103. 個人対抗試合は荒れ模様
翌日、イリスの計らいでマイラはエリクスと顔を合わせることなく登校し、さらに帰宅時に迎えにきたイリスから、叔父ホークの家に身を寄せることが決まったからと伝えられ驚いた。
(でも、その方がいいかもしれない・・・)
マイラは帰りの馬車の中で、エリクスとのこれまでの思い出を辿っていた。
初めて会った日の青い傘の色、妹になった自分をめいいっぱい甘やかして微笑む彼の笑顔、喧嘩をしたり美しい魔法を見せてくれたり、たくさんたくさん助けてもらって、たくさんたくさん笑顔をもらった。
(あの仮面も変な帽子も、面白かったなあ)
そして湖の近く、ハルーガムの森の中で過ごした忘れられない夜のこと。
どの場面もマイラは怒ったり笑ったり、彼といるといつだって感情が忙しかった。でもどんな時でも彼と一緒なら楽しくて、ただ幸せで・・・
「だから好きだったのかな・・・」
その小さな小さなマイラの独り言に、目を瞑って前に座るイリスは気付いていないようだった。
― ― ― ― ―
「エリクス様、何か怒っていらっしゃいます?」
エリクスは目の前に座る美しい女性から発せられた言葉を聞き逃してしまい、ぼんやりとその顔を見つめた。
「何か仰いましたか?」
「まあ!心ここに在らずですわね。」
「・・・」
エリクスは食事の手を止めてグラスに入った水を飲んだ。メリーアンはそんなエリクスをじっと見つめると美しい笑みを浮かべる。
「そうそう!二十日後に行われる町のお祭りのことを相談しておこうと思っていたんです。」
彼女は軽く手を合わせてそう言うと、少し身を乗り出して話を続けた。
「三年ぶりのお祭りですし、今年は少しバルターク商会からも出店を出そうかという話になっているんですよ。いつもは協賛だけですけれど。」
「はあ、なるほど。」
「それで毎回出しているエリクス様にお力と知恵をお借りしたいと思っているのですが・・・」
エリクスはグラスをテーブルの上に置くと、目も合わさずにそれを拒絶する。
「それは無理ですね。」
「あら、なぜですか?」
「昨年の時点で次に出る店が決まってしまいましたから。飛び入りの店のいくつかが前回かなり問題を起こしたので、場所の確保や安全面を考えて、組合全体でそう決めてしまったんです。」
「そうなのですね。では次回ということかしら。・・・でも次回はもう私、ルーイ家の人間ですものね?」
メリーアンが嬉しそうに微笑む。エリクスは彼女を一瞥してから目を逸らし、立ち上がった。
「食事中に申し訳ありません。少しやり残した急ぎの仕事があることを思い出しました。すぐに戻りますのでお待ちいただけますか?」
彼女はワイングラスを手に微笑んでそれを了承する。エリクスは無表情で一旦そこを離れた。
「キーツ?どうした?」
頭を冷やそうと廊下に出たエリクスを待ち構えていたのはキーツだった。彼はエリクスのすぐ側まで近付くと、耳元であることを告げた。
「・・・彼女に脅されて?」
「はい、おそらく。それと全て聞き取れたわけではございませんが、話の内容から察するに屋敷内に内通者がいる可能性もございます。」
「調べてくれるか?」
「もちろんでございます。マイラ様の心のケアはエリクス様、どうかお願いいたします。それと本日マイラ様のお友達が数名こちらに宿泊されるそうでございます。」
キーツはそれだけ伝えて軽く頭を下げると、素早くその場を離れていった。エリクスは怒りで溢れ出してしまう大量の魔力を抑えるため急いで自室に戻り、心を落ち着かせてから食堂へと戻っていった。
そしてその夜、マイラの部屋を訪れたエリクスに告げられたのは、マイラからの拒絶の言葉だった。
(イリスとの未来を選ぶ?メリーアンにいったい何を言われたんだ!?)
キーツもはっきりとメリーアンが言った言葉を聞いたわけではないようで、実際にマイラが何を言われたのかはわからない。ただ言えるのは、あの女はマイラが妹ではないことを知っている可能性が高いと言うことだ。
(明日きちんとマイラと話そう!)
だがそんなエリクスの思いは、周到に準備していたイリスによってあっさりと阻まれることになってしまった。
― ― ― ― ―
ホークの家で過ごす日々は快適だった。
叔父は久しぶりの姪との暮らしを喜び、毎日のように早く帰ってきてはあれこれと世話を焼いてくれる。相変わらずどこで手に入れたかわからない美味しいお菓子を食べさせて、マイラを甘やかしてはふやけたような笑顔を見せていた。
イリスはと言うと、いつものようにマイラが過ごしやすいよう部屋を整え、学校の送り迎えまでしてくれるようになっていた。さらに毎日魔法の訓練に付き合ってくれて、毎晩必ず抱きしめてからおやすみと言ってくれるようにもなった。
(イリスとの時間は穏やかで幸せ・・・でもやっぱり私は・・・)
その先にある思いを言葉にしないように、マイラは目を閉じて前世のことを思い出そうとする。だが結局あの指を怪我してしまった日以降、何も新しいことは思い出せなかった。
そしてすっかり怪我も良くなり、病院通いもなくなってしなったマイラは、一旦『治癒の魔法』の習得を諦め、身を守るための魔法の精度を高めることに注力していった。
そんな穏やかな日々はあっという間に過ぎ、個人対抗試合の日が目前に迫っていた。
一年生の時に行われたクラス対抗試合とは異なり、二年生三年生は学年ごと、そして学科ごとの個人戦となる。十種の魔法競技の中から三種を選択し、合計得点で順位を競うというものだ。
マイラは今年こそ目立ちたくないと思い、高得点を狙うのではなく無難な成績を取れそうな種目を選んだ。
「マイラ、種目は何を選んだの?」
「ミコル!私は水魔法、氷魔法、移動魔法かな。ミコルは?」
本をたくさん腕に抱えたミコルは微笑む。
「私は研究科だからあまり戦闘向きではない種目よ。一つは魔法陣を使うものを選んだしね。」
「そうなんだ。」
魔法陣、と聞いてマイラは少し緊張する。全ての魔法陣がそうではないとわかっているが、自分に降りかかってきた魔法陣は全て危険なものだった。
「マイラったらそんな顔をして!大丈夫よ。とても安全で、子どもたちだって魔力と能力さえ十分にあれば安心して使えるものばかりだから。」
「うん。そうだよね!」
マイラは無理やり笑顔を作り頷いた。だが心のどこかで何か予感めいたものを感じてしまう。
(ううん、大丈夫!先生達も監視しているんだし、とにかく当日はしっかりミコルを応援しよう!)
そうしてマイラは不安を頭に片隅に追いやり、久しぶりにミコルと二人きりのランチを楽しむことにした。
その後も自宅やケイトの家での魔法練習は順調に進み、ついに試合当日がやってきた。
風の季節の名に恥じないような強い風が、朝からびゅうびゅうと音を立てて吹き荒れている。マイラは髪が邪魔しないようにしっかりとまとめ上げてもらうと、ノエミに礼を言って学校へと向かった。
試合が始まると、思っていた以上に静かな時間が校内に流れ始めた。個人戦ということもあり、みんなの緊張感も相当高まっているのだろう。
マイラとケイトは午前中に終わる競技ばかりを選択していたため、午後に魔法陣を使った試合を控えているミコルを応援しようと、昼食を食べ終えるとすぐに会場へと向かった。
カイルも同じく午前組だったようで、見学席に行くとこっちに来いよと手を振ってマイラ達を呼んでいるのが見えた。三人は初めて見る魔法陣を使っての競技に興味津々で、ワクワクしながらその時を待つ。
この競技は『魔法陣を使って地面に刺さっている棒を抜き取り目的の位置まで移動させ、棒の形状を指示された形に変形させる』という複雑な内容となっており、いかに正確に、短時間で三種類の魔法陣を描いて発動できるかを見るものらしい。
「ミコル!!頑張って!!」
ケイトが手を大きく振って叫ぶ。ミコルは恥ずかしそうに頷くと、指定の位置まで移動した。
この競技に参加するのは研究科の中でも限られた人数しかいないようで、一回で全員の競技が終わってしまう。十名ほどの生徒達が指定位置に並び終えると、女性教師が手を上に振り上げ、試合開始の大きな火花を打ち上げた。
パーン!という弾けるような音が鳴り響き、生徒達が一斉に魔法陣を地面に描き始める。全員が特殊なチョークのようなものが付いた棒を手に持ち、硬い地面に次々と魔法陣を描いていく。
「見て!ミコル、すごく速いよ!!」
マイラが興奮しながらカイルの腕に手を掛けると、彼は目を細めてマイラの手を握った。
「そうだな。」
自分で触れておいて驚いたマイラは、慌てて手を引き抜くと顔を真っ赤にして謝った。
「ご、ごめん!つい興奮して。」
「あはは!いいよ。ほら、もう次の陣を描いてる。」
「うわあ!本当だ!これは一位取れちゃうかも!!」
ケイトも頬を紅潮させながらミコルの快進撃を応援している。マイラはドキドキしながら最後の陣が描かれるのを待っていたが、ふと先ほど感じた嫌な予感が胸をよぎった。
(何だろうこの胸騒ぎ・・・)
これまでにも漠然とした自分の勘やふと湧き上がってきた予感が当たってしまったことは何度もあった。しかも今回は『嫌な予感』だ。
(念のため少し近くに寄っておこう!)
マイラはケイトとカイルにちょっと離れるねと言って席を立ち、ミコルが競技を行っている場所の近くへと足を運ぶ。観戦していた場所は少し高い位置にあるので全体が見渡せるのだが、実際には横に壁が続いていて近付くとむしろ中はよく見えない。
(もう終わる・・・大丈夫そうね!)
気配を感じる位置的にもう終盤に差し掛かっている。このまま何事もなければ急いでケイト達のところに戻ろう、そう思っていた時だった。
「な、何これ!?キャーッ!!」
「えっ、ミコル!?」
それは明らかにミコルの悲鳴だった。マイラは嫌な予感が的中してしまったことを理解し、ミコルがいるであろう場所の壁を風魔法で内側から破壊する。バキバキ、という音と共に飛んでくる破片を的確に避けると、マイラはミコルが倒れている場所へと素早く駆け寄った。
そしてすぐに異変に気付く。
ミコルが最後に地面に描いていた魔法陣のすぐ横に、それとは異なる力が発動していた。マイラはそれが隠された魔法陣であること、そして今まさに、ミコルの魔力を得て本格的にそれが発動しようとしていることを察知して青ざめた。
「ミコル、変な魔法陣が発動しそう!逃げて!!」
「え!?でも!!」
「他の人も連れて、急いで!!」
「わ、わかったわ!」
マイラはミコルが近くにいた生徒達を引っ張るようにそこから逃げるのを横目で確認すると、駆けつけてきたカイルに防御壁を作ってもらい、ケイトには辺りに人が近付かないよう土魔法で柵を作ってもらう。
(かなり複雑な魔法陣だし、きっとまだ発動までに数秒ある!)
その間にマイラは今まさに吹いている強い風に便乗するように風魔法を発動し、辺りに大量の砂埃を舞上げて周りからの視界を遮った。
(これならいける!)
そして周りが何も見えなくなった瞬間、地面に深く刻まれた危険な魔法陣を、土ごと粉々に破壊した。
「ケイト、カイル!終わったよ!」
「わかった!」
「了解!」
辺りを覆っていた砂埃が再び風に流されて消えていく。マイラは顔に張り付いた砂を手で軽く拭うと、試験会場となっていた場所の惨状を目にしてため息をついた。
(やり過ぎたかな?でもあれはたぶん、かなり危険な陣だった・・・)
先生達に怒られることを覚悟しつつ、マイラはケイトとカイルが待つ場所へとゆっくり歩いていった。