106. ディーンの過去②
ナタリアとよくお茶をしたあのカフェは、相変わらず何席か埋まってはいたが、いつものように穏やかで優しい時間が流れていた。しかしマイラの胸中は穏やかとは程遠く、案内してもらった個室の中でピリピリとした緊張感を感じていた。
「さて、じゃあ本題。何を思い出した?」
ディーンは微かに笑みを浮かべてマイラに問いかける。目の前でカップに入ったお茶が湯気を立てている。
「前世のことを思い出しました。この世界ではない別の世界で生きていた記憶です。」
マイラはいつでも防御できるようイメージを固めつつ、ディーンの目をじっと見つめてそう言った。
「ふうん、そう。やっぱりね。実はあの日、君の記憶の一部を見たんだ。あれは俺の知ってるニホンの景色に間違いなかった。」
「・・・え?」
彼の言葉の意味をすぐには理解できず、マイラは口を開けたまま瞬きを繰り返した。ディーンはその表情がおかしかったのか、フッと笑うとカップに口をつける。お茶の良い香りがマイラのところにも届き、マイラはハッと我に返る。
「俺も君と同じだよ。君と同じ世界で生きた前世の記憶を持って、この世界に生まれてきたんだ。でも、ずっとそれは夢だと思ってた。君に会うまではね。」
「もしかしてディーンさんも、ニホンでの記憶があるんですか?」
彼は大きく頷く。
「そうだよ。俺の最後の記憶は学生の時。バイクに乗って遠出をしている時に事故に巻き込まれて、たぶんそこで人生が終わってる。教師になるのが夢だったのに、あんなに勉強を頑張ってたのに、全部無駄になった。この世界でも教師になりたいって思って頑張ってたけど、兄のように俺は優秀じゃなかった。」
「兄・・・ユギ先生・・・」
ディーンは自虐的にハハッと笑うと、カップを音を立ててテーブルに置いた。
「幼い頃、俺は魔法が使えなかった。だって俺の前世の記憶では魔法なんて空想上のものだったし、周りが魔法を使っているのを見ても何の奇術だ、ってずっと思ってたからね。それが段々本物だってわかって、でも魔法が使える一族の中で俺だけ、いつまで経っても使うことができなかった。」
「・・・」
無言のマイラを見てディーンは真顔になった。
「あの方に助けてもらうまで、俺は魔法が一切使えなかった。使えるはずの血が流れているはずなのに、どうしてって何度も思ったよ。教師になる夢はこの人生でも叶わないのかって自暴自棄にもなった。もちろん魔法以外の道で教師になることを選ぶことだってできたかもしれない。けど俺の親はそれを決して許さなかった!」
「そんな・・・」
あのユギ先生のご両親がそんな厳しい考え方をする人達だとは驚きだった。マイラの顔を見てディーンもその考えを理解したのだろう。深いため息がこぼれ、彼は下を向いた。
「兄はそんな両親からいつも俺を守ってくれてたし、応援もしてくれてた。だけど庇われれば庇われるほど、兄との能力の差を感じて俺は卑屈になった。それでやけになっていた時に出会ったのが、今の俺の師匠なんだ。・・・なあマイラさん。」
マイラはゆっくりと顔を上げた。
「俺と一緒にその人のところへ行かないか?」
「え!?」
とんでもない提案に心底驚き、マイラはあんぐりと口を開けたまま動きを止めた。
「俺達は同じ世界で生きた過去を共有してる。もっともっと君と話したいことはたくさんあるし、共感できることも色々あると思うんだ。君も俺と同じで特殊な人間なんだろう?だったらきっとあの人の役に立てるし、過去のことだって」
「行きません。」
「・・・」
はっきりと断ったマイラを、ディーンは睨むように見つめる。机が僅かに揺れた。
「君も俺を見捨てるのか?」
「・・・見捨てる?」
「こんなわけのわからない世界に生まれて、魔法とか意味のわからないものに振り回されて、蔑まれて親にも諦められて、いったい俺にどうしろっていうんだよ!!君も俺を見捨てるんだよな。俺が助けて欲しい、君という理解者に側にいて欲しいとどれだけ望んでも・・・君は記憶を取り戻しても、この世界の人間の肩を持つのか!?」
ディーンの息が上がり、目が血走っていくのがわかる。マイラは大きく息を吸い込み、静かにその問いに答えた。
「どの世界だとか関係ありません。私は、ただ私の大切な人を守りたいだけです。私や私の周りの大切な人達を傷付けるような人と一緒にいるあなたの側には、絶対にいられません。」
「・・・」
ハアハアという彼の息遣いだけがその個室に響く。マイラは席を立ち、はっきりとディーンに告げた。
「スヴェンを傷付けたのはあなたではないのかもしれない。でもあなたのお仲間の仕業ですよね。それにあなたは私の大切な友人であるナタリアさんを深く傷付けた。私はあなたの、あなた方の敵です。もう二度と、あなたと二人でお会いすることはありません。」
その部屋を出るまで決して気を抜くことはなかったが、マイラはもう後ろを振り返ることなく、その個室を出ると馬車の待つ場所まで全力で走って向かっていった。
息を弾ませて何とか待ち合わせ場所に辿り着くと、いつもは中で待っているはずのイリスが外に立ってマイラを待っていた。
「マイラ!?」
彼はマイラの姿に気付くとすぐに駆け寄り、いきなり強く抱きしめた。
「イリス!?く、苦しいよ!・・・ごめんね、遅くなって。」
「どこに行ってたんです?こんなに遅くなることは今まで一度もなかったのに!」
「うん、ごめんなさい。帰ったら何があったかきちんと話すよ。とにかく今は叔父さんの家に帰ろう?」
納得のいかない様子のイリスは、帰るまで終始顔を顰めていた。そして部屋に入って先ほどあったことをマイラが順を追って説明すると、その顔はさらに恐ろしいものへと変わっていった。
「何を考えているんです!?あの男のせいであれほど大変な目に何度もあったというのに、あなたには危機感というものが無いんですか!?俺がいったいどうどれだけ心配したと・・・」
「本当にごめんなさい!!」
「はぁ・・・」
マイラは心から反省し、小さくなってイリスの前で深く謝罪する。俯いて謝り続けるマイラをじっと見つめていたイリスだったが、少ししてから突然マイラの顔に手を伸ばすと、両手で両頬を支えて自分の方に顔を向けさせた。
イリスの瞳がマイラを切なそうに見つめているのが見える。張り裂けそうな彼の想いが、マイラにもじわじわと伝わっていく。
「マイラ・・・」
「イリス、何度も何度もあなたに心配かけるようなことをして、ごめんね。」
「もう謝らないで。わかったから。」
「うん。」
「好きだよ。」
「・・・うん。」
「抱きしめていい?」
マイラは顔を赤くしながら伏目がちに軽く頷いた。イリスは嬉しそうに微笑むと、マイラを優しくその腕の中に包みこむ。
「マイラは温かいね。」
「イリスはちょっと冷たい。」
「じゃあ二人で分け合ってちょうどいいかな?」
「ふふ!そうだね。」
エリクスとは違う温もりの中にいることをふと思い出し、胸にチクリと痛みが走る。それでも、イリスの腕の中はとても優しく居心地が良かった。
「ずっと分け合っていこう。こうして。」
「・・・うん。」
心のどこかで何かが叫びをあげている気がする。だがマイラはこれから先ずっとこの優しく冷え切った人を温め続けていこうと、自分自身に固く固く誓っていた。
― ― ― ― ―
エリクスはその日、生まれ育った家へと向かっていた。
(メリーアンが欲しがっているものがあの屋敷にあるとしたら、きっと地下だろうな)
馬車から見える景色は単調だ。マイラと見ていた時はあんなに美しく輝いて見えていた景色なのに。
「早く解決しないと、マイラが・・・」
近付いたはずの彼女との距離は、再び遠く離れてしまった。何度唇を重ねても腕の中に閉じ込めようとしても、この件が解決しない限りマイラが自分の元へ帰ってくることはないだろう。
そしてエリクスは父との会話を思い出す。
『メリーアン・バルタークが本当に狙っているのは、ルーイ家が灰色の悪魔が生まれた頃から隠し守り続けている、とある禁忌の魔法陣なんだよ。』
『禁忌の魔法陣?』
父は、ただまっすぐにエリクスを見つめて話を続ける。
『そうだ。これは本来であればお前が正式に後継者と決まってから話すべきことだった。だが今回はそうも言っていられない。いいかい、エリクス。この魔法陣は決して外部に流出させるわけにはいかないんだ。そしてこの禁忌の魔法陣こそ、メリーアン、そして彼女の母もその母もまた、喉から手が出るほど欲しがってきたものなんだ。』
エリクスは思わず息を呑んだ。
『いったいどんな魔法陣なんですか?』
『一度の発動で相当な人数の人間を、意のままに操ることができる魔法陣だ。しかも一度その魔法陣の影響を受けてしまえば、二度とその術者の支配から逃れることはできない。』
ヨアキムが苦々しい表情でそう説明すると、エリクスは床を見つめ、しばらく考えてから顔を上げた。
『なぜメリーアンや彼女の母君はそんな恐ろしいものを欲しがっているのですか?』
『それがメリーアンの家系に連綿と受け継がれてきた悲願だからだよ。そしてさらに悪いことに、メリーアンはそれを実際に自分の利益のためにも使おうとしている。』
エリクスが衝撃を受けて黙り込むと、ヨアキムはポツポツとその詳細について説明を始めた。
それによると、どうやらメリーアンの家系は元々『灰色の悪魔』が生まれるきっかけとなったあの巨大な火球を生み出した家系の出らしい。
彼女の家は代々女系の一族で、生まれてくる子ども達は女性ばかりだったそうだ。そのため、これまでは婿を取りながら家を発展させてきたのだが、メリーアンの母が生まれる前になぜか男子を養子として受け入れ、娘は別の家に嫁がせる方針に切り替えたようだった。
(どうして方針を変えたんだろう・・・)
あの火の玉を放ったことで彼らの祖先は結果として反撃を喰らい、その親族の多くが命を失った。
その恨みから作り上げられた件の魔法陣はとある人々によって相当危険視されていたようで、その後彼らは多くの犠牲を払ってメリーアンの祖先達からその魔法陣を奪い取り、魔力が極端に多いルーイ家に保管されるようになったとのことだった。
(だからルーイ家と縁を結ぶことは、彼女達の悲願だったのか)
しかも彼女の母が嫁いだ家の名前を受け継いだメリーアンが、その恐ろしい一族の娘だということはそれほど知られていない。
そこでようやく、先ほどの疑問が解決した。
つまりメリーアンの母は、長い歴史を持つウェイリー家の娘だと周りに言われないようにしたかったのだ。表向きにはルーイ家の魔法陣を狙っている家の娘ではないと見せたかったのだ。
もし俺が何も知らずに彼女を選び、結婚していたら・・・
エリクスはその先の未来を想像して体を震わせた。そしてそんなことは絶対にさせないと、改めて決意を固めていた。