100. マイラの告白
病院を出て屋敷に戻ったマイラは、暗がりの中で屋敷の門の前に立つエリクスに気付いた。この時すでに日は暮れ、夕食の時間もとうに過ぎていた。彼もまたマイラに気付くと、怒りと不安をごちゃ混ぜにしたような表情で二人のところにゆっくりと歩み寄ってきた。
「マイラ、こんな時間までイリスと何をしていたんだ!?」
怒気を含んだ声が耳に痛い。だがマイラは冷静にそれに答えた。
「お兄様に話すことは何もありません。」
「なっ・・・」
これまでにないほど冷たいその言葉にエリクスは絶句する。そしてイリスがマイラを守るように前に出ると、うっすらと笑顔を浮かべて言った。
「エリクス様、色々あり今日マイラ様はかなりお疲れのようです。詳細は後ほど私の方からお伝えしますので。」
「・・・」
それ以上話すことは無いと言わんばかりのイリスの態度に、エリクスも仕方がないと頷いた。マイラはその隙にエリクスを無視して部屋へと戻っていく。その後ろ姿をエリクスはただ悲しげに見守っていた。
「では、失礼致します。」
慇懃無礼な態度を崩さないままイリスもそこを立ち去る。残されたエリクスは唇を噛み、しばらくの間じっと地面を見つめていた。
翌日からマイラはいつも通りの生活に戻っていった。だがその心に秘めた決意だけは大きく変わっていた。
マイラが決めていたことは三つ。
一つは兄の絵を待たず、病院に通いながら『治癒』のイメージを固め、治癒魔法を独学で習得すること。二つ目は灰色の悪魔に対抗する力を身につけること。
そして三つ目は・・・イリスとのこと。まだ決断したわけではなかったが、彼との未来を真剣に考えようと思い始めていた。
治癒魔法の方は一人で頑張ってみるしかない。ありがたいことにしばらくは指の治療のため病院に通うことになっているため、そこで何かヒントを得られるかもしれない。
二つ目に関しては、一人で『灰色の悪魔』に対抗する魔法を習得するのは難しいだろう。そこでマイラはイリスやユギに相談し、より実戦的な練習をしたい、教えてほしいとお願いすることにした。
ユギはマイラの特殊な事情を鑑みて、放課後の十五分ほどならとそのお願いを聞き入れてくれた。
イリスは最初のうちは「俺が守ればいいから」と教えることを渋っていたが、あなたのことも守りたいからと言うと、頬を赤くして渋々承諾してくれた。
こうしてマイラは個人対抗試合を控えたこの時期に二人の優秀な先生を手に入れ、試合を超えた目的のための訓練を始めることとなった。
訓練そのものはそこまで厳しいものではなかった。しかし目の前にいるのは二人とも魔法を扱う天才達。そう簡単にマイラがイメージして使えるような魔法は使わない。
「より実戦的にとなると、大きな力を発動し続けるのは正解ではないな。小さい力で相手の攻撃力をどう奪うかだ。殺せるほどの力を使うのは簡単だが、相手も人間。身動きが取れないようにすること、魔法を発動できない状態に持ち込むこと、そして消滅の光は発動に時間がかかるからその時間を確保することが絶対条件だ。」
ユギの言葉にマイラは深く頷いてから、その難しさに頭を抱えた。
(今までは身を守ることばかり考えてきたけど、確かにそれだけじゃ一人で、しかも周囲の安全も確保した上で相手を制圧することはできないよね・・・)
そこでマイラはユギに数々の魔法を毎日の十五分間で実演してもらい、それをイリスの指導の元で自宅練習するという形をとった。
初めは威力を出し過ぎてしまったり逆に弱過ぎてイリスに弾かれたりもしたが、次第に様々な魔法を自在に扱えるようになっていった。
特に水と氷を使って足元を崩す方法は土を動かすよりも加減がし易いようで、マイラはそれを動きの中心に入れながら次々と魔法を習得していった。
土魔法は防御に使用し、水と氷で動きを封じ、どうにもならない相手にのみ風魔法と植物魔法を使って制圧する。雷は相手の心臓の動きを止めてしまう可能性があるため基本的には使わない。二週間も経つ頃にはそうした大まかな流れまで決まり、それらをミコルやケイトにも共有することにした。
「マイラったらいつの間にそんなことをしていたの?しかも急になぜ?」
ミコルの顔が強張っている。ケイトもうんうんと頷きながらも怖い顔だ。今日は久々に二人に話があるのと声をかけ、学校帰りに自室に来てもらっている。
マイラは苦笑しながらその責めるような言葉を穏やかに受けとめてから言った。
「ごめんね。でも最近怖いことばかり起こるし、例のペンダントの件、まだ終わっていないみたいなの。」
「もう!そんな大事な話をずっと隠してたの!?さあ、きちんと何があったか話して!」
ケイトが食い入るようにマイラを見つめている。ミコルも話を聞くまでは逃さないとでも言うようにドアの前に仁王立ちで立って腕を組んでいる。
マイラはゆっくりとここ数週間の間にあった出来事を話し始めた。試験中に起きたこともユギが隠蔽してしまっていたため二人には知らせていなかったので、そこからミリーの家で起きたことまで全てを説明していった。
「何てこと・・・」
「じゃあそのペンダントってマイラが触ったのとは違うのかな?」
ショックを受けている二人を前に、マイラは頷いた。
「うん。イリスが言うには、前に私が触れたペンダントは隠されている力とか記憶を呼び起こすものだったみたいだけど、今回はもっとタチが悪いものだと思うって。何かこう・・・嫌な気持ちを増幅させちゃう、みたいな・・・」
マイラの言葉に二人が黙りこむ。どれほど恐ろしいものなのかを理解したのだろう。
三人はきちんとソファーに座りなおし、改めて今後のことについて話し合った。
ミコルはペンダントのことをこれ以上探らない代わりに、もし商会にそれらしき商品の持ち込みがあったり商会同士の噂で気になることがあれば知らせること、ケイトはマイラと共に魔法練習を行い、学校で何か起きた時には助け合うことを約束した。
マイラは不安な気持ちを大切な友人達と共有できたことでかなり気持ちが楽になり、二人が帰る頃には自然な笑顔も浮かぶようになっていた。
「マイラ、一人で全部抱えこまないで。本当はもっと色々あったのでしょう?話せる時が来たら、いつでも私達を頼ってね。」
帰り際のミコルのその言葉はとても温かく心強いものだった。ケイトも微笑んでそうよそうよとマイラの肩に手を置く。マイラはその言葉に大きく頷くと、二人をぎゅっと抱きしめて別れを告げた。そうして最高の友人達は、イリスが用意した馬車に乗って明るいうちに自宅へと帰っていった。
その日の晩、マイラはどうしても寝つけず、本を読んだり手の中に小さな魔法を作り出したりしながら長い夜を過ごしていた。
(明日は休みだし、久しぶりにアトリエに行ってみようかな・・・ううん、ダメダメ!せっかく決意したのに!でも・・・)
マイラはしばらくの間アトリエに行こうか行くまいか悩んでいたが、結局絵の仕上がりの方がどうしても気になって、ちょっとだけドアの隙間から覗いて寝ようと決めて部屋を出た。
廊下に顔を出して辺りを見回す。イリスに見つかるとまた何を言われるかわからない。気配が無いのをしっかり確認すると、マイラは忍び足で上の階に上がっていった。
アトリエのドアはしっかり手入れされているので開ける時もほとんど音はしない。それでも夜中ということもあり、細心の注意を払ってゆっくりとドアを開けた。
中にはいつでも小さな灯りが置いてあり、ドアが開くと自動で点灯する仕組みになっている。
その僅かな明るさを頼りにドアの隙間から絵を見ようと思ったのだが、なぜかいつもの場所に絵が無い。
(あれ?移動しちゃったのかな?)
マイラは不思議に思いながらも、もう少しだけと自分に言い聞かせてドアをさらに大きく開く。
だがその瞬間、ドアにかけていた手を中から誰かに掴まれた。
「ひっ!?」
小さな悲鳴をあげると同時に目の前の人物に気付いたマイラは、急いで声を飲み込んだ。それは当然と言えば当然なのだが、マイラの手を掴んだのはエリクスだった。
無表情で黙って手を握る兄に引っ張られ、アトリエの中に入っていく。ドアが閉まる数秒の間二人は黙って見つめ合い、マイラはドキドキする心臓の音を感じて目を伏せた。
「マイラ」
久しぶりに聞くエリクスの声は低く優しく、そして甘い。マイラは恐る恐る目を開けて少しだけ上を見上げた。
「あの、ノックもせずにごめんなさ」
だがその謝罪の言葉はエリクスの突然の抱擁によってかき消された。マイラは慌てて声をあげる。
「駄目です!お兄様はもう将来を約束した方がいらっしゃるんですから!!」
「・・・まだ婚約はしていない。」
「でもこの間私に紹介してくださったじゃないですか!」
マイラの反論は彼の腕の中でくぐもった音になり消えていく。エリクスの手がマイラの髪を撫でる。それが心地よくて、彼から離れなければという決意が揺らぐ。
「苦しいんだ、マイラ。」
「エリクスさん・・・」
「どうしようもなく苦しいんだ!!」
それは悲鳴に近い告白だった。彼の心の内に秘めた苦しみの一端を垣間見た気がしてマイラはさらに動揺していく。
(どうしたらいいの?私はもうこの人のことを忘れなきゃいけないのに、どうして彼はこんなに苦しんでいるの?どうして私はエリクスさんをこんなに助けたいと思ってしまうの?)
「エリクスさん、私・・・もうどうしたらいいかわからないの・・・」
「・・・ごめん。」
「一日も早くあなたの元を離れたいんです。」
「嫌だ。」
「だってエリクスさんはもうあの人との婚約が決まっているようなものでしょう?そうなれば私は用済みだし、絵のことももう諦めますから、だから」
「駄目だ!!」
「・・・」
子どものように駄々をこねるエリクスの背中に手を回す。すると彼の動きが止まった。
「私、前世で大好きだった彼に捨てられているんです。」
「・・・」
「ずっとずっと大切に思っていたのに裏切られたんです。辛かった。苦しかった。生きる気力を失くすほどに。」
「マイラ・・・」
エリクスは強くマイラを抱きしめる。
「でも今は違う。私は生きます。あの人生でできなかったことを今度こそやり遂げたい。それに自分や周りにいる大切な人達をこの手で守りたいんです。だからもう・・・」
マイラはそっと彼の服を両手で掴み、後ろに引っ張るようにしてエリクスから離れた。そしてじっとその悲しげな青い瞳を見つめて言った。
「エリクスさん、私、あなたのことが好きです。」
言わないつもりだったその言葉が、溢れ出る想いと共に流れだす。エリクスの目が大きく開かれた。
「マイラ!!」
「だから、もう二度とここには来ません。」
「・・・どうして?」
一度輝きを見せたエリクスの顔は一瞬にして青ざめる。マイラはさらに一歩後ろにさがった。
「エリクスさんも同じ気持ちでいてくれたこと、一生忘れません。でも私はあなたの幸せも将来も壊すようなことはしたくない。私ももう、絶望して未来を失いたくない。」
「・・・」
マイラの決意とその覚悟の苦しさや重みをエリクスも感じているのだろうか。俯いた彼の顔はさらに翳りを帯びていく。
しかし、すぐに彼は勢いよく顔を上げた。
「わかった。だが一つ頼みがある。」
その声はハリを取り戻し、再び手がマイラに伸びる。そして彼はマイラの両手をしっかりと掴んだ。
「な、何ですか?」
動揺するマイラをじっと見つめたエリクスは、真剣な顔でこう言った。
「君に『消滅の光』を教えさせてくれないか?」
それは、思いもかけない魔法練習の提案だった。マイラはエリクスの意図がわからず、ただただ呆然と彼のキラキラ輝く青い目を見つめることしかできなかった。