3.
不適切と思われるような表現等あります。
苦手な方は全力で回避して下さい。
読まれる方は自己責任でお願いします。
ロウソクの炎と共に揺れているのは影だけでは無かった。女の体の輪郭がユラユラ揺れ、その境目が曖昧になっているように見える。
背中に冷たい汗が落ちたような感じがして、言い知れぬ恐怖が足下から這い上がってくる。
「い、い、一体何なんだよ!」
「あら、久しぶりに会った女房に随分冷たい事を言うのね。」
今…なんて…言った?
女房だって…?
頭のおかしな女に引っ掛かっちまった。
いや、女どころか人間じゃねぇ!
「ば、化け物!」
悲しげな顔をした後、一瞬で憤怒の表情に変わる。
「その元凶のあんたがそれを言うな!」
「何訳の分かんねぇ事言ってやがる!お前と会った事も夫婦だった事もねぇよ!頭がおかしいんじゃねぇか?」
おとみ…いや、おとみと名乗った化け物の目から一筋の涙が零れ落ちた。
「ここであんたを始末しなきゃならないんだから、いっそ何も覚えてない方がいいのかもね。」
目に涙を溜めたまま、夜兵衛を睨み付けて言う。
そして女の輪郭が激しく揺らめいたかと思うと別の姿に変わった。
その様を息を詰めて見ていた夜兵衛だったが、どこか懐かしいような見知っているように感じる姿に、そんな筈は無いと頭を振った。
「あら、さすがにこの姿は見覚えがあるのかしら?」
夜兵衛の様子に気付いたおとみが皮肉っぽく言う。
「違う……見覚えなんか無い。お前なんざ知らねぇ!」
青い顔をした夜兵衛が後退りながら、頭を振って言うと、おとみはクスクスと笑う。
「嘘ね。さっきまでは本当に分からなかったみたいだけど……。今は少しは分かっているみたいね。やっと思い出してくれたのかしら?」
知らない、分からないと囈言のように繰り返す夜兵衛に、クスクス笑いながらおとみが近付いて行く。
弧を描いている唇の赤い色が、やけに赤く感じて眩暈がしそうだった。
後退っていた夜兵衛の背中が壁に当たる。
狭い部屋の中なのでこれ以上後ろに下がれない。
尚もおとみが近付いて来る。
恐ろしい筈なのに、悲しげに見える女の顔から目が逸らせない。
だが、そこでハッと気付いた。
自分に近付く度に、おとみの周りに黒い靄のような物が濃く多くなっていく。
「…夜兵衛……。いえ、蔵人…あの日あなたは突然居なくなった。あの子の亡骸を私の目の前に置いて…。逃げたのよ。」
「…あの子?…に…げた…?」
目の前まで来たおとみは、苦痛を堪えているように見えた。
「いいえ…違うわね…。捨てたと言った方が正しいのかしら?」
「…捨てた…?」
とうとう女の顔が鼻先に。
下から斜めに見上げるように睨めつけてくる。
「っ!?」
怒りと恨めしそうなのに悲しげにも見える女の顔から堪らず顔を背けた。
「赦せない。私の事は兎も角、死んでしまったあの子の事まで忘れてしまうなんて…やっぱり赦せないわ。」
「だから、知らねぇって言ってんだろ!」
そう言って女の体を押し退けた。
…筈だった。
いつの間に傍まで来たのか、耳元でゾッとするほど冷たい声で女が呟く。
「ねぇ、教えて。どうしてあの子が死んだのか。何であの子が死ななくちゃならなかったの?ねぇ、どうして?何でなのよ!」
始めは小さな声だったのが悲痛な叫び声に変わる。
自分の胸を叩き、泣きながら「どうして」と繰り返す。
その声を聞いて胸が張り裂けそうになり、息苦しくなるも夜兵衛は思い出せなかった。
ただ、朧気ながら小さな子供の顔が見えたような気がしたが、顔をはっきり思い出そうとすると、掻き消えてしまった。
泣き叫びたいほど胸が痛いのに涙が出ない。
泣けなくて更に苦しくなる。
何故こんなにも悲しくて苦しいのか。
その理由さえわからない事でもっと苦しくなる。
そして、万力で締め付けられたみたいに頭が痛んだ。
夜兵衛は堪らずその場に蹲ってしまった。
女は蹲った夜兵衛の背中を泣きながら尚も叩く。
「辰砂、止めよ。その者は永い時を変化したまま何度も転生した。もう其方の夫であった時とは別の者になってしまったのやも知れぬ。」
「え…?そん…な…。」
辰砂と呼ばれた女、“おとみ”は茫然としたまま、泣き濡れた顔を異形の男の方に向けた。
異形の男は、そんな辰砂の手を取り立たせると、彼女の両目に片手を翳すようにして目を瞑らせた。
途端に糸の切れた操り人形のように辰砂の体が頽れるのを抱き上げる。
「あ、あんた一体…。」
「主に名乗る名など持たぬ。」
「あの女と同じ化け物なのに助けてくれたんだな…。礼を言うぜ、ありがとよ。」
だが、異形の男を見上げた夜兵衛は恐怖に凍りついたように固まった。
異形の男は、まるで虫けらを見るような目で夜兵衛を見ていただけでなく、全身に殺気を漲らせていた。
「ひッ…!!」
(こ、殺される!!)
夜兵衛はガタガタと震えだした。
と、まるで陽炎のように揺らめいたその場に人影が現れたのだった。
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