02
オリヴィアがはじめて毒を口にしたのは、十歳の時だった。
意地悪な姉姫、コーディリアから毒を飲むようにと強要されたのだ。
フィローンの黄金の花と呼ばれ、皆に愛されているコーディリアは豪奢な金髪に緑の目の美少女だ。
世間からは虫も殺さぬ優しい姫君だと思われているが、実際は最悪の性格の持ち主である。
(ああいうのって、前世の世界だったら、性格破綻者とかサイコパスっていわれるんじゃないかしら)
『ねえ、オリヴィア。毒を飲んでくれないかしら?』
無邪気に笑いながらそう言われた時は、本気で背筋が寒くなった。
『この毒、処刑に使われてるものなの』
高貴なる者の処刑には、見苦しい様を晒さずに済むよう一瞬で命を刈り取る毒が用いられる。
当然ながら、その即死毒の味を知る人はいない。
『罪人とはいえ、最後に不味い物を口にするなんて可哀想ですものね。オリヴィアは毒を飲んでも死なないのでしょう? 毒の味を知るのに、うってつけだわ』
コーディリアは無邪気に笑った。
逆らえないオリヴィアが口にした毒の味を教えると、じゃあこれは? と次々に各国の毒を手に入れてきた。
お陰でオリヴィアは、すっかり毒の味や刺激に詳しくなった。
(さっきの毒も、即死系のやつよね)
少量でも口にすれば十秒程で呼吸ができなくなって、あっという間に窒息死する毒だ。
リラクシオンに到着したその日に命を狙われるとは、ずいぶん嫌われたものだが、今のオリヴィアにはなぜ自分が命を狙われるのか、その理由すら想像できない。
(情報不足、ここに極まれりってね)
ビアソンに言って、毒を盛ったフィリダをこっそり排除してもらったところで、すぐに次が送り込まれてくるだろう。
幸いフィリダは自分の行いに罪悪感を持っている。毒をもったとばれても、悪びれず堂々としていられる強心臓の持ち主でもある。しかも、たぶんオリヴィアに対して同情心のようなものを抱いているようで、うっすら好意的ですらある。
(弱みを握られてるか人質を取られるかして、脅されてるんだろうなぁ)
排除するより、このまま泳がせて背後の者の動向を探っていたほうが得策だろう。
そもそも、誰がなにをしようとも、オリヴィアの身に傷がつくことは決してない。
――王家の呪いを一身に背負う忌み子は死なない。
呪いで黒く染まったその身を長く人々の目に晒し続けられるよう、呪いが忌み子を死なせないのだとフィローンでは言われている。
(こういうとき、私は忌み子でよかったって思っちゃうのよね)
前世の記憶があるせいで、フィローンの因習や先入観に囚われることなく物事が見られるのは幸いだった。
だが七歳で自分の人生に絶望して消滅した小さなオリヴィアにとって、この忌み子の呪いは絶望でしかなかった。
(可哀想な小さなオリヴィア)
まだ幼くて外の世界を知らなかったから、ひとりきりの箱庭で生き続けることに怯えて、新しい未来を夢見ることができなかった。
だが今のオリヴィアはそうじゃない。
(忌み子の呪いをフル活用して、いつかフィローンから本当に解放されて自由になってみせる)
そして今度こそ、幸せな人生をおくるのだ。
前世で最後に抱いた願いが、今もまだオリヴィアの背中を強く押している。
翌日、朝食後にまたフィリダがあのお茶を淹れた。
また毒入りのハチミツを入れるのだろうと思って見ていたら、フィリダは自分の身体に隠すようにして、すくったハチミツをカップに淹れるふりをしながら、実際は自分の手の平に落とした。
オリヴィアは慌てた。
あの毒が経口摂取であればいい。だが、万が一皮膚からも吸収されたら……。
「フィリダ! 急いでこのハンカチを洗ってきて! 今すぐよっ‼」
「えっ、あの……」
「早くっ‼」
持っていたハンカチをフィリダに投げつけ、不本意だが怒鳴りつける。一刻の猶予もなかった。
慌てて部屋を出て行くフィリダを見送ったオリヴィアは、ティースプーンでハチミツをかき混ぜるふりをした後で、甘くないお茶を飲んだ。
(フィリダのあの仕草。つまり、どこからか見張られてるってことよね)
オリヴィアはずっと幽閉されていたからわからないが、この世界にも忍者のような影の存在がいるのだろうか。
もしくは、監視カメラや隠しマイクのような魔道具とか。
(そういうものがあると思って生活しなきゃ)
四六時中誰かに見られているかもしれないだなんて、ひとりきりで生きてきたオリヴィアにとっては物凄いストレスだ。
だが、今は我慢するしかない。
「姫様、ハンカチを洗ってきました」
綺麗に洗い、魔道具で乾燥まですませたハンカチをフィリダが持ってきてくれた。
フィリダの体調は変化していないように見える。よかったと、オリヴィアは安堵した。
「そう? 綺麗になったか確かめたいから、こちらに持ってきて」
「はい」
フィリダが歩み寄ってきて、ハンカチを手渡す。
オリヴィアはハンカチを広げてしげしげと眺めるふりをしながら、フィリダに小声で囁きかけた。
「肌から吸収される毒だってあるのよ。もうああいうことはしちゃ駄目」
「……はい」
「私なら大丈夫だから。あの程度の毒、毎日飲んでも影響はないわ。だから遠慮せず淹れてちょうだい」
「毒が蓄積するとまずいのでは?」
「平気よ。あなたは自分の身を守ることを優先して。あなたを解放してあげられなくてごめんなさいね」
「いえ……いえ。姫様、本当に、本当に申し訳ありません」
「泣いちゃ駄目よ。見張られているんでしょう?」
オリヴィアはハンカチを畳んでテーブルの上に置いた。
「綺麗になってるみたいね。ありがとう。――ねえ、もう一杯ハチミツ入りのお茶をいただけないかしら?」
「姫様、太りますよ」
「今日だけよ。お願い。ハチミツは大好きなの。特にこのハチミツはちょっとぴりっとしてて美味しいわ。癖になりそう」
「……一杯だけですよ」
フィリダが心配そうに頷く。
どうせ毒は効かないのだ。
この機会に、ハチミツ入りのお茶が飲みたいだけのオリヴィアは、「ハチミツはたっぷり淹れてね」とおっとり微笑んだ。
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