105. ディーンの過去①
マイラは翌日から、イリスとの訓練をさらに厳しいものに変えていった。
これからは実際に攻撃を当ててもらいたいと彼にお願いすると、イリスは恐ろしい表情で一旦はそれを拒絶した。だが「本当に攻撃された時に何もできなかったらどうするの」と必死で説得すると、頭を抱えて悩んだ結果、渋々その実戦的な訓練を了承してくれた。
(メリーアンと戦うって言っても私はまだ何も彼女のことを知らない。ヨセフィーナ様からも『今は安全のため細かいことは教えられない』と言われてしまったし。でも、今できることだってあるはず!)
今できること、それは、彼女や彼女の手下達に襲われた時に身を守りかつ反撃できるだけの力をつけておくこと、それだけだ。
情報は何も持っていない。恐ろしい魔法陣の使い手もどこに潜んでいるかわからない。
だとしたら今やらなければいけないのは・・・
「まずは隠された魔法陣を見つけられるようにしよう!それとあの日のように危険な魔法陣が見つかったら必ず破壊できるようにする、それしかない!」
あの日、というのは、マイラがミリーの家で彼女の兄が貰ったというペンダントを破壊した日のことだ。
(あの日私は確かにあの赤い石を破壊した。でもその時私は・・・)
その瞬間の自分の感情は思い出せるのだが、何を口ずさんだのかはよく覚えていない。詠唱などいつもの自分なら必要ないはずなのに、確かに何かを口に出して言っていた。
イリスに聞いても「知らない言葉だった」としか教えてくれなかった。
仕方なくマイラはミコルにお願いし、魔法陣を庭に描いてもらってはそれを破壊する訓練を重ねていった。
詠唱を試したり手をかざしてみたり、時には魔法を当ててみたりしたがあの日のようなことは起こらなかった。
厳しい訓練にも関わらず行き詰まっていたマイラは、その日ミコルと共にスヴェンの病院へと向かっていた。もう二、三日もすれば退院できるということだったので、元気な顔を見てついでに今後の対策も立てようと、イリスの警護付きで出かけて行った。
イリスは廊下で待機し、ミコルと二人で病室に入る。するとベッドで体を起こし笑顔を見せているスヴェンと、彼によく似た眼鏡を掛けた女性が立っているのに気付いた。
「あら!スヴェンのお友達かしら?来てくださってありがとう。スヴェンの母です。」
「はじめまして、ミコル・ケリーです。」
「こんにちは!マイラ・ルーイです。」
いつもは滅多に笑顔を見せることのないスヴェンがにこやかなのにも驚いたが、彼の母が彼そっくりであることにマイラは内心とても驚かされていた。
「じゃあ私はそろそろ帰るわね。明後日は退院できるんだから、明日は少し片付けをしておきなさい。ケリーさんとルーイさんはゆっくりしていってくださいね。」
そう言って彼女は何やら荷物をまとめると、スヴェンに小さく手を振って病室を後にした。残されたスヴェンは少しきまり悪そうに咳払いをすると、ベッドサイドに置いてあった眼鏡を掛けていつもの無表情に戻る。
「二人とも、来てくれてありがとう。もうだいぶ体はいいですよ。」
「そのようね。元気そうで安心したわ。」
「本当に!そうだ、ねえスヴェン、嫌なことを思い出させて悪いんだけど、襲われた日のこと、教えて欲しいの。」
スヴェンは不快そうに眉間に皺を寄せると、腕を組んで下を向いた。
「あの日は朝から用があって町に出かけていたんです。用事を済ませて家に帰る途中で、ディーン先輩を見かけて、まずいかなとは思ったのですが少しだけと思い後を尾けたら、細い道で見失った挙句二人ほどの男性に襲われたんです。」
ミコルとマイラは無言で目を合わせた。ディーンの名を聞くのは久しぶりだ。彼がペンダントと関わりがある以上、メリーアンとも繋がっているに違いない。
考え込んでしまった二人の様子をチラッと確認してからスヴェンはため息をつく。
「冷静な判断ができなかったことは反省しています。何よりもあんな危険な相手に一人でどうこうしようとしたのがそもそもの間違いでした。マイラ。」
「え?あ、はい!」
珍しく真剣な声で名前を呼ばれてマイラもつい背筋が伸びる。
「僕とウィルも訓練に参加します。最低限の身を守れないとまずいし、調査担当だとはいえ何が起きるかわからない。次の休みの後から一緒にやりましょう。」
「・・・スヴェン、でも、これ以上あなたを巻き込んで何かあったら私お母様に顔向けできないよ。」
マイラのその言葉を、スヴェンは首を振って無言で否定した。
「母はむしろ応援してくれています。もちろん心の中では心配してくれているはずです。ですが友達のために頑張りたいという僕の気持ちを、母は受け入れてくれましたから。マイラ、遠慮は駄目ですよ。ケイトくらい図々しくていいんです。」
「まあ!ケイトがそれを聞いたら怒るわよ?」
ミコルが面白そうに笑いながら口を挟む。スヴェンはフッと微笑んで言った。
「構いませんよ。あの人はそう言う人ですから。さてマイラ、そういうことで今後ともよろしく。」
「うう、わかったよ。みんなありがとう。でも本当に危険な時はちゃんと逃げてね!」
目の前の二人はにこやかに笑っている。こんなに大変な状況なのに、マイラのせいで事件に巻き込まれた二人なのに、まだ近くにいてくれる。
(絶対にみんなを守れるようにならなきゃ。ディーンさんのことも気になるけど、下手に接触しようとするのは危険よね・・・)
マイラはグルグルと頭の中を駆け巡っていく様々な思いや情報に翻弄されながら、廊下で待つイリスの元へと向かった。
翌日、マイラはいつも通り学校を終えると、馬車が待っている場所へと歩き始めた。校門の前はあまり広さがなく、そこから少し歩いた広めの道でいつも迎えの馬車が待っている。
(そういえばこんなこと昔もあったような気がする・・・)
大雨が降ってさらに酷くなりそうという予報が出ていたその日、舞は折りたたみの小さな傘しか持っていなかった。母が車で迎えに行くからと連絡をくれて、学校から少し離れた場所にある有料の駐車場へと向かった。
夕方になると雨だけでなく風も強くなり、舞が帰る頃には強い風が断続的に吹き荒れ、持っていた折りたたみの傘はあっという間に強風で役に立たなくなってしまった。
「わっ!?あー!傘が壊れた!!もういいや、早く行こう!」
雨と風でびしょびしょになりながら車がある場所まで走り、制服を乾かすのが一苦労だったことを思い出す。
『傘が壊れた・・・』
その時マイラはようやく、あのペンダントの石を破壊したとき、あの頃使っていた言葉を口にしていたことに気付いた。
「私、無意識に昔使っていた言葉を口ずさんだんだ!」
ぼんやりとそんなことを考えながら歩いていたマイラは、馬車の待っている道ではなく、間違えて徒歩で登下校していた時の道へと入り込んでいた。
そしてそれは、本当に大きな間違いだった。
「やあ。マイラさん、久しぶり。そろそろ色々なことを思い出せた頃かな?」
後ろからかけられたその声が、マイラの背筋を凍らせる。
「おっと、俺今もう準備しているから君の魔法の発動がどれだけ速くても間に合わないと思うよ。君を狙っているわけじゃないしね。君のせいで誰かを傷付けたくないなら、何もしないからちょっと付き合ってよ。」
マイラはゆっくりと振り返った。
「ディーンさん、話があるならここでいいんじゃないですか?」
久々に見た彼の顔は、少しやつれているように見えた。
「うーん、でもほら、いつ君の護衛が来るかわからないからね。学校の近くだと兄に会うかもしれないし。」
ディーンは手に何か小さい石のようなものを持っている。危険な魔法陣が組み込まれていたら、辺りを歩く人達が巻き込まれてしまったら・・・
「・・・わかりました。学校の前にある小さなカフェなら構いません。そこなら個室もあるし、私自身の安全も確保したいので。」
ディーンは「いいよ」と軽い感じでそれを了承し、マイラは彼と少し距離を取りながら、ナタリアとよくお茶をしていたあのカフェへと向かった。