三話
新しい朝がきた。
ニアは起き上がり、ぼんやりと窓の外を眺めた。今日も村には変わらず雪が降っている。
鏡を見て顔を洗い、朝食の支度をしようと冷凍庫を物色した。しかし、中身は空だった。トーストがあったはずだけど......一瞬そう思ったが、ニアはすぐにシェリーに食べられたことを思い出した。
仕方ない。買いに行こう。
ため息をつき、外着に着替える。日用品の買い出しはニアにとって最も憂鬱なことのひとつだ。どうしても村人と会わないといけないから、胃が痛くなるくらい神経を擦り減らす。
約30分の往復時間。それはニアの心に緊張をもたらした。誰ともすれ違いませんように。そう祈る最中、早速遠くに親子の影が見えると、ニアは建物の影に隠れて相手が消えるのを待った。彼らが過ぎ去ると、再び心を研ぎ澄ませながら歩きはじめる。
数分ほど歩いて食品店につくと、ニアはフードを目深に被った。
「いらっしゃい」
細身の若い男店主がニアに声をかけた。
ニアは顔を隠したまま、無造作にパンや野菜を手に取り、持参した鞄に詰め込んだ。食べれるものならなんでもいい。さっさとこの買い物を終えたい。
淡々と会計に向かうと、店主に再び声をかけられた。
「なあ、お前ニアだろ?」
「......」
わかっているくせに。
わざわざ本人確認なんてして、嫌味でも言うつもりなのかもしれない。
ニアは醜く歪む店主の表情を想像した。
「昨日の夜の一件はさ、お前がけしかけたの?」
「え?」
ニアは思わず顔をあげた。
目が合うと、店主は予想に反して穏やかそうな表情を浮かべていた。流石は接客業といったところだろうか。
「シェリーのことだよ。知らないの?」
「なんのことですか」
「昨日の夜な、シェリーが村長の家で大喧嘩したんだ。お前のことでね。いい加減、ニアを悪く扱うのはやめろってさ」
さっぱりとした性格なのか、単に話し好きなのか、店主は聞きもしないことをするすると喋りはじめた。そんな軽い店主とは裏腹に、ニアは動揺していた。
何を勝手なことをしているんだ、あいつは。そんなこと頼んでもいないのに。どうしてそこまでされなくちゃいけないんだ。
「そんでさ、村長の家に結構人が集まって。シェリーのやつ、もう躍起になっちゃって――」
「すみません。用事があるので、お会計いいですか」
「え? ああ。悪い」
ニアはさっさと会計を済ませると、足早に店を去った。
☆
家路に着くと、丁度シェリーが軒先に立っていた。
ニアは思わず彼女の笑顔を二度見した。
頬に、赤い切り傷がついていた。
「おはよう。ニア。今日も手伝いに――」
「シェリー。どういうつもり?」
「な、なんのこと?」
「昨晩のことだよ。僕のことで村長に喧嘩売りにいったそうじゃないか」
ニアは卑屈に顔を歪めた。
シェリーは少し切ないような顔をすると、沈黙の後にこう言った。
「......行ったよ」
「そんなこと頼んでないだろ! 余計なことすんなよ!」
「なんでそんなに怒るの? 私はニアのためにやったんだよ」
シェリーは小さな肩を怒らせた。
「余計なお世話なんだよ。約束したはずだ。飛行機に乗せる代わりに、僕にはもう関わるなと」
「したよ! でもあの飛行機飛ばなかったじゃん!」
それを言われるとニアは言葉に窮した。でも、問題の本質はそこじゃない。
なんで彼女が、嫌がる僕を蔑ろにしてまでそんなことをするのか。
「私はただニアが除け者にされているところを見たくないだけだよ。だって、ニアが何をしたっていうの? 何も悪いことしてないのに悪者扱いされるなんて間違ってる」
ニアは怯んだ。それは自分が一番思っていることだけど、他の誰かには言われたくないことだった。
石を投げられた。水を捨てられた。話しかけても無視された。その度に、自分の運命を憎んだ。
やがて、人を信じるなんてことは幻想にすぎないという事に気付いた。もう、村人たちに話しかけることもやめた。
彼らと関わることは、誰のためにもならない。
「辛い思いをしたのは僕だ。君じゃない。君がそれを村長に言う権利はない」
「でも――」
「仕方ないんだよ。シェリー。これが現実なんだ。化け物の子供なんてさ、一緒にいるだけで気味悪く思っても仕方がないだろ? 奴らは普通だよ」
ニアが自虐的に言うと、シェリーは閉口した。
そして、あからさまに怒ったような顔をすると、ニアのすぐ前まで詰め寄ってきた。
ぱしっ。
渇いた冬の空に、力強い打音が鳴り響いた。
ニアは頬を抑え、シェリーを睨んだ。
「......そんなこと、私の前で二度と言わないで」
静かに怒るシェリーに気圧され、その猫のような瞳をただ見ていることしかできなかった。
その時だった。
「ニアの言う通りだ。シェリー」
性格の悪そうなしゃがれ声が聞こえた。
「村長」
村長は珍しく一人で現れた。
いつもはその権力を誇示するかのように屈強な男の取り巻きを引き連れているのに。今日は何を言われるのだろうか。ニアは心を殺した。
「私たちはニアの両親のせいであらゆるものを失った。尊い命と、外への架け橋を。子に罪はないとはいえ、心情的には村の住民たちはニアを受け入れられないのだよ」
「......そんなの、間違ってるよ」
シェリーは反駁した。
「ああ。間違っているかもしれないな。でも、考えてみて欲しい。シェリー、お前に子供がいたとして、その子供が何者かに殺されたとしよう。お前はその犯人の家族と友人になれるか? 笑って夕食を共にすることはできるか?」
村長が重々し気な口調でそう言うと、シェリーは口をつぐんだ。ニアは俯いた。村長があの事故で家族を失っていることは知っていた。
「......わかったよ。でも、それなら罪を受けるのはニアだけじゃないわ。私、死んだおじいちゃんに全部聞いたんだから。本当のこと、全部――」
「シェリー!」
村長は空気が奮えるほどの大声をだした。
そして、ため息をつくとこう言った。
「お前の言い分は昨日全て聞いた。もうそれ以上喋るな。私だって、心苦しく思うこともあるから、ニアの生活だけは保障している。ニア、この村にいるかぎり、お前の居場所はない。だから、お前がもし安息を臨むならこの村から抜け出せばいい。最も、外へ続く架け橋はお前の馬鹿な親が壊してしまったがな」
村長の主張は筋が通っている。
ニアは思った。
きっと、自分が彼の立場でも同じように思うだろう。家族を殺されたり、大切なものを壊されたりしたらきっと笑えなくなる。犯人に関わりある人間には近づきたくないだろう。自然なことだ。
ニアは深呼吸をし、村長の瞳を真っ直ぐみつめてこう言った。
「はい。そうします」
「ふん、生意気なガキめ。やれるものなら、やってみい」
村長は踵を返し、もう振り返ることはなかった。
村長が姿を消してもなお、シェリーは煮えきらない顔をしていた。そんなシェリーに、ニアは珍しく自分から微笑みかけた。
「シェリー。さっきは怒って悪かったよ」
シェリーは目を丸くした。
「ううん。いいの。私のほうこそ、ごめんね」
「ああ。じゃあ、僕は飛行機作りにいってくるから」
「あ、なら私も――」
「ごめん、一人にしてくれ。もう作業が大詰めなんだ」
ニアはそう言うと、呼び止められるより前に背を向け手を振った。
もう、約束の時はすぐそこまで来ている。
そう。
僕がこの村からでれさえすればいいんだ。
全てを終わらせることができるのは、僕しかいない。
ニアは不吉な笑みを浮かべた。
飛行機の完成を急ごう。もうそんなに時間はかからない。
「ニア!」
シェリーの呼びかけに、ニアは振り向いた。
「無理しないでね」
ニアはそれには答えず、吹雪く山へ一人向かった。