前編という名のお膳立て
人は天を仰ぎ、空を見つめる。
いと高き青空といと厚き雲の向こう側に、確かな存在がいることを夢見て。
人は求め続けている。
さまざまな発展を遂げた末に世界の支配者となり、かの勢いが、かつて渇望していた上空に及ぶことになった今でさえも。
探しても探しても届かぬ存在を、それでも信じぬいている存在を――求め続けている。
それは、神かもしれない。
神と解して正しいものかもしれない。
もしも、私たち人が、今の今まで繁栄してきている理由、その原因となる存在――真に世界を統べる者こそが私たちの望むものならば、それは神と呼ぶにふさわしい存在なのかもしれない。
人は天を仰ぎ、空を見つめる。
神を求めるが故に。
しかし、いつのまにかごく自然と、人は思い始めていた。
ひょっとして、求めているだけでは駄目なのではないかと。
ただ単に、神は願っているだけでは姿を現してはくれないのではないかと。
求めるだけでは報われないのではないかと。
人の文明が発達し、人の生活が安定し、人の欲望が上昇するにつれて、その不安は高まっていった。
文明の発達は人に知識を与え、生活の安定は人に余暇を与え、欲望の上昇は人に期待を与える。だからこそ人は神について学び、考え、望んだ。そして、人は願い求めるだけの現状に対して、深い疑念を持ち始めていた。
いつの間にか、人は策を練ろうとしていた。
神に出会うためには、いったいどうすればよいのかについて、確かな戦略を編み出そうとしたのだ。
そして、最終的に人は結論をだすこととなった――――闘うことだ。
闘いを行うことだ。
神に自分達のことを知らせるために。
ここにいる、だから会いに来てくれと、必死に必死に、乞い願うために。
神に感嘆させるかのような闘いによって、気高く崇高な闘いによって、私たちの元に姿を現してくれることを人は目指したのだ。
人は、闘いの中にときおり生まれる感動的なものならば、神の心でさえも奮わせることができるのではないか、と考えたのだ。
以後、人は闘うことになる。まだ見ぬ神に出会うことを信じて。
「――というのが、偉い偉い人間様が闘いをすることになったがゲーインってわけだ。どーだ、わかったか、チビ助」
「ほー、ほー、ほー、まあまあ何となくですけど、やっとわかりはじめてきましたよ。ありがとう委員会のオジサン」
どこか一風変わったレストラン。窓から外を眺めると、下のほうに雲が見えるレストラン。その中の窓側のほう、メガネをかけた小さな少年とボサボサ頭の中年男性が食事を取りながら会話をしている。
小柄なメガネ少年は、右手をあごに乗せながらへーっと納得したような口調で、ボサボサ頭の男の発する言葉に頷き、お礼を返す。
「そいつはよかった。普通こんなんは、常人がサッカーやハンバーグについて当たり前に知ってるみたいに、気がついたら理解してるもんなんだが、『自然と内在された知識を噛み砕いて他人に伝達する』ってのは、それなりの技術と才能が必要なはずだ。その点、どうやら俺にはナイスな解説パワーがあるみてぇだな。ちゃんと伝わってよかったぜ」
ボサボサ頭の男はガハハと笑いながら、目の前のデミグラスソースがたっぷりかかったハンバーグを切らずにそのまま頬張る。故に、ハンバーグのソースがテーブルに滴り落ちる。
「いや、説明はわかりにくかったですけどね。僕、頭いいんですから、わかっちゃいました」
しかし、ボサボサ頭の言葉をバッサリと否定し、なおもいい笑顔のメガネ少年。彼の言葉は丁寧だが、態度は媚びへつらうことなく裏表がなさすぎた。
一方、ボサボサ頭はメガネ少年の慇懃無礼っぷりにひどく嫌そうな顔をすると思いきや、落ちたソースをハンカチで拭きながら、少年に劣らずいい笑顔で笑いかける。
「ハハハ、いいねぇ、いいねぇ。だよな、自分でも分かってるんだよなそんなことは。ありがとう! 素直に言ってくれて。そのお礼に質問にどんどん答えてやろう」
「いえ、下手ならいいです」
「そういうな、そういうな。どーせ、闘いの歴史について知らないなら、他にも知らねーことたくさんあるんだろ」
「うっ、は、はい」
「ははっ、だろうな。頭がよくてもそれを働かせる知識がなけりゃあな」
先ほどから、おおよそ何かの委員会に所属している者とは思えない口調で話しているボサボサ頭。
しかし、服装は髪型に似合わずシワが一つもないちゃんとしたスーツを着ており、胸元には『ジャン・ショウ』と書かれたネームプレートが貼り付けられている。その点から鑑みると、彼が何かしらの役員に任じられているのは確かだと言えなくもない。
「い、いやぁ、無知ですいません。ここに来る前にいくらか偉い人に会いましたが、なかなか聞き出しずらくてですね」
少年は少し頬を赤らめながら、恥ずかしそうに頭をかく。
その純粋そうで純朴そうな様子にボサボサ頭――ネームプレートによるとジャン・ショウ――も珍しく微笑む。
「まあ、別に気にすることはねーよ、よくあるこった。……よし、何でも聞いてくれ。今日の俺は、この見下ろす限りの青空のように広々としてるからな」
ジャン・ショウは窓側のほうの手を掲げ、またもガハハと笑う。気分が高揚しているため、珍しい微笑みは既に姿を消している。
「……そうですか? それなら……できれば、このすごい高い闘技場についてもお願したいんですけど」
「ん? この場所のことか? ああ……そりゃあそうか、闘いのことも知らなきゃこの超空闘技場のことも知らねーよな、あったりまえだ」
一瞬不思議そうな顔を浮かべたジャン・ショウだったが、レンズの奥に見える素直すぎる瞳は、彼が自分の置かれた状況について本当に理解していないことを語っていた。
そのため、自身ができる分はしっかりとした説明をしてやろうとジャン・ショウは心に決め、話し始める。
「この場所は超空闘技場。標高一万メートル。エベレストより二千メートルくらい高いとこの空中にふわふわ浮いてる、人類進歩の象徴の一つだ」
そして、ジャン・ショウは説明を続ける。
この闘技場は先ほど説明したようなことを発端とした『闘い』を行うために作られた施設の一つであり、このような施設は世界各地に点在しており、現在では大きい国ならば五、六ヶ所、小さい国でも一つは建てられている。
そして、その中でも一万メートル上空に浮遊しているこの闘技場は、世界最高峰の技術で作られ世界最高峰に位置する闘技場であった。
この超空闘技場では、年に数回世界的な大きな『闘い』の際に使われ、世界各国から観客を呼び集められる。また、その時の『闘い』は最高級のカメラを使って撮影され、全国ネットを用いて全世界に配信される。
『闘い』とは宗教的な儀礼であると共に、一種のエンターテイメントでもあるのだ。
世界一の『闘い』を行う場所。それが、この超空闘技場なのであった。
「はぁー、何か、もの凄いんですね。僕なんかが出場してもいいものなんですか?」
小柄な少年はよく分かっていないようだが、分かっていないなりにここが凄い場所だと気がついて感動したようであり、大きく息を吐く。そして同時に疑問の声を出していた。
それもそうだろう、この小柄なメガネ少年は、これから明後日、この超空闘技場で行われる世界的な『闘い』に出場することが決定しているのだ。
「いやぁ、ふつーは出ちゃいけないもんなんだがなぁ……」
ジャン・ショウは困ったような声を上げる。
それもそうだ。これから少年が出場しなければならない『闘い』は世界最高峰のレベル。小さな地方会場で行われるお遊びのような『闘い』ではないのだ。下手を打てばケガじゃすまない場合もある。
ジャン・ショウはカバンから書類――目の前の小柄な少年の写真が載っており、名前の欄には短く『バト』と記載されている――を取り出し、もう一度目を通す。
バト――性別男性。年齢不明。国籍不明。世界戦闘機関より超空闘技場における『闘い』の参加資格を求める推薦状。本来さまざまなことを記入し、文字で真っ黒にする必要のある超空闘技場参加のための書類は、そのほとんどが小さく不明と書かれているだけであり、何も書かれていない白紙同然のありさまであった。実際、少年バトに関する調書から得られる情報は限りなく少なかった。
(ふつーは出ちゃいけないもんなんだがなぁ……)
ジャン・ショウはバトとされる少年の外見を、表層の部分をじっと観察するように見る。
成長期に入るか入らないか微妙なほどの小さな身体。整ってはいるがどこか幼さを感じさせる顔立ち。少なくとも十代の前半、いや入りたてといってもおかしくない。普通に考えれば、親御さんの躾の下ハイスクールに通う必要のある年齢のはずであり、そうとしか思えない。
さっぱりと切られた黒髪。くりくりとした黒い瞳。細い鼻に、狭い口。どれも、何かしら子供らしいあどけなさと幼さを感じさせる。ただ、身体はやはり鍛えてあるようで、肩や腕など服から僅かに見える部分だけでも、バトの肉体が非常に引き締まり絞り込んだものであることが想像できた。
しかし、単純に視覚的にだけみれば、バトはどうにしたって少しスポーツが得意そうな普通の子供であった。
(うーむ)
ジャン・ショウは、今度は、じっくり内面を見透かすようにバトを観察し始める。
すると。
「あの? 結局、僕は闘いにでるんですか? でないんですか?」
なかなかはっきりとした返事を返してくれないジャン・ショウに対して、痺れを切らしたバトが話しかけてきた。
「うーむ、君に宛てられた推薦状は確かに間違いなく機関からのもんだし、こっちとしてもお前が凄い奴だっていうのならば、もちろん大大歓迎だ。全然構わねぇよ」
「そうですか、ならよかったです」
そう言い、バトは安堵の息をつく。しかし、もちろん『闘い』の出場は、バト自身が凄い奴だということを前提として話されている。バトが凄い奴だからこそ、大大歓迎なのだ。
バトはその事実に気づいているのだろうか、気づいていないのだだろうか。気づいていたとしたら、自身が凄い奴だという自信があるのだろうか、どうなのだろうか。
一方、ジャン・ショウはバトの内面的な部分の観察を終える。
そして、何か決心したようにバトの方を向き、言葉を紡ぐ。
「…………よし、いいだろうバト。世界最高峰の闘技場、神に近き闘いの場、超空闘技場は、機関からの推薦をもって今からお前を迎え入れる。これから二日後、お前には闘いに出てもらう。いいな」
「はいっ!!」
バトは、歯切れのいい非常に気持ちのいい返事を返す。
その様子にジャン・ショウはうんうんと頷き、よく分からない奴だがまあなんとかなるだろうと楽観的な気持ちでバトを見る。
基本的にジャン・ショウは物事をざっくばらんに切り分けて、楽天的見方にて判断する者であった。
しかし。
「あの、ただもう一つ質問があるんですけど」
それは、あまりに楽観的過ぎることであり。
「ん、何だ言ってみろ」
バトの物の知らなさを考えれば、当然のことなのだが。
「あの……『闘い』って結局なにやるんですか?」
バトは闘いのことを知らなかった。
翌日。小柄な少年バトは、闘技場に佇み、闘う相手が現れるのを今か今かと待っていた。超空闘技場の闘技場でだ。
昨日のレストランでかけていたメガネは存在しておらず、しっかりと目の前がみえているのかは分からない。
不安で不確定な要素は多いが、それでもバトは闘技場で相手が入場してくるのを待っていた。
闘技場に入場した時、バトは闘う場所が予想外に広々としていることに驚いた。闘技場はオリンピックを行ったり、ワールドカップを行ったりするのにふさわしいような巨大スタジアムであったのだ。
そして、スタジアムのような闘技場を覆うように多くの観客が存在していた。観客は、騒ぎ、沸き立っている。
その様子に、普通の人ならば緊張で頭が凍りつき固まってしまうはずだが、しかしバトは落ち着いて昨日あの後にジャン・ショウから聞かされた『闘い』についてのいくつかの内容を頭の中に反芻させる。
闘い。
それは、神と対面するために行われるようになったもの。
神を求めるが故の対応策。
ジャン・ショウから聞いた、闘いのルール。
それは、いくつかの制約こそあるが、基本的に単純なもの。
一つ、一対一で行うこと。
一つ、相手が気絶するか降参すれば勝ちとなる。
一つ、殺しはできる限り控えること。
一つ、闘いの際に武器を使う者は、機関が用意した武器のみを使用すること。しかし、武器はすべて加工され、殺傷能力はないようにされている。
要するに、相手を倒すか降参させれば勝ち。
また、これらのルールは、集団で争ったり、無残に殺しあったり、卑怯な道具を使用したりすることを暗に禁止している。
あくまでもこれは神に対しての儀礼の一種。そして、観客を呼んでのエンターテイメントなのだ。
だからこそ、残虐非道な『闘い』は否定される。勝ったとしても、それが酷い手口だった場合、強く非難されることとなる。
「さて、もう始まってもいいはずなんだけど……」
バトは待っている。闘う相手を。闘わねばならない相手を。
これはまたもジャン・ショウから聞いた話になるが、今回バトが闘うことになる相手は、まさにこの闘いというものにおいて世界一。
この世で一番強い男らしい。
今まで、闘いにおいて負けなし。世界最強ではないかとの声も高い人物であり、世界最高峰の超空闘技場で行う闘いにふさわしい人物であった。
小柄で非力そうで闘いについてこの前まで知らなかったバトとは、天と地ほどの差がある人物である。
そして、その最強の男は、あまりに凄まじい闘いを行うことから、実際に神に対面した人物――神に出会ったことのある人間と評されている。
それが事実がどうかは分からないが、彼の強さ、そして彼が使うとされる奇妙な『力』は、神に出会った存在だと思わせるものであるらしい。
神に会った人間。それは、バトがこれから闘う相手。
世界最強の人物。それは、バトがこれから闘う相手。
「まだかなー」
しかし、バトは余裕であった。
闘いというものについて無知であるが故の余裕なのか、それとも何か相応の自信があるのか。
幾分幼さを残す彼の表情からは、そのどちらなのかは読み取ることができない。
ただ、一応の武器として、バトの手には腰の高さくらいの普通の剣が握られている。
闘技場に入る前に、機関から準備された武器の中から選んだものだ。
用意されていた武器は、剣の他に、槍や斧、ナイフや薙刀、ハンマーや棍棒、はたはクナイや鉄扇まで存在しており、流石は世界最高峰の闘技場、あらゆるニーズに対応していた。
しかし、バトの武器はシンプルな剣一本。武器は好きなだけ選べたが、バトはそうはしなかった。
(まぁ、下手によく分からない武器つかうよりは、いいかなぁ)
別に、深い理由があったわけではない。ただ、なんとなく武器を剣一本に選んだのだった。
遊園地に遊びに行くくらいの軽い気持ちで、バトは鼻歌を歌いながら相手を待つ。
「さて、そろそろこないかなー……っと」
僅かにバトは身構える。こちらに向かってくる重たい足音を聞いた。聞けたのだ。
そして数十秒後、ゆっくりと、しかし間違いなくしっかりと、闘技場の前の扉が徐々に開かれてゆく。
バトはやっと少しは緊張した表情を見せ、手に持つ剣を微かに強く握り締める。
完全に扉が開かれると、相手選手の入場。ついに、世界最強の男、神に遭遇した男がやってきた。
「………………うわ」
世界最強。神に出会った人物を前に、バトは言葉を失っていた。
「ジャン・ショウ様っ、ジャン・ショウ様っ。ここにいらしゃったんですかっ!」
超空闘技場、メイン闘技場――現在バトが闘いを行おうとしている場所――の観客席。
世界各国から訪れた観客に溢れかえり、ごったがえしている観客席。年に数回あるかないかのスケールの大きい闘いを一目見ようと、賑やかにてかしましく元気に騒ぎ立てる観客たちの声で今にも溢れかえりそうな観客席。
「さあさあさあ、もうすぐ闘いが始まるよー!!」「おいおい、闘いはまだか」「久々だなー闘い」「やっと闘いが始まるのか」「あらまあ、まだ心の準備ができてないわ」「弁当いかがっすかぁ!」「闘いかぁ懐かしいねえ、俺も若い頃やったよ」「おぎゃー!」「闘い闘い闘い闘い……ふふっ」「ジュースもいかがっすかぁ!」「闘いですか、私これが初めてなんですよね」「そうか、おもしろいぞ闘いは」「あれ、どこいったんだろ先輩」「お菓子もいかがっすかぁ!!」「ジャン・ショウ様っ、ショウ様っ。こんなところにいらっしゃたんですかっ!」
そんな喧騒にまみれた座席の中で、一人の真面目そうな女性が、一続きになった座席の一つに座っている、一人の不真面目そうな男に対して言葉を発していた。
「ジャン! ショウ! 様! ジャン! ショウ! 様! 聞こえて! いますかっ! 返事を! して! ください!」
周囲のうるさい声を理由に、その声をわざと無視していた不真面目そうな男は、持っていたポップコーンを隣に置き、嫌そうな顔をして真面目そうな女性の方に顔を向ける。
「ったく、わーってるよ。すんげー聞こえてるよ。ダイジョウブ。……なんだよ、人がせっかく闘技場の騒ぎを肌で感じて、和んでるってのに」
不真面目そうな男はジャン・ショウ。小鳥でも住みそうなボサボサ頭をかきながら真面目そうな女性に文句をたらす。
「それは、申し訳ございません、ジャン・ショウ様。しかし、専用の席がご用意されていらっしゃるらしいので、できればそちらに移動を願えないかと……」
「いらねーよ。俺ぁ、闘いって奴を周りのバカ騒ぎしている人間どもと見るのがすきなんだ。行くのなら、お前一人で行って来い」
ジャン・ショウは、うるさいハエを追い払うように手の甲を真面目そうな女性に向けて振り続ける。
「しかし、ジャン・ショウ様……」
「ウルセエ。しかしもへちまもあるもんか。いいって言ってんだろ、察しろや。あと、お前、『様』って呼ぶのやめろ。別に上司だからって肩肘はるもんじゃねえ。『ジャン・ショウさん』でいいからもっとフレンドリーにフランクにいってくれ」
ジャン・ショウは、部下らしき女性のある意味当然の丁寧さに、本気で辟易していた。ジャン・ショウは、基本的に『仰々しいこと』や『堅っ苦しいこと』が苦手である。以前はそれがカッコいいと感じていて大好きだった時期もあったが、今は恥ずかしくて見ていることができないのだ。
部下の女性もそのことをなんとなくは理解したらしく、小さく気づかれない程度に嘆息。そして、しかたなしにジャン・ショウの隣に座る。一続きになったイスは座ると安っぽい音で軽く軋んだが、女性は気にしないように努める。
「それにしましても、ジャン・ショウ様――」
「『さん』」
「……失礼しました。それにしましても、ジャン・ショウ……さん。今回闘いを世界最強相手に行う予定の少年、彼はいったい何者なのですか?」
部下はジャン・ショウに尋ねる。
「世界最強と闘う? …………ああ、どうするかな……まあいいか」
「何者っつーたって、俺だって知らねぇよ。また機関が勝手に探して勝手に見つけて勝手に送りつけてきた、ちょいと骨のありそうなガキだろ」
「少し能力が高いだけで、ただの子供を世界最強と闘わせるのですか? 流石にそんな、いわれはないと思いますよ。実は、何かすごい秘密があるんじゃないですか?」
部下はその言葉に反論する。彼女が、元々ジャン・ショウを訪れた理由は、彼に席の移動を頼むほかに、これから闘う予定の少年について聞きたい気持ちがあったからなのだ。
「あ? 何だお前、俺の意見に反論するつもりか?」
ジャン・ショウはギロリと研ぎ澄まされた日本刀のような鋭い眼をして、ゆっくりと右手を部下の頭の上に持ってくる。
しまった、怒らせてしまったか? 部下は、全身に嫌な汗をかきながらも、なんとか謝罪を試みようとする。
「ひっ! も、申し訳ございません!」
しかし、おそらく無駄だろう。部下は、そう思い、身体を小さく震え上がらせ、右手で殴られるのに気持ちを備える。
すると、右手は握られることなく、開いたまま部下の頭の上に落ち優しくさすられる。なでられたのだ。
「わ、わ」
「ナイスだぜ、我が部下よ。反論、批評、大歓迎だ。やっと、フレンドリーにフランクになってきたな。どうだ、ポップコーンでも食うか」
ジャン・ショウはそう言って笑い、持っていたポップコーンを部下に差し出す。どうやら、機嫌がよくなったようだ。
その様子に、部下は安堵の胸をなでおろす。言われたとおりにポップコーンをいくつかいただき、ムシャムシャと食べる。甘いキャラメルソースの味がした。
「そ、それでは、少なくとも、会ったときの印象はどうでした? なにか、世界最強みたいな不思議な力を持っているとか、すごい身体能力が高そうだとか、ジャン・ショウさんでしたら、そういうのも分かりますよね」
部下は未だに諦めきれないように、再度ジャン・ショウに質問をぶつける。
ジャン・ショウは一瞬困った顔をしたが、手に持つポップコーンを一つ口に入れ、ゆっくり咀嚼したのち話し始める。
「そうだなぁ……身体能力はそれなりに高いようだった。あれは毎日鍛えてる上に、天性のもんがあるな。筋肉のつき方が普通のガキとはあきらかに違う。そして、その筋肉を有効に生かす術を元来心得ているみてーだ。頭のデキもそれなりにいいらしい。……しかし、それだけではダメだろう。残念ながら、身体能力と頭のよさだけでは、世界とタイマンは張れねぇ。運動が得意ってのとオツムのよさくらいで渡り合えるほど世界はちゃちなもんじゃない。クラスのヒーロー。学園の代表生徒。よくて、せいぜい町の自慢くらいが限界だ」
ジャン・ショウはふたたびポップコーンを口に入れ、しっかり胃に収めると、もう一度話を続ける。
「ただ、あと気がついたことと言えば……鼻と舌か? そう鼻と舌だ。俺は奴と飯を食いながら会話をしていたんだが、奴の嗅覚と味覚、その二つがやけに気持ちが悪いほどよかった。ピカイチだった。俺のポップコーンに触れないで、味がキャラメルか塩コショウか匂いだけで見分けられるくらいよかった」
「レストランにポップコーンを持っていたんですか?」
部下は驚いたように声を上げる。
「馬鹿。ものの例えだ。それぐらいすげーってことだ」
ジャン・ショウは部下の頭を軽くこづくと、話を続ける。
「そうだな……あとは、あんまり眼がよくねえみたいだったな、俺と会った時はメガネをかけているし、バトの野郎、闘いの時はいったいどうするつもりなんだろうな? コンタクトにでもかえてくんのか? 見えにくい状態で闘いを行えるかどうか、すっげー不安になってくるんだが………………まあ、だいたいこんなところだろうよ」
そう言い終えると、口を大きく開け、残っていたポップコーンを一気に流し込むジャン・ショウ。そのまま口の中でボリボリとすりつぶし、ゴクリと飲み込む。そして真剣そうな面持ちで、けれどどこか楽しげに闘技場のステージを見下ろす。部下もそれに習い、ステージの方の顔を向ける。
「見ろ。今、バトが入場してきた。いつもどおり世界最強は少し遅刻してくるだろうが、どっちにしろ、もうそろそろ闘いが始まるだろうさ。あとは見て感じろ、聞いて感じろ。推測タイムは終了だ。さあ、十二分に闘いを楽しんでやろうぜ」
バトが現れたことにより、一段と大きくなった歓声を聞きながら、ジャン・ショウは言葉どおり楽しげに、ステージを眺めてながら待つ。
そして、数分後、闘いの行われるステージ場で、扉が大きく開かれる。
完全に開かれた後、神に遭遇した人間、世界最強が現れた。
「…………ははっ」
その有様に、ジャン・ショウは笑っていた。
「これより! 超空闘技場における三千二百九回目、さんぜんにひゃくきゅう回目の『闘い』を、開始する!」
巨大なスピーカーから流れ出る声。『闘い』を始める声。大きく高らかに鳴り響き、闘技場を熱くたぎらせる。
「互いに、正々堂々、己と神の名に決して恥じぬよう心して努めよ!」
今こそ、『闘い』の幕が上がる。観客の声がまた一段とが大きくなる。ここにいる人々がすべて一つになったような錯覚が生まれる。
小柄な少年VS世界最強。その奇妙で不可思議で素晴らしい『闘い』が、世界最高峰の闘技場で在らせられる超空闘技場で始動する。
「それでは! 両者とも、いざ尋常に…………………………はじめっっっ!!」
『闘い』が始まった。




