06
「サンガルズの使者に持たせたテレントの書状が、何者かに途中で書き換えられた可能性が高い。というか、それしかない!」
フェルディナンドが自分への疑いを晴らすべく断言した。
「はいはい。それで、どうなさるおつもりです? ――オリヴィア姫を東の地にお招きすることには成功しましたが、このままテレントに引き渡すわけにはいかないでしょう」
テレントがなぜオリヴィアを招こうとしたのか。
その理由がはっきりしない限り、たとえテレントが友好国だとしても、故国から騙されて連れ出されたオリヴィアを引き渡すわけにはいかないと、宰相補佐のビアソンが言う。
「これでオリヴィア姫に万が一のことがあっては、我が国の威信にかかわります」
「確かにそうだね。フィローンからオリヴィア姫を連れだしたのは我が国だということになっている。これで姫になにかあったら我が国が主犯だ。――陛下、テレントからの依頼の件、実行する前にひと言相談して欲しかったですな。ご友人からの頼み事だからといって、少し気が緩みすぎでは?」
穏やかに微笑むハンゲイト侯爵の笑顔がじわじわと黒くて怖い。
高齢の宰相は、こうやって年若い国王を導いているのだろう。
「……自省する。――オリヴィア姫」
「はい」
「まずは謝罪を。このような形で連れだしてしまって申し訳ない」
「いいえ。どうかお気になさらないでください。私はむしろフィローンから連れだしていただけて喜んでいるのです」
「幽閉されていたのです。当然ですね」
ビアソンが頷く。
「だが、フィローンには今回の件で書状をおくらねばならない」
フィローンでは二の姫をリラクシオンに嫁に出したと思っている。
まずはその誤解を解かねばならない。
その後でオリヴィアの処遇を決めてもらわねばと、フェルディナンドが言う。
「今すぐ使者を出したとしても、戻ってくるのは来年の春になるだろう。それまでは我が国でゆっくり過ごしていただきたい。フィローンへの帰還の際も充分な護衛をつけるので安心してほしい」
「帰還ですか……」
(帰りたくないなぁ)
というか、帰れるとは思えない。
「フィローンの王族は、私が戻ることを望まないでしょう」
忌み子など戻さなくともいい。そっちで焼くなり煮るなり好きにしろと言われそうだ。
「万が一、戻せと言われたら、できれば帰還中に盗賊に襲われて行方不明になったとでも伝えて欲しいのですが……」
「帰っても、また幽閉されるからですか?」
「その通りです。……閉じ込められたまま、誰とも会わない日々を過ごして、ひとり老いていくだけの人生なんて耐えられない。それぐらいだったら……」
「死んだ方がマシですかな?」
ハンゲイト侯爵に聞かれて、オリヴィアは「いいえ」と微笑んで首を横に振る。
「箱庭から脱出しますと言うつもりでした。脱出して、平民として生きていくと……」
元々、そのつもりだった。
オリヴィアに死という選択肢はない。
箱庭には、何代か前の忌み子が植えた珍しいフルーツの木が何種類かあって、季節ごとに食べられる実を大量に収穫できた。
オリヴィアはそれを長期保存できるように加工して、月に二度、食料を運び込んでくる兵士に手数料を払い、外で売ってもらっていたのだ。
独立資金とするつもりで貯めていたそのお金は、急なことで今回持ち出せなかったから、いまだに箱庭の中に隠したままだ。
フィローンは身分差が厳しく、平民には生き辛い国だ。
できることなら、このままこのリラクシオンで生きていく許可が欲しかった。
「……わかった。そこまで考えているのならば、フィローンの返答次第ではなんらかの方法を考えよう」
「まあ、ありがとうございます。フェルディナンド様のお優しさに、心から感謝いたします」
「あ、ああ」
オリヴィアが感に堪えないといった風情で両手を組んで微笑みかけると、フェルディナンドは瞬きを繰り返しながら、ふいっと横を向いた。
「申し訳ないが、テレントにも書状を送らせてもらう。もちろん、あなたをテレントに渡すようなことはしない。用があるのならば、こちらに足を運んでもらう。あなたとの面会は、私共の立ち会いのもとでなければ許可しないから安心してくれ」
「はい。フェルディナンド様に全ておまかせします」
テレントから使者が来るまで二週間といったところらしい。
それまで旅の疲れを癒してゆっくり過ごすようにと言われたが、オリヴィアは頷かなかった。
「こう見えて体力があるので私なら大丈夫です。お世話になるだけでは心苦しいので、なにかお手伝いすることがありませんか?」
「手伝い?」
「掃除や洗濯なら私にもできます。手の足りないところはありませんか?」
「オリヴィア姫は働き者ですな」
ほっほっほとハンゲイト侯爵が笑う。
「ですが、オリヴィア姫の輿入れはすでに城下の者達の知るところとなっておりましてな。下働きなどさせたら、あまりにも外聞が悪い」
「行き違いがあって、この輿入れは間違いだったのだと公表しては?」
「この場合、テレントとフィローンの出方がはっきりするまで、こちらからは動かないのが得策でしょうな」
「そうですか」
「とはいえ、輿入れしてきたという情報の真偽を早々に有耶無耶にすべきです。輿入れは誤解らしい、オリヴィア姫は王族として見聞を広めるべく国賓として招かれたようだという噂を新たに流すことにします」
「そうしてくれ」
ビアソンの提案に、フェルディナンドが頷いた。
「オリヴィア姫、失礼なことをお聞きするが、マナーなどの教育は受けましたかな?」
ハンゲイト侯爵に聞かれて、オリヴィアは恥ずかしさに俯いた。
「いえ、箱庭でしか生きられない者に教育は必要ないと……」
前世の記憶があるからなんとかなっているが、この世界のマナーを知らないのは事実。
こうして一国の中枢を担う人々に囲まれていると、さすがに自分の無知が恥ずかしくなってくる。
「ならば、ちょうどいい機会だ。少し学ばれてみては? ――ビアソン、そなたの妹に頼んでおくれ」
「わかりました。聞いたところ、フィローンより持たされてきた荷物も少ないようですね。もしも足りないものがあったら遠慮せず妹に伝えてください」
フィローンでは一度も受けたことのない気遣いと優しい言葉。
この世界で目覚めて十年、忌み子だと常に毛嫌いされ、忌まれ、恐れられてばかり。
気にしたら負けだと黒いベールに隠れて平気なふりをし続けてきたけれど、本当は味方がひとりもいない環境が辛くてしかたなかった。
(ここでの私は忌み子じゃない。人間なんだわ)
嬉しくて、思わず目頭が熱くなる。
「皆さまのご親切に心から感謝します」
オリヴィアは両手を組んだまま、大きな目を潤ませて、その場に居る人々の顔を順番に見て目礼した。
皆は微笑んで頷いてくれたのに、なぜかフェルディナンドだけは激しく瞬きしながら、ふいっと横を向いてしまう。
少し寂しいなと目を伏せてしまったオリヴィアは、フェルディナンドの耳がうっすら赤くなっていることに残念ながら気づき損ねてしまった。
読んでいただき本当にありがとうございます。
これで一章終了です。
二章は、リラクシオンでの楽しい日々とオリヴィアに迫る影。
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