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私を忘れないで  作者: 昼夜
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最終話

それは月の赤い晩だった。

ニアはついに飛行機を完成させた。軽い試走もしてみたが、なんの問題もない。


「やっとだ。やっと......解放されるんだ」


ニアは涙を流した。

それは嬉し涙でもなく、悲しみの涙でもない。長年の積もり積もった感情が自然と発露したような、そんな衝動めいた涙だった。これでようやくあの両親の呪縛から逃れることができる。


出発は夜明けにしよう。新しい朝日で僕の門出を祝福

するんだ。向かう先は.....どこに行けばいいのだろう。考えていない。


ニアはふと、シェリーのことを思い出した。

この閉ざされた世界でひたむきに夢を描く少女。


あの子、この村をでたら世界を見て回りたいなんて言ってたっけ。やりたいことがあることは素直に羨ましい。でも、可哀想だが僕には彼女を村から出してやる気力はない。


できることはひとつだけ。

それはせめて、彼女に気付かれないように消えることだけだ。良い子だった。はぐれ者の僕にも分け隔てなく接してくれた唯一の人だった。


だからこそ、僕は彼女を忘れる。彼女を突き放す。

終わりのない孤独から卒業するために。

忘れれば、思い出さずに済むんだ。


ニアは深夜の尾根で夜空を見上げた。煌々と雪原を照らす星たちが、いつもより眩く思えた。



その日の夜明けは猛烈な暴風雨だった。

朝日は完全に雲隠れしてしまっている。

出発の日に限ってこんな天気になるなんて。神はどうやら僕をこの村から出したくないようだ。ニアは拳を握った。


でも、出発は中止にしない。

もう決めたのだ。

この呪われた運命に抗うことを。


ニアは隠れ家の洞窟に向かい、飛行機に乗り込んだ。

ハッチを開け、少しの食料とナイフやランプをつめた鞄を押し込んだ。これで旅立ちの準備は整った。

操縦席に座り、手に持っていたリモコンのボタンを押す。


すると、暗い洞窟の天井が開き、灰色の空が一面に広がった。


ニアは空を見上げ、深呼吸した。

もうすぐ、もうすぐだ。

胸を高鳴らせ、エンジンを起動させる。


鼓膜が震えるような轟音を洞窟にこだまさせながら、小さな飛行機は見事に空へと舞い上がった。

ぐんぐんと高度を上げ、地面を遠ざけてゆく。


高度15メートルまであがると、もう村を見渡すことができた。何故だろう。嫌な記憶しかないのに、溢れるように涙が出てくる。

ダメだ。こんなんじゃ運命を断ち切れない。ニアは涙を拭い、気持ちを尖らせた



ずっと前から用意していたものがある。

僕はこの日、この瞬間にそれを使うことを待ちわびていた。僕の運命を断ち切るための剣。


ニアは機内の片隅にある、青いボタンを押した。

すると膝横の壁が開き、中から黒い塊が出てきた。



爆弾だった。



ニアは爆弾に触れ、過去に想いを馳せた。

十年前、なんらかの理由で世を儚んだ両親は、爆弾で村と外の世界の架け橋を破壊した。その時、彼らはなぜこの村ごと吹き飛ばさなかったのか。どうせテロを起こすなら、もっと被害の大きい村の中心でやればよかったのに。


村ごと消えていれば、僕がこんなに苦しむこともなかった。


僕は爆弾でこの忌まわしい故郷を空から吹っ飛ばす。その時初めて、ぼくはこの呪縛から解き放たれる気がする。


ニアは村の中心部上空へ向かった。そこから爆撃すれば、村全体が吹き飛ぶ算段だ。


見下ろす村は人通りが少ない。

雨風が強いから、当たり前といえば当たり前か。村人たちの断末魔を聞きたかったニアは、少し残念な気持ちになった。


まあいい。

全て消し飛ぶことに変わりはない。

ニアが上空でハッチを開け、震える手で爆弾を投げようとしたその時だった。



「シェリー......」



遥か地面で、大きく両手を振っているシェリーの姿がみえた。ニアは舌打ちをした。どうしてあいつは僕の邪魔ばかりするんだ。ニアは爆弾を置き、シェリーを見下ろした。


何か様子がおかしい。

泣いている?

ニアは飛行機の高度を下げ、耳を澄ました。


「ニア! ニアー! 遠くに雪崩がーー」

「雪崩?」


ニアは目を凝らし、辺りを見渡した。

すると、ちょうどニアの背後の方向から地響きのような音が聞こえた。まだ目視はできないが、この距離でも確かに聞こえる。その時点で尋常ではない激しさの雪崩であることはわかった。


ニアは動揺した。

このままでは自分が爆撃する前に、村が雪崩に飲み込まれてしまう。それじゃだめなんだ。僕の手で壊さなければ、僕が勝ったことにならない。

ニアは再び爆弾を手に取り、腕を振り上げた。


「お願い!助けて!」


涙まじりにシェリーが叫んだ。


その瞬間、ニアは無意識のうちに爆弾をポケットにしまい、飛行機を急降下させていた、


怒りと困惑と安堵。

三つの相反する感情が頭の中でこんがらがり、ニアの心をがんじ搦めにした。


飛行機が着地するや否や、シェリーが慌てて駆け寄ってきた。


「ニア、降りてきてくれてありがとう! お願い、私もーー」

「来るな! それ以上僕に近づくんじゃない!」


ニアは叫んだ。

自分で空から降りてきたくせに、口をついて出た言葉は彼女を突き放すような言葉だった。

泣きべそを書いたシェリーはそのあまりの形相に怯み、立ち止まった。


ニアは血が滲むほど唇を噛み、冷めた瞳を閉じた。

そして、痛みを堪えるように言葉の穂を継いだ。


「お前のせいで......お前のせいで僕は一人になりきれなかった。お前とさえ出会わなければ、僕は、今更こんな気持ちに......」


優しさはときに人を傷つける。

ニアは、シェリーの優しさのせいで煩悶していた。シェリーさえ現れなければ、今頃一人で燃え盛る村を見下ろして笑っていただろう。


そのほうが幸せだった。

結局人は、人なんかと関わるから傷つくことになるのだ。生まれてから死ぬまで孤独でいられたなら、人の心は傷つくことはないだろう。

ニアは本気でそう思った。



シェリーの白い頬に、一縷の涙が流れた。

涙の粒は大きくなり、やがて彼女の顔は悲しみの色に染まった。



そして、シェリーは涙交じりの声で呟いた。



「お兄ちゃん......いい加減目を覚ましてよ」



その言葉を耳にした刹那、ニアは脳の奥底に鋭い亀裂が入った気がした。


「お兄......ちゃん?」

「思い出してよ。私はニアの妹のシェリーだよ......」

「ははは......何を言ってるんだ。僕に家族なんかいるわけないだろ。まして妹なんて......」

「これをみて」


シェリーはコートの内ポケットから、皺になったひとひらの写真を取り出した。その写真には、仲睦まじそうな四人の家族の姿が映されていた。そこにいたのは顔も忘れていた両親と、紛れもなく幼い頃のニアの姿だった。


ニアは幼い小さな女の子と手を繋いでいた。


ニアはシェリーから写真をひったくると、穴が空くほど眺めた。


「これは......本当に僕なのか?」

「本当だよ。思い出した?」

「そ、そんな。だから君は僕に......? でも、どうして僕はそんな大事なことを覚えてないんだ」

「それは......ニアがおかしくなってたから。爆発に巻き込まれたショックで、錯乱したのよ。私、ぜんぶ死んだおじいちゃんに聞いたの」


爆発に巻き込まれた?

そんなはずはない。自分はあの日、家にいたんだ。どこかへ出かけた両親を、あの子と二人で待っていて。


あの子? 誰のことだ、それは。

ニアは逡巡し、頭を抱えた。


ふんわりと、柔らかな髪の感触を手の平に覚えている。


「お兄ちゃん」

「ああああああ!」


ニアの頭の中に様々な光景が錯綜した。轟音、悲鳴、泣き声、沈黙。


その光景の破片の中に、妹を寝かしつける自分がいた。そうか。僕はあの日、妹を寝かしつけて、そのあと両親に探しに山を見に行ったんだ。

そして、あの忌まわしい事件が起きた。


僕は目前で起きた出来事を受け止めることができなくて、自分を記憶の殻の中に閉じ込めた。そうして全てを忘れることで、現実から逃げだしたんだ。


ニアは目の前で震えている少女を見つめた。


幼いうちから知らない人の家の子になり、自分を忘れた兄が除け者にされるのを眺めるのは辛かっただろう。

どれだけの時間、深い孤独と戦っていたことか。

それでも、いつも元気な笑顔で接してくれた。



本当に孤独だったのは他の誰でもない。

シェリー。

自分の妹だったのに。



ニアはシェリーを強く抱きしめた。


「私のこと、思いだした?」

「......ああ」


真っ白な世界の中心で抱き合う兄妹。

迫り来る雪崩の足音が、遠くに聞こえた。

再会の時は長くは続いてくれないようだ。


ニアはシェリーを強引に抱き上げると、飛行機のハッチに押し込んだ。雪山で痛めた肘から血が噴き出した。


「ちょ、ちょっと。何してるの」


ニアは忙しなく腕を動かした。

古ぼけたコートの内ポケットから一枚の厚紙を取り出し、シェリーのコートのポケットに突っ込んだ。


「母さんの形見だ。君にあげる」

「ど、どういうこと? 私、一人で行くなんて嫌だよ」

「君は僕を孤独から救ってくれた。大切なものを思い出させてくれた。君には夢が、僕にはなかった生きる希望がある。僕の作った翼で、君は外の世界を自由に生きるんだ」


ニアは微笑んだ。

この飛行機は一人乗りだ。二人で乗ることはできない。無理やり妹にシートベルトを括り付けた。


「やめて! お兄ちゃんが残るなら私も残る!」


シェリーはもがき、叫んだ。


「大丈夫。僕は死なない。必ずまた会えるから」


じゃあね。


ニアは自動操縦ボタンを押し、ハッチを無理やり閉めた。


希望をのせた飛行機は小さな点になっていく。

ニアは遠ざかる銀の鳥を見送り、迫り来る雪崩を前にひとり微笑んだ。



どんなに傷つきたくなくても、人は一人になりたくない。どんな境遇で生まれても、辛い想いをしても、人としての心の鎖から逃げ出すことは叶わない。

それがこの世の摂理なんだ。



ニアはポケットから爆弾を取り出した。

今、あの日の全てを思いだした。

両親がなぜあんなことをしたのか。


この爆弾をうまく爆破させれば、地面に大きな穴が空く。そうすれば、雪崩を地底に流し込むことができ、村は救われる。それを実験しようとして、間違ってしまったんだ。


そうだろ? 父さん。母さん。


ニアは大きく振りかぶり、全身の力を振り絞って、迫り来る雪崩に爆弾をぶつけた。


爆炎と閃光が辺り一帯を包みこみ、大地に風穴を開けた。空気は震え、木々に留まっていた鳥たちは一斉に飛び立った。





眼下で起きる信じがたい光景を、シェリーは茫然自失の表情で見つめていた。


「そんな......」


狭い飛行機の中。

シェリーは力なくうな垂れた。

やっと思い出してくれたのに。私を抱きしめてくれる人を見つけたのに。


また、置いていかれた。


シェリーは泣いた。声をあげ、赤子のように泣き喚いた。


いつも諦めていた。だから笑っていた。

人は同じところに留まることができないから、だからみんな自分を置いていくのだと。


それは当たり前のことだから、全然寂しくないんだ。

東から太陽が昇り、西へと沈みゆくのと同じことだ。

そうやっていつも笑いとばすことで、シェリーは自分や周囲を騙していた。でも、それは全部強がりだった。


「寒い」


私も死んでしまおう。

今からなら、ニアに追いつけるかもしれない。ハッチを開け、飛び降りようとした瞬間だった。雲の隙間から太陽が覗き、一筋の光がシェリーを照らした。



見上げれば、空は青かった。

灰色の空は過去のものとなり、遠くには藍色の海が広がってみえた。閉ざされた村のすぐそばに、こんな景色があったなんて。


シェリーは涙を拭い、遥かな海に釘付けになった。


この海はどこまで広がっているのだろう。地平線の果てには何があるのだろう。

悲しみに覆われていた心に、ふつふつと好奇心が芽生え始めていた。


ーー僕の作った翼で、君は世界を自由に生きるんだ。


兄の最後の言葉。


わたし、強く生きなきゃ。


その時ふと、ポケットの中で何かがかさばるのを感じた。

震える手でゆっくりと取り出してみる。


それはひとひらの、忘れな草の押し花だった。

藍色はほんの少し色褪せ、時の流れを感じさせる。

ニアはお母さんの形見だなんていっていた。


シェリーはその押し花を眺めていると、裏に何か言葉が書いてあるのを見つけた。ところどころ丸く、決して上手いとは言えない筆跡で、こう書いてあった。



『私を忘れないで』



シェリーは押花を胸に抱き、いつも以上に明るい、太陽のような笑顔を浮かべた。


そして、こう呟いた。


「忘れないよ」

ありがとうございました。

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