剥がそうとはしなかった。マイラはもう一度首元でぎゅっと抱きついてから離れると、えへへと笑いながら椅子に戻る。
「ごめんなさい。でもイリスは叔父さんの使用人ではあっても私にとってはお友達なのよ。だからお願い、これからもお友達として色々アドバイスをしてね!私もできることは何でも協力するから。」
「マイラ様・・・はい。」
イリスはスッと立ち上がると、先ほどのようにマイラの背中側に回り、再びヘアブラシを取り出して続きの仕事を進めていった。だがその頬にはまだ赤みが残り、マイラにそれが見えないように意識しながら手を動かしていった。